裏ボス

 騎士と言われた時、皆はどのような者を思い浮かべるだろうか。


 名が示す通り馬や竜、果てには人型機動兵器に乗って戦う、騎兵を思い浮かべただろうか。

 騎兵に始まり後に騎士道を体現するに至った、騎士階級と称される下級貴族を思い浮かべただろうか。

 それともファンタジー世界に登場する英雄、鎧を着込んだ戦士を思い浮かべただろうか。

 中には、遠い昔、遥か彼方の銀河系に存在したとされる光の戦士を思い浮かべた人もいるかもしれない。


 ラケルにおいて騎士とはそのいずれでもなく、ある種の魔法使いを指して用いるものである。


 この世界には人類種と決して相容れることのないとある種族がある。

 魔種と呼ばれる彼らは、押し並べて高い魔力を有し、超常の現象である魔法を扱う能力に長けていた。

 低位の魔種ならばいざ知らず、高位の魔種は剣や槍で傷をつけることすら難しく、乏しい魔力しか持たない人間は、長く苦しい戦いを強いられることになる。


 しかし、人間は滅びなかった。

 魔種の魔法を研究し、少ない魔力で効率的に魔法を使う技術、魔術が生み出された。

 魔術を得た人間は滅亡の縁にありながらも辛うじて、その存在を維持する生存圏の確保に成功したのである。


 魔術の運用を補助する道具も作られた。単なる増幅器に過ぎなかった杖は、幾度もの技術革新を経て、魔術行使の全工程を補助する魔導器として完成された。

 その頃には人間はすでに、魔種によってただ蹂躙されるだけの存在ではなくなっていた。


 そして執念の果てに、人間という器の限界を克服する術が生み出される。

 人造魔法器官<宝珠>――それは人間をして魔術機関へと作り変える超位の禁術に他ならなかった。

 この<宝珠>を扱う者たち『融合型魔術機関搭載魔道士』を、ラケルでは騎士と呼んでいる。


 余談だがこの時代の魔道士は、軍人の騎士、技術者の魔術師、研究者の魔導師と大別されている。

 もっとも国家間の戦争に駆り出される魔道士は圧倒的に後者が多く、魔道兵の呼称に騎士は含まれないという面白い矛盾も抱えているのだが……、その辺りの事情は教会が深く関わってくるので、また時を改めて話しをすることにしよう。

 ラケルにおける貴族は国を問わず、魔種の脅威からの領民の保護を義務として定められている。そのため、騎士号の獲得は家督相続にも関わる大事である、ということだけ付け加えておこう。



 ◇◇◇



「釈放だ」


 声に引っ立てられるようにして、アズルトは反省室という名に異議申し立てをしたい暗い牢獄を後にする。

 点在する小さな灯火を頼りに狭い螺旋階段を上ると、まもなく地上の光が差し込んできた。

 娑婆の空気が、と言うほどの時間は経っていない。

 バッテシュメヘ教官が壁面の一画に触れると、階段から魔力光がすっと消えた。


「先に戻ってろ。分かってるだろうがこれ以上の面倒は起こすなよ。おら行け」


 尻を蹴られる。魔力が乗っているのでとても痛い。

 学園という組織にあって生徒の暴力は厳罰を以て処されるが、教官の暴力は往々にして寛容の精神で無視される。

 教官を押し付けられるのは相応の実力を持った青位の騎士のみであり、その青位の位格を与えられるのも十分な分別と品位を有していると判断された場合のみである。


 こんな粗野な言動で品位と首を傾げるのも分かるが、分別という点ではバッテシュメヘ教官は間違いがない。

 なにせ朝方の罰では魔術により最大限の痛みを与えながらも、故障を招かぬようその狙いは実に配慮されたものであったのだから。

 おまけに性別に対しても分け隔てがなく、年齢や体格は考慮しても良いのではないかとアズルトが引くほどには、クレアトゥールも手酷くやられていた。


 陽の位置を見るに、まだ昼までは時間がある。最低でも半日を覚悟していたアズルトからしてみれば拍子抜けの感があるが、しかし別に初犯だから大目に見られたとかいうわけではない。

