プレイヤー
悪役令嬢に課せられた死の呪縛の真相を探る、などと息巻いてみたアズルトであったが、当面の間それに対する具体的な行動を起こす予定はなかった。
調べようにも事はあまりにも漠然としている。
動くにしてもまず手をつける先の当りをつけるところから始めなければならない。
そのためには色々と下準備が必要であるし、なによりもアズルトの近辺では対策を必要とする厄介な案件がいくつか発生していたのである。
後レナルヱスタ教会歴678年、アーベンス王国歴416年。銀吹の一節も半ばが――いや、入学から半月が過ぎた。
この世界の暦は地球のものと違うが重要なのはそこではないので簡単に言うに留める。月は16あり、月の日数は若干少ないと覚えておけばよい。銀吹――春の頭に年の切り替わりがあるので、日本の感覚なら3月半ばに入学、今は3月の末あたりとなる。
新入生もようやく学園での生活に馴染んできた頃だ。
対して授業の方はまだ始まったばかり。内容についてもこれまでに学んできた部分と重複する生徒が多いだろう。
座学では教養、政治、軍事、魔術の基礎教育。実技では戦闘訓練は控え目で、体力作り、初歩の魔力制御が中心となっている。
だが平民の多い
元凶は平民殺しと名高い礼儀作法と舞踊の授業だ。
音楽や絵画は妥協できる分野らしく必修の科目に含まれていないが、舞踊と詩歌はそうはいかないらしい。詩歌は礼儀作法の貴族語の範疇だが独立しており、座学における平民の最大の壁となっている。
これら貴族教養は2組と3組の間に立ちはだかり、事実上貴族と平民を分かつ境界の役割を成している。
騎士は貴族に準じる地位であるため、貴族のお勉強は義務であるそうだ。
実際の騎士を見ると建前であることが分かるのだが。
赤位や黒位は礼儀作法のれの字も残ってない者が大半である、というかそういった手合いが赤騎士や黒騎士になる。
元より求められる役割が違うのだから。
さて、生活に馴染んできたということは、人間関係にもひとまずの落ち着きが見え始めたということでもある。
軍属としての色が強い学園は生徒達の自主的な集団行動を推奨している。
だからというわけでもないが、4組でも大きく分けて4つのグループが形成されていた。
組のまとめ役、エレーナ・オン・マダルハンゼ伯爵閣下とその協力者たち。
平民の星、イケメンでリーダーシップのあるフェルトと、その後援者で子爵令嬢のユリス・ベイ・コルレラータを中心とする愉快な仲間たち。
純血派ソシアラ侯爵家のオルウェンキスと既得権益を保持する会の皆さま。
勇者なキャスパーと騎士オタのメナ嬢が音頭を取る天辺取り隊。
政治力の閣下、人数の愉快な仲間、財力の純血派、武力の天辺取り隊と、見事に集団の色が別れたものである。
アズルトは騎士養成学校という社会において時流に取り残されていた。
ぼっちというわけではない。単に属するグループがないだけだ。
言うなれば独立勢力。いや、この呼称は止めた方がいい。どうにもトラブルの種にしかならない響きがある。
呼び名はどうあれ、実際にアズルトはオルウェンキスを除くグループのリーダーとはしばしば話をする。
オルウェンキスも声はかけてくるのだが、一方的な嫌味や罵倒は会話とは言わない。
ではなぜそんな宙に浮いた立ち位置なのかといえば、なんだかんだでアズルトがクレアトゥールと共にいることが多いからだ。もっともアズルトにしてみればこれは大いなる勘違いであり、実態はクレアトゥールがアズルトと共にいることが多いのだと訂正の言葉が入ることだろう、その胸の内で。
