第13話 届かない天族の言葉

 虚ろだった瞳に生気が戻り、ぴくりと指先が動いた。

 イグナーツの視界に光が差し込み、覗き込む人物の顔の輪郭が徐々にはっきりする。


「……ティネか」


 上半身をゆっくりと起こす。まだ体の芯の方に痛みが走っているが、先程よりは遥かに治まっている。


「私だよ。〝魔力自体に回復魔術が宿っている薬草〟を飲ませてあげたんだけど、気分はどう?」

「最高だ。で、一発殴っていいか?」

「あはは、こわーい」


 ティネは乾いた笑いで返した。


「あと、記憶も戻った」

「ほんとに? じゃあ、イグを裏切った犯人も……?」

「いや、それは分からなかったな。呪いは食べ物に仕込まれたか、席に魔術陣が組み込まれたか……。いずれにしても、術者がいないところで発動するタイプだった。もし俺が生きのびても犯人が分からない。……実にずる賢い作戦だ」


 イグナーツは体を左右に揺らしながら立ち上がった。出血はしていないのに、貧血になったときのような立ちくらみが起きた。


「大丈夫か!」


 イグナーツの元に、クライドとエイミーが駆け寄った。


「ああ、なんとかな」

「それにしても、お前すごいやつだったんだな! まさかトリキュラを二体同時に倒すなんて! さっきのはどうやったんだ?」

「大したことはしてない。比較的弱い足の裏から魔力を侵入させて、内臓を破壊したんだ」


 槍はただ貫くための術ではなかった。刺した相手に毒を送り込み、息の根を止める。魔族と同じように、トリキュラは外部からの魔術耐性は高いが、体内部はそうでない。


「そんな倒し方があったなんて……。でも、おかけで助かったわ。まさかここまで硬いとは思わなかったもの」


 イグナーツは単純なように言ったが、実際は非常に難しい。

 トリキュラの足の裏でも、防御が薄い箇所は限定的であり、さらに内蔵にまですぐに到達できる血管を貫かなければならない。その箇所に魔力を凝縮し、貫くにはかなりの精度が求められる。

 あまりにも現実的ではないため、一般的には知れ渡っていない倒し方である。


 もし過去にトリキュラと戦ったことがなければ、イグナーツは膨大な魔力を用いた力任せな方法でしか倒せなかっただろう。そうすれば、今よりも酷い状況になっていた。


 その分多くの魔力が流れ、多くの痛みが走ることになっただろう。


「しかし、酷い顔をしている。先程も死ぬかと思ったくらいの悲鳴だったぞ」

「ああ……その……あれだ。強い力を使うためのデメリット、っていうやつだ」

「……そう。まあでも、本人が言うのであれば大丈夫なのよね」


 イグナーツは笑って誤魔化した。二人共納得したわけではないが、深くは追求しなかった。おそらく報酬のことが頭をよぎったのだろう。


 実質一人で倒した以上、報酬の大半を手にする権利がある。最初にイグナーツとティネ二人で二割と取り決めてはいるが、さきほどのトリキュラを一撃で倒した力で脅されたら抗えないと、二人は考えている。


 もちろんイグナーツはそのようなことをするつもりはない。彼の頭はすでに、別のことへと切り替わっていた。


 彼の視線は、固まっている天族へと向けられた。


「あーーっ! 人間の皮を被った魔族がいる!」


 リリアーヌは唐突に大声をあげ、イグナーツに指さした。


 ――すっかり忘れていた。目敏い奴がいたんだったな。


 天族は魔力の特性を見抜く目がある。魔族の魔力を使用してしまった以上、リリアーヌに気づかれない訳がない。

 しかしイグナーツは焦らず、ただ肩をすくめた。


「冗談にならない冗談はやめてくれ。第一、君の目が本当に天族だとしても……力は本物なのか? 術と同じように出鱈目なんじゃないか?」

「そんなことありませんよ! 由緒正しき天族であるこの私の力に、疑う余地などあるものですか! って、あなたたちも疑問な目を私に向けるのは辞めてくたさい! 仲間でしょ?」


 リリアーヌは必死に説明するが、人間二人は戸惑うばかりであった。


 トリキュラ討伐依頼前とは、立場が逆転していた。

 まともに術を扱うことが出来ず、ただ逃げ惑うリリアーヌを誰が天族として信用できようか。イグナーツのことを魔族だのどうだの言ったところで、自分が活躍できなかったための妬みにしか聞こえない。


 だからイグナーツは焦ることなく、ティネに小声で指示した。


「あいつを眠らせろ」

「私が主人なのに……ま、いっか」


 ティネは薬を取り出しながら、リリアーヌに近づいた。

 そして自分の服の裾へと染み込ませた。


「落ち着いて、リリちゃん。イグが魔族なはずがないよ」

「そんな筈は……っ!」

「きっと疲れてるんだよ。だから――とりあえず寝ましょうね」


 ティネは薬品を染み込ませた箇所をリリアーヌの鼻へと当てる。数秒も立たない内にリリアーヌは膝から崩れ落ちた。

 揮発性の睡眠剤で、多少強力であるが一回の使用なら人体に影響はない。


 ティネは顔を上げて、クライドとエイミーに微笑みを向けた。


「パニックを起こしたみたいなので、眠らせました。私とイグで、この子を介抱するので報告に戻ってもらえますか?」

「しかし……」

「他のトリキュラが来ないとは限りません。魔族も。イグの力は、今日使えないでしょう。もし戦いになったら……二人を庇って逃げられる自信がありません」


 ティネは圧力のこもった笑みを浮かべる。


「……ああ。それなら介抱を頼もうか。行こう、エイミー」

「ええ。じゃあお願いするわ。報酬はイグさんの名前で受け取れるようにしておくから」


 そう言って二人はパラルロムへと先に帰った。

 イグナーツはふうと息を吐いた。もし何かの要素が足りなければ、イグナーツが魔族として追われる身になっていただろう。


「さ、こいつの処遇はどうする? 野放しにすれば、こいつは町中でも俺らを魔族と言うような気がする。クライドたちはこいつに対して疑いを持っていたから良かったものの……毎回こうはいかないだろうからな」

「そうだね。どうにかしなきゃだけど……あなたならどうする?」

「俺なら弱みを握って徹底的な口封じだな。もちろん、魔族の頃であったら話は別だが」

「じゃあさ、私に任せてもらってもいいかな?」

「ああ、もちろんだ。って、俺に選択肢はないんだろう?」

「そりゃそうだよ。だって私の下僕なんだから」


 ティネはにっこりと笑みを浮かべ、寝息を立てているリリアーヌの頬を突っついている。まるで楽しいおもちゃを見つけた子供のようだった。

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