負けイベント・前

 学園生活2日目の午後。アズルトら4組の候補生は教官の指示により、第5屋内訓練場に集められていた。

 揃いの、未だ土の汚れを知らない生成り色の道着は、昼前に訪ねた需品科で支給されたものだ。味気のない実用一辺倒の作りで、既製品の中から選ぶという形態を取っている点も踏まえれば、これらが消耗品であることが察せられる。


 貴族からの評判はすこぶる悪い。

 似た用途でありながら制服に近い仕立で、刺繍の類であれば認められる訓練服。野外演習等で用いられる戦闘服も、細部の意匠にはかなりの自由裁量が認められている。

 これらと比べた時、道着は彼らの眼にあまりにもみすぼらしく映るのだろう。


 他との違いに気づいておきながらあげつらうことにしか考えが及ばないのは、貴族の子弟として如何なものかと思わないでもない。しかしよくよく考えてみれば彼らの多くは、未だ成人とされる15歳を迎えてもいないのだった。

 子供なのである、ゲームと同じで。

 いや、違うからこそ子供なのか。


 ラケルはゲームと同じ歴史を辿っている。こと人間世界の主たる歴史がまとめられている教会史については、かなりの精度であると言っていい。けれど細部に目を向ければ、違いなど山のように見つけることができた。

 それは学園にも当てはまることだ。

 上で述べた違いを例として挙げるならば、入学の資格年齢も、候補生の年齢も、ゲームの設定から押し並べて2年分下がっている。

 ただそれとは別に成人年齢もゲーム時代の20歳から15歳まで落ちているので、その違いによって社会的な位置づけが結果として似た形に収まっていた。

 違うからこそ子供というのはこれが理由だ。

 そしてこんな齟齬を孕んだままゲームの登場人物が学園に揃うというのだから、なんとも妙な話である。


 話が逸れた、本題に戻ろう。

 そんな名実ともに子供な彼らは、これもまた支給された銘々が得意とする訓練用の武器を手に、和気あいあいと雑談に興じている。いや彼らの名誉のため、親睦を深めていると言葉を改めておこう。

 教官殿から賜った重大な任務である。悪いことはなにもない。指定の時間までまだ少しあるのだから、その熱心さを評価することこそ正しいのだろう。


 だが彼らはここが毎年多数の落伍者を出す騎士養成学校であることを忘れているのではないか。アズルトはそんな疑問を抱く。

 準騎士号は金で買えると言われているが、それは成績の話である。訓練を乗り越えられるかどうかはまた別の話だ。


 さて第5屋内訓練場には4組の候補生の他にも5人の教官の姿がある。

 1人は担当であるバッテシュメヘであるが、残る4人は今日が初めて見る顔だ。

 彼らは生徒から離れた壁際に担当教官殿を中心に集まって、小声でなにやら打ち合わせを行っている。

 飄々としたバッテシュメヘに対し、残る4教官の表情は一様に渋い。

 いったいなにを企んでいるのやら。

 アズルトにはお貴族様方のような素敵な妄想はできそうにない。


「呑気なもんだな」


「まったくの同感だ」


 すぐ隣で放られた気だるげな呟きに、アズルトは肩を竦め、なんとはなしに言葉を返す。

 視線をほんの僅か左に寄せれば、教室より少しだけ近い位置にあるクレアトゥールのあまり手入れをされていない赤毛が映る。確か尻尾もそんな感じだった。もったいない、と思わないでもない。