隔絶した武威とひねた性格のせいでクレアトゥールは組の中で孤立している。
だが初日の暴走の件もあり、孤立しているからと放置しておいて良いとも考えられていない。
そこで白羽の矢が立ったのがアズルトだ。
マダルハンゼ女伯爵の提案をオルウェンキス・オンが承認するという形で、クレアトゥールを身分において治外法権に等しい扱いとし、唯一まともに意思疎通が取れるアズルトにその外交窓口としての役割を押し付けた。
などと小難しく語ってみたが、狐娘の暴挙は見て見ぬ振りをしろ、不満はアズルトに言え、要件もアズルトに言えとそういうことだ。
いじめかな、いいえ適材適所です。
今やアズルト以外でクレアトゥールに話しかけるのは、キャスパーとかいう金剛メンタルの持ち主くらいなもの。
クレアトゥールの反応はほぼ決まって文句を垂れるだけだが、たまにまともな意見を返すので、極まった脳筋会話には拒否感がないらしい。
もっとも彼女のことがなかったとして、アズルトが集団行動に順応できていたかは怪しい。
アズルトは自身で思っている以上に社会性がない。なにせ数人の会話相手が得られている現状でアズルトはよしとしてしまっているのだ。
万年ベッドが友達だった人間のコミュニケーション能力は察して余りあるというものである。
さてそんなわけで、アズルトが日常的に会話をするのはクレアトゥールくらいしかいない。
その貴重な話相手である狐娘の機嫌が、ここ最近すこぶる悪い。
まあクレアトゥールは不機嫌そうでないことの方が少ないのだが。ぼんやりしているか不機嫌かといった具合である。
これでいて観察すると割と面白い、などとアズルトは考えている。動きの乏しい表情に反し、尻尾や耳は割とよく動くのだ。
見ていると気づくと不機嫌になるのであまりやらないが。
授業が終わり休憩時間になると、クレアトゥールがじっと物言いたげな視線をぶつけてくる。アズルトは授業で使ったノートを渡し、代わりにクレアトゥールのノートを受け取った。
一昨日から導入を始めた不機嫌予防策である。効果についてはなんともかんとも。
中を見ると毎度のごとく頭を抱えたくなる。
クレアトゥールは馬鹿だ。言ってしまおう、お頭が獣だ。
頭の出来自体は悪くないと思うのだがとにかく勉強が不得手で、興味があればどうでもいいことまで詳細に記録するが、興味がなければ重要なところもぼろぼろこぼす。ゲームでは魔術も高火力の攻撃術以外は使いこなす設定であったはずだが、座学は底を行きそうな予感さえする。
ただやる気はあるようなので、叩けば人並みにはできるようになるのではとアズルトは希望的観測に逃げる。
渡されたノートをぼんやりとした眼差しで、その実真剣に読んでいたクレアトゥールが耳をぴくりと動かす。
ふらふらと不規則に揺れていた尻尾の動きが止まっている。
また来たかとアズルトは鬱々した気分になる。
クレアトゥールはすっかり仏頂面だ。
しかし、その原因を語る前にひとつ、伝えておかなければならないことがあった。
◇◇◇
『ムグラノの水紋』は乙女ゲームの体裁を取りながらも3人の主人公がいる。
宣伝では女性向けのあれやこれやな文言が書かれていたが、裏話で既存作から来る男性プレイヤーにサービスは必須だろうとの意見から決まったと語られた。
実際、男女問わずの友情エンドが充実していた。
