モブ(主人公)

 中間試験の6日前。4組の生徒が必死になって追い込みをかける中、ベルナルドはアズルトから呼び出しを受け、樽のような体を揺らし寮の廊下を歩いていた。

 本日の授業が終わり次第、1人で部屋を訪ねて来てほしい。

 アズルトからの言葉は凡そそのような内容だった。

 目的は不明。試験のための勉強会、などといった生徒らしい可愛げのある要件でないことだけは確かだ。


 ベルナルドはこのアズルトという男が苦手だった。

 大して言葉を交わしたわけでもない。

 マダルハンゼ郷やフェルト、キャスパーらグループの顔役は誰もがアズルトを悪い奴ではないと評するが、ベルナルドはそれに賛同することができなかった。


 得体が知れないのだ。

 初日の乱闘、獣娘との接近、個人戦技にそぐわぬ集団戦技の高さ、平坦な感情、獣娘への甘さ、病的な複雑さの魔術構築。

 噛み合わないところだらけで気持ちが悪い。


 家の利益のためだけにオルウェンキスの下に付いているが、彼が異様にアズルトを警戒している点についてはベルナルドも高く評価していた。

 もっとも、要らぬちょっかいを掛ける部分でその評価は相殺されているのだが。


 ただし感情を抜きにすれば、ベルナルドはアズルトを高く買っている。

 なにせ総合力はキャスパーに比肩する。多くはもう少し下に見ているみたいだが、キャスパーが望んで立ち合いを求める相手が獣娘とアズルトだけという時点で察しろという話だ。

 加えて意思疎通の上で不都合が少なく、他では会話も成り立たない獣娘を見事に飼い慣らしている。


 アズルトへの対応を損じれば利を失う。

 その認識があるからこそ、ベルナルドは気乗りせぬ足を強引に奮い立たせ、アズルトの部屋を目指しているわけだ。



 ◇◇◇



「狭い。帰る」


 扉から部屋を覗き、ベルナルドは開口一番暇を告げた。

 口実に無理があるとは思ったが、他に角が立たないよう辞退する都合のよい言い訳は出て来てくれなかった。


 ベルナルドを待ち構えていたのはアズルトだけではなかった。

 思えばごく自然のことであるのだ。アズルトからの呼び出しということで、その目的ばかりに思考が寄っていたが、サシでの話し合いとはひと言も口にしていない。

 1人で来いと言われたから、相手も1人なのだと勝手に思い込んでいただけ。


 この部屋にはもう1人の住人がいる。

 クレアトゥール・サスケントとかいう狂犬が。


 入学式当日に起きた一連の事件は鮮烈な記憶として残っている。あれが4組の今のあり方を決定づけたと言っても過言ではない。

 唐突に始まった乱闘、それは奇怪な精神性を持つ2人の化け物の存在を4組の全員に知らしめたわけであるが、人間的な感情を垣間見せた狂犬に対しては、4組は大勢において同情的な反応を示していた。