「気が付いているなら言ってやったらどうだ」


 邪に傾きつつある思考を誤魔化すように言うと、不機嫌そうな瞳がアズルトを映し睨んだ。


「おまえがあたしの立場だったら言うのかよ」


「まさか、そんな無駄なことするわけないだろ」


 どうせこれから嫌と言うほど思い知らされるんだ。

 伏せた言葉はしかし彼女には筒抜けだったようで、険のある琥珀に呆れを滲ませ嘆息して見せた。


「それで、本当はなにしに来たんだ。あんたはお喋りを楽しむタイプには見えないが」


 ここにきてようやくアズルトがクレアトゥールに顔を向けると、彼女はぴくりと耳を震わせ、あからさまに動揺を示した。尻尾もどこか忙しない。

 仏頂面に磨きがかかり鋭くなる眼差し。

 唇が二度三度となにか言葉を口にしかけるも、声にはならない。

 そして終いには顔を俯けてしまった。

 硬く握り締められた拳が彼女の胸に渦巻く激情を物語っているようで、アズルトにはとてもではないが追及することができない。


 そうこうしている間に教官からの整列の号令がかかるり、互いにそれ以上の言葉を交わすこともなく授業へと臨むことになった。


 ◇◇◇



「4組に割り振られたひよっ子ども。実技の授業に入る前に、ひとつ現役の騎士様からありがたいお話を聞かせてやる」


 腕を組んだバッテシュメヘが、教室とは逆の形に並ぶアズルトらを前に声を張った。

 多くの者が居住まいを正し、緊張した面持ちで耳を傾ける。


「まずは今年入学することになったおまえたちの運の無さには同情すしてやる。言っている意味が分からないか、まあいい。知っての通り三国の王族が時期を合わせて入ってきた今年は、例年に比べ際立って学園への応募人数が多かった。高い競争率を乗り越え合格を果たしたことで、おまえらは多少なりとも己の能力に自信を得たことだろう。そして自分たちは名誉と栄光の入口に立ったと、そう確信している」


 初め首を傾げた者たちは多かったが、語られる言葉に矜持を刺激されるころがあったのだろう、あちらこちらに小さく頷く者があった。

 だから続く教官の言葉を理解するには、幾許かの時間を必要としたに違いない。


「――愚かだな。おまえたちの現状なんて、学園にとって大した価値はない。屑の山から拾われた、使えるかもしれない屑、それがおまえたちだ」


 バッテシュメヘはそこで言葉を置くと、反感が行き渡るのを待ち、再び声を張った。


「おまえたちの眼に騎士はどう映っている。おまえたちが目にしていたのは、騎士の為した栄光の軌跡ばかりだ。公の場に立つ騎士たちは品格に優れ、地位と権力に支えられて眩しく輝いていたことだろうよ。だが、それはおまえたちの未来ではない」


 概ね間違いではない。

 そうした騎士の像というのは、1組や2組から輩出される竜騎士や聖騎士、青騎士らによって作り上げられたものだ。

 4組からそうした位格の騎士が出ないとは言わないが、稀有な存在であることは確かなのである。


「騎士の本質とはな、兵士でありそして兵器だ。人類を護る最後の盾であり、人類の行く手を阻むものを切り捨て道を作る剣なんだよ。そして騎士は、騎士であるが故に強いわけではない。強者であるが故に騎士を名乗ることを許されるだけだ」


 言い切ると共にゆっくりと剣を鞘から抜き放つ。

 訓練用のものとは違う、真剣の冷気がその刃にはあった。

 いや事実、刃には魔術による寒風が薄く貼り付けられている。


 愚鈍な新兵の未熟な危機感を刺激するためであろう。そしてその効果は確かに表れているようであった。ただもしかすると少々、冷気が効きすぎたかもしれない。

 憤懣も反感も、待ち受ける暴力を前にすくみ上っている。


 極一部、動じていない者たちも混じってはいるみたいだが……。


「口で教えるのは時間の無駄だ。騎士を名乗る人間の力を見せてやる。クレアトゥール、キャスパー、ベルナルド、ニー、ジェイク、メナ、アズルト、ガガジナ。おまえら8人は後回しだ、この場に残って見ておけ」


