ゲーム脳

 人造魔法器官<宝珠>。

 その外形は小指の爪ほどの大きさしかない半透明の結晶体である。

 学園で候補生が手にするのは薄く青みを帯びた八面体だが、位格騎士の用いる宝珠はその色も形状も多岐に渡る。


 そもそも物質的な側面は魔術により与えられた仮初の器であり、本来は無形の複雑で巨大な魔術式なのだ。

 それを起動者の魔力体に接続、露骨な表現を取るなら移植することによって、人を騎士という魔術機関へと作り変える。


 などと簡単に言ってはいるが、適性のない人間が行えば発狂ないしは死亡する狂気の術である。

 適性があればすんなり扱えるようになるものでもない。

 いや、ほぼすべての騎士を志す者が地獄を見ると言ってよいだろう。

 そのため宝珠の支給の後には5日の慣らし期間が与えられている。




 銀吹の二節に入り、新入生にもようやく宝珠が支給された。最初の起動は寮の自室にて、教官と寮会の役員立ち合いの元に行われた。

 もっとも、アズルトには関係のないイベントだ。


 アズルトは間々ある候補性規格の宝珠に適合しない体質であった。入学以前にそれが判明していたアズルトは、適合する宝珠の起動試験を別途行っていたため、ここで改めて起動と慣らしをする必要はないのである。

 という説明が教官の方々には行われている。


 よくある嘘ではないが真実でもないといったお話だ。

 学園長以外には知らされていないのではないだろうか。

 予定されていた通り適合した宝珠を支給するという劇が行われたが、すでに宝珠を持っているアズルトにしてみれば、無駄な手順を踏んで予備を増やしただけである。


 そしてその翌々日。

 寮のアズルトの部屋にクレアトゥールの姿があった。

 ブーツは脱ぎ捨てられ、本来は誰も使っていないはずのベッドの上、整えられていたシーツと布団に皺を作りながらくつろいでいる。

 その様子から色々と察せられることと思うが、クレアトゥールがこの部屋を訪れるのはこの日が初めてというわけではない。


 発端は公国貴族が寮にまでその手を伸ばしてきたことにある。

 その際、破壊衝動をなんとか抑え込んだクレアトゥールが逃げ込んだ先がアズルトの部屋だった。

 後に四寮会で公国貴族の他寮での政治活動の禁止が決定されたわけであるが、元から自室に居心地の悪さを覚えていたクレアトゥールはこれに味を占めたらしく、就寝の時間以外はこうして我が物顔で居座ることが増えていた。


 狐娘の横暴への文句?

 出るはずがない。

 いや出てはいるがそれを口にするのはアズルトくらいなもので、経緯も経緯で悪くは言えず、使われていないベッドが占領されただけなのでこれも強く出られない。

 クレアトゥールの同居人であるチャクからは、マダルハンゼ女伯爵経由で感謝を伝えられる始末。

 寮会も口を挟まないことから、この半ば同居人の存在は寮で黙認されつつあった。


「辛気臭い顔。……ん、いつもか」


 ペンを片手に情報の整理をしていると、不意にヘッドから毒が飛んできた。


「もしかして俺は喧嘩を売られているのだろうか。いや、もしかしなくても」


 アズルトがなにか作業をしている時にクレアトゥールが口を挟むのは珍しい。

 どうにも弁えるべき一線は自覚しているらしいのだ。まあ特に会話がないのが常という話でもあるが。

 どうやら今日は来てから長いこと無視されていたので焦れたらしい。


「誰か潰すのか?」

「おまえだろう」

「んん?」

 わけのわからないこと言うなよと睨まれる。


 これはアズルトの失敗だった。

 クレアトゥールは罵詈雑言の類にとてつもなく無頓着だ。言葉は理解できるし、悪意についても察しが悪いわけではない。ただどうにも言葉をその額面通りにしか受け取らないところがある。


 それは自身の発する言葉にも表れていて、その罵倒と悪意は大抵の場合において切り離されていた。

 だからこの場合もクレアトゥールはただ思ったことを口にしただけであり、アズルトを侮辱する意味合いが含まれていたわけではないわけだ。

 狐娘の応答にそれを思い出したアズルトは大人しく話題を変えることにした。


「忘れてくれ。ところで宝珠はどうだ」

「ずっと臨戦状態にしてる」


 ……ずっと?

