魔族と天族と人間と

第16話 家事は特訓?

「イグさん! お聞きしたいことがあるんですけど!」


 リリアーヌは壊れんばかりの勢いでドアを開け、外にいたイグナーツに歩み寄る。


「いきなりどうしたんだ?」

「あれから三日……私はあなたの教えに従い続けてきました。きっと何かしら意味があるのだろうと思いながら……けど、もう限界です!」


 首元を掴まれそうな剣幕に、イグナーツは思わず一歩足を後ろに引いた。


「部屋の掃除のどこが特訓なのですか! 私にきちんと理解できるよう教えてください!」


 〝人間のイグ〟に魔術を教わると決めてから三日、リリアーヌは部屋の掃除ばかり指示されていた。。


 真面目な性格のためか、彼女は嫌な素振りを見せず淡々と、そして見違えるように部屋を綺麗にした。リリアーヌのあまりの真面目さに、イグナーツが若干ながら罪悪感を覚えるほどだった。


 といっても、特訓すると嘘をついて家事をさせているわではない。


「三日前に説明してるが……魔力の無い状態で体を動かすこと自体が特訓なんだ。魔力が体から一切無くなると、変な違和感があるだろう?」


 魔力は生命エネルギーの一つとして分類されているが、魔族でなければ無くなったからといって死ぬわけでも、体が動かなくなるわけでもない。


 人間の場合、全身に気だるさと、自分の所作に違和感をおぼえるようになるくらいだ。後者については、魔力は魔術を使っていなくても無意識に動き、わずかながら身体機能の向上を行っているためである。


「確かに変な感じがします。特に力を入れようとしたとき……体の中に麻痺してる部分があるような感じがします」

「それが次第に薄まり、完全に馴染む。次に、魔力を少し流してみる。そうすると、体の中にどう魔力が流れているか掴むことが出来るんだ。魔力の流れを知ることで、魔術が使えるケースも多々ある」


 この方法、実は魔族の間でよく行われている魔術トレーニングである。人間や天族とは違い、魔族は自身の体内に流れる魔力量をコントロールできる。そのため誰の力を借りずとも、このトレーニングができる。


 リリアーヌの場合はイグナーツの本体との間にある魔力回路(パス)を調整することで、魔力量のコントロールができるため、このトレーニングを行うことができる。


「なるほど……理にかなってる気がしてきました。釈然とはしませんけど」


 腕を組み、眉をしかめるリリアーヌ。

 確かに実感が薄いため、不満が出てしまう気持ちは分かる。しかも体を動かす手段として家事を選んでいるため、余計にだろう。


「どうせリリアーヌも住むことになるんだから、家が綺麗にこしたことはないだろう?」

「それはそうですけど……ところであなたは何をしてるんですか?」


 リリアーヌの訝しげな目がイグナーツの手元へと向けられる。

 イグナーツの手には小石や枝、落ち葉なとが握られていた。


「俺は外の掃除をしているんだ」

「……そうですか」


 ティネの家の周囲は雑草が好き勝手に伸び、荒れ放題になっていた。家の中すら綺麗にできないティネが、外まで手が回るはずがない。


「結構時間かかってるような気がしますけど、進捗悪いですね」

「俺のこの体も動かす練習中なんだ。どうも、まだしっくりこなくてな」


 あっはっはと笑うイグナーツを、リリアーヌは半目になってじっと見ていた。

 どうせ何か企んでいるでしょう、という感情がひしひしと伝わってきたが、素直に話してくれないと思いリリアーヌは尋ねなかった。


「あ、報告忘れてました。一階と二階の片付けはもう終わりましたよ。あと、昼食も作っておいたのでお好きなときにどうぞ。次は地下室を片付けますから」

「お、おう……」


 意気揚々と家に戻っていくリリアーヌ。


 文句を言いながらも、テキパキと家事をこなしている。家事自体には、抵抗を感じていないのかもしれない。そして根は真面目なためか、丁寧に報告を行っている。

 イグナーツはしばらく外で〝掃除〟をしてから、家へと戻った。


「あ、イグ。遅かったね」


 一階にある研究室で、白衣を来たティネが出迎えた。

 しわくちゃで茶色く汚れていた白衣が、見違えるほど純白になっていた。しわもなく、破れた箇所には白い糸で丁寧に縫合されている。


「ああ。って、本当に綺麗になったな」


 九割以上隠れていた床ははっきり見え、散乱していた本や衣服も全て片付けられていた。汚れていた台所や窓も磨かれ輝きを取り戻している。


「そうなんだよね。逆に落ち着かないんだけど。リリちゃんの徹底ぶりがすごくって」

「だろうな。文句言う割にはやる気満々だったからな」


 テーブルの上には色とりどりの薬草で作られたサラダの上に、茹でた肉が乗せられていた。調味料を合わせて作ったタレがかかっており、こうばしい香りが非常に食欲をそそる。


 椅子に座り、料理を口へと放り込む。

 昨日まで食べていた同じ薬草なのに、苦味が消え去り食べやすくなっていた。仄かな甘みが噛むたびに口の中に広がり、次から次へと食べられる。


「掃除も出来て、料理も出来るときたか。リリアーヌ……なかなか優秀な天族だな」

「絶対に手放せないね」

「だな」


 家事を苦手とする二人にとって、リリアーヌはありがたい存在であった。例え特訓の末魔術が使えなかったとしても、家事を行う使用人としては使えるだろう。


「きゃーー!」


 突如、甲高い悲鳴が家の中に響き渡る。


 紛れもないリリアーヌの声。その声は、演技やわざと出しているようには思えない、本気の叫びであった。イグナーツは席から立ち上がり、フォークとナイフを手に構えた。


「地下室から……だね」

「ティネ、薬品をいくつか持ってきてくれ」

「分かったよ」


 戦闘用の薬品を手にしたティネと、イグナーツは忍び足で地下室へと向かう。外部から侵入された痕跡……足跡や扉が空いていることなどは一切なく、外や一階からは物音が聞こえるわけでもない。


「外部犯とは思えないな。地下室へ直接転移……あるいは掘って侵入したとか?」

「物理的、魔術的…どちらにしても並大抵な攻撃じゃ破れないし、破れたら分かるはずだよ」

「そりゃそうか。虫的な何かが出ただけ、と願うしかないな」

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