第22話 向き合う時

ピュルテは、はたから見て、明らかに暴走していた。

鳥の一族リードと森人を連れて花園へたどり着くと、低い地鳴りのような音が連続して鳴っている。

それが人を殴る音だと気づくのに、少しの時間を要した。

速過ぎる動きは、ファンの目には一筋の線としてしか映らず、目で追うことも困難な速度で次々と攻撃が加えられる。

当然、その攻撃の対象となっているものも、ピュルテに等しい速度で弾かれる為、視認できなかった。


「ピュルテ……」


ファンがつぶやくのと同じタイミングで、ピュルテの攻撃が止まった。


拳打の嵐に襲われたが地に落ちる


ずりずりと地を滑り、勢いを殺して制止したピュルテは殺意に光る眼光を爛々とさせている。

しかし、


「はっ、はっ……」


呼吸が浅い。


苦しそうに顔を歪め、もどかしそうに何とか空気を吸い込もうと喘いでいる。

おそらく原因は


『魔力の取り込みすぎね、もうガタがくる寸前じゃない』


ピュルテの周りに浮かぶ花弁の色から見ても、相当量の魔力を取り込んでいる。

魔力を吸収し、その力を使って戦うピュルテは当然、戦闘をすればするほど魔力を取り込む必要がある。

だが、無尽蔵に戦える能力などそうそうあるものではない。

力にはリスクがあるもの。

取り込めば取り込むだけピュルテは強力な力を得て、強くなる。

おそらくファンが苦戦する魔物も今のピュルテなら瞬く間に殺せるだろう。

しかしその力を取り入れれば取り入れるほど体には負荷がかかり、ラインを超えれば耐えきれなくなる。


ロトの言う通り、今のピュルテはすでに体の限界がきている状態だ。

これ以上戦い続ければ命の危険がある。


「はぁっ、はっ」


それでも、ピュルテは体を引きずるようにして動かして足を動かす。

その視線の先には今まで滅多打ちに拳をぶつけていた、


「ドロ……!」


あれだけ殴られていたのに原形をとどめている。どういうことなのか、ファンにはわからなかったが、すでにドロは死にかけていた。


『とりあえずあの怪力女を止めないと』


ロトの作り出した風の紐がピュルテの体に巻き付いてく。


「があああああ!」


獣のごとき咆哮とともに、体に巻き付く異物を引きちぎろうと、無理やりに力を込めたピュルテがロトの風につかみかかる。


『舐めないでよねっ』


そうはさせないと吹き荒れる暴風が掴みかかる腕に巻き付き、動きを止める。


「ピュルテ、落ち着いて! これ以上は身体が……!」


声を上げ、必死にピュルテを落ち着かせようと叫ぶ。

そこでファンの声が耳に入ったのか、ぴくんと反応し、ファンの方を見て


「あいつ! あいつが! 原因だ。この森をこんなにした! あたしの、お母さんの花園を!」


向けられた怒気はその矛先が自分ではないとわかっているファンでも一歩引いてしまいそうな剣幕だ。


「これ以上攻撃しなくてもあいつはもう死ぬ。そんな奴のためにピュルテが無理をするのは、割に合わないよ」


ロトの力で抑えつけたまま、刺激しないように、慎重に声を掛ける。


「ファン殿!」


声に振り向けば森の民と、鳥の一族リードを引き連れて、オサがやってきた。


「オサ、なんでここに」


「皆から連絡が来まして、ピュルテは一体……?」


拘束され、捕らえられた獣のように荒々しい気配を纏うピュルテを見て、オサが困惑した様子で訪ねてくる。


「それが……」


肝心のピュルテは興奮しきっていて、オサに説明するどころではない。

そんなオサにピュルテが淡々と告げる。


世界の断片フラディルーメから広まった感染は、十中八九あの男が関係してるってこと』


ファンたちが確認したときには到底この森に侵食しきるほど、開いていなかった。

世界の断片は開くもの、閉ざしたままのものがある。

世界に生まれた歪は生まれた瞬間は小さなものでしかない。

それが時間をかけて広がり、大きくなるのだ。

広がった世界の断片はやがて、じわじわと世界を侵食し始める。

