第20話 好機

 太陽は傾き始め、西の空が朱に染まり始めていた。

 そしてようやく川が見える場所まで辿り着いたとき、リリアーヌは全身から冷や汗が吹き出していた。


「魔族……うじゃうじゃといるんですけど! しかもかなり強いじゃないですか! 生きて帰れる気がしないんですけど!」


 魔力が見えるリリアーヌにとって、多くの魔族が徘徊している眼前は、まさに地獄絵図である。例え魔族の実力が低いと分かっていても、濃密な魔力で攻撃されたことを想像すると、体が竦んで動けなくなる。


「落ち着けリリアーヌ。もう少し待てばチャンスが訪れる」

「チャンス……? ほんとに……? まったくもって隙間なんてないじゃないですか」

「ああ。俺を誰だと思っている? この城のことは俺がよく知っている」


 完全に怖気づいてしまったリリアーヌを諌めながら数分待つと、徐々に徘徊する魔族が減っていった。


「これは一体どういうことですか……?」


 思わずティネはイグナーツに尋ねた。


「これが師匠の言ってたチャンスですね! さて、早速魔族を倒しに……むぐっ」

「リリちゃん、ちょっと待ってください。あまりにも都合が良すぎます」


 イグナーツは少し驚いた。ティネもリリアーヌと同じく、魔族が少なくなれば一目散に飛び出るものかと思っていた。


 ティネは疑うようにイグナーツを見ていた。確かに五十を下らない数の魔族が、一度に引くなんて都合が良すぎると思ってしまうだろう。


「そう思われても不思議じゃない、か。俺は裏切るつもりも、罠に嵌めるつもりもない。だから説明するのは構わないが、納得してもらえるような気はしないな。それだけ、理由と言えるかどうか怪しい理由なんだ」

「うん、貴方の本体の命は私が握ってるから裏切れないよね。それでも、教えて欲しいな。私達の命がかかってるからね」


 いつもと変わらない声音だが、物言わさぬ圧がティネから放たれていた。少しでも裏切ったならば、即座に本体を朽ちさせると言わんばかりの圧が。


「……夕食の時間だからだ」

「「へ?」」


 ティネとリリアーヌは同時に首を傾げた。


「だから、夕食を食べに城に戻ったんだよ」

「いや、それは分かるよ? 夕方だもんね? なんだかこころなしかいい匂いもしてくるもんね? でもさ……なんで揃いも揃って帰ったのかな?」

「俺も馬鹿だと思う。けれどこれは、仕方ないんだ」


 イグナーツは歯を食いしばりながら、城へと目をやる。


「魔族も人手が足りなくてな、少しでもホワイトな制度を入れなきゃ辞めるんだ。で、その一環として決まった時間にみんなで夕食を食べるってのがあるんだ」

「……」

「馬鹿にしたろ? けど、人材不足ってのは馬鹿にできないかなり深刻なんだ。一度辞められたら、戻ってくる可能性も低いからな。だから例えしょうもない制度でも、それで配下が減らずにいてくれるならやるしかないんだ。……こんな馬鹿げた話、だからしたくなかったんだ」


 あまりにも想定外の理由に、二人は固まった。


「な、そういう目になるだろ? 信じるか信じないかは任せるよ」

「何の根拠もないよね、ほんと。でも、もし嘘をつくならならもっとマシな嘘をつくよね」

「私の目では、みなさんちゃんと城の中へと帰っています。しかも敵が近付いていると知っているとは思えない、穏やかな表情で。と目で見る限り、壁の向こうに隠れているってことはないと思います」


 このようなときに、リリアーヌの目は非常に役に立つ。動機はともかくとして、城の中に魔族が帰っている証明になる。


「もう周囲には誰もいません。城のドアも閉まりましたし……今なら大丈夫かと」

「ありがとう、リリちゃん。じゃあ、探しに行こっか」


 三人は茂みから飛び出て、川岸の周囲を探索し始めた。

 スピスは花弁が黄金色で、甲羅のような形をしている以外の特徴はない。つまり、日が落ちて暗闇になる前に見つけなければ、より発見が難しくなる。

 とはいえスピスは薬や料理には使えないため、乱獲されるようなことはない。きっとどこかに生えている筈だとイグナーツは考えていた。

 だが、なかなかスピスを見つけることができない。


「なぁ、ティネ。どうして命を賭けてまで、生命創造術を開発しようとする?」


 ふとイグナーツは尋ねた。そんな問いができる状況ではないが、イグナーツは、だからこそ問うた。


「大した理由じゃないよ。私の欲望を満たすためっていうのが一番的を得ているかな」

「なるほどな。やっぱりお前は、魔族より魔族らしい」

「それ褒め言葉なの? 貶してるの?」

「さあな」


 ティネはむっと顔をしかめた。


「悪い悪い。お詫びに良い事を教えてあげよう」


 イグナーツは川を少し下り、水面に向かって指さした。

 その場所は変に水量が多くなっていた。まるで川の底に何かが積もっているようだった。


「……あ!」


 ティネは川のそばにより、水中を凝視する。水の中に関わらず、垂直に咲く花があった。


「魔力は水に溶けやすい。そして水にも困らない。だからスピスは、川の底に生えているんだ」

「それ早く言ってよ!」

「スリルがあったほうがいいだろ?」

「悪魔め」

「魔族だ」


 ティネはべっと舌を出し、フラスコから妖精を四体召喚する。その中には、ティネのお気に入りであるシーラもいた。

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