第5話 薬草は朝食に入りますか?
獣道を歩きテーブルへと辿り着いたイグナーツは、倒れ込むように座り込んだ。薬のせいか、それとも慣れない人間の体のせいか、少し歩いただけで疲労感が全身を襲う。
食事を取れば、少しは体力の回復を図れるだろうか。期待を寄せながらイグナーツはテーブルの上を見る。
「なんだ……これは」
食材が山盛りになった皿が、テーブルの真ん中に置かれていた。食材といっても緑一色の葉と、何かの根のようなものが盛られている。火を通したようにも、何かしらの調味料で味付けをしているとも思えない。
「あっさごはん! あっさごはん!」
調理がまだなのかと思ったが、ティネも正面の椅子に腰をおろした。
「これは薬草か」
「うん、薬草だよ」
「えぇと、二人分盛られているが……これから調理するのか?」
問いに対して、ティネは首を傾げた。そして、テーブルの上に置かれていた銀のフォークを手に取り、葉に突き刺した。
「何言ってんの? このまま食べるんだよ。いつも私食べてるから、毒とかはないよ?」
「いや、そういうこと気にしてるわけでは……調味料は?」
「へ? 無いけど」
「……正気か」
イグナーツは頭に手を当てて項垂れた。
魔族の味覚は、人間と大差ない。全く火を通さず、何の調味料も入れず、素のままで薬草のみを食べる味覚を持ち合わせていたない。そういう味が好きな魔族もいるが、イグナーツの味覚は至って普通だ。
対してティネは美味しそうと顔を輝かせながら、葉を口の中に突っ込んだ。
「……だからそんな貧相な体になるんだな」
「なわっ! わ、私のコンプレックスを容赦なく抉るなんて悪魔か! 魔族だけど! それに私は、きちんと生きることに必要な栄養価はちゃんととってるんだよ! これはビタミン豊富だし、これは食物繊維、この根にはタンパク質と……」
必死に解説するティネをよそに、イグナーツはフォークを手に取り、小さい葉を口の中に運んでみる。薬草だから生では美味しくないと決めつけていたイグナーツだが、ティネの美味しそうに食べる顔をみて、実は美味しいのかもしれないと思ったからだ。
そして、口に入れた葉を一噛みすると……
「にがっ」
やはり苦かった。
食材として食べられないわけではない。イグナーツが想像していたほどの生臭さや苦さは無かった。だが、ほのかな苦さを感じる味気ない葉を永遠と食べ続け無ければいけないと思うと、食欲が失せてしまう。
およそ三割ほど食したイグナーツの手は、完全に止まっていた。
一旦休憩すべく、イグナーツは気になっていた事を訊いてみることにした。
「そういえば、てっきり組織絡みで俺を捉えたのかと思っていたんだが、この様子だと違うようだな。例えば俺に恨みがあるだろうここ〝アーケオ王国〟の兵だとか、魔族討伐専門隊の〝ダイニクス〟だとかな」
ティネがある程度の知識を持った魔草薬師であったとしても、それだけでイグナーツを捉えられるとは到底思えない。故に組織的な作戦にて捉えられたとイグナーツは思っていた。
とはいえこの家の無防備さや、イグナーツへの対応を見る限り組織的であるようには見えないが。
「うん。だって、そんなことしたら貴方を私の自由に使えないでしょ?」
「私の自由に、か。そんなに潔く言われたら本当か嘘か分からんな」
薬草をむしゃむしゃと頬張るティネを見て、イグナーツは肩をすくめる。彼女の言葉は裏が読みにくい。
「となると、さらに疑問が生まれるわけだが……どうやって俺を捉えた?」
「ん? 私は、森の中であなたが一人で倒れているところを見つけただけだよ?」
「俺が……倒れていた? というか、城の外にいただと?」
イグナーツは滅多に城の外に出ることはなかった。周りには人間が仕掛けた魔術が張り巡らせれ、更に狙撃のための魔術師が絶えず見張っていたからだ。故に城外に出ることはあまりせず、出たとしても護衛の部下がいたはずである。
イグナーツは記憶を手繰り寄せようとしたが、どうしても記憶が思い出せない。
「あ、もしかして記憶が一部欠けてる?」
「そうらしいな。城の中で配下とランチをしたところまでは覚えている。ちゃんと肉もスープもある色とりどりのランチをな」