 そうした者たちは目敏いバッテシュメヘによって、ひよこたちの群れから追い出されてしまった。


 バッテシュメヘが訓練場の中央へと移動する。

 だが未だ二の足を踏むひよこたちの姿に舌打ちが飛んだ。

 騎士と戦うということで完全に腰が引けているらしい。これが命令であることも忘れて立ちすくんでいる。


 こういうものは1人が動けば後は続くのだが、自尊心が高くこういった場面で真っ先に動きそうなオルウェンキスは、生憎とひよこたちの中では最も騎士に親しい。マダルハンゼ女伯爵閣下は地位はあるが14歳とやはり子供で、入学試験の剣の腕も並という評であったから、先陣を切るのは難しいか。


 勇んで挑みかかりそうな奴らを弾いてしまったのは失策でしたね、とアズルトが視線を向ければ、バッテシュメヘも同じ結論に達していたらしい。盛大な溜め息と共に肩を落とし頭を振ると、右の掌を掲げた。


「見ろ、屑ども」


 掌の上で青白い魔法光が三次元の陣を描き、集束していく。光が収まった後に残ったのは半透明の小さな結晶体――<宝珠>だ。

 それを上衣の内ポケットの仕舞うと、ひよこたちを嗤った。


「おまえらごときに騎士の力を使う必要もない。遠慮するな全員で来い、一太刀でも入れられた奴は次の実技試験をパスさせてやる」


 そんな約束を担当とはいえ教官がしていいのかよと思わずにはいられない。次の実技試験というのは、前期末の遠征のことだ。パスさせたら人数が合わなく……そこまでに落伍者がでるという予想だったりするのだろうか。要らぬところで不安に慄くアズルトだ。

 この程度の相手では万が一にも不覚は取らないという自負があるのかもしれないが。


 そして流石にこの挑発は看過できなかったらしく、お貴族様筆頭のオルウェンキスが勢いよく集団から飛び出した。


「青騎士風情がなんたる傲慢。宝珠を外したこと後悔させてやろうッ! おれはソシアラの名を継ぐ者オル――」


 単身斬り込んだオルなんとかは剣を飛ばされ鳩尾を掌底で強かに打たれ呆気なく沈んだ。

 瞬きの間ほどで行われたそれは、無駄のない鮮やかな手並みであった。

 無論、人間業ではない。闘気を用いた達人の挙動だ。


 昼飯を撒き散らしのた打ち回っていたオルウェンキスは、控えていた教官に手早く回収され退場する。

 中々に衝撃的な光景であっただろうに、ひよこたちの中には顔を見合わせ頷き合う姿がちらほら。腐っても候補生ではあるらしい。

 再び腰が引けてしまった者もいるようだが、全体の士気は保っている。


「皆、昨日の2人の、その……アレは覚えているな!」


 女伯爵が一同を見渡し鼓舞するように声を張った。途中言葉を濁したのは、まあアレだからだろう。余計なことを口走って藪蛇はご遠慮願いたい。自粛するのは賢い選択だとアズルトにしても思う。


「教官殿はあの2人以上の手練れだ。あの場に割って入ることのできなかった私たちでは、正面から挑んだところで馬車の先に舞い込む赤結の葉の如く、であろう。故に、囲んで同時に仕掛ける」


「……包囲は半円で、魔法を使える人たちで最初に一斉射。そこから先は魔法は控えた方がいいと思う」


「フェルトに賛成!」


「分かった。コルレラータ嬢の案でいこう」


 作戦はバッテシュメヘにも筒抜けだが、こういった場面では意思統一をするのがなによりも肝要だ。

 その辺りを理解しての行動であれば、女伯爵閣下も優等生君も指揮官として十分に使える駒になるだろう。


 こうして即席のチームが結成され、ひよこは狩場に躍り出た。

 いくぞの号令と共に六の魔力光が煌めき、摂理を捻じ曲げ事象を顕現させる。

 あるものは炎の槍に、またあるものは炎の礫に、氷針が駆けたかと思えば、地面から土杭が突き出す、握り拳ほどの暴風が荒れ狂い、一条の閃光が刺し貫く。

 そこへ臆することなく飛び込んでいくのはエレーナ・オン・マダルハンゼ女伯爵と、イケメンのフェルト、その同郷のディスケンス。これにぼさぼさ頭のダダと、アズルトと同じバルデンリンド公爵家の陪臣グリフ・ベイ・オルディスが続く。