 アズルトは我が耳を疑う。

 確かに臨戦状態を維持するよう助言はした。けれどそれには出来る限りと前置きをしておいたし、大多数はそもそも起動状態を維持するのに四苦八苦しているはずだ。


「一昨日からずっとか?」

「なんだよ。言ったのおまえじゃん」

「いや、夜は切れることが多いと聞いたからな」

「へー」


 えらく棒読みだった。

 まあアズルトの語る宝珠知識はどれも伝聞であり、嘘ではないものの場当たり的なことを口走っているだけなのでクレアトゥールのこの反応はおおむね正しい。


「それで体の方は。昨日は他と同じで部屋に籠ってたみたいだが」

「っ! い、言わないとダメか?」


 珍しい慌てよう。

 いや初めてだろうか。こんなにも率直に狼狽を面に出すのは。

 さりとて今後に関わる話でもあったため、アズルトに引くという考えはなかった。


「割と重要なところだからな」

「……む、むずむずする。あとざわざわする」


 意を決した様子で口にし、ぶるりと身を震わせる。向けられる視線はなんとも恨めしそうだ。

 気持ち頬が朱に染まっているか?


 アズルトはそんな狐娘を見据えたまま、かすかに目を細める。

 明らかな異常反応だった。

 自身の2年前の接続実験ほどではないが、特例に区分けされる案件である。


「魔法器官をどう感じる」

「んー、特には?」

「いやーそれをなんとか説明してくれという話なんだよな」

「ぴったり? きっちり? なんか、ああーって」

「しっくりきた?」

「ん、それ」


 すっきりしたと、クレアトゥールは呑気に伸びをする。

 だが、対するアズルトの脳髄は凍てついていた。

 いくつか問診をしただけだが、アズルトはクレアトゥールの状態がよく分かった。どうということはない。仮定が証拠を伴ったというだけのことだ。

 ただまあ、口外しないよう釘を刺しておいた方が良さそうではある。


「やっぱりおまえ少しおかしいな」


 狐娘の耳と尻尾が一度ぴんと立ち、力なく垂れる。

 不機嫌を表すと考えていたアズルトはおやと内心で首を傾げる。しかし思ってもみれば平時とはだいぶ異なる状況、流石の暴君も気落ちしてもおかしくはない。


「まあ言わなければ分からないだろう。よく聞く話だと、それはもうたいそう気分が悪いらしい。体の中で虫の卵が増えていくような、それでいてそれらが自分であるような」

「だから授業がない?」

「そういうことだなー。ここで稼働時間を確保できなかった奴は後々地獄を見る」


 これもあくまで知識だ。アズルトにその地獄とやらを理解する機会は、後にも先にもありはしない。

 アズルトが知るのは刹那の抵抗と痛み、そして虚ろを満たした充足感だけ。


「なあ、おまえはどうして」


 クレアトゥールがなにかを言いかける。けれど自身の口にした言葉に眉を顰め、「やっぱりいい」とベッドに突っ伏してしまった。


 アズルトも手元のノートへと視線を移す。

 口を噤んだならば、アズルトはもうそれ以上その言葉を気にかけはしない。

 2人の間にある暗黙の了解のようなものだ。


 クレアトゥールは決してアズルトの詮索をしない。

 アズルトもまた同じ。クレアトゥールに対し詮索をしない。

 常日頃から共にいる2人は、余人の目に映るその物理的距離とは裏腹に、互いの間にある確かな隔絶を知っていた。

 そしてそれは、互いが是とするものであった。


 その一線を越えないという相互理解は、このひと月でアズルトとクレアトゥールの間に奇妙な信頼関係を築いている。

 先の動揺の末の失言を、気の迷いとして看過できるほどには。

 そして、クレアトゥールのすぐ横で彼女の状態を紙面で整理できるほどには。


 ペン先が記された『幼年期魔力汚染症』の文字を叩き、染みたインクがその形を歪ませてゆく。

 アズルトは己の至った結論に――いや、結論をどう処理するかに、胸中で溜め息を吐く。


 この世界で魔法教育がなされるのは、魔力的な自己が確立する13歳前後からと教会法によって定められている。

 学園の入学資格が14歳なのはおおよそその形成が完了状態にあるからである。


 しかしながら魔力への感応・親和性といった素質に類する能力は、これ以前の時期に大きく成長することが古い時代の研究によってすでに解明されていた。

 そのため魔法への順応教育というものがこの時期になされるのだが、これは非常に厳格なルールによって管理されている。


 順応教育とは情操教育に近いもので、魔法に対する知識を身に付ける類の教育ではない。

 というのもこの時期に過度の魔力負荷を与えると、人格形成に致命的なまでの悪影響を及ぼすことが判明していたためである。