しかし、中に侵入できるほど規模の大きなものがこんなに急速に外の世界に害を及ぼすことなど、ファンは聞いたことがなかった。


「……ひどいな」


ファンは足元に視線を落とす。


ドロはあの世界の断片を使ってピュルテに陽動をけしかけようとしたのだろう。

森で一騒ぎ起こし、その騒ぎに目がいっている間。

ピュルテが花園にいない隙をついてトラレイトの花を摘み去る算段を立てていた。

そうでもなければ、このタイミングでこの場所にいる理由がわからない。


急いでいたのか力任せに引き抜かれた花々。

落ちていた花を一つ拾うと、いまだぼんやりと淡い光を纏っているのが悲惨さを際立たせる。

根元でちぎれたものや握りつぶされ無残に形を変えたものが地面へ散らばっていた。


眉を顰め、散らばる花々を見つめていると


「おい、そいつ感染してねえか!」


鳥の一族の誰かが声を上げた。


鳥の一族が指すのは――――拘束されたピュルテ。


「――――っ!」


見れば血で染まっていたせいで少し見えにくくなっていたが、魔力感染の症状があらわれている。

魔物との戦闘で触れてしまったか、手の部分が薄く変色する兆しを見せている。


「っ! なんで……!」


自分の手を見て、ピュルテが驚愕した。そしてすぐに地面へと手を擦り付け始めた。

汚いものをそぎ落とすように、土をかけ、こすり、


「感染した場所へは、触れないようにしてたのに!」


ついには地面へと手を叩き付け始めた。


「くっは、は」


笑い声がする。

死にかけのドロが取り乱しているピュルテを見て、声を出していた。

とてもそんなことをしていられる状態ではないはず。

身体はピュルテに徹底的に痛めつけられ、見るも無残な姿となり、呼吸するのもやっとなのか、ひゅーひゅーと空気の抜けるような音がする。


見れば、ドロの体。その一部が異様に変色している箇所がある。

体中、血だらけ、泥だらけ、そのせいで見落としそうになるが、確かに魔力感染の症状だ。


「ドロを殴ったから、ピュルテにも……」


魔物ではなく、あの男を殴りつけたせいでピュルテの拳が感染部分に触れてしまった。


「ぶ、ざまだな。いい、きみ、だ」


今にも死にそうなドロはしかし、血反吐を口からこぼしながらにやついていた。


「消えない、消えない!」


一向に変化のない自分の手を見て、ピュルテが錯乱しだした。


「何か、薬屋で買ったもので使えるものは……っ」


思い立って背嚢の中身をガサガサと漁る。


『無理よ、治療薬なんてない。一度掛かってしまえば……』


そんなファンを見て、無常に告げるロト。しかし、口調とは逆に眉を顰め、どこか悔しそうにしている。


感染したが最後、いかなる治療薬をもってしても取り除くことは不可能。

これまで数多の命を摘んできた厄災。


『魔力感染』


それは世界に蔓延する死の化身。


その毒牙がついにピュルテの体を蝕んでいる。

感染した魔物に対しては細心の注意を払っても、怒りに染まった状態のピュルテではドロが感染している可能性を考慮できなかった。

いずれにしろこのままでは、ピュルテが死ぬ。


薄緑に変色した箇所は時間と共に体のあちこちへ広がっていき、死へと収束する。


何かできることは、何かないか。

考えるものの、答えは出ない。


――――いっそのこと手ごと斬り落とすしか……!


身体全体に回って死ぬ前に、感染した部分を切り落としてしまえば。


だがそもそもピュルテの手をすっぱりと切り落とすなんてできるのか。

あれだけの魔力を内包したピュルテは以前の比ではない防御力を備えている。

それに対してこちらは先の乱戦でかなり魔力を使った後。

薄皮をいくら切り裂いたところで、腕を断つまではいかない。

いや、そんなのはぐちぐちと頭で言い訳を考えているだけ……。

知り合ったばかりの、女の、腕をきるという行為が恐ろしいのだ。

やらなければ死ぬ。

そうわかっていても覚悟がつかない。

情けないことは十分わかっているのに、行動に移すことができない……!


