第27話 暴走

「ったく、すぐリリちゃんのところに行くんだから……私にもっと手助けしてくれていいのに」


 ティネは椅子の上で膝を抱えて、ぶつぶつと文句を垂れていた。

 最近はティネの研究より、リリアーヌの特訓に付き合う時間が多くなってきた。リリアーヌもだが、イグナーツもリリアーヌ経由で魔術が使えると知り、一種の開放感のようなものを得たのかもしれない。


 息をするように魔術を使う魔族にとっては、息苦しかったのかもしれない。


「分かるけど……分かるけどさ……私の下僕なのに……」


 ティネにとって面白くない。そして、研究とは関係ないところで手を詰まらせてしまっている自分に腹がたった。


 今までならこんな事は無かった。他人は他人であり、研究は研究。そう完全に区別することができた。なのに最近のティネは違う。


「……決めた。あれを使お」


 ティネは椅子から勢いよく降り、地下室へ向かう。

 ブラインドのスイッチを切り、イグナーツの身体があるフラスコへと近寄った。そして液体の中に手を入れ、


「えいっ」


 ぷちっと髪を一本引き千切り、液体ごとフラスコに入れた。

 魔族の身体には高密度の魔力が循環している。しかし、魔力だけを抽出してしまうと、取り出す時や経過日数が経つごとに魔力が徐々に乖離してしまう。


 ティネは特殊な液体と管を通してイグナーツの体から魔力を抽出しているが、その過程で多少なりとも魔力密度が落ちていることには変わりない。


 だが生体のまま取り出せば、魔力密度を落とさず魔力として利用することができる。髪の毛も例外ではない。


「これでぎゃふんと言わせてやるんだから」


 スピスの効果が現れなかった理由は未だ解明できていない。が、試すことができることを片っ端から試さなければならないほど、ティネには他の手立てがない。


イグナーツが驚く顔を想像しながら、ティネは再び研究室へと戻った。




 イグナーツはリリアーヌが魔術を使用しているところをじっと見ていた。

 コントロールはまったくもって良くなっていないが、リリアーヌの顔に諦めが浮かぶことは一切なかった。


「これが……努力か」


 イグナーツは生まれてから今まで〝努力〟とは無縁だった。生まれつき魔術の才能に恵まれ、気付いたら四天魔王の座にいたからだ。


 心の中で、努力は決して先天的な才能を上回ることはできないと思っていた。そもそも魔族は、先天性の才能に重きを置き、努力を軽視する傾向があった。どれほど努力したところで、魔力容量の多い魔族に勝つことがでない。どの家庭でも、学校でもそう教わる。

 だが、リリアーヌは努力によって先天的な素質を越えようとしている。


 それを見て、滑稽とは思えなかった。


 少し形は違うが、ティネも届き得ない領域へと必死に手を伸ばそうとしている。人間の可能性はもしかしたら、素質に固執する魔族を越えるかもしれない。


「さて、そろそろティネの様子を見てくるか」


 そう思い立ち上がった時だった。

 激しい悪寒が全身を付き走る。息をすることができない圧迫感、立つことも困難になる恐怖感が同時に襲いかかる。世界が一瞬黒く塗りつぶされ、視界が遮られた。

 イグナーツはこの感覚を知っている。


「リリアーヌ!」


 イグナーツはリリアーヌの肩を強く叩き、同時に体内で狂っていた魔力の流れを正常に戻した。それほどまでに今の邪悪な気配は、凄まじい質量を含んでいた。


「は、はい!」


 イグナーツの怒号でリリアーヌは我を取り戻した。


「この魔力は――」

「説明はあとだ! ついてこい!」


 リリアーヌの手を掴み、家の中へと飛び込む。そして、ティネの研究部屋へと駆け込む。

 フラスコを持ちながら固まるティネが目に入り、続いて更に濃い魔力がイグナーツへと降りかかる。


「浄化の魔力を思いっきり使え!」

「でも」

「握りながら思いっきり使え! そうすれば外れない!」


 イグナーツはティネの手から一つフラスコを奪い取り、リリアーヌに渡した。


「は、はい!」


 リリアーヌの体から白い光が放たれる。魔族特有の密度の濃い魔力は、細かい魔力に寄って分解され、消え失せていく。数分も立たぬ内に魔力は消え去り、圧迫感からも解放される。

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