第二章
1. シャナーンの魔術師
この大陸はシャナーンと呼ばれるエルフの大陸だ。
エルフは人に比べ身体能力が高く、森の民と呼ばれるように狩りの能力などに長けている。
エルフは人より長命で、容姿は麗しい者が多い。
元々美しいのが普通なので、その中で麗しい者と言うと、ただ人から見れば相当なものだろうが、ここはほぼエルフの国だった。
手足が長くスラリとして、耳が少し尖っている身体的特徴を持つ美しい種族。
魔力を持つのはやはりエルフの王族、貴族で、一般のエルフは魔力は生活魔法を少し使える程度だ。
まったく持たない者も中にはいる。
だが、エルフは身体能力が高いので、魔力を持たなくとも住む場所や仕事を選べばそれなりに暮らせるのだ。
※ ※ ※
エルフの王国、アルカトルネのサバルディアーノには壮麗な白亜の宮殿がある。
そこでは今、最高位の大魔術師である男が辞表を出す出さないで城の宰相と国王とで揉めていた。
「ですから、私は妻が残してくれた娘と、娘が大きくなるまで静かに田舎暮らしをしたいのです」
「そんな、ジェイフォリア!ひどいではないか、幼馴染の私を捨てて出て行くと言うのか」
「そうです」
「・・・」
国王の言葉もバッサリ切り捨てジェイフォリアと呼ばれた男は国王に向き合った。
「私の愛する妻が亡くなった此処に私は居たくない」
彼は黒く長い睫毛を伏せて悲しみに耐えるような表情をした。
「お前の愛する妻は私の愛する妹だった。その気持ちは共有できるではないか」
国王の目の前には黒髪を背に垂らした黒い瞳の性別さえどちらとも言えない程の超絶美麗な人物が居て、彼と向き合っていたが、彼の悩ましい仕草に思わずはっとさせられるような、思わず支えたくなるようなその悲しみの姿に手を伸ばす。
「それとこれとは別です」
それを、さりげなくスカッと避けられた、スカ。
「・・・」
「ま、まあまあ、クロニクス殿、貴方の大切な生まれたばかりの御令嬢は容姿は貴方に似ていて、同じ黒髪持ちだそうではありませんか、すでに婚約申し込みまで殺到しているとか、生まれた時から幸せが約束されているような幸せな御令嬢をなぜ辺鄙な場所に連れて行く必要があるのですか?」
このエルフの国では、魔力が強ければ強い程、髪や目が黒に近い特徴を持っていた。
そして、現在の所、純粋な黒髪と黒瞳持ちは、ジェイフォリア・アマダニス・クロニクスという名のこの大魔術師只一人。
あわてて口添えする宰相だが、ジェイフォリアの冷たい一瞥に押し黙る。
「ザッカス宰相殿、私は国には今まで沢山尽くしてきました。ですが妻の死に目にも会えませんでしたし、娘も危うく亡くす所でした、もう国に付き合って大切なモノを無くすのは止めます」
「やめますって、貴方、そんなに簡単には、」
だが、黒髪の超絶美人はすっくと立ちあがる。
「ジェイフォリア!まって・・」
ヴォン……という音と共に、ジェイフォリアと呼ばれる大魔術師の足元に、青色の輝く魔法陣が浮き出た。
そして、国王と宰相を部屋に残し、アルカトルネ国一の偉大なる大魔術師、ジェイフォリア・アマダニス・クロニクスは魔法陣に吸い込まれていった。
床にはペラリと辞表が落ちていた。
以降、彼の行方は長い事、全く分からなくなった。
王都の広い屋敷はもぬけの殻。彼の行方を示すものは何も無かった。
産まれたばかりの赤子を連れて、アルカトルネ国一美しいと言われた最強の魔術師はすっぱり、さっぱり行方をくらましてしまったのだった。
シャナーン大陸には黒髪のエルフは他には居ない。黒髪は魔力が高い証なのだ。
他に居ないなら、すぐに見つかりそうなものだが、彼は大魔術師だ。姿を変えることなど朝飯前だった。
※ ※ ※
他国との軍事合同演習に出ていた私が、産気づいた妻の元へ駆けつけた時、その直前に妻は亡くなっており、娘は死産だと言われた。
その子供の亡骸に手を当てた時、突然娘は息を吹き返したのだ。
生まれたばかりの子猿のようにシワしわだった赤ん坊が突然息を吹き返し、世界中で一番可愛らしい声を出して泣き始めた。
私の妻は国王の妹だった。
幼馴染で婚約者で、見た目は妖艶な美女だったが、子供の頃から性格はキツく、大変我儘な女だっだ。
いつも何かと私の傍にいて、魔術以外に興味のない私に纏わりついて、あれこれ指図するので面倒だったが、そんな中、私にだけ見せる可愛い部分もあった。
そして、そんな性格と外見に反比例して、とても体が弱かった。
いつもそれを盾に彼女に主導権を握られていたような気がするが、それに甘んじていた私は彼女に甘えていたのだなと今ならわかる。
子供がどうしても欲しいと言って譲らず、そういう事も致した訳だが、結局、私が獣人国との毎年の合同行事である訓練中に出ている中、彼女は早産で亡くなってしまったのだ。
『ねえ、ジェイ、大好きよ、絶対ジェイに似た子が欲しいの、お願いよ』
結局、それも彼女に押し切られ、子供も作る事になってしまった。
そして、亡くなった彼女の美しい金髪をひと房切り取り形見とする。
今更何をどう考えても彼女は戻って来ない。妻はこうすると決めたらテコでも動かない女だった。他の選択肢は、今考えてもない。