 風向きが変わったのは、式が終わってから起きた第二の事件が原因だ。

 反省室からひと足早く戻っていた狂犬に、組の幾人かが歩み寄りを見せたのである。

 マダルハンゼ郷やフェルト・ユリス嬢のグループの面々だ。

 だがそれは上手くいかなかった。


 始めは大人しく彼女らの話を聞いていた狂犬だったが、徐々に不機嫌を露わにし始めた。

 そこで引かなかった彼女らは愚かであるが、強者を見極めるだけの才を持たない凡人にその危うさを察しろと言うのは、持つが故の傲慢なのかもしれない。

 兎にも角にも狂犬は闘気を暴発させ、それで血塗れになった腕を見ながら嗤うと、弱者に興味がないとばかりに拒絶を宣言したのだ。


 そこからの狂犬をアズルトに押し付けようという組の動きには頭を抱えた。

 この第三の事件は、アズルトが組の思惑にすんなりと乗ってくれたことで大事とならず済んだが、それはそれで大事だというのがベルナルド個人の見解であった。


 それに狂犬の狂犬たる所以はふた月程度ではなにも変わらない。

 度々バッテシュメヘ教官の指導を受けているし、その理由の中には公国貴族と揉めたというものまである。

 最近でも宝珠の支給の翌々日から出歩いていたと聞いているし、魔法器官への順応の速さも尋常ではない。


 斯くも異質な2人の巣穴を前に足が竦まないほど、ベルナルドは無知でも無謀でもなかった。

 実際にはその巣穴にもう1人、学園屈指の巨漢であるガガジナが紛れていて、これがベルナルドの混乱に拍車をかけているのだが。


「そう言わないでください。奥を片付けておきましたから、窮屈な思いはさせないとお約束しますよ」


 扉を閉じて引き返そうとするベルナルドをアズルトが呼び止めた。

 その腰の低さに鳥肌が立つ。

 荒々しく足を踏み鳴らし腹に力を入れ、声が震えぬよう虚勢を張って言い放つ。


「その気味の悪い話し方をやめろ。フェルトと同じでいい。身分は貴様の方が上なのだからな」

「そうか。ならひとまず部屋に入って扉を閉めてもらっていいか」

「断る。話があるなら談話室を借りればよかろう」

「却下だな。そのあたりも説明するからとりあえず扉を閉めてくれ。損はさせない」


 最後に付け加えられたひと言にベルナルドの片眉が上がる。

 大商会の次男坊であるベルナルドにとって損得は重要な判断基準だ。

 いや商人の端くれとして、なにを差し置いても優先すべき行動原理だ。

 アズルトは己の出自を知っていて今の言葉を選んだのではないか。その直感がベルナルドに冷静を取り戻させる。


 狂犬の姿に思わず損を高く積んでしまったが、ガガジナが同席していることにも興味があった。

 狂犬の持つ潜在的損失がそれだけ大きいのだ。彼女の能力に利はある、しかし彼女単体の損はそれを上回る。アズルトと合わせて見れば利が上回るが、アズルト自身にも問題は多い。


 そもそもバルデンリンドの子山羊に手を出すのは毒を飲むのと同じだ。

 王家に盾突こうとも、教会とバルデンリンドの権益を侵すべからず。それが王国屈指の大豪商ドラマルス家の秘された家訓だった。

 であればこそ、アズルトの言葉はベルナルドにとっての助け舟となった。

 自分の感情に反駁の余地のない言い訳ができるのだ。


 ベルナルドは仕方ないといった風を装い部屋に入り、雑に扉を閉めた。

 直後、部屋全体に魔術が走ったのを察する。

 反射的に扉に掌を当てた。


「結界、種類は……音の封鎖?」

「そう遮音結界。内部から外部への音だけを止めてる。それにしてもなんだ、あれだな。ベルナルドはオルウェンキス・オンといる時とはずいぶん雰囲気が違うんだな」


 ベルナルドの血の気が引く。

 これまでの実技でアズルトの魔術の技量の高さは把握しているつもりだったが、張られた結界の完成度はすでに本職の域。

 確実に学園に入る前に魔術を学んだ人間であり、同様のベルナルドをして実技では敵わないと思わせる代物。

 立場を、思い知らされた。


「っ! も、申し訳――」

「ああー違う。そういうことじゃなく、そういう意味じゃなく? まあなんでもいいか。話しやすい方でやってくれ」

「伝わるか?」

「いや、本当にどうでもいいからな」


 アズルトと狂犬の気のない会話に、ベルナルドはガガジナに縋り付いて助けを求めたい衝動に駆られていた。

 もっともそのガガジナも胡坐で腕を組み瞑目するだけという奇相の人物であるからして、ベルナルドの衝動は間もなく根底のところで立ち枯れてしまったのだが。


「そ……そう、か?」

 辛うじてそう答えるのがベルナルドの理性の限界であった。


「約束通りこの部屋を使う理由から説明する。ひとつは機密性。そしてもうひとつは魔術を使用するからだ。俺は寮会から自室での魔術使用許可を得ている。これには監督による許可も含まれていて、俺が可能と判断した者については、同条件においてその監視下でのみ使用を許可できる」

