2. サントルデ村に暮らす

 サントルデ村はとんでもなく辺境にある田舎の村である。


王都からこの村に普通に来ようと思うと、馬車や馬を乗り継いで来れば数か月かかる位には離れている。


 しかしながらこの様な辺鄙な村は数え切れないほどシャナーン全土にあるので、珍しくは無い。


 ほぼ自給自足な生活であり、そんな所に雅な宮廷魔術師だった者が来るなど誰も思わない。


 行方を捜す王や宰相なども、公爵家出身の絶世の美貌の持ち主で、黒髪持ちで魔術の天才が、何もないド田舎で庶民に混じって暮らす等とは天地がひっくり返っても思いもしない事であったので、そんな場所を探しに来るわけも無かった。


 ジェイフォリアが身を隠すとしても小奇麗な田舎の貴族の別荘を借りて、ベビーシッターを雇って暮らして居るだろうと思っているので、見当違いの場所ばかり探している状態だ。


 もしも彼が、自分で狩った獣を、吊るして血抜きして解体して、焼いて食べるなんて言えば、お願いだからやめてくれと言って止めるだろう。


 彼はこの村でジェイと名乗り暮らして居る。商業ギルドの依頼で僻地の薬草を研究する為に、サントルデ村に来た事になっている。薬草の研究者という肩書だ。

 彼の叔母の商会を通しているので、調べられたとしてもボロは出ない。


 実際に魔術だけでなく、薬草にもかなり造詣が深い彼には、違和感なく出来る仕事なのだ。


 もともと稼ぐ必要はなく。彼の目的は、娘を守りながら自然の中でのびのびと逞しく育てる事なので、薬草の研究については趣味でやるつもりなのだが、辺境の村で不足している薬はとても喜ばれる。村に溶け込むのには、一石二鳥という訳だ。


 この村には治療院もなく、薬師も居ないので薬を作れるジェイが村に住むのを村人達は皆心から喜ぶ。


 村で何か欲しい物があれば、薬と交換してくれないかと逆に言われるのだった。


 この村での生活は、クロニクス公爵であるジェイフォリアの父親の姉である、叔母が世話をしてくれた。叔母は限りなく黒に近い焦げ茶色の髪をしていて、魔力が強く変わり者として有名である。


 彼女は一度は結婚しているが、相手の高位貴族とは別れて、その後独身を通している。その相手との間には子供は無く、彼女には天性の商才が有ったので幅広く商売にも手を出し、商会も持っている。


 その上、『クロニクスの魔女』という字名をもっていて、一筋縄ではいかない女性である。彼女は神出鬼没だった。とにかく足回りが軽く、国中のあちらこちらに別荘を持っていて、交友関係が広い。


 そして、昔からジェイフォリアの良き理解者でもあった。


 彼女の知り合いの冒険者だった男が、冒険者をやめて辺境の村で自給自足で暮らしていると言うので、叔母が彼に紹介してくれたのだ。彼の親戚だと言う事にして村の空き家を借りた。


 妻を亡くした子連れの男やもめと言う事で最初から村の人達は皆とても好意的だった。冒険者だった男と言うのは、アバルドと言う名の男で、村の外れの森の近くの家に住んでいる。


 年齢は120歳だがエルフなので人族の感覚で見れば30代位にしか見えない。若い頃には妻と子供が居たらしいが、エルフが罹ると死亡率の高い流感で妻子とも亡くし、以後結婚はせずに王都の近くで冒険者をしていたと言う。


 この村は彼の妻の出身村なのだそうだ。


 そのアバルドの住む家から少しだけ離れた場所にある空き家を整備して、すぐに住めるようにしてくれていたので、到着した日からジェイフォリア親子と一匹はそこに住んでいる。


 その家のすぐ裏には小さな山水の流れる小川が流れていて、上流には森と山があり人は住んでいない。


 アバルドは、ジェイフォリア親子の田舎暮らしの生活の面倒を見るという仕事を請け負ってくれた。彼には、魔女を通して対価の賃金が、一年分既に前払いされている。


 その賃金は法外な金額だったが、古い知り合いの魔女の頼みなので訳ありでも断るという考えには至らなかったようだ。


 ジェイフォリアの借りた家の一階は空き部屋が二つと、居間と台所の続き部屋、風呂とトイレがあり、その全てにジェイフォリアは見た目はあまり変えずに住みやすいように魔術で手を加えたようだ。


