第4話 人の身に墜ちた四天魔王

 体全体に痛みを感じて、イグナーツは目を冷ました。硬い床で寝ていたためか、鈍い痛みが走っている。魔族であれば簡単に痛覚遮断できるが、人間の体にはそのような機能がない。


 痛みを堪えながらイグナーツは立ち上がり、少し体を動かしてみる。


 何か起きたときのために、イグナーツの体がどのようなスペックであるかは把握する必要があった。寝る前より意識がはっきりし、思うように体を動かすことができた。


 しかし、


「やはり人の体というのはこの程度か」


 一通り動いた後、イグナーツはため息をつきながら床に腰を下ろした。


 そもそも魔族は、人間に比べ秀でた身体能力と魔術適性を持っている。特に四天魔王であるイグナーツの元の体は、魔族の中でも更に秀でていた。


 それに比べると、今の体は体に鉛をいくつも縛り付けたかのような動きしかできない。筋肉が乏しい体付きからも、この体の持ち主はあまり運動をしていなかったことは想像に難くない。


「しかし予想外なのが……この体で全く魔術が使えないことだな。魔力の流れはあるはずなんだが」


 人間の平均以下とはいえ、この体にも魔力は宿り、魔術を使うために必要な魔力経路――魔力の流れる体内の管――も機能している。であるにも関わらず、魔術が一切発動しない。ティネの薬の効果か、あるいは、この体自体に問題があるのか。


「ま、いいさ。いずれはこの体を使いこなし……あいつを出し抜いて――」

「イグ?」

「うおおっ! ノックぐらいしろよ……」


 いきなりドアが開き、隙間から覗き込んでいたティネ。気味の悪い笑みを浮かべていたイグナーツは、慌てて表情を取り繕った。


「あっ! ごめんね……男の子だもんね……気をつけるよ」

「何か誤解をしてないか? 何もしてないから、入って構わないぞ」


 何故か頬を赤らめながら、ティネは地下室へと入ってきた。一晩経ち、ある程度自由になっているイグナーツの側を悠々と歩く。


「調子はどう?」

「ああ。おかげさまで体がバキバキだ。久しぶりの硬い寝床も悪くはないな」

「ごめんごめん。今晩はちゃんとベッドを用意するから」


 眠たそうな顔でてへへと笑うティネ。謝っているようには全く見えないが、不思議と怒る気が削がれてしまった。


「お腹減ったね。ご飯にしよっか」


 ティネはくるっとターンし、ドアを大きく開ける。新鮮な空気が部屋に流れ込み、思わず深呼吸をしてしまう。


 ドアの外には、牢と同じ石でできた上り階段が見える。


「この部屋から出てもいいのか?」

「うん。体をここに残して、脱走しても意味ないでしょ?」

「そりゃそうだ」


 イグナーツはゆっくりと立ち上がり、ひたひたと素足で石の階段を登る。徐々に眩しい光と木の匂いが強くなっていく。

 そして階段を登りきったイグナーツは、周囲を見回して無意識に言葉が漏れた。


「……何だこの汚い家は」

「し、仕方ないよ! って、じっと見ちゃだめだよ!」


 ティネが腕をぶんぶんと振り回しながら必死に視界を遮ろうとしている。だが、後ろを見てもどこを見てもその惨状は変わらない。


 足の踏み場がないくらいに散らかっている本、まるで雑草が生えているかのように無秩序に床に置かれている実験器具、ゴミなのか研究材料か分からない植物の葉に根……。


 そして挙げ句の果には、洗濯されていないであろう白衣や下着までがそこらに脱ぎ捨てられていた。レースの付いた大人っぽいものもあったが、イグナーツは見なかったことにした。


「研究者はみんなこうなの! 見えるところにある方が効率いいんだから!」

「そうか。俺にしてみれば、とても人が住んでいるとは思えない散らかり用だ。まるでゴミやし――」

「言わないで! それ以上現実を叩きつけないで! 今から道を作るから!」

「家の中に道って……分かった、黙って待てばいいんだろ」


 ティネに睨まれ、イグナーツは肩をすくめた。下手なことを言って、過剰な刺激を与えてしまうのは得策ではない。


 床に散乱しているものを、ティネは端に動かしたり机の上に積んでいく。結局のところ寄せているだけで根本的な解決になっていないが、イグナーツは黙っていることにした。


 その間、イグナーツはさり気なく部屋や家具を観察する。

 壁や家具の状態を見る限り、さほど古くない家であることが伺える。一人で住むには広そうな家だが、彼女以外の人間が住んでいそうな痕跡は見られない。


 魔術的な罠や陣は見られず、突破されやすい木製の壁であり、とても魔族を閉じ込めている家だとは思えなかった。人間の体でも容易に脱走することはできそうだった。もちろん、本体という人質がある以上できないことだ。


「はい! 道できた!」

「獣道にはなったか」

「獣道言わないで!」


 即席で作られたテーブルまでの道を見て、思わず鼻で笑ってしまうイグナーツ。ティネは頬を膨らませながら、


「これ以上馬鹿にしたら、ご飯抜きだからね!」

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