「おかしいのではないか?」


 言葉がついて出た。

 許可のない場所・場合における魔法の行使は厳禁。これは学園の規則だ。

 通常生徒は訓練場の使用許可を申請して、そこで魔術の訓練を行う。技量不足と判断される者には教官や寮会員がつく。


 魔術とは元来危険な技術なのだ。そこで言う魔術とは戦闘行為に限らない。

 こと騎士候補生は魔術の扱いが厳しく制限される。

 魔術師のような外部のツールによって魔術を行使するのでなく、融合した魔法器官でそれこそ魔法に近い感覚で魔術を行使できる。

 それはすなわち暴発が起きやすいということでもあった。

 その魔術の自室での使用許可を得たとアズルトは言う。


「キャスパー含め、この者らを常識で計るのは無駄だ」

「よく知っているのだな」


 不意に混じったガガジナの呟きに、ベルナルドは嫌味を返す。

 自分だけが外様で事態について行けていない。こういった状況にベルナルドは慣れていなかった。

 ベルナルドはこれまで自分が中心であったり、中心ではなくとも誘導していたり、状況を動かす立場にいた。そうあるよう立ち回ってきた。

 終始一方的に振り回される。それは、ベルナルドの矜持を著しく傷つけるものであった。

 しかしベルナルドの想像に反しガガジナは首を横に振る。


「見てはいた。だが言葉を交わすのは今日が初だ」

 なんなのだこいつらはと天を仰ぐ。


「誤解があるから言うけどな、使用許可だけなら2人も取れるぞ。重要なのは魔術に対する理解と素行だからな。ちなみにこいつは――」

「素行?」

「む?」

「おまえがいいのに、あたしはダメなのか?」


 気まずい沈黙が流れる。

 いや、そう思っていたのはベルナルドだけなのかもしれない。

 そうだなとアズルトが納得したように頷く。


「俺でも取れたんだ、2人なら余裕だ。というかこれからする話のため、この後にでも取りに行ってほしい」


 この瞬間、ベルナルドは己の常識を投げ捨てることを決意した。

 流されよう。流されてしまおう。

 頭を空にしてすべてを受け入れるのだ。


「改めて聞く。なぜこの大木と私を呼んだ?」

「2人もだいぶ宝珠に馴染んだようだからな、今ならこれから見せるものも理解できると思った。それを見た上で、知恵を貸して欲しい」


 アズルトはそう言って軍棋の盤と2つだけ駒を取り出し、自身と狂犬との間に並べると、2人で練っているという魔術訓練用の卓上遊戯の構想を語り始めた。


「魔術の運用はある魔道士の知識に由来しているから、口外無用で頼む」

「ほう」

「ふむ」


 盤上では2人による実演が行われていた。

 遊戯用として構成に手を加えられた攻撃魔術が、狂犬の駒の周囲からアズルトの駒へと放たれる。アズルトはそれらを防御、相殺、破壊することで駒を護り続けている。


 卓術合わせという遊戯に似ているが、使える術の種類と相性が明確に定められ、付け加えるならば視覚効果しか持たない術で、読み合いが主体の遊戯とこれとはまったくの別物だ。


 そもそもこれを遊戯の範疇に収めてよいものか。いや、目に映るものも遊戯に見えなくはない。しかしその実、遊びとして軽々しくやれるものではない。

 2人が行っているのは圧縮した高度な魔術決闘だ。


 縮小ではなく圧縮である。

 用いられる魔術はどれも実戦で使うことを想定されているものばかり。そこに後付けで効力を減衰させる構文を混ぜ、一見すると安全な遊戯に仕立てているだけなのだ。


「ベルナルドとガガジナが男子の中では抜きんでて魔術の造詣が深い。才能も熱意もある。こいつはどうだか知らないが、俺は感覚頼みなところがあるからな。効果的なものを組むには専門家の協力が不可欠だ」