「なんとか、なんとかならないのですか……!?」


オサが悲痛な声で声を掛けてくる。


「なんかねえのか、フェクティの娘が……」


「きゅるきゅる」


森の面々が助けを乞うようにファンを見てくる。

この中で唯一解決策を知っていそうな人物がファンしかいないのか。

この様子では森の面々にはピュルテを救える知識を持つものはいない。


地面へ擦りつけすぎて、ピュルテの手からはダラダラと血が流れている。

険しい表情のピュルテは息を乱しながら、ただひたすらに手を擦り続けている。


そうこうしているうちに侵食がどんどんと広がり、色がくっきりと見え始めた。

濃い濃度の魔力を秘めたピュルテの体は、感染の進行速度も速いのか。


自分に集まる視線に、ファンは覚悟を決める。

もう切り落とすしかない。

残された選択はそれだけだと。ついに腹を括った。

そうとなれば、まずロトに力を借りて最大威力の風刃を叩きつけてもらう。

魔力を絞りきれば一太刀で切れるだろうが、今の状態のピュルテだともう少し魔力が抜けてからでないと厳しいかもしれない。魔力の量で進行が早まるならば少し抜くことで進行を遅くーーーー。


――――魔力を抜く……?


何か引っかかる。


加速していた思考を止め、引っかかった部分を手繰り寄せる。


足掻く手が必死にとっかかりを探す。

何か、思いつきそうで胸がもやつく。

手当たり次第に記憶を探る。


……ふと、頭によぎるものがあった。


確証はない。

今、たまたま考えただけの思いつきだ。


ーーでも


可能性は否定できない。


ならば試すしか選択肢はないだろう。


「ピュルテ、落ち着いて!」


狂乱と言っていいほどの暴れっぷりをみせるピュルテを渾身の力でおさえつける。

間違って手に触れてしまわないように、腕の部分を握りしめる。


「ロト! これをピュルテの手に……!」


そしてファンは握っていたトラレイトの花をロトに渡す。ロトはファンに頼まれた通り、花をピュルテの手に近づけた。


淡く光る花はまだその生命を見に宿し、生きている。


魔力を蓄える花。


その輝きはまだ灯っている。


『これ……』


「感染が……消えてく」


ピュルテの手を侵し始めていた部分がトラレイトに吸い込まれていく。

そのまま、ピュルテの肩代わりをするかのようにその身に感染を引き込んだトラレイトはその輝きを失い、

ホロホロと崩れ落ちた。


「思った通りだ……!」


『どういうこと?、トラレイトには感染を治療する効果があるの?』


予想通り、上手くいったことに喜ぶファンに疑問を浮かべたロトが問う。


「魔力感染はその名の通り、魔力を媒介に感染し、魔力を持つものの身を蝕んでいく。でもトラレイトはその魔力を吸収する性質がある。感染した後でも魔力であることには変わりないから、感染した部分を吸収できるんだ」