 広い方の空き部屋の一つは薬草の管理と薬の調合に使う事にして、テーブルやイスや棚は簡単な物をアバルドが造る事になった。彼はとても器用な男だった。


 外には、納屋もあるのでそちらも使えるようにしてあった。


 アバルドはジェイフォリアが魔女の甥である事は彼女から聞いていて、魔術師だと言う事も聞いていたが、全く詮索をしなかった。


 取り合えず、一年契約でジェイフォリアの村での生活の面倒を見る契約が成されている。




   ※   ※   ※




 私が、薬草で薬を作ったり研究する為の、ある程度の種類の薬草は、ほぼ例の収納に揃っているが、此方の地方にある薬草にも興味があるので採取するのを楽しみにしていた。


二階はベッドが入っている寝室とガランとした家具のない空き部屋が2部屋ある。取り合えずはその一つをニコリアナの子供部屋にすることにした。


 とは言え、特に台所、トイレ、や風呂等の水回りは魔術式を組んで不衛生にならない様に王都で暮らしていたのと変わらない水準に整えた。


 台所には昔ながらの窯以外に、すぐにお湯が沸くポットや火を入れれば上で物が焼けるストーブ等も収納から出して置いた。全て魔術式が組み込まれた、動力が魔石の魔道具になる。


 がらんとした風呂は一応タイルのように石を張ってあり、水を汲んで体を吹いたり流したり出来る様にしてくれていたので、そこに不似合いな猫足の優雅なバスタブを収納から出して置いた。これしか持って来ていないので仕方ない。わざわざここに似合うような、道具を買うのも面倒だ。


 壁には真鍮製の優雅な形のカラン(蛇口)を付け、土魔法で小川から風呂の中まで水路を造り水を引き、魔術式を組み、魔石をはめ込み、直接カランを捻れば湯が出るようにした。とてもちぐはぐな印象がするが、まあ良いだろう。


 例の育児書には風呂での遊びながらのスキンシップも大切だと書かれていた。


 乳児をつけて洗う風呂がわりの『タライ』も必要だ。


『タライ』は私の生活圏には無かったので収納には入っていない。

アバルドに手に入れてもらう様に頼まなければならない。


 私だけならば魔術で浄化を使い、あまり人間臭くない生活をするだろうが、今から大きくなる娘の為に出来るだけ庶民の生活に近づけた環境にしてみるつもりだ。


 それもまた、本を片手に一般的な家と言う造りを参考にしているのだが、自分の持つ本自体が貴族用の物なので、結局出来上がった生活空間は家の外観と内部がそぐわない物になっていた。


 私は生まれが公爵家の次男で年齢は45歳になる。長男は20歳年上で、次の宰相だと言われている。


エルフは長命で貴族であれば500年以上生きるのが普通なのでまだ若造と言われる年齢だ。見た目も20代前位にしか見えない。


 魔力の強い事で有名なクロニクス公爵家の出身であり、幼い頃から神童と呼ばれた。年齢が20代になる頃には並ぶ物が居ないと言われ、国から大魔術師の称号を与えられた。


 私にしてみれば、いい迷惑だった。


 興味のある事への探求心が強く、研究者肌で、その様な仕事だけをして暮らしたかったが、その称号の所為でそうも行かなくなった。


 シャナーンで『大魔術師』の称号を持つ者は私のみである。


 だが祭り上げられて望まぬ役職をこなす人生よりは、研究者としてもっと色々な事を探求したいと常に思っていた。だから、今からの娘との新しい生活を存分にに楽しむつもりだ。


