第21話 殺意
「そいつが、最後だ!」
鳥の一族の声を背に受け、正面の魔物を切り裂いた。
魔力の粒子を振りまきながら、繰り出した一撃は深く、魔物の鼓動を寸断する。
倒れ伏した魔物がきちんと死んでいるのを確認して、ピュルテは片膝をついた。
近くに活動する魔物の姿はない。
ピュルテが最後の魔物を殺したのを見て、疲れたようにファンがつぶやく。
「終わった、のか」
無我夢中で魔物を殺し続け、森中を駆け回る森の民からの情報を受け取ってはその場所へ向かい、魔物を殺す。
返り血で体中を染めながら、ファンたちはそれを繰り返した。
もう無理だと、時折顔をのぞかせる弱音を固く決めた意思でねじ伏せて。
各地に散らばる森の民たちからの情報では、今の魔物が最後の一体だった。
これで、感染の進行は止まる。
ふと、ピュルテの方を見ると手についた血をぱっと振り払い、同じく顔についた血を拭っている。
体からあふれ出る魔力の粒子がきらきらと光り、鋭く定まった視線は未だ闘志を鎮火させてはいない。
だが、明らかに様子がおかしい。
戦闘が終わってなお、一向に息が整わずに息を荒げ続けている。
感じる魔力は収まる気配がなく、未だ周囲の魔力を取り込み続けていた。
白く浮かんだ花の色が青く変化したまま、もとに戻らず
時折苦しそうに顔をゆがめている。
「ピュルテーーーー」
声を掛けようとしたとき、何か、 新しい情報を受け取った様子の森人が、旋回して上空を飛んでいた鳥の一族を呼んだ。
きゅるっと人鳴きした森人の下へ急降下して近寄った鳥の一族がふむふむと耳を傾ける。
「森の民長からだ、今魔力感染の出処を見つけたらしい」
「本当か?」
呼吸を乱しながら、鳥の一族の言葉にピュルテが食いつくように反応した。
「大木の倒れた場所の傍、奇妙な空間から広がっているらしい。そこから漏れだしているのを森の民が見つけた」
「奇妙な空間……」
それって、と頭の中に浮かんだのは花園に向かうときに見かけたーーーー。
『
ファンの答え合わせをするように、ロトが言う。
「でも」
『私たちが見たときは解放されてなかった』
ファンたちが見つけたときは『
特に妙なことにはなっていなかったはず。
「なんだ、『
不可解な表情で、ピュルテが問う。
「それは――――」
少し興奮状態にあるピュルテを宥めながら、ざっくりと説明する。
だがファンの説明を聞いても、ピュルテはいまいちピンとこないようだった。
「ともかくそれが、今回の原因なんだな」
それでも要点だけはきちんと頭にあったようで、「なら、それを潰さないと」と一人で向かいそうになったので慌てて呼び止める。
「待って! そのままいったら危ないよ。『
過去に挑んだ『
森の民の話を聞くに今存在している
迂闊に突っ込むのは命取りになる。
「だが!」
言い争う二人の間を仲裁するかのように、鳥の一族が口を開く。
「ところで、今また聞いた情報によるとよ、その近くでお前たちの仲間らしき奴もいたらしいぜ」
「仲間?」
「ヒトだよ。その、
あいにくとファンには全く心当たりがなかった。街の人間だろうか、だがそうだとするとなぜこの森に入ってきたのか。
思考を巡らすファン。
「数は?」
「えーと、うんうん、……一人だ、ボロボロの格好の小太りの男だって。そこのピュルテの寝床の方面に走ってくのを――――」
その言葉を聞いた瞬間ある人物が浮かび、それと同時に、
ファンのすぐそばでドッと胸を締め付けられるような威圧感が放たれる。
「あいつだ……!」
絞り出すように怒気を吐き出したピュルテが、風を切って飛び出した。
「っ! ピュルテ!」
ファンの声も無視して凄まじい速度で遠ざかっていく。
地を蹴る足音が森中に轟く。
「追おう! ロト!」
『もうっ』
風の力が足元をふわりと包む。
何が何だかと困惑する鳥の一族を置き去りにするように全速力で駆けた。
ーーーーーーーーーー
ドチャドチャ、と音を立て、軽快とは言い難い動きで森の中を動く男。
森中に倒れ伏した魔物の死体を恐る恐る通り抜け、広がる血だまりを構わず踏みつける。
撥ねる液体が体にかかるのもはばからず、男はただひたすらにある場所めがけて走り続けた。
体に纏うのは襤褸切れと化した上着。血みどろに汚れ、落ち葉を貼り付けているが、これでも男は街では商人の職に就いていた。
