2. 竜王国からの使い
シロアナは、人族の大陸スルニードの小さな領地の村に居る、小作農民の娘だった。兄と妹と弟が居て、父と母と祖母がいる、とても貧しい農民の子供だ。
村の片隅にある貧相な小屋で、家族七人肩を寄せ合い暮らしていた。
だが、暮らし向きは苦しくても、家族仲は良く、皆おおらかで楽天的な気性の持ち主だったので、そんなに悲壮感は漂っていない。
生まれた時から貧乏が当たり前で、その暮らししか知らないのだ。
この村は同じような小作農民達ばかりで、冬を越す事でさえ命がけだ。
シロアナの祖父も風邪をこじらせまだ若いうちに亡くなり、大人の男手が父しかいないので、暮らしもよそより苦しい位だった。
※ ※ ※
そして、初夏のある日。私が十四歳になった年だった。遠い竜王国ヴァルドフのダギゼクスから、ワイバーンの竜騎兵の一団がニキ村にやって来たのだ。
竜騎兵達は全員で七人居た。順々に竜が降りて来る風圧で、実った小麦がざわざわと波打うつ。何事かと、皆、小屋の様な家から出て来て遠巻きに見ていた。
竜人族はとても体が大きく、人族の農民から見れば巨人の様に背が高く、身体も大きい。けれど竜人族だと見て直ぐに分かったのは、ワイバーンに乗っていたからだ。
ファルルカナンの世界では、ワイバーンに乗るのはたいてい竜人族と決まっている。
ワイバーンは自分より強い者の言う事しか聞かないらしい。
そして、ワイバーンから降りてきたのは、やはり大きな竜人達だったのだ。
竜騎兵の一人が、シロアナと言う十四歳の娘はどの娘かと尋ねた。
すると、村人の一人が私の家を指さし、あの家の娘だと答えた。
私の家族も外で竜騎兵が飛来してくるのを見ていたが、今度は歩いて自分達の方に向かって来るので震え上った。
竜人達が人族の国に舞い降りて来るなんて、良い事である訳が無い。
普通は他国に入るには必ずその国の許可が必要になるが、竜人達は傍若無人にも、いつも勝手に他国に入って来るのだと言われていた。
そして目の前までやって来ると、竜人達の中で一番態度の大きい男が、父さんに向かって重そうな革袋を三つ投げて寄越した。
「お前の家の娘シロアナを竜人国にもらって行く。これは娘の代金だ」
すると、横に居た他の竜人が慌てたように間に入り、説明してくれた。
竜王国ヴァルドフの皇太子の番が、人族の大陸スルニードのラットリア領地にあるニキ村のシロアナという娘だと、預言者が予言したと言うのだ。
「あのっ、なっ何かのまちがいじゃないですか?」
私は慌てた。このままだと、連れて行かれる、何か言わないと!
「預言者の言葉に嘘偽りはない!」
怒りを含んだ低音の大きな声で怒鳴られて私は縮み上がった。見下ろされて、ただでさえ小さいのにもっと小さくなったような気がした。
竜騎兵の竜人族達は皆、二メートル前後の大男ばかりだった、小柄でやせっぽちのただ人の私にはやっぱり恐ろしい巨人族に見える。
その巨人たちの顔を見る勇気も無く、立ちふさがる壁の様な身体を見つめて震えるばかりだ。
※ ※ ※
栄養状態の良くないシロアナは140㎝台のやせっぽちな娘だった。
人族で魔法を使う王族や貴族の中には体格が良く背が高い者もいるが、せいぜい185㎝、庶民に至れば、高くとも175㎝位だろう。シロアナの父親は170㎝もない。
そして、シロアナはいやも応もなく、世界一恐ろしい力を持つ竜人達の国、竜王国の王都ダギゼクスにそのまま連れて行かれる事となった。
竜人に抵抗など出来る筈もない。
竜人は竜にもなれると言われていた。
家族には、金粒がどっさり入った袋が三袋渡された。それには、今後一生働かなくても暮らして行けるだろう価値があった。
だが、シロアナの家族たちは涙を流し、兄妹達は行かないでくれと泣き叫んだ。
しかし、誰も助ける事など出来るわけもなかった。竜騎兵の隊長の男に尻込みするシロアナは無理やりワイバーンの背に乗せられた。
竜騎兵の騎兵隊の隊長はハルマン・ダ・ザークと名乗った。その人物はとても横柄で高圧的な竜人だった。シロアナを怒鳴った竜人だ。
竜人からすれば、人など何の力も持たないつまらない存在だ。その上、魔力無しなど、竜人からすればゴミランクだ。
シロアナはもちろんワイバーンに乗った事はなく、恐ろしくて後退りしたが、首根っこを掴まれたまま、竜に飛び上がったハルマンにそのまま竜の背に乗せられた。その時、首が服で絞められ、意識が遠くなり、気付くともう故郷の地を飛び立っていた。
※ ※ ※
私は家族と別れすらまともに出来なくてとても悲しかった。
貫頭衣のような簡素で接ぎが彼方此方当たった汚れの目立つ生成りの綿のワンピースの下に、足首近くまである同じ綿の接ぎの当たった粗末なドロワーズを履いていたが、足は汚れた裸足だったし、大男の前に座らされて落ちないように物の様に胴回りを革の帯で括られていた。
そのまま空に飛びあがった竜騎兵の一団が彼方へと飛び去って行くのを見えなくなるまで家族は見送っていた様だ。
その後、私は小用に行かなくてもすむ飴とやらを口に入れられた。