だから何とかなるかもって思ったんだ、と話すファンは続ける。


「前に、ここでピュルテからトラレイトの話を聞いてたんだ。トラレイトには魔力を吸収する性質があることも、実際に吸収するのも見てたから」


結果的に、ピュルテの手は元通りになった。

まだ崩壊が始まる前に事を済ませたおかげで手は無事だ。


「そんな使い方があったとは」


長が感心したように、しきりに頷いている。


「ってことはその花を使えば森は元に戻せるってことだよな!」


今の光景を見ていた鳥の一族リードの一人が今通ってきた森の方を向き、言う。

大量の魔物の死体と、その魔物たちが触れ回ったことで感染範囲を広げ、あちこちを変色させた森の姿。

放っておけばこのまま感染は侵食し、森は破滅の道を抗うことはできないと皆が思っていた。


だが、トラレイトの花があればそんな未来も変えられる。


手分けして森を周り、感染部分をトラレイトに吸わせてしまえば感染を食い止められる。


森を、救うことができる。


皆の俯きがちだった顔に希望が見えた。


「そうだ」「なんとかなるな」「そうとなりゃ早く、手分けして……」


希望を見た、と皆がざわつきだす。


が、


「ダメだ!!!」


それまで、自分の手から感染した部分がなくなったことに思考が追い付いていなかったのか、呆然としてたピュルテがハッと我に返り、叫んだ。

盛り上がっていた皆の声を掻き消す大音量の声は何事か、と皆の視線を一気に集める。


「な、何がダメなんだよ!」

「お前、今森がどうなってるかわかってるだろ!」

「気でも触れたのか!」


鳥の一族たちが訳の分からない声を聞いたと一斉に反論する。

自分たちの森の一大事。それが解決するかもしれないと喜んでいたところだったこともあり、その口調は一転して荒々しい。


「ダメだ、それは絶対に……」


崩れ去った花を震える手で触れようとしているピュルテがぼそりとつぶやく。


「今の感染速度からすりゃぁすぐに森全体に広がる。それが食い止められるかもしれないんだぞ!」

「こんな荒れた森じゃあ皆死んじまう!」


顔を伏せ、小刻みに震えるピュルテの声は怒声を上げる鳥の一族達の耳には入らない。


「ちっ」


話の通じないピュルテに、いらついた鳥の一族の一人が強引に花を回収しようと動いた瞬間


「――――っが!」


爆発した魔力の余波で吹っ飛ばされた。

ごろごろと転がっていく同族をキョトンと見つめる鳥の一族たち。


「触るなぁ!!!」


びりびりと空気が震えた。

そのあまりの大声に思わず耳を押さえる。

身に取り込んだ魔力を制御できていないのか、ピュルテは顔を火照らせ、汗を垂らしながら威嚇している。


「ピュルテ……、しかしこのままだとこの森は枯れる。我らは森と生きる身だ。森なしでは生きていられないのだ。頼む、力を貸して――――」


「――――黙れ黙れ、黙れ!」


オサがやわらかな口調で説得しようとするが、その声も、ピュルテは関係ないと大声を被せる。


「誰も近づくな! 誰も触るな! もし少しでも触ってみろ、あたしは絶対に許さない! 一人一人引きずり回して、あたしのものを取ろうとしたことを後悔させる!」


その圧はあまりにも強力で、この場の誰をも寄せ付けない。

一歩でも動けば食らいついて来そうな目つきで、花園の前を陣取っている。


それはまさに花を守る番人、街で聞いた通りの異名。

近づくものすべてを排除し、蹴散らす花園の守護者そのもの。


「なんだよ、それ……」


だが、今のピュルテには誇りや信念は感じられない。

泣き叫び、近づくものには牙をむき、噛みついて抵抗する。

それは、まるで宝物を取られまいとする子供だ。


今まで共に戦ってきた森の皆の意見には耳を貸さず、ただ自分の意見のみを押し付ける。

傲慢で、ひどく暴力的。


がむしゃらに怒鳴り散らし吠える姿はもはや痛々しく、とても見ていられない。

沸々と湧きたってくる感情がファンの心に広がっていく。


「――――っ」


あの時、ファンは仲間を助けようとするピュルテを羨ましいと、そう思った。

森人を助けるため、体を血まみれに濡らして戦った姿を、ファンは覚えている。

自分以外のことで、これだけ感情を露わにする人をこれまで見たことがない。

ファンは、ずっと一人で旅をしてきた。

仲間を作ろうとも特に思わなかったし、その必要もなかった。

ロトがいてくれれば戦力にあまり問題はなく、むしろ動きやすいと思っていたくらいだ。