攻略対象同士の友情に主人公が嫉妬するとかいう、手広く狙いすぎだろなエンドもあった。個別ルート入ってそれはどうなんだと疑問を抱いたものだが、それなりに受けていたようだ。
話を戻そう。
1人目は最初から選べる平民出身の正統派主人公、アイナ・エメット。年は14歳(ゲーム時16歳)で所属は悪役令嬢と同じ2組。今年、上位2組に食い込むことができた唯一の平民である。やや後衛・守備寄りだが総じて平均以上という正しく主人公だ。
2人目も最初から選べるキャラクターで、隣国ランクート公国の第三公女シャルロット・ラル・ランクート。お姉様系の主人公だ。男装の麗人といった風采で、男性よりも女性の人気が高かった。年は16歳(ゲーム時18歳)で1組。前衛・攻撃型で魔術面が気持ち物足りない万能剣士系。
3人目が2週目から選べる悪役令嬢の取り巻き主人公、サーナニヤ・ベイ・スホルホフ。ちょっと病んでいたが男性受けはよろしかった。年は公女主人公と同じ16歳(ゲーム時18歳)。取り巻きらしく悪役令嬢と同じ2組に所属。後衛寄りの術師系で、癖が強く玄人向けの性能をしていた。
さて、簡単に主人公たちを紹介したわけだが、気づいただろうか。
アズルトが悪役令嬢リズベットと遭遇した際、彼女に同行していた少女こそ、3人目の主人公であるサーナニヤ・ベイ・スホルホフその人だったのだ。
作中では悪役令嬢であるリズベットにサーニャなどと、愛称で呼ばれることは決してなかったが。
上級貴族の特注も特注の制服など着ていなかったが。
あくまで取り巻きの令嬢であって、決して侍女などではなかったが。
サーナニヤ・オン・スホルホフ女子爵とかいう爵位を継承する立場でもなかったが。
そもそも継承しておいて侍女をしながら学園に通うというのが、アズルトには到底理解できない。
いや、そうではない。今さら驚くべきことではないのだ。
なにせ、アズルトが入学を命じられた際に渡された資料には彼女のことも記されていた。
彼女というイレギュラーが混じっていることを承知でアズルトは学園に入った。
だから学園で遭遇した時にも、驚きはしたがリズベットほどの動揺はなかった。
彼女のことを改めて語る理由は別にある。
以前にも述べたがこの世界、ゲームと非常によく似ているものの微妙に多くが違っている。
成人は15歳だし、学園の入学年齢は2年ずれている。これは前に述べたな。
そのくせ、ゲームの正史をなぞるように物事は流れている。
だが、過程まですべて同じわけではない。逆に致命的な違いを残しながら、まるでそんなものが存在しないかの如く積み上げられる歴史もある。
似て非なるものを知るからこそ歪みがよく分かり、故に好奇心をくすぐられる。
アズルトの野望――真理の探究とはまさにそこに掛かっていた。
両者の相違は如何なる要因によって形成されたものなのか。その裏に潜むなにかがあるのだとしたら、それを暴くことこそアズルトの目指すところだ。
もっと言ってしまえば、この世界はなんなのか。
ゲームの世界に入り込んだなどと妄想じみた考えは、アズルトは端から持ってはいなかった。この世界を模したゲームをやらされていたのだと言われた方がまだ納得がいく。
ゲーマーならば本編を攻略するのなんて当たり前で、その上で秘された情報から裏ステージを解放し、待ち構える隠しボスまで制覇してなんぼである。
微妙な歪みを見つける度にアズルトは頭を悩ませてきた。
しかしすべては過去の事物であり確かめることはできない。
そんなアズルトが今ここに、目の前に明確な異常があると知ったならば?