 かつての時代、強力な魔道兵を生み出すため試行錯誤が繰り返された幼年期の魔法教育であるが、その結果は惨憺たる有様であったと言ってよい。

 過度な能力の覚醒が、制御のできない狂った魔法使いを数多世に生み落とし、果てには人類種の存続が危ぶまれる事態にまで発展した。


 現代では魔術に関する知識は教会に集約され、厳重な管理下に置かれている。

 上記の知識ですら禁忌に片足を踏み込んでいると言えよう。


 幼年期魔力汚染症は、幼年期の魔力能の異常発達で人格の変容が確認された者を示す、禁忌として秘匿された知識の中にある呼称だ。

 庶民は知る余地もなく、王族ですら知る必要はないと判断されるだろう。

 アズルトがこの語を知っているのは、その辺りを取り扱った過去作をプレイしているからに他ならない。

 だが知っている人間は当然いる。

 管理者としての教会に属する者たちはその最たるものと言えよう。


 さてクレアトゥールの姓であるサスケントだが、アーベンス王国北西にある大寺院の名である。

 教会で育てられた孤児はその施設の名を姓とする、という慣習があるのだが、クレアトゥールもそれに倣っているということだ。


 これだけの魔力能を有する子供を、教会が首輪もつけず野放しにしておく?

 ありえないだろう。

 アズルトは断言できる。

 十中八九、幼年期魔力汚染症と承知で学園に放り込まれたのだ。


 ひとつ裏の話をしよう。秘中の秘。教会関係者ですら知る者が限られる話だ。

 天位を持つ騎士はその大半が軽度の幼年期魔力汚染症患者であり、危ういところで人間側に精神性を保てている生粋の異常者である。そのため彼らの宝珠には魔力汚染に対する抑制機構が組み込まれており、病の進行を遅らせている、というものだ。

 人類の安寧は、いつ暴走するとも知れぬ狂人たちの手に委ねられている。それがこの世界の真実だった。


 先の前提に立つなら、クレアトゥールは天位候補なのだろう。

 壊れず使い物になるかどうか、ここで試験をしようと言うのだ。

 問題はクレアトゥールの症状が軽度か重度かということか。


 幼年期魔力汚染症は進行の程度ではなく、幼年期の魔力侵度で重度と軽度の区分けがなされる。

 軽度は当人の資質次第で天位となり得る。しかし重度に未来はない。抑制機構を用いてなお進行は止まらず、遠からず人の姿を取った災いと化す。


 殺処分対象の重度を天位候補として送り込むとは考えにくいが、今日までに技術的革新があったとすれば。

 なくとも研究が続けられているという線は捨てきれない。

 ゲームの姿を見ているからこそ断言が難しい。あれは辛うじて人間側であったが、廃棄対象とされたキャラと被る部分もある。


 精神状態が安定していれば急激な進行はないと記憶している。

 軽度なら上手く管理すれば卒業する頃には天位が見えるだろう。重度でも卒業までの最低3年もてば、アズルトにとって不利益は生じない。

 魔力活性による症状の進行については眼を瞑ることになるだろう。アズルトがやらずともどうせどこからか手が入る。ならば自ら采配を取り効率的に進める方がなにかと都合がよろしい。


 アズルトは淡々とクレアトゥールの未来を勘定する。

 そこに情の入り込む余地はない。いや、死を求めるなら介錯くらいしてやってもよいとは思っている。

 逆を言えばそれだけだ。


 病に死したアズルトは諦念を知っていた。故に、彼女については端から割り切っている。

 なにせクレアトゥールの命運は過去においてすでに決しているのだ。悪役令嬢のように不条理に捕らわれているわけではない。

 こればかりは運と言う他ないのだ。


 抑制宝珠の取り寄せは保留。経過観察をしながら動きを決める。

 アズルトはいつかの思索と同じ結末へと至る。

 予測通り教会の管轄であれば、必要と判断された時にでも手が入るだろう。クレアトゥールに支給されたものがすでに抑制宝珠であってもおかしくはない。


 だがアズルトはこの己の判断に若干の不満を覚えていた。

 危険は冒せないと小心が囁く。それに異論はない。アズルトにとっては己が身の保全こそが第一である。

 しかし、これではあまりにも――面白みに欠ける。

 愉悦は、アズルトが四番目か五番目くらいに拗らせている行動原理であった。


 まずはそうだな。クレアトゥールが天位候補なら観察者がついているはず。それを探るのがいい。

 ただその前に、邪魔になる諸々の扱いから考えるとするか。


 アズルトはペンを置く。

 そしてインクで斑に塗り潰されたページを切り取ると、欺瞞術式を被せた魔炎で燃やし尽くし、灰すらも魔力の塵へと還元した。

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