だが、ピュルテに会ってその心意気に触れて、自分にはないものを感じていたのだ。

それが羨ましかった。

初めて、仲間というものが良いものだと思った。


森人の子供たちのために、円棘獣に激昂して突撃したあの怒りはファンの心を確かに揺さぶった。


そのはずが、今のピュルテは一体どうしたことだ。


周りの森人たちに目もくれず、冷静に話をしようとしているオサの声を無視し、

みっともなく喚き散らし、子供の用に駄々をこねている。

あの時、あの熱い感情を持っていた人物が、こんな情けない姿を晒している。

その憤りが、ファンの口を開かせた。


「いくらそうやって花を守ろうとしても、お母さんは戻ってこないよ」


一言、喉の奥から込み上げてきた感情を吐き出す。


「……どういう意味?」


興奮していたピュルテの瞳が揺らぐのがわかった。


何故、ピュルテがここまで花にこだわるのか。

この数日、ピュルテが事あるごとに発していた言葉。

集落でオサから聞いた話で腑におちるものがあった。


ここまで感情を露わにするのは、それが大事なものだからか。

あるいは、

それに依存しているから。


きっと、ピュルテはまだ心のどこかで、期待している。

あの花畑を守っていれば、いつかお母さんが帰ってくるんじゃないか。

そんなありもしない希望を抱えている。

あの夜、ピュルテは言った。


『母上の頼みだから』


ピュルテから聞くお母さんの話は、ピュルテを――――自分の娘のことを第一に思っていた。

そんな母親が、自身の娘の生き方を縛るようなーー花を守り続けるように遺言を残すだろうか。

そうではない。

ピュルテは嘘をついている。

あの花がなくなれば、自分と母親のつながりが亡くなってしまう。母親がいた名残が失われてしまう

だから、否定されるのが怖かった。

現実に引き戻されるのを嫌がった。


「森人の亡骸から目を背けていた時、少し引っかかってた。あの時は悲しいから、ただ見ていられないからそうしてるんだと思ってた」


「何を言って……」


ピュルテは明らかに狼狽し、口を開くファンを凝視している。


「でも、あれは死んだことを目に入れないようにして、逃げてたんだ。見ないようにしないと、死を受け入れることをすればお母さんが死んでしまったことも認めなくちゃいけない気がするから」


そう告げた瞬間、ぶわっとピュルテから感じる圧力が膨れ上がった。

もはや苦しいと感じるほどの重い、魔力の気配。


「うるさい! 勝手につらつらと、わかったことようなことを言うな!」


口を噤んでしまいそうなほどの怒号。


「でも、このままでいいの? 今度は数人どころじゃない。森の民の全員が、今まで暮らしてきたこの森全部が死に絶えるんだよ? それで、いいの?」


だが怯まない。


心では理解しているはずだ。

ずっと、誰よりも。

だからこんなにも激しく怒鳴る。

大きな声を出して、気を紛らわせようとする。


「――――っ」


ピュルテは瞳を震わせ、地面へと視線を落とす。

くっと唇を噛み、今にも泣きだしそうな顔のまま、トラレイトをじっと見つめる。


頑なだったピュルテが揺らいでいる。


思わず叫ぶ。


「思い出に縋ったままじゃ、何もできない。進めない!」


どこかで、向き合うタイミングが来る。


「外に興味があるって、言ってたよね! 街で見たピュルテは楽しそうだった!」


心から楽しんでいるのが伝わった。

言葉に漏れる感情の一つ一つに喜びが付いて回っていた。


「このまま、その花に囚われたまま、この森と一緒に死ぬつもり!?」


ファンが見てきたピュルテなら大丈夫なはずだ。

目を背けずに。

乗り越えられる強さがあることを自分で気づいていないだけ。


「一歩踏み出さなきゃダメだ! 乗り越えて、進むために!」


打ちのめされたように、ピュルテがうつむく。

これだけ好き勝手に、何様と思われるかもしれないど。


ここが。


今ピュルテにとっての、ピュルテの抱えていたものと向き合うタイミングだと、そう思うから。


ファンはピュルテを真っ直ぐに見つめる。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


たかだか会って数日の人間が知ったような口を聞いて。

お前に私の何がわかる。

私の何を知ってる。

勝手に私の気持ちを知ったような気になって、理解した風な口で喋るな。

適当な話をこじつけて、私の気持ちを知ったかぶるな……!