 これは妻が、自分にくれたプレゼントだと思っている。


 そして、娘を育てていくのに私には良い相棒が出来た。


 それは、アバルドと、娘にくっ付いていた、獣だ。


 もともと彼女についていた獣の魂だが、私の使役獣になりニコリアナをいつも守っている。あの獣の魂は、娘を守りたいが為に憑き物になったのだろう。


 見た目は大きなネズミかリスのような愛玩動物に見えるので、普通にペットとして娘の傍に置いておく事にした。




     ※         ※         ※




 魔女からの連絡で『甥』を託された俺は、魔女に指定された宿があるベルクラ領の田舎町まで彼女の甥とその娘とを馬車で迎えに行った。


 魔女には恩義があり、彼女の頼みならば少々の無理もするつもりで居た。

 彼女の甥とその生まれたばかりの娘を村で暮らせる様に面倒を見てやってくれと言う依頼だ。出来ればその娘が大きくなるまで、その村で自然の中でゆったりと育てられる様に、甥の望む様に手助けしてやってくれと頼まれた。


 彼女が貴族なのは知っているので、かなりの訳ありなのだろうと予想出来たが、仕事は精一杯果たすつもりでいる。それに子供は大好きだ。


 馬車でベルクラの往復は一日かかるので、朝暗いうちに迎えに行った。

おそらく帰りは暗くなってからの到着になるので、カンテラも用意が必要だ。


 だが、待ち合わせの宿に居た男はとんでもない程の美人だった。簡素な綿のシャツにトラウザーズとブーツ姿で娘を抱いて現れたが、目立つ事この上なかった。


 身長は高く、ほっそりとした美しい立ち姿だったが、ありふれた茶色の背中までの直毛を紐で一つに括るという、在り来たりの姿をしている。それなのに、近づくと毒気を抜かれる程の『別嬪』だった。ここまで来ると、性別等関係ないのだと初めて知った。


 その宿に居合わせた者は、男も女も皆、目を奪われ動きが止まっている。


 横にリュックをしょって、ちょこちょこ二足歩行で付いて歩くネズミが御愛嬌だったが、これはヤバいと感じた。


『あまりにも目立ち過ぎる、早く村に連れて帰ろう』

 彼は、彼の叔母の魔女に、雰囲気も顔もよく似ていた。


 なので、挨拶もそこそこに、人目を避ける様に馬車に乗せ、村へ急いだ。


 帰りの馬車では、ジェイフォリアと名乗ったその別嬪が、乗り心地が悪いので手を加えると言って、揺れない上に異常な速度で馬が走るように魔術を組んでしまい、夕方前には村の外れにある家に着いたのだった。


 御者台に座っていた俺は、飛ぶように過ぎ去る景色に呆然としていた。


村に着くと俺は、ジェイフォリア親子が 住む家の前に馬車をつけ、外からドアを開けた。一方の座席にはジェイフォリアが座り、反対側の座席には『ネズミ』が赤ん坊を抱いて座っていた。


 ふさふさのリスの様な尻尾が床に垂れている。

 思わず目をゴシゴシ擦って見たが、間違いなかった。


 ジェイフォリアはネズミの尻尾を避けて座席から立ち上がると、赤ん坊を受け取り左腕に抱き右手でドアの枠を持ち降りようとしたので、思わず俺は手を差し出してしまった。


「すまぬな」と言い、ジェイフォリアは俺の手に自分の手を乗せ、ゆっくりと優雅に馬車の段を降りた。


 自分の行動に唖然とした俺の、そのまま固まった手に、ネズミが手を乗せヒョイと飛んで降りて行ったのを見て、我に返った。


ネズミが鼻で笑ったように見えたのは気のせいだろう。たぶん…


夕食は俺が前日から用意しておいたシシ肉と根菜の煮込みと村の知り合いの家で焼いて貰っているパンだった。


一緒にその日は、ジェイフォリアが住む家で食事をした後、寝室や部屋を案内して、朝食は明日7時位にここで作って一緒に食べると言って、すぐ近くの自分の家へと帰った。


使った皿まで洗って片してしまった…明日は皿の洗い方からまずは教えなければならないな、と思う。


 しかし、あの魔女によく似た…それ以上の、別嬪過ぎる程別嬪の、男が来るとは…


 嬉しいような悲しいような、とても微妙な気持ちがした。






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