焦りと嫉妬と

第26話 手詰まりになる天才少女

「あー! なんでうまくいかないの!」


 魔草スピスを持ち帰ってから三日が経過した。


 魔族も倒し、目的の魔草も手に入れ喜んでいたのも束の間、ティネは荒れに荒れていた。


 机の上には実験器具が散乱し、本も開きっぱなしであちらこちらに置かれている。髪もぼさぼさで、目の下には大きなくまが出来ている。スピスを手に入れてから、ティネは衣食住すべて実験部屋の椅子の上で行っていた。


 いつもならリリアーヌが掃除するのだが、今は研究に集中しているからと、掃除しないよう厳命していた。


「まだ三日だろ? 研究者は何ヶ月、何年と掛けて成果を出すもんじゃないのか?」

「そうだけどさ……」

「そんなに根を詰めたら、脳が正常に機能しない。見えるものも見えなくなる。ぐっすり催眠をとって、しっかり栄養を取れ。それが心理へ至る近道だと思うが?」


 魔草スピス……臨機応変に防御魔術を発動させ、生き延びる魔草。その魔力を妖精に組み込んだが、妖精が際限なく魔力を使ったり、自ら死へと飛び込んでしまう事象は解決しなかった。

 スピスの魔力を突き詰めれば、意識の覚醒……自我の芽生えのきっかけになると信じていたティネにとってショックだったのだろう。


「ティネが大事にしていたシーラっていう妖精にも使ったのか?」

「あの子には、ちゃんと効果が実証されてから組み込もうって思ってた。だから、まだ」


 いつも気さくなティネの声は、傍で耳を傾けないと行けないほど小さく低くなっていた。


「しかしスピスが駄目となると、一旦魔草に頼り切る考え方は辞めたほうがいいのかもしれないな。能動的に、柔軟に魔術を使う魔草はスピスが一番だったんだ。それ以外に手を出したところで……」

「分かってる。分かってるんだけど……」


 ティネが開いている本はすべて魔草の本ばかりである。しかし、根本的な原因が分からないまま、無作為に魔草に手を出すのは論理的な研究とは言えない。

 思考停止した上での総当たりにすぎない。

 とはいえ、イグナーツはその言葉を直接ティネにかけることが出来なかった。


 ――こんな時、どう接するのがいいんだろうな。


 自称天才魔草薬師といえど、幼き人間の子。イグナーツはどのように接すればよいか判らなくなっていた。

 精神的に弱っているティネになんと声をかければ、声を聞いてくれるだろうか。心理と向き合うだろうか。


 闇雲に行って開発できるほど、生命創造術は甘くない。


「師匠! 少し魔術が安定したような気がします! 来てください!」


 重い雰囲気の中、リリアーヌの明るい声が響き渡る。魔族との戦い以降、魔術の特訓により精を出すようになった。

 魔術のコントロールが悪い原因と、その解決策が分かったことが彼女のモチベーションを上げていた。


「行ってきたら?」


 なぜかティネは怒り顔になっている。


「ああ。俺がいても解決の手助けにはならないだろうからな。あまり気負いすぎるなよ」


 このままいても、いい考えが思いつかない。

 自身も気分転換したほうがいいのだろうと思い、イグナーツは家の外へと出た。

 リリアーヌは家から少し離れた雑木林に向かって魔術の特訓をしていた。地にはいくつも凹みができ、木々の枝もあちこち折れている。しかしリリアーヌの真正面に立つ木だけが無傷であった。


「今日もだいぶ派手にやったな」

「師匠! ほらあの木見てください! 少しかすり傷がつけられましたよ!」


 言われなければ分からないくらいであるが、木の皮に傷が入っている。


「まぐれじゃ意味ないからな?」

「分かってますよ。もう少しで師匠をこてんぱんに出来ると思うと、身が入るってもんですよ」

「酷い話だな。師匠孝行として見逃してくれないのか?」

「はい。そりゃ、例え体が人間になったとしても罪が消えるわけではありませんから」

「根っからの天族思考だな」

「そりゃ、私は天族ですから」


 ニッコリと微笑むリリアーヌ。

 彼女が魔術を正しく使えるようになったとしても、魔力を全てイグナーツ本体へと流せば封じることはできる。リリアーヌはそこまで分かっているように思えないが、勢いづいたリリアーヌを止めるわけにもいかないため、口にはしなかった。


「あ、でも貴方の力を取り戻すまでは待ってあげます」

「……ほう。随分と舐められたものだな」

「真っ向からあなたを倒し、一生かけて罪を償わせます。それが今の私の想いです」


 リリアーヌは堂々と言い放った。元はといえ四天魔王の一人と、正面から戦いを挑むと。

 イグナーツは大爆笑した。

 ここまで生真面目な天族が今までいただろうか。愚かしい程の正義感と倫理観を遵守し、その上で魔族を殺さずに罪を償わせるといった。

 ある意味ティネよりも理想を語っている。


「な、なんですか! 確かに今の私じゃ夢にもならないですけど……魔術さえ使えるようになれば、届くような気がするんです。いや、掴み取ります」

「面白い。ほんと、こんな面白いヤツとは思わなかった」


 リリアーヌはその理想を、理想だとは思っていない。手が届くべき必然だと思いこんでいる。それが何よりも、イグナーツに響いていた。


「馬鹿にしてますね! いいですよーだ。そんな扱いは慣れてますからね。来たるべき日が来ないことを必死に祈っておくがいいです!」

「そうだな、祈っておくよ」


 イグナーツは魔族であったとき、誰かに倒されると思いもしなかった。だが、リリアーヌのような本来届き得ない理想を求め辿り着いたものこそ、イグナーツを倒すに値するのかもしれない。


 ――それなら悔いはないかもな。


「何ニヤついてるんですか! 師匠ってほんと捻くれてますよね。魔族のときもモテなかったんじゃないですか?」

「うるさい、ほっとけ」

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