いくらでも、言い返す言葉は見つかるのに。

何故か口にできなかった。

言い返そうと顔をあげたいのに、押さえつけられているみたいに、頭がうごかない。


……。


…………。


そうだ、わかっていた。

全てあの男の、ファンの言う通りだ。

母上……、お母さんとの約束なんてない。

お母さんは一度たりとも花園を守ってくれなんて私に頼んだことはない。

お母さんはずっと優しかった。

私がしたいことを、したいように、自由にいつも笑って見守ってくれていた。

ただお母さんは、外に出ることだけは許してくれなかった。

一度だけこっそりと外に出ようとしてお母さんの目を盗んで森を出ようとしたことがあった。

でも、森の中ほどまで進んだところで見つかってものすごく怒られた。

あんなに怒られたのはあれが最初で最後。

それも、今思えばまだ小さい私を目の届くところに居させるため。

勝手にうろちょろと動く私が自分の手で守りきれない場所へ行くのを避けるためだったんだとわかる。

きっと、私が大きくなったらどこへ行こうと、何をしようと好きにさせてくれたんだと思う。

そんな、私のことを思ってくれるお母さんが

この森に居続けるように頼み事なんてしない。

全部私が作った理由。

私が、勝手に言っていただけ。

あの日、人間が花園にやってきた日。

長い間ずっと空っぽだった私に、感情が戻った。

花を刈り取ろうとする狼藉モノを追い払う、動く理由が生まれた。

花園を守るという使命を背負うことで、お母さんがいなくなった悲しみから一歩遠ざかることができた。

侵入者に対する怒りが、私の中の不安を塗りつぶした。


だってそうでもしないと私はあのままうごけなかったから。


だから私は花園を守る存在としてあり続けた。

だから私は、花を守ることにこだわり続けた。

余計なことは考えないように、ひたむきに。

ただそれだけを考えて今まで過ごしてきたんだ。

花が、私を支えてくれる。

花を見れば、あの頃を思い出せる。

安心できる。

お母さんとのつながりが切れていないんだと。

まだお母さんは側にいるんだという気持ちになれた。


そう。

わたしは認めたくなかった。

お母さんが死んだなんて信じられなくて、嘘だと思いたくて。

ぐるぐる頭の中で考えて。

心の中に生まれる不安から逃げたくて。

きっと気づいてしまったら、また動けなくなりそうで。

空っぽな、あの時が戻ってきてしまう気がして。

ずっと、わからないふりをしてきた。

気づかないふりをして、理由を探して、向き合うことから逃げてきた。

だから、街で見た少女を見たときは苦しいほどに嫉妬した。

あの幼さで、自分よりも遥かに上の場所にいる。

悲しい気持ちに向き合って、乗り越えて、今自分の目指すものへ努力している姿は、眩しすぎて腹立たしいほどだった。

そして、そんな少女に嫉妬してあまつさえ苛立ちを覚えている自分の小ささに辟易した。

なにか前へ進まないといけないという気持ちが無意識に心のなかに出来て、焦る気持ちだけが先行して空回りしているのを自覚した。

本当はこのままじゃだめなこと。

このまま過ごしていても、前へ進めないなんてわかってる。


――――でも


一歩が、踏み出せない。

向き合うための勇気が、ない。

見ないふりをしてるのは楽だから。

思い出に縋っていたい。

あの暖かかった記憶を……消したくない。

手放したくない……。

不安が、鎌首をもたげて踏み出そうとする足を引っ張るのだ。


怖くて、体がうまく動かせなくなる。


――――だから…………。


そんなピュルテに近寄っていく人が一人。


「昔からそうやって、フェクティのことになるとむきになってたのう」


耳に入ってきたのは聞きなれた声。


「じい……」


打ちひしがれるピュルテが顔を上げた先、慈愛に満ちた表情でピュルテのことを見つめるオサがいた。


「こんなにボロボロになって……」


オサは顔をくしゃっと歪めて、憔悴したピュルテを慈愛のこもった目で見つめる。


「私は、森の民をまとめるものとして、今まで決断を下してきたが何かと危険なことはお前に任せきりにしてきた」


「お前が魔物たちから我らを守ってくれなければ、きっとすでに私たちはここにはいない。あの集落はフェクティとピュルテ……おまえによって助けられてきた」


「私達は既に一度おまえたちに救われている……」


「なのに、私はお前が苦しい想いをしている時、なにもしてやれなかった。私は何も力になれなかった。あれだけ母親が好きだった娘が、母をなくしたとなればどれほど悲しい気持ちになるかわかっていたはずなのになぁ……」


