第23話 勝利の果てに

 静寂に包まれた森のなかで、リリアーヌは目に嬉し涙を浮かべていた。今まで一度も魔術をまともに使えなかった少女が、完全に制御した大魔術を行使できた。夢にまでみた光景に、感動せずにはいられなかった。


「わたし……魔術が……使えました……」

「俺がリリアーヌの魔力をコントロールして、な。でも魔術を全く使えないわけじゃないことは証明できた。ただ、体質的に魔術が使いにくいのかもしれない」

「どういうことです……?」

「後で説明してやろう。まだ全て、解決したわけじゃないからな」


 ぽんとリリアーヌの頭に手を置いて、イグナーツは倒れている魔族の傍に寄った。肌は薄黒く焦げ、服はあちこち破けている。口をあんぐりと開け、白目をむきながら倒れている彼の傍で、イグナーツはしゃがみこんだ。


「何死んだふりしてるんだ」


 イグナーツが頬を叩くと、魔族は薄っすらと目を開けた。魔族は体の大半が魔力で出来ているため、体を構成する魔力そのものにダメージを食らうと動けなくなってしまう。


 普通であれば、防御用の魔力を覆うのだが、この魔族はそれを怠っていたのだろう。もし纏っていたとしても、より強固にしなければ今の攻撃は防げない。


「くっ……まさかあんな力を持つ天族がいるなんて……」


 魔族は悔しげに言葉を漏らす。もし魔族があのときリリアーヌを侮らなければ、俊敏性を更に強化し、攻撃前に討つことができただろう。


 イグナーツはため息をついた。


「だからいつも油断するなと言っただろう」

「は? お前は俺の何を――」


 イグナーツは短刀をゆっくりと取り出した。


「お前は自分の力を過信しすぎるんだよ。魔術使い同士の戦いで大事なのは、どちらが先に仕掛けるか、だと何回言えば分かる。相手が経験不足であろうと、老人だろうと、子供だろうと……強力な魔術を掛けられたら負けるんだ。お前が最初から本気出せば、俺らなんか一瞬で殺せたろうに」


 話を聞いていた魔物の目が、段々と驚愕で見開く。

 その説教を彼は知っていた。何度も何度も、耳が痛くなるほど聞かされていた説教を忘れるはずがない。


「――お前は……貴方様は……!」


 死んだはずの彼だと、魔族は直感した。

 

 だが、


「続きはあの世で反省するんだな……コンラーディン=バーデン」


 一直線に短刀を振り下ろし、心臓へと付き立てる。

 魔族コンラーディンは目を大きく開きながら、ぴくりと体を痙攣させ動かなくなった。


 イグナーツはふうと小さく息を吐き、短剣を抜く。薄紫の煙と鮮血が、とどまることなく溢れ出てくる。少しコンラーディンの死に顔を見ていたイグナーツは、くるりと踵を返した。


「さて、帰るか。あれほどの魔力を放っては、直にここに駆けつけてくる。少し遠回りになるが、一旦南の方に逃げるか。そうすればパラルロムに犯人がいるとは思わないだろう」

「……イグ」

「何辛気臭い顔してるんだ。せっかく収穫があったんだ。喜べよ」


 イグナーツは血のついたナイフを、周囲の草木で拭う。

 そして南の方へと駆け出した。まるでこの場から逃げ出すように、一直線に走っていく。


 ティネとリリアーヌは黙って後をついていく。




 城の南方には深い樹林が続いている。既に日は沈み、ただでさえ暗い中をイグナーツたちは歩き続けていた。


 ティネは神妙な面持ちで俯きながら歩いていた。


 あの魔族……コンラーディンの名をイグナーツはフルネームで覚えていた。そして彼の戦う際の癖を知る程度には、一緒にいた存在である。


 そんな相手を殺して、平然といられるものなのだろうか。

 ティネは人を殺めたことが無いから分からない。身近な者の死を経験したことが無いから分からない。それでも、その人にとって親しき者の死は、決して小さくないと思っていた。


「ねぇ、イグ。コンラーディンってどんな人だったの?」


 だからこそ、不意に聞いていた。

 唐突な質問にイグナーツは少し驚いた顔をした。


「どうした? 死んだ相手の情報を聞いたところで、何も得るものは無いと思うが? それとも有用であれば実験材料にしようってことか?」

「そんなことないよ! 死体に魔力は宿らないし……ただ純粋な疑問だよ」

「そうか。お前はそういう無駄口をするような性格ではないと思っていたが……まあ、減るもんじゃないからな」


 イグナーツは顎に手を当てて、記憶を手繰り寄せる。


「……あいつは戦闘部隊にいたヤツでな。結構な問題児だったんだ。人の言うこと聞かないし、あんなチャラい服をいつも着ているし。俺が直接稽古をつけてやったときも、何度も油断と隙を突いてやったものだ」

「なんだか、わんぱくなこどもって感じだね」

「そうだ、あいつはこどもだ。態度だけが大人で、見えっ張りなこどもなんだ」


 イグナーツはふふっと思い出し笑いする。


「あいつの性格は、よく言えば純粋だった。感情が先に出るタイプだったんだな。だからこそかもしれないが、なかなか愛嬌があり憎めないやつだった。不思議と人望もあってな……次期の部隊長になるんじゃないかとも言われていた。さっきはああだったが、本気を出せばかなり強いやつだからな」

「そっか」


 ここまで饒舌に喋るイグナーツを、ティネは初めて見た。笑みを浮かべるイグナーツを初めて見た。気怠そうな感じもなく、面倒そうな雰囲気もない。


「ねぇ、イグ。あなたは……魔族を殺さなくてもいいんだよ」

「……やっぱりそういうことか。ったく、余計な気を……」


 イグナーツはポンとティネの頭に手を載せた。


「俺は子供じゃない。何をすべきか分かっているし、私情を挟むようなこともしない。だから気にかけなくていいんだ」


 ティネは黙ってこくりと頷いた。

 言い返したかったが、あまりにも硬い鉄の仮面を外せる気がしなかった。彼の心は、今も前も……本人は否定しているが……ずっと、あの城の中にあるのだ。故郷から共にいた家族同然の仲間がいるエーフェンベルグ城の中に。


「それよりも喜べよ。スピスは取れたし、リリアーヌも俺の助力があったとはいえ魔術が使えた。かなりの進歩だろう。な?」

「……そうだ、ね」


 笑みで顔を固められたイグナーツに、ティネは何も言い返すことができなかった。

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