 単にこの後の諸注意をまとめて片づけたい教官の怠慢が理由だ。


 痛む尻をさすりながら城内を歩き教室へと帰り着くと、そこでは入学式を終えた候補生たちがお行儀よく椅子を温め、すぐ隣の、すなわち身分の近しい者との交流を図っていた。

 いた、すでに過去形となりつつある。

 アズルトが戻ったと知るや否や1人、また1人と口を閉ざし始めたからだ。


 注がれる視線は数多あれど、合って逸らさぬものは殆どない。

 やがて背を向けて語り続けていた最後の1人が、静まり返った教室を見渡しそして振り返り、黙然と目を見張る。

 アズルトはその一連の流れに妙な懐かしさを覚える。

 けれどそれは心を凍てつかせる類の記憶に他ならず、小心であることをアズルトは、己に課した役目に従い不快の只中に踏み入った。


 破損した机は3台とも新しい物に取り換えられている。据え付けの物であることを思えば仕事が早い。

 これで4組の候補生27名に対し、用意されている机が30組というわけだ。

 不足はない。ばかりか浮きまである。

 にもかかわらず、身分に即した一帯にアズルトの立ち入る余地はなかった。


 残された空白の並びが、衆人の疎意を如実に物語っている。

 ただそれは今、クレアトゥールに多くを振り向けられているように見える。なにせ残る4席は彼女を囲む形で広がっているのだ。

 先の騒動では彼女に同情的な空気すら流れた。それがこれというのは道理が合わない。

 クレアトゥールが戻ってからアズルトが来るまでに、なにかひと悶着あったか。


 もっともそれでアズルトに致命的な不都合が生じるわけでもない。

 別段迷う素振りも見せぬまま歩みを進めると、最上段を踏みしだき広がる空白の内のひとつに腰を据えた。


 通路を挟んで左隣に座る獣人の少女は、今はもう頭上の耳を隠しておらず、アズルトが顔を向けても頬杖をついたまま横目で一度視線を合わせただけだった。

 先刻見せた激情を琥珀色の中に探すのは難しく、間もなくして視線は伏せられると、それっきりアズルトへ顔を向けることもなく、窓の外を眺める赤茶の頭を晒すばかりであった。


 教室から疎らに漏れ聞こえる安堵の吐息。

 彼らには危険物が近づく状況を自分たちが作ったという認識がないのだろうか。



 ◇◇◇



 アズルトはクレアトゥールという少女をある意味においてこの世界の誰より、それこそクレアトゥール本人よりも詳しく知っていた。

 なにを隠そう、クレアトゥール・サスケントはゲーム『ムグラノの水紋』に登場していたキャラクターなのである。

 受ける印象は随分と違う。ゲームで髪は長く顔にも影がかかり、金の瞳を揺らめかせる幽鬼を思わせる出で立ちだった。それでも名前と、片耳の獣人という特徴からして間違いない。


