人間とトリコックスとアオメムシクイ

 ここから1990年9月までの期間は狂気の時代と呼ばれている。ヒトは人間・トリコックス・アオメムシクイの三種を殺しまくった。と言っても、全身を巡るトリコックスを殺す方法は遂に判明しなかったので、感染者を処分するしかなかった。アオメムシクイを食べた人、発症者の近くにいた人。もちろん、自分が感染者の可能性があっても殺されると分かっていて公言するひとはいない。そのために感染者はなかなか減っていかなかった。

 もちろん、検査すればその可否は分かる。しかしオルセン症の不可思議なものの1つに潜伏期間がある。最短ではアオメムシクイを食べた(感染した)数時間後には発症して死ぬし、最長では1ヶ月経ってやっと発症した。最悪の場合、検査中に赤い霧を噴きかねないということだ。医療機関や関係者を失うことはまた別の事態を引き起こすかもしれない。世界はペストだって克服できていないのだ。そのために、オルセン症の検査はどの世界でも行われなかった。


 人類総がかりの虐殺はやがて実を結んだ。アオメムシクイは見かけないし、感染疑惑者も、発症者も目に見えて減った。もはや犠牲者の数は正確な記録にないが30億人とも言われている。1990年9月、アオメムシクイの絶滅とオルセン症の終息が同時に宣言された。人々は少しの安堵と多くの虚無感に包まれた。二度の世界大戦をゆうに超える事件に人々は憔悴しきった。


 この終息に大きな役割を果たしたマリー・ファン・ベレロとヨアキム・スニネン、そして故ニコラス・オルセンは国連から「世界の救世主」という特別な称号を与えられた。しかし二人に喜びは無かった。ファンベレロとスニネン、世界中の学者。誰もトリコックスを解明しきれていない。どこから来たのか。どこで生きていたのか。ユーコン準州の感染が州をまたがなかった理由……。トリコックスが再び襲撃する可能性を残してしまったし、予防策も治療法も結局確立出来なかった。この終息はただの力技でしかない。それを理解していた。

 それでも多くの人は彼らを称えた。彼らがいなくては、人類は全滅だったかもしれない。


 今日もオルセン症の発症者はない。窓の外は晴れ渡り、リョコウバトが元気に空を飛んでいる。

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