 なんのためにこんな無駄なだけの遊戯を完成させたいのか、ベルナルドの理解が追い付かない。

 ただそれとは別に、アズルトの台詞には少し引っかかる部分があった。


「男子の中ではと言ったな。女子では誰を見ている」

「ココトとチャクだ」


 現時点で実技はどちらも凡庸な成果しか出していない。

 貴族らしい素質を見せるマダルハンゼ派の令嬢たちでも、コルレラータ嬢でもない。

 しかしベルナルドはここに呼び出された自分たちとの共通点に気が付いていた。


「逆に聞きたい。2人をどう見る」

「ココトはお行儀が良すぎる、チャクは目的が定まっていない」

「流石だな」

「……2人も呼ぶべきだ」


 アズルトの目的がはっきりとしないが、理詰めの分野ならあの2人は役に立つ。


「まだ早いだろう。基礎が固まってからにするのが無難だ」

「貴様、なにを企んでいる」


 基礎が固まってからということはすなわち、作る側ではなく使う側として2人を想定しているということ。

 いや作る側としても見てはいるのだろう。しかし使う側により重きを置いていると言うべきか。


「なにって、強くなるためだろ」


 確かにアズルトは言っていた。

 これは魔術訓練用の遊戯であると。だが……。


「主流のやり方と違う」


 数多の訓練法が試され、淘汰された末に残った手法である。

 魔力器官を酷使し、魔力能を高めるというのが考え方の根幹だ。技術はいずれついてくる。しかし器は長い時をかけねば鍛えることができない。


「あれは万人向けだからな。確実に成果は出るが効率が悪い」


 効率……もしや自分はとんでもない思い違いをしていたのではないか。

 ベルナルドの頬を冷汗が伝った。


「万人向けと言うが、貴様が練っているそれは遊戯ではないのか?」

「分かっているんだろう。学園に遊戯として納得させられれば、扱えるのはこの6人だけでも構わない」

「……まさか、これを学内での魔術使用許可の代用とするつもりか?」


 魔術遊戯と呼ばれるものがある。

 有名なのは盤計略と呼ばれる卓上遊戯だろうか。魔術による索敵、隠蔽、欺瞞を駆使して行われる戦略軍棋のことだ。階級制で、級の差に応じてハンデが与えられる。

 戦場で華やかな活躍の場のない支援型の魔術師の『本当の戦場』とすら言われる。

 ただ現実の戦場とは求められる要素が違うので、盤計略の腕前が支援術師としての腕前とは一概に言えない。

 先述の卓術合わせも魔術遊戯の一種だったな。


 こうした魔術遊戯はその性質から遊ぶ上で魔術の行使を必要とする。

 しかし学園では指定された場所・場合以外での魔法の使用を禁じている。

 では魔術遊戯で遊ぶ時は学園に許可を求めるのかというとそうではない。

 学園は遊戯単位で魔術の使用許可を出しているのだ。


 そしてアズルトは、この遊戯とも言えない遊戯でこの使用許可を得ようとしている。

 それはおそらく、訓練を日常に寄せることで時間を捻出しようという魂胆があってのことだ。


「位格を得るまで待つのか。俺は御免だぞ。それにこれなら訓練内容としても悪くないだろ」

「狂ってるな」

「効率を優先しているだけだ」

「やはり汝はキャスパーの同類であったか」

「ほら、あたしが言った通りじゃん」

「結果のためなら過程なんて気にしないものだろう、普通。というかおまえは俺と同じだろう。おかしいと言いつつ喜んでいたのは誰だかな」

「喜んでないし。愉しそうとは思ったけど」


 ベルナルドとてこれを用いて育てられる騎士には興味がある。自分がどこまでやれるのかを含めて。

 だが、アズルトの考え方は騎士を育てるそれではないとも思う。

 赤位、いや黒位に届き得る人間だけふるいにかけるが如きやり口。

 それも、素質ではなく気質である。


 元々素質もあるベルナルドやガガジナはともかくとして、気質頼みのココトとチャクがどこまで粘れるか。

 狂人と狂犬については語るまでもない。素質云々を抜きにしても、気質だけで黒位に這い上がる種類の天性の異常者だ。

 だってそうだろう。実演を始めてからこちら、2人は会話を続けながらずっと試作遊戯で魔術合戦を繰り広げているのだ。


「で、どうする」

「拒否権などないのではないか。もっともこれに興味をひかれないというならば、その者は騎士に向いていないのだろう」


 ベルナルドがガガジナに視線で問うと、鬼人の巨漢は黙って首肯した。

 ココトとチャクが呼ばれなかった理由はここにもありそうだな、ふとベルナルドはそんなことを思う。


「それで期日は」

「試験明けは各々やることもあるんじゃないか。後2度目の休みに一度案をまとめるということでどうだ」

「そこから試行してココトとチャクを交えての調整、体裁を整えて学園への許可申請。根回しも必要となれば夏季休暇まで余裕がないな」

「遊戯会を作りその会員限定、かつ会員になる条件も付ける」


「足りると思うか」

「いやーまったく。その辺りは彼女らの知恵も借りたいところだな。無理なら仕方ない、寮から埋めていく」

「寮なら許可が取れるという発想はどうなんだ」

「今の寮会は話が分かるから安心しろ。カンカ・ディアはあと1年あるので来年も安泰だ。再来年は自分たちが寮会に入ればほら、なにも問題ないだろ」


「はあ。貴様もなにか言ってやったらどうだ、ガガジナ」

「技量差をどう埋めるかが難問だな」


 ガガジナの視線は狂犬が一方的に押さえ込まれている盤面を見据えている。


「……ああそうだな」


 ベルナルドの実質的な相談相手はガガジナになるだろう。

 ここを訪れるのはやはり最低限に抑えたい。

 そういう意味ではガガジナは実に熱心で頼りになりそうな本当に素晴らしい相棒だ。

 腹に渦巻く熱とは裏腹に、ベルナルドの頭は痛かった。

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