第3話 天才魔草薬師の目的
イグナーツは肩から力を抜き、深呼吸を繰り返す。ティネの予想を遥かに越えた厄介さに、話せば話すほど諦めるという選択肢しか取れなくなる。
「分かった、お前の下僕になってやろう。魔術も使えず、人質もあるなら従う以外の道はないな」
「ほんとに?」
ぱっと表情を輝かせるティネ。表情に合わせて、髪もふわっと浮く。
傍から見ていれば、表情豊かで気さくな子供である。とても四天魔王を捉える知恵と知識の持ち主だとは思えない。
「ああ。男に二言はない。それに、お前はなんだか面白そうだからな」
そんな子供のどこに魔草薬師としての才能があり、その根源がどこにあるか……イグナーツは興味を持った。
「ただ……俺に出し抜かれても文句は言うなよ?」
「うん、分かってるよ。でも、人質があることをお忘れなく」
どれだけ凄んでも、ティネはけろっとした表情で応じる。
ティネは再びイグナーツの体が入ったフラスコに布を被せ、魔術の壁で隠蔽した。
「とりあえず、腕と足を解放して上げるね。まだ筋肉は弛緩してるだろうから、急に動かないようにね」
ポケットから錠を取り出し、イグナーツの手足を自由にする。ティネの言うとおり、体の気怠さで動くことすらままならない。
「ティネ、一つ聞きたいことがある。俺を下僕にしてやりたい事って何だ? ま、言いたくないなら別に言わなくてもいいが」
彼女を知る最短の質問であり、最大の疑問をイグナーツは投げ掛ける。
「隠すようなことでもないし、知ってたほうが効率いいかな」
ティネは壁にもたれかかり、指先で鍵をくるくる回した。
「魔族の魔力を使って、禁術を完成させたいんだよ」
ひゅーとイグナーツは口笛を鳴らした。
金でも名誉でも恨みでもなく、魔術の開発ときた。
「それなら道理は通るな。密度の高い魔力でなければ発動が難しい魔術は、少なくないからな。ほぼ全てが禁術級だった気がしたが……。で、ティネはその中でどんな術が所望か? ものによっては俺が教えることができるかもな」
イグナーツも過去、数多の禁術に手を出してきた。もしティネの完成させたい禁術がイグナーツの知っている術であれば、立場が逆転するかもしれない。
その光景を思い浮かべながらほくそ笑むイグナーツだが、
「無理だと思うよ」
当然のことだというようにティネは言い切った。
つくづく少女の言葉は、イグナーツのプライドに障る。三百年以上生き、四天魔王の中でも魔術扱いの器用さに自信があるイグナーツ。一言で一蹴され、さすがに眉をしかめた。
「……その素直さ、いつか身を滅ぼすぞ。で、俺じゃ無理な禁術とやらを教えてもらおうか」
どうせ不老不死や錬金術といった、下らない願望を術にしたいだけに違いない。そうすれば全力で笑って、容易く実現させてやろう。ただし、本人が望む結果と同じになる保証は無いが。
しかし、
「〝生命創造術(ゼノ・オリエンス)〟」
ティネの回答に、イグナーツは思わず体を起こした。
筋肉の怠さはまだ残っている。だが、それを忘れてしまうほどの衝撃だった。
「……今、生命創造術と言ったか?」
「言ったよ。魔力だけで生命を生み出す禁術だって」
〝生命創造術(ゼノ・オリエンス)〟。
人の細胞や免疫などを一切使わず、魔力のみで生命を作り上げる禁術の中の禁術。対象は人間だけでなく、草木や微生物にまで及ぶ。極めれば星すら飲み込む化け物を生み出すことができるとも言われている。生態系の崩壊に繋がるため、開発そのものが死刑に値する禁術である。
五十年前、魔族たちの住んでいた世界〝魔界〟は、魔力の枯渇により滅んだ。エルピスに移住する前、自力で魔力を生み出せる生命を開発しようと、生命創造術の研究が行われたことがあった。しかし失敗に終わり、誰一人として完成に辿り着けなかった。
より魔力と親密に生きている魔族ですらたどり着けなかった禁術に、この少女は完成させると言った。
「くっ、ははは! いやいや、よもやここまで面白いやつとは思わなかったな」
「どうかな?」
「魔族が諦めた禁術を前に、断る理由があろうか。代わり映えしない魔族生活よりも、四天魔王最弱と罵られる日よりも……遥かに楽しそうじゃないか。俺は気に入ったよ」
ティネが手を差し出すと、イグナーツは握手に応じた。
相手はただの人間ではなく、魔族を超える可能性を秘めた人間。
であれば、対等に接しない理由が見つからない。
「よろしくね、〝イグ〟」
「……ああ、よろしく」
小さくて、柔らかくて、ひねれば簡単に折れそうな手が、魔族が数十年かけても手が届かなかった境地へと挑もうとしている。
「じゃ、私は上で研究してくるから。必要な時になったら呼ぶね」
「ああ。どうせ逆らえない身だ。どうとでも使ってくれ」
ティネが部屋から出るのを確認すると、イグナーツは体を倒した。どっと疲れが溢れ出し、体を起こす気力も失ってしまっていた。
硬くて冷たい石畳の感触が背中から伝わってくる。
イグナーツの背にはいつも、柔らかくて温かい布団や背もたれだけが接していた。石に背をつけるなど、一体何百年ぶりだろうか。
「まさか俺が人に従う立場になるとはな。他の奴らに知られたらなんて言われるか想像もできんな」
四天魔王が人間に従うなど、前代未聞である。もし他の魔族が知れば、イグナーツは魔族一の笑い者となるだろう。四天魔王であったことすら忘れ去られ、恥の塊でしか認識されなくなる。
「ま、それは前と大して変わらないか」
四天魔王最弱と人間に呼ばれ始めるようになってから、いつしか他の魔族から舐められることが多くなっていた。配下にいた魔族すら、反抗的な態度を取るものも出始めていた。
「そんな日々を過ごすなら……魔族の届かぬ夢に手を伸ばす人間を見ているほうが楽しいか」
無理矢理自分を納得させながら、イグナーツは瞳を閉じる。
かくして、四天魔王イグナーツ=エフェンベルクは幼き人間に従う身となった。それがこの世界にどのような影響を及ぼすか、二人はまだ知らずにいた。
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