 結果は、アズルトであれば目を瞑っていても分かっただろう。

 強度の低い魔法はバッテシュメヘの発した魔力風によって構成を乱され、魔力の塵となって掻き消える。

 先陣を切った者たちは無傷で佇む男に渋い顔をし、得物を弾かれ、打撃を叩き込まれては宙を舞い、地面に打ち据えられた後、悶絶して吐瀉物をぶちまけた。


 良家のぼんぼんが、貴族の子息子女が、自信を打ち砕かれたばかりか恥辱と汚辱を塗り込められていく有様は、目に余る光景だと思う。

 おまけに絶妙な力加減で気絶することすら許さない。じわじわと屈辱を噛みしめさせるとか、教官殿は外道かな。

 目を逸らしてあげるべきなのか、それがより尊厳を踏みにじるのか、似非貴族のアズルトには判断の難しいところであった。


 吐くと後の処理が面倒なんだよなと逃避気味に思考を巡らせていると、アズルトの目の前に撃沈した生徒たちが放り出された。

 そして教官が何食わぬ顔で実演しながら対処法を伝授し始めた。

 アズルトは身を以て覚えさせられた口なので今更ではあるが。


 他の6人のところを窺えば、男子のところには女子が、女子のところには男子が集められている。徹底しているなともはや呆れの境地である。

 心を折るという意味でもそうだが、治療についても同性の方が迷いが少なくてすむ。それを異性で示すのは、現場における僅かな躊躇すらもなくすためだろう。

 まあアズルトの隣にクレアトゥールがいるからか、アズルトが見せられているのも野郎の治療風景なわけだが。


「なんだか慣れてそうだな」


 3人目の処置が終わったところで飽きたのか、視線はそのままにクレアトゥールが呟いた。


「ん、ああ。ここに来る前に体に叩き込まれた。そういうあんたも経験はあるんだろう」


「まあな」


「なんだ、反応悪いと思ったらどっちも経験者か」


 そんなアズルトらのやり取りに反応したのは、目の前で熱心に指導をしてくれていた若手の教官だ。気の良いお兄さんといった風体の人物で、気配りの行き届いた解説は要点がよく強調されており、初見であっても必要な箇所は漏れなく記憶に残るものであったろう。


「先にお伝えするべきでしたか?」


「いやいいよ。半分は彼らへの説明だからね、っと話をしている間に終わりだ。いいかい、今のをしっかりと頭に叩き込んでおくように。これから先、きっとやらされるからね」


 4人のひよこたちは顔を青くして首を縦に振る。

 嘔吐の処置だけか。やはり治癒術は使わないらしい。


「質問よろしいでしょうか」


「そうだね、まだ少しくらいなら大丈夫そうかな。質問どうぞ」


「はい。学園ではこれが普通なのでしょうか?」


「1組や2組でこれをやったら青位を剥奪されるかもしれないね」


「それはつまり、4組だから許されるということでしょうか?」


「それもあるけど、普通やらないよね。それに初日でしょ実質これ。まあ、マフクス・ディアだから……運がなかったんだよ、君たちは」


 運がない、か。それはまた随分と作為の乗った運だとアズルトは苦笑を噛み潰す。

 マフクス・ディア・バッテシュメヘ――3年ぶりに教壇に戻った青と赤の位格を持つ三階騎士。本科5年とその3つ上の学年を担当し、卒業後を含めれば5人の黒位を出している戦技教導の鬼。今の戦技最高位もあの教官の教え子だったはず。


「さて次は君たちの番かな。前線から呼び戻されたせいで虫の居所が悪いみたいだから、死なないように頑張りなよ」


 若手教官の不穏な台詞に視線を上げれば、訓練場中央を焼野原にしたバッテシュメヘが今まさに集合をかけるところであった。

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