 主人公らの仲間になるキャラクターではない。かといって敵というわけでもない。

 本科1年時点における戦闘実技の学園最高位、黒位を凌駕し天位に迫ると評される人格破綻者の準騎士。それが作中におけるクレアトゥールの配役だ。

 システム面で言えばアリーナのランキングトップ。やり込み勢の最後の遊び相手という位置づけになるだろうか。


 他の騎士・準騎士とまるで異なる獣じみた挙動に、プレイヤーからは狂犬ちゃんと呼ばれていた。最高難易度にした時のステータスのインフレ具合も掛かっていたのだろう。

 もっとも実際のクレアトゥールは狐系統の獣人で、犬呼ばわりしようものなら、どんな逆襲が待っているか知れたものではないが。


 無関係のいざこざに手を出したのは、ひとえにオルウェンキスの生命を危ぶんだからだ。

 あの時、クレアトゥールは闘気の籠った拳を見舞おうとしていた。

 無警戒の人間があんなものを叩き込まれればどうなることか。

 運が良くて重症、場所によってはまあ普通に死ぬ。散々に殴られたアズルトは確信すら得ていた。


 作中でボンクラ貴族は死んでいたのかもしれない。けれど人死にを好むアズルトでもない。死なずにすむと言うならばそれはなんと素晴らしいことか。

 まあ、体の自由が奪われるとかなると一概には言い切れないところがあるが。


 それに拾った命で悪事を働く輩もいるだろう。オルウェンキスなど感謝よりも怨嗟を集める人間の典型だ。彼によって苦しむ者が現れるのはもはや避けようのない未来に思える。

 それは俺の関知するところじゃないだろと、今のアズルトなら言い切るだろう。

 では小心者のアズルトは? 小心者はなにも言わない。ただ胸の内で思うだけだ。オルウェンキスなんて知らない。その死で被るクレアトゥールの不利益を回避しただけだ、と。


 兎にも角にもアズルトがクレアトゥールとオルウェンキスの運命を捻じ曲げたのは変わらぬ事実であり、けれど4組に集う候補生の悉くがその事実に気づかぬのも、また変わらぬ事実なのであった。

 そしてアズルトがそれを語ることはない。

 だからまあ、自業自得なのだ。近くに言葉を交わす相手がおらず、教官がやってくるまでのいくらかの時間を、こんな思案に耽る他ないのは。


 木箱を抱えたバッテシュメヘ教官が到着したのは、それから20分あまりが過ぎてのことであった。



 ◇◇◇



 さて今更ではあるがここ、学園こと騎士養成学校『イファリス』について説明しておこう。

 学園は王都西部の小高い丘の上に建つ全寮制の教育機関だ。

 入学資格は14歳から18歳まで。身分は問わない。

 予科(騎士候補生)2年と本科(準騎士)1年を基本とし、最長7年の在学が認められている。

 卒業試験は本科1年に進級した直後から受けることが可能で、卒業資格を得た段階で騎士を名乗ることが許される。


 特徴的なのは学年、組、隊、班、個の活動単位が定められているところだろう。先に述べた卒業試験もこの単位のうちの班で行われる。

 組は24~27人が4つ、1学年は100人前後ということになる。班は原則3人、組は3つの隊によって構成されるので、隊1つ当りは2~3班が基本となる。


 試験によるスコアでランク付けが行われ、上位者から順に1組アル2組ヴァーテと割り振られていく。

 上位の組ほど受けられる教育の水準は高く、1組と4組では待遇に雲泥の差がある。

 ただしこれは固定ではなく、半年毎に組のスコアが審査され、組の序列に変動が生じる仕組みになっている。もっとも、実績から言って上位2組を競わせるためだけに存在しているようなシステムだ。

 そして個人のスコアによる組の移動はない。


 アーベンス王国、ハルアハ王国、ランクート公国の三国および教会の出資により運営されており、3国出身の生徒で9割以上が埋まる。もっともその内訳もアーベンス王国6割強といったところで、国力の差を如実に反映したものとなっている。

 理事会は存在するが教会が選出する学園長の決定権が大きく、教育内容にも教会の色が強い。


 生徒会に類する四寮会がある他、在学騎士によって構成される騎士会があり、学園の運営の一部を学園長より委任されている。

 両会は学園の外にまで名を知られており、これらに属することは出世において大きな意味を持っていた。



「いいかおまえら、うんざりしてるのはおれも同じだ。だから言うのはこれで最後だ、というか最後にさせろ。許可された場所、場合以外で魔法を使うな。殴り合いがしたけりゃ訓練時間にやれ。今朝のはデモンストレーションだ、次やりやがったら2日は飯が食えない体にするぞ」