「薬草だけの方が無駄な栄養分がなくていいと思うのに。……もしかしたら、魂を移したときに欠落しちゃったのかも。魂の保護はかなり手厚くしたんだけど……まだ不足だったかな」
ティネの魂移植術は、実際に試したことがほとんどない、理論上のみ完成していた術であった。また、魔族という特異な体であったことで、何かしらの不都合が起きたとも考えられる。
「可能性としては配下に裏切られたっていうのが大きいな。で、城の外に出ざるを得ない状況に陥ったという流れのほうが納得できる」
人間に負けて敗走したことよりも、裏切られて追い出されたという方が現実味を帯びている。
恨みを買っている魔族に心当たりもあれば、野心で裏切る配下にも心当たりはある。
イグナーツは椅子から立ち上がった。
「復讐するの?」
ティネの問いに、俺は薄ら笑いしながら否定した。
「そのつもりはない。そもそもこの体じゃろくに魔術が使えないから、返り討ちにあうのが目に見えている。ま、裏切りに合うのは時間の問題だっただろうから、気にはしていないさ」
裏切りを対処できず、敗走してしまったことに落ち度があるとイグナーツは考えていた。復讐という言葉を使うほどの恨みも怒りも湧いていない。
「それよりも、近くにある街へ連れていって欲しい。色々と情報を集めたい。俺のこともそうだが、生命創造術についても知っておきたいと思ってな」
街という言葉を聞いた瞬間、ティネがびくりと震えた。
「え、えぇと……街? あるにはあるけど……なんていうか……」
「ここには魔草学の本が置かれているが、魔族に関する本が置かれていない。生命創造術の起源は、俺らの世界の崩壊への対抗策だったんだ。だから、魔族に関する研究と併せて載っている可能性はある」
「いや……あの……その……そうなんだけど……」
今まで四天魔王相手に弱みを見せなかったティネが、なぜか狼狽えていた。食べていた薬草を皿の上に置き、両膝の上に乗せて俯いている。
怖がっているのか、怯えているのか……それとも何か後ろめたいことがあるのか。
イグナーツがじっと表情を伺っていると、
「……わ、分かった! 行くから!」
「そうか? ついでに、他の食材と調味料も買いたいんだが……」
毎日味気のない薬草だけの生活に耐えきる自信がなかった。現に今も、最低限の空腹を凌ぐための量しか食べれていない。
「へ? お金はないけど。食べ物とか、服とかは仕送りあるんだけど……現金はなくって」
「どこからの仕送りなんだ?」
「パパからだよ」
予想外な人物の登場に、イグナーツは面くらった。
こんなゴミ屋敷を生み出す娘だと知りながら一人暮らしさせているのだから、距離を置かれているのだと思っていた。
「親、ねえ」
食べ物は薬草、服は白衣とレースの下着を送ってくることから考えて、ティネの親も常識人とは程遠いのかもしれないが。
「とりあえず、金が無いなら稼ぎに行くしかないな」
「ええっ! そんな簡単に手に入るものなの!?」
「ああ、任せておけ。もちろん違法なことはしないから安心してもらっていい」
ほくそ笑むイグナーツに、ティネは疑わしげな視線を向けていた。
「魔族の言うことに信用できないんだけど……」
「ティネに命を握られている限り、下手なことはできないだろ」
「……そ、そうだよね! 今の状況を分かっててくれて何よりだよ」
偉そうな態度を取り、ティネは自分の皿の薬草を殆ど食べ尽くした。そして残り数枚残っている皿を、イグナーツに差し出す。
「じゃあ、まずはその薬草全部食べよっか。空腹で倒れても困るしね」
「えっ……いや、俺は」
口の中に蓄積された草の味が、見るのも拒みたくなるくらいに食欲を極限にまで減衰させていた。
「完食しないと行かないからね。美味しい食べ物を口に入れられないよ? まあ、薬草たちより美味しいものなんてこの世には無いだろうけどね」
「……わかった」
なぜそこまで薬草に自信満々なのか分からない。おそらく薬草以外、まともな食べ物を口にしたことがないのかもしれない。
なんて残念なやつだと思いながら、イグナーツは残りの薬草を鷲掴みし、口の中へと押し込んだ。
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