飴なんて食べた事がなかったし、それ自体は甘くてとても美味しかった筈だが、恐ろしさに味がしないのだ。
それを涙ぐみながら一生懸命咀嚼した。ワイバーンの背はゴツゴツとした濃い暗緑色だった。
竜人は竜にもなれて、形はトカゲに似ている。その身体は領主様の住むお城よりも大きいのだと聞いた事がある。怖い。
それに、番と言っていた。番って何だろう。
私は、魔法を知らなかったが、高い場所を飛んでいるのに自分に風が当たらないのは、魔法を使われていたからだろう。
慣れない浮遊感に気分が悪くなり、降ろしてくれと何度も震える声で頼んだし、寒さも何度か訴えたが、聞き入れられなかった。
「さ、寒い」
無視、という感じだ。
「降りたい」
無視。
竜人のような強靭な身体を持たない人間の私には色々と耐えられない事だらけだった。
この、人の脆さは、強靭な身体を持つ竜人には理解できない感覚なのかもしれない。
我慢に我慢を重ね、そのうち気が遠くなっていった。
※ ※ ※
色々と面倒くさくて、ハルマン自身の身体と合わせて娘の身体を皮の帯で胴回りを留めていた。小さくて小汚い娘を本当は触るのもいやだったが、祖母からの命令で迎えに行くのは絶対だった。
そのハルマンも、急にカクリと首を落とした小さな娘の髪を掴み上を向かせると、小汚い娘が紫色の唇をして血の気の無い顔で目を閉じていた為、流石にこれは死にかけているのかもしれないと思った。実際、扱う時の力加減が良く分からない。ちょっと力を入れただけで、キュッとなって気を失うのだ。面倒臭い。
艶のないカサカサの藁のような髪だと思った。なんと貧相な娘なのだ。死んでくれたらいいのにとも思ったが、番を連れて帰らなければ、皇太子を降ろすと祖母から言われたのだ。それに番には色々といわれがある。
そう、ハルマンは皇太子自身だった。
自分の番を自分で迎えに来たのだ。
あの祖母はやると言ったらやるのだ。ヴァルドフで一番力を持つ竜人であり、預言者だった。
別に、父王は王妃の母が番でなくとも上手くやっているではないか。
人間の番など欲しくない。そう思ったが、生まれた時から皇太子として扱われて来た自分がそうでなくなるというのは納得出来なかった。
人族の村に連れに行ってはみたものの、予想も追いつかない程の貧相さで、埋めるか燃やすかして消したい位だったが、そういう訳にも行かなかった。
そもそも、竜人にとって番とはとても大切な者だと教えられて育った。
それなのに、自分の番が人族の魔力も持たない底辺の者だとは、到底受け入れられなかった。
※ ※ ※
ハルマンの合図で地面の上に降り立った竜騎兵隊の中で、副隊長のジルドは、娘の状態を見てすぐさま毛布で包みその上を寝袋のようなモノに包んだ。
このジルドはシロアナの父親に丁寧に事の次第を説明していた竜人だった。
シロアナは人間ミノムシの様になってジルドの竜に荷物よろしく乗せられたが、彼はハルマンと違いとても丁寧にシロアナを扱った。
そしてワイバーンに括り付けられている荷物の中からポーションを出すと直ぐにシロアナの口にそっと指を突っ込み口を開けさせて液体を口に流し込んだ。
すると、シロアナの頬が薄っすらピンクに色づいた。
「ハルマン様、おばば様から言われていたではありませんか、人間は綿の様に柔らかく、竜人の息を吹きかけただけで死に至るような存在であると。何故、ちゃんと気遣ってあげられないのですか?この方が亡くなれば困るのは貴方ですよ。人間とは言え、貴方の番となる方です。だからわざわざ貴方をおばば様は差し向けられたのではないですか。あなたを皇太子として試されているのがわからないのですか?このようなお小さい方に何故のしうちですか?大切に扱ってあげて下さい」
「うるさい、わかっている、ただ、ここまでヤワな物だとは思わなかっただけだ」
皇太子にこのような口を聞けるのはジルドが乳兄弟だからだ。
ジルドは死にかけたシロアナの手当を済ませると、その後自分の竜にシロアナを乗せ、他の竜騎兵達と魔法で守りながら意識のぼんやりしたシロアナを何度も地上に降ろし、気付けとなる薬や栄養となるポーションを口に含ませながら時間をかけて旅をして、ダギゼクスまで戻った。
ポーションは大変高価で効力の確かな物を使い、シロアナはその後あまり苦痛を感じなくて済んだのが幸いだった。眠りながら空を旅したと言えばよいかもしれない。
竜人がいくら人族を見下しているからとは言え、竜王の番というその存在を無くしては良い時代が来ないと分かれば皆それなりの敬意を払うと言うものだ。
すでに預言者がシロアナを番だと言っているのだから間違いない。
そうして、当のハルマンは、娘を気遣いながらの時間のかかる旅に途中で勘気を起こし、やってられないと一人先にダギゼクスに帰ってしまった。
「もう、連れて帰っているのだから、文句はないだろう」
という言い分によるものだった。
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