8.竜人の王子

 池を覗き込んでため息をついた。


 父さまが心配。


 父さまの所へ行きたい。


 でも、自分には何も出来ない。


 待っているしかない。


 水の中の金銀や赤、黒、三色など、餌をたいそう貰っているのか、随分と福々と肥えて大きな鯉ばかりが群れて大群となり、覗き込んでいる私の近くにやって来た。


 ぱく、ぱくと口を開けて浮かんでくる。


「・・・」


 鯉にあげる餌でも、貰ってこようかと思っていると、自分の背後で人の気配がして、あっと思った時には、覆いかぶさるように、父さまやアバルドおじさんよりも大きな者に後ろから、抱きすくめられていた。


 子供の私が、そうされると男にかくれて見えなくなる。


「・・番の姫よ、我と来るのだ」


 腹に響くような、聞き覚えのある男の声と、美しく煌めく長い金の髪がカーテンの様に顔の前に垂れ下がる。


 小さなこの体を難なくクルリと向きを変えさせて、男は私を自分の方に向ける。


やはり、どう見ても、男は竜人のハルマン皇太子に見える。


 私は前世では、こんなに近くから、まともに見た事は無かったと思う。とても彼を恐れていたので。


 恐怖よりも、驚きが勝ち、ただ相手を見やる。何て綺麗なのだろう。流れる黄金の髪は溜息が出る程美しい。


 相手が自分をふんわりと抱き込み、威圧をしてこなかったせいもあるのだろう。


 蒼天の様な深く蒼い瞳は、黒い縦に割れた瞳孔がドクリ、ドクリと収縮して私を見ているのまでわかる。


瞳の虹彩までもが、ハッキリと識別出来る様な至近距離だった。


 その周囲を金色の眩い睫毛が取り囲んでいる。


 あまりに近すぎて、その瞳に吸い込まれそうだ。



「なん・・で、ここに、いる・・の?」

 

 自分に今起こっている事が信じられない。


 切羽詰まった状況だと言うのに、少しふうわりと甘い香りがするような気がする。


これは、やっぱり、幻でも、気のせいでも、見間違えでもない様だった。


 どうして竜人国の城の地下で封印されているはずのこの人が、私の所にいるのだろうか?


「お前を連れに来た」


「えっ・・・」


「私と一緒に、行くのだ」


 立ち上がり、そのまま私の両脇に手を入れ、私の顔の位置を自分の顔の位置までもち上げる。


 ぶらーんとぶらさがっている感じだった。


 でも、何処かに連れて行かれると思うと級に恐ろしくなった。


 父さまと離れるのは絶対いやだったからだ。


「やだ、降ろして、降ろしてよ!行かない」


 突然、私がジタバタ動き回っても、首を横に少し傾けて、ぶら下げて観察するように、じっと私を見ている。


「もう、間違えて殺したりしない、そっと触る。傷をつけたりしない」


「やだ。わたし、父さまのところに行く、父さまの‥」


「だめだ、他は全部いらない。お前だけでいい事にした。だからお前は私と来るのだ」


 男の眼が私の瞳を覗き込み脳の中を覗かれた様な気がした。


 なんか、ものすごく勝手な事を、この人が今言った気がする。


「ふぁ・・」


 グルグルと頭の中が回っているような気がした。私は知らなかったが、それは酩酊した時の様な状態になっていたのだ。


「大丈夫だ、眠れ」


 眠っちゃだめだ。だめ、父さまの所に行かなければならない。


「だ・・め・」


 いう事を聞いてなるものかと、落ちて行こうとする意識をとどめようと頑張ったが、抵抗虚しく深い場所に落ちて行く。


 私を抱きしめ優しく背を撫でるのは、父さまではないのだろうか・・


 似ているけど、私が顔を預けている肩には美しい金の髪がある。


冷たいけど柔らかい何かが、私の頬に押し当てられた気がした。


そして、眠りの淵に落ちて行く、私の耳のピアスをそっと抜き取り、池に投げ捨てた。



 






 

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