息を吹き返した子供は黒髪で、外見的には私に良く似た女の子だった。
私は、子育てなどもちろんした事も無かったが、その時子供に纏わりつく異常な気配を感じ、早急に子供を連れて身を隠す必要性を感じた。
そう、息を吹き返した子供は何かしら別々の気を複数纏わり付かせていた。
気に入らない気を遮断し、娘に守護と祝福を与える。
それが何なのかは、私にとっては大した事ではなかった。
全てはこの世の理により回っている。
そして、私に必要なのは、彼女が残してくれた子供が息を吹き返したと言う事実だけだった。
それは、今後私が生きていく上での道標だった。
私の持つ伝手と魔術の力を最大限駆使して、子供と私の住処を用意した。
私の愛する娘を、まずは隠すべき者達から隠さなくてはならない。
子育て用の様々な品は妻が用意していたものを全て持って行くことにした。
あとは子育て等に必要な医学書や育児書と、これからの生活に必要な必需品などだったが、もう考えるのは大変そうだったので、屋敷にある殆どのモノを自分の扱う空間へと放り込み持って行くことにした。
必要に応じてそこから出して使えば良いだろう。
そう言う所はわりと大雑把だった。
私はこれから先の私の時間をこの小さな命を守るために使うと誓った。
なぜならば、なくなった妻は私に子供を残す為に命をかけたのだから。
彼女は、私が彼女を、自分が思っているよりも愛している事を、私よりも理解していたのかもしれない。
自分の寿命を知った上で、私の為に子供を遺したのだ。
「フム、赤ん坊が泣くのはミルクが欲しいか、オムツが汚れて気持ち悪いか…あとは具合が悪い時か、それか…」
育児というのは、奥が深い。魔術よりも複雑だが……
だが、何か一つがうまく行かなければ、必ず傾向と対策を考えるので、大抵の事はすこし手順を考えれば出来るのだと分かった。
何よりも、この子が、私を見て無邪気に笑いかけてくる、その何とも言えない愛おしさは、今までに感じた事が無い程の暖かい物を私にくれた。
「生まれたばかりの赤ん坊は三時間置きくらいの感覚でミルクを欲しがる…」
赤ん坊を腕に抱き、取り合えずの逃亡先の森の家で、私は本をめくる。
「ミルクを飲ましたら首が座っていないので、手を首がカクンとならない様に後ろに添えて、自分の肩に首をもたせるようにして、背中をとんとん…」
気を付けて優しく優しく赤ん坊の背をトントンする。今まで誰にもこんなに優しく触った事はないと思う。
「グェぽ」
と言う赤ちゃんのゲップが出ると、彼はよしよしと褒めながら優しくその背を撫でた。ちょっと口からミルクが垂れたが柔らかい布で優しく口元を拭う。
浄化魔法をかける事も出来るが、そこは『手を掛けると言う事が大切』らしい。
『スキンシップ』はとても大切だと、サバルディアーノで100年程大ベストセラーの育児書に書いてある。
でも、自分の洋服と布に付いたミルクは洗濯は面倒なので浄化魔法をかけておく。
私は自分で洗濯と言うのをした事がないのだが、娘のこれからの教育のためそう言う事も必要になるのだろうとも思う。
私の娘は、私の黒髪と瞳を受け継いでいるが、この子の持つ魔力はそう強くない。それが何故なのかは、恐らく一度心臓が止まり生き返った事が関係するのだろう。
私が息をするように使っている浄化魔法や他の様々な魔法を彼女がどこまで扱えるかはまだ未定である。
けれども、エルフの国でも魔力の弱い者やない者も生きている。
私は、娘が自分の力で狩りをし、逞しく生きるエルフ本来の森の民の様に生きて行けるように育てたいと思っているのだ。
そして、娘に、ニコリアナと言う名前を付けた。
妻の好きだった野に咲く白い花の名前だ。
「ニコ、愛しているよ、私のニコ、早く大きくなれ」
妻が生きていた頃には滅多な事では口に出さなかった言葉を娘には惜しみなく与える。
私の言葉に連動するように、一つの小さい光が二人の周りをくるくる回る。
それがニコリアナが息を吹き返した時に現れ、彼女の傍にくっついていたのを私は知っていたが、彼女を守る為に付いているが分かっていたのでこちらの気配には知らぬふりをしていた。
「…お前は何物かはわからぬが、私のニコを傍で護りたいのであれば、私と契約するか?そうすれば私の力を分けてやるが、それは私に使役される事となるぞ」
私が光に話しかけると、光は理解したようにジェイフォリアの周りを回り始めた。
「そうか、ならば契約する、我の僕となりて愛し子を護れ」
床に魔法陣が現れ、小さい光は魔法陣の中でぐるぐると回り始める、下から獣の足が現れ段々と上に光が上がって行くに連れ、姿が現れて行く。
「何だ、お前はネズミか?我が娘は面白いモノを連れて居るな」
「ヂイッ!」
「違う?どこが?まあいい、形はネズミではないか、尻尾はリスか?」
「ヂーッ」
「文句を言うな、お前は…そうだな、当面『ネズミ』だ、そのうち娘に名付けして貰え」
「ヴるるる」
「よし、お前はこれから私の相棒だな」
それから、私とネズミの長い付き合いがはじまることになる。
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