後悔していた、とじいは言う。今までつっかえていた気持ちを吐露するように申し訳なさそうに……。


違う。

何もしてないことはない。

私が俯いていた時期、心配そうに何度も何度も声を掛けに来てくれていたことは知っている。

ろくに返事も返さない私を気遣ってそっと寄り添ってくれていたことを私は覚えている。


「だから、今お前が何を選ぼうと、私は何も言わない。さっきはああいったが、撤回する。お前が」


「フェクティがやってきた時はまだあんなに小さかったお前が、こんなに大きくなった」


「やりたいことを、やるといい。好きに選べばいい。誰もお前を責めたりはしない。それで森が滅びるならばこの森の命はここまでだったという事」


鳥の一族は少し、何が言いたそうにしているが、じいの言葉に誰も口を挟まない。


……何も、言わない。


「きゅる……」


腰に森人が引っ付いてくる。

ファンが助けたあの森人。

ただ、黙ってこちらを見てくる。

何も、喋らない。

私の答えを待っているように、黙ったまま私の顔を見上げている。


「世界の断片を何とかしないと感染は止まらない。今も着々と感染は進行してる」


強い、意志のこもった目でファンが見てくる。

わたしの答えによってはこのまま街に戻ってしまうのだろうか。

いや、それが普通なんだ。

今ここで一緒になって感染を止めようとしてくれているのは、そもそも……。


わたしが、森を守りたいといったから……。


「君は大丈夫」


わたしは不安だ。

今まではずっと花園が、お母さんとの思い出があったから、やってこれた。

背中を支えてもらってたんだ。

花を見ることで、お母さんがいた頃の事を思い出して、安心してた。

何があってもそうする事で、自分は大丈夫だと信じ込めた。

わたしは、多分ファンが思っているよりもずっと臆病で、弱いのに……。


以前、ファンは言った。

『俺も両親がいない』と。

母親代わりの人物に育てられ、今はその人物を探すために旅をしていると。

ファンも、あの少女と同じだ。

前を向いて、目的をもって生きている。

ファンは乗り越えたんだ。

向き合って、一歩踏み出してここにいる。


そのファンがわたしは大丈夫だという。


「やれる」


ファンが言う。

言葉は穏やかに。だが強く背中を押すように。


「進めるはず」


何か確信きたような顔でファンはこっちを見る。

強く、意思のこもった瞳で。


出来るのか、私に。

こんなに不安なのに。

できるのか、私に。

あの、少女のように。


「おまえは、うんと立派になった」


視線を向けると、笑みを浮かべたじいがこちらをみていた。


「フェクティの娘らしく、立派にな」


昔と変わらない、優しい顔。


何だか、喉が熱い。

胸のあたりから何かがこみあげてくる。


ぎゅっと拳を握った。


きちんと足に力を入れて立ち上がる。


わたしは……。


思い出を握りしめるように花を触る。

大きく息を吸って、胸にいっぱい詰め込んでいく。


さよならを言わなくちゃいけない。


それから、ありがとうも。


視線を上げた。


森のみんながわたしを見てる。


じいちゃんが。ファンが。皆が見てる。


真剣な目で見守ってくれている。


あれだけ無様に喚き散らしたわたしに、まだ期待の目を向けてくれている。


踏み出すのを待ってくれている。


お母さん…。


わたし、やれるかな。


お母さんがいなくても、大丈夫かな。


ーーーーふわりと風が香る。


懐かしい香り。

安心するようなあの匂い。


『ーーーーーーピュルテ』


優しく、背中に当たる風が背中を押してくれているような気がした。


前を向く。


きっと今も。

今までも見守ってくれていた。


これ以上心配をかけちゃだめ。


情けない姿を、見せない。


立派に歩いている姿を見てもらおう。


だからきっと。


大丈夫。


わたしは握りしめた花を置いて一歩。


大きく一歩。


前へ踏み出した。

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