第2話 最も効果的な人質
にこりと微笑むティネの顔が、イグナーツには挑発としか受け取れない。一度深く深呼吸して、イグナーツは今の状況を再確認する。
閉じ込められているのは、窓一つ無い石製の部屋。部屋の外からは何の音も聴こえず、隙間風一つ流れ込まない。ここがどこであるか、他に仲間がいるかどうか一切把握することができない。
加えて自身は魔力を封じられ、指一つ動かせない体となっている。背後にドアがあるのだろうが、確認することができない。
考える間もなく、この状況は一人で打開できないとイグナーツは割り切ることにした。魔族として、四天魔王としてのプライドは全て心の奥深くに押し込める。
――生き延びるために何をすればいいか、だな。
ここで重要になるのは、少女の目的である。
何を求めてイグナーツを拘束しているか。それが何一つ分かっていない。となれば言葉で探りを入れるしかないが……頭の回転が鈍い今、彼女の言葉や所作から推測できるか怪しい。だが、今できることはそれしかない。
「今一度問うが、俺を下僕にすると言ったのは正気なのか?」
「正気だよ? 私は四天魔王最弱のイグナーツ様を下僕にしたいと思っているよ」
「最弱は余計だ」
たかだか殺した人間の数が少ないというだけで、最弱呼ばわりされることが気に障ってしまった。
沈めたプライドが僅かながら浮遊しかけたが、イグナーツは再び押し殺した。
「本当に分かっているのか? 魔族が……俺が素直に人間の指示に従うと思っているのか? 背中を見せた瞬間、首を捻り切るかもしれないんだぞ」
ティネはその場でくるくると体を回転させながら、イグナーツから遠ざかる。睨みつけながら低い声で脅しをかけても、ティネの瞳に一切の揺れがない。
「ふふん、強気だね。その言葉、これを見た後でも同じことが言えるのかな?」
回転を止め、ティネはしゃがみ込んで床に手を触れる。すると、ティネの足元に薄紫色の魔術陣が展開する。
そして、壁の一つが徐々に透けていく。
「魔術で作られた壁か。最近の魔草薬師はそんなことまで出来るんだな」
壁が消えたことで、部屋の広さは倍以上になった。隠されていた部屋の壁には棚があり、薬品やフラスコやスポイトなどの実験器具がびっしりと置かれていた。ここは牢屋ではなく、研究室なのだろう。
そして部屋の中央には、大きな布が覆いかぶさった何かが置かれていた。
「万が一布が取れたら困っちゃうからね。あなたの魔力を借りて、偽りの壁を作ったんだよ」
「俺の? どういうことだ?」
もし本当にイグナーツの魔力を使っているなら、力を抜かれる感覚が必ずあるはず。しかし、そのような感覚は一切ない。それにもし、他人から魔力を抜くという高難易度の魔術であれば、もっと大掛かりな道具や魔術陣が必要だ。
「それはこれを見れば分かるよっと」
ティネは思いっきり布を引っ張った。
そして中身を見たイグナーツの表情が驚愕に歪む。
「……それは……なんだ?」
イグナーツは〝それ〟を知っている。
しかし、あまりにも想定外の事態に、そんな筈がないと脳が理解を拒否してしまっている。
「分からない? 三百年近くの間、あなたと時を過ごしてきたものなのに」
「そういう意味じゃない。そういう意味じゃないんだが……」
全長三メートルはある大きなフラスコ。そこには赤紫色の液体がたっぷりと溜まっており、泡が沸々と湧いている。
そしてその中には、他でもないイグナーツの体が漬かっていた。傷一つついていない体に、複数のケーブルが繋がっている。
「これはあなたの元の体。魂は入ってないけどね」
人間は四天魔王を討伐すべく、ありとあらゆる手を使い挑んできた。しかし、魂そのものを抜き取り、挙句の果てに人間に入れ込むなど考えたこともなかった。
四天魔王を無力化し、人質を取った挙げ句、好き放題に魔族の体を研究できる。まさに一石三鳥となる、称賛に値する手だった。
「……なら、俺の今の体は何なんだ?」
「通りすがりの人間の体だよ。あなたを見つけた時、ちょうどよく近くに人が倒れてたから、ちょっと拝借させてもらったの。その人間も瀕死の状態で助からなかったんだけどねー」
イグナーツが両手を見ると、確かに自分の手と少し違った。暗闇ではっきりと見えないため意識していなかったが、明らかにイグナーツは別の体に意識を宿していた。
「なあ、俺の体にケーブル刺さりまくってるが、大丈夫なのか」
「大丈夫だよ。直接体内に薬を流して内臓機能の低下を防いでるんだよ。鮮度を落とさず、水々しさを保てるんだよ」
「……俺の体が人質になっているという状況は理解した」
「そういうこと。私があの液体を抜けば、あなたの体は魔力枯渇で消えちゃうからね。それに、あの体に精神干渉系の魔術を流せば、体と魂を繋げる回路(パス)を通ってあなたまで効果が及ぶよ」
にっこりと朗らかな笑みを浮かべながら、今度はティネが脅しをかけてきた。
イグナーツは納得した。なぜあれほどまでにティネが自信満々で、傲岸不遜な態度をとっていたのか。
そして同時に思い知った。
この少女が只者ではないということに。
「意識がはっきりとしなかったから気付かなかったが……今の俺は魔族じゃない。ただの人間だから俺に対して強気でいたんだな。しかも、元の体の命も握っているときた。ははは、こりゃどうすることもできないな」
例えティネを殺すための手段を持ち合わせていたとしても、イグナーツは元の体に戻る術を知らないため、ティネに手出しできない。魔術に加えて魔草薬の技術も組み込まれているとしたら、元に戻る方法を知るのはティネだけだろう。
「お前、案外いい性格してるな。魔族でも生きていけるぞ」
「ほんとに! ありがと。嬉しいな」
「褒めてないから。ったく、調子狂うな」
常勝無敗の王は初めて、完敗を味わった。
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