 教官が鞘入りの剣を教卓に叩きつけ、鈍く鋭い音が教室を震わせる。

 幾人かが小さく悲鳴を上げたが、教官のあれはフェイクだ。本当に今の音が鳴る勢いで教卓を叩けば今朝の二の舞になる。

 鞘と卓の双方に魔術の付与を行い、その干渉により音を響かせた。そんなところだろう。

 言うは易いがそれを周囲に悟らせずにやるとなるとかなりの難行だ。事実、何人かは看破した素振りがある。


 もっとも、口にされた言葉は確かに実行に移されるであろうから、重く受け止めておいて損はない。

 なにせ今日アズルトらに行われた指導は、闘気を扱えない者が受けていれば丸1日は身動きが取れないほどの激痛を伴うものだった。

 教官の適当な語りをお貴族様のオルウェンキスまでもが真面目に聞いているのは、その時の光景が目に焼き付いているからに違いない。


 誤解の無いように言っておくが、打擲から身を護るために闘気を用いたわけではない。反省室で魔力を巡らせ治癒を促進させただけだ。

 もし罰の最中に闘気による防御行動など取った日には、反省の色なしと目も当てられぬ追加授業が課されることだろう。


 クレアトゥールも同じ罰を受けたわけだが、彼女が反抗的な態度を見せず無抵抗に鞘を受けたことは、アズルトに少なからぬ驚きをもたらした。

 彼女の隣に座ることに躊躇わなかったのは、ゲーム情報に寄っていたアズルトのクレアトゥール像が大きく見直されたからである。

 頭に血が上ると冷静な判断ができなくなるようだが、決して察しが悪いわけでも話が通じないわけでもない。

 分別についてはなにも言うまい、常識すら怪しい。

 だがそれでも、目の前の少女は設定にあるような人格破綻者とは違うとアズルトは考える。そしてその考えは、朝の一件がクレアトゥールの地雷を踏み抜いた末の事故であるとの推察を、アズルトに与えるに至っていた。


「これで一通り……ああ、編成について言ってなかったか。細かいことは手帳を見ろ。実際に班を決めるのは中間の後だ。それまでは適当に周りの奴らと親睦を深めておけ。夏に遠征に出たい奴は特にな。さてこんなもんか。質問は?」


 女伯爵のマダルハンゼ郷やイケメンで優等生感のあるフェルトがいくつか問いを口にしていたが、いずれも手帳を見ろ寮会に聞けで終わった。

 この教官、実に4組ルースの担当らしいイイ性格をしているのではなかろうか。


 それにしても親睦、親睦か……。

 友人とはどうやって作るものだっただろうか。


 ゲームなら悩みのひとつでも解決すればころっと仲間になってくれるのだろうが、あいにくとここはゲームではなく、ボタンを押したら勝手に悩みを話し始めてくれるような便利機能もない。

 そもそもアズルトが声をかけたら、それが悩みになってしまいそうな現状である。

 ネトゲの中にしか友と呼べる者を持たなかったアズルトには、途方もない難行に思えてならない。


 諸注意の後は各種施設の案内だった。

 初日にして級友との間に底の見えぬ溝を作ることに成功してしまったアズルトは、この間、黙々と列の最後尾をついて歩くだけだった。

 同じく列から距離を取って歩く狐娘が1人いたが救いにはならない。


 途中で遅めの昼食を挟み、締めに学舎の北側にある4組ルースの寮に案内される。

 寮会の人間を呼びつけたバッテシュメヘ教官は、本科の制服を着た人物が姿を現したところで役目はこれで終いだと去っていった。

 なんとも適当なことだが、どうにもこの傾向は教官に限られないらしい。


 寮会員に案内された広間で役員から受けた説明は、果たして説明と言ってよいのだろうか。寮の見取り図を渡すからこの場で頭に叩き込むように、それだけである。

 それだけと言い切ってしまうのは不味いか。

 荷は届いているから各人で部屋に運び込むように、とも言っていたな。肝心の部屋割りについては丸投げである。


 そして部屋割りにアズルトが口を挟む余地はない。

 白熱する級友らを余所に幸いにして回ってきた見取り図を見た。大まかに言えば寮会のある4階を境に上は女子、下は男子。共用設備は1階と4階に集中といったところか。

 確認を終えた図面は暇そうにしている狐娘に押し付けた。


 さて、そうこうしている間に決まった部屋割りであるが、部屋は全て2人部屋であるにもかかわらず、アズルトに相方はいなかった。

 4組27人の内、男子は17人。奇数であるのだから1人余るのは避け得ぬ運命。ただそれがアズルトだったというだけの話である。

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