学園で与えられた役割をこなす傍ら調べるつもりであった。
ただどうにも状況はより混迷を極めつつある。
悪役令嬢のこともあるが、アズルトは己の関心に注力する前に身を護る術を講じることが求められていた。
クレアトゥールの不機嫌の原因は、まさにその理由の1つであった。
◇◇◇
社会通念の貧弱なアズルトでも気づく妙な人の動きというものがある。
他人に興味がなさそうな狐娘でも気づく、というか彼女はすでにして実害を被っていた。
「また来た」
うんざりした風の呟き。嫌悪を通り越して敵意に差し掛かりつつある。
4日ほど前からであろうか。授業の合間に他組の生徒が4組を訪れるようになったのだ。
他組とまとめて言っているが、ほとんどは
顔ぶれは日や時によって変わるものの、いずれも隣国ランクート公国出身の貴族と判明した。
まだグループの結束を高める段階であろうに、休憩時間の度に誰かしら来る。
それでもここまでであれば、外交の延長として活動していると見ることはできた。
問題があるのは彼らが話しかけようとする相手だった。明らかに対象を絞って浸透してきているのだ。標的は狐娘のクレアトゥール、勇者なキャスパー、騎士オタのメナ嬢、肉達磨なベルナルドの4人。
特にクレアトゥールは1人でぼうっとしていることが多かったから、格好の標的となった。それで先の勉強しているから近づくな作戦に出たわけであるが、まあ今は脇に置いておこう。
貴族が率先して声をかける相手が平民というのはあまりにも妙、という話である。
付け加えるならメナ嬢は伯爵家の人間だが家督とは無縁の立場で、本人からして家名を口にすることが稀。4組ではクレアトゥールに次いで身分の意識が薄い、言ってしまえば奇人だ。公国のエリート貴族様が興味を持つような手合いではない。
戦闘技能の高さを基準とするにしてもおかしい。
入試の結果を取るならベルナルドよりもガガジナ、更に言えばニーとジェイクが上に来る。2日目の訓練の件が影響しているならアズルトに声がかからないのも不自然だ。
そう、自然ではない。
だが幸か不幸か、アズルトにはその顔ぶれに心当たりがあった。
この4人は『ムグラノの水紋』で、アリーナの上位に名前があったキャラクターなのだ。
もうこの時点でアズルトには嫌な予感しかしない。
プレイヤーが存在する可能性は考えていた。
自分がこの世界に存在しているのだから、他にいないと考えるのは矛盾である。それはアズルトが自身を特別だと思い上がれるほど、自己の存在に価値を見ていないことの表れであるのだが、ここでそれを語っても仕方はない。今はプレイヤーについて話しを進めよう。
ゲームとの齟齬をプレイヤーの介在で納得できるものは確かにあった。
しかしプレイヤーの存在を断定できるものは、これまでなにひとつとして得ることができずにいた。
サーナニヤの異常ですら決め手とするにはまるで足りなかったのだ。
それがここにきて初めて、プレイヤー知識を使っていると思しき動きを掴んだ。
歓喜すべき事柄であるはずなのだが、アズルトはどうにも気が乗らない。むしろそれが正解だとどこかで確信していた。
下手人が誰であるかは不明だが、特定は急いだ方が良いと考える。と同時に、これまで以上に気を配って行動する必要があった。
自分がプレイヤーであったと気取られるのはよろしくない。
相手の反応が予想できないのだ。場合によっては殺し合いになる。
野良PTに地雷が紛れてるとか普通である。アズルトはMMOで学んだのだ。
幸いにして4組に公国出身の人間はいない。つまり相手は4組内に直接の手駒は持っていない可能性が高い。
そこは安心できる。
ゲームの頃からいなかったのか、プレイヤーが優秀な者を集めた結果として4組にいなくなったのか、その辺りはよく分からないし答えが出ることもない。
重要なのは現状である。
アズルトが得ている情報は確かな筋からのものであるから、出自に関しこれ以上は疑うだけ無駄というもの。
とは言え公国貴族と血縁にある貴族はいるし、取引をしている商家もある。
実際、そういうところを踏み台にして手を伸ばしてきている。
厄介だ。厄介だが今は放置すべきとアズルトは割り切る。
組の垣根が本格的に外れるのはゲームの中盤からであった。
仮にプレイヤーがいるとして、そのストーリーを参考に動くのであれば、それまでは大きな行動に出られないはず。
ならば今は、先々のため少しでも足場を固めておこうか。アズルトはすっかり集中の逸らされたクレアトゥールを窺う。
切り札はすでに手元にあるのだから。
「椅子を少し寄せろ」
「なんだよ」
「おまえは馬鹿だからな、貴族様が勉強を見てやろうという話だ。まあ、男爵の家格がどれだけ役に立つかは知らんけど」
クレアトゥールは目をぱちくりさせた後、尻尾を揺らし。
「ん」
アズルトの机の傍へと椅子を寄せるのだった。
もっとも、さしたる時間も経たぬうちに。
「おまえの話、面白くないな」
「なあ、なんで教わる側のおまえの方が態度でかいんだよ」
2人の間には不穏な空気が流れ始めたとかなんとか。
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