「誰も、いない! はははっ馬鹿め。あのクソ女! まんまと引っかかりやがって」
ドロル・ビーボウ、ドロと呼ばれるこの男は森中の騒ぎに紛れ、トラレイトの花園へ向かっていた。
森の民に連れていかれ、大樹下層に存在する土葬場に放り込まれたドロ
「うっ痛え……」
放り込んだ森の民はそれで仕事は完了としたのか、そのまま扉を閉めて出て行ってしまった。
あたりに何も気配がないことを確認し、隙を見て抜け出して森の民の集落をさまよっていると。
「あれは?」
そこで目撃したのは大樹の上層に上っていくピュルテの姿。
その姿を見つけた瞬間、身を震わせるほどの激情がドロの体に流れた。
自分をこんな目に合わせた元凶がどうしてこんなところに、込み上げる怒りの感情がドロを支配する。
「……ふぅー、いや、落ち着け」
だが、ドロには衝動的に突貫しないだけの理性が備わっていた。
この場であの女を殺そうとしても容易く返り討ちに会うのは想像に難しくない。
ひとまずなぜあいつがここにいるのか、様子を探る必要がある。
そう考えたドロはそのために、隠し持っていた魔道具を発動させる。
それは商人御用達の情報収集のための魔道具。こと盗み聞きをすることに長けたものだ。
響く雑音の中から聞き覚えのある女の声だけに注視して神経をとがらせる。
『ーー街に行くならーーにーーっておかないと』
『あたしはーーから街へいくにしてもーーがーー』
ノイズが酷いがそれでも大事な部分は聞き取ることができた。
――――あの女が街に?
何故、何の理由があって、あの花園に縛られたような存在がどうしてか街へ行く。
不可解すぎる情報が飛び込んできたせいで、頭の中が混乱する。
だが、今はそんなことに注視してる場合ではない、なんにせよ、街に行くというのなら俺も街に戻り、体勢を整えるのが得策。
そう考えたドロは出てきたドロたちに見つからないように隠れながら後をつける。
ピュルテの隣にはもう一人、ヒト種の男がいた。
その男に連れられるように集落の外へ出ていく。
見送る為か、ともに連れ立って歩いている森の民が護衛するかのように二人の周りを飛び跳ねている。
「なんでヒトが一緒に……」
縄張りにヒトが近づいただけで牙をむくあの女が、一緒にヒトと歩いているのはどういうことだ。
そんな疑問が頭に浮かべながら、絶対に見つからないように、息を殺し、見失わない用注意しながら後をつける。
そうして集落を出た後も、尾行し続けていたドロの前に一匹の魔物が現れた。
「しまったっ」
見つからないようにと慎重に進みすぎたせいで、前を歩くピュルテ達と距離が開きすぎてしまった。
幸い、魔物はまだドロには気づいていない。
慌てて木陰に飛び込み、息を殺して耐え潜む。
花積み荷失敗し、獣車も、隊も失ったドロが、この森の中で唯一得たテクニックだ。
――――早くどっかに行け! 早く! 見失っちまうだろうが!
そうしてどれだけ隠れたか、気づけば魔物の気配は遠ざかり、目をつけられることもなく無事に場を乗り切った。
だが、それと同時に、ピュルテ達の姿もまるで遠ざかり、どこへ進んでいったのかわからなくなってしまった。
「くそっ」
今の状況を打開し、あの女にし返してやるチャンスを逃した、と八つ当たり気味に傍にあった樹を蹴りつける
「きゅ!」
聞き覚えのある鳴き声が聞こえた。
鳴き声の方に振り向くと、そこにはピュルテ達についていったはずの森の民がいた。
「いや、別の奴らか? 見た目じゃわからねえなぁ……」
人数は二人。
今蹴りつけた音に反応したのか、こちらの方を見ている。
が、特に害はないと判断したのか、すぐに別の方へ向き直るとひょこひょこと歩いていってしまう。
森の中を移動するなら一人で身を隠すよりも、森の民が通る魔物の少ない通路を突いていく方が安全だ。
限りなく薄いが、わずかな可能性を信じて、ドロは森の民を追う。
時折、樹の根を掘りながら進むせいでなかなか思うように移動しない森人にやきもきしながらも、ここで衝動的になってはいけないと自分に言い聞かせ、我慢した。
そうしてたどり着いたのは倒れた巨木が目立つ開けた空間。
「……? これは」
そのすぐそば、異質な空気をにじませる空間があった。
その周囲だけ、空間から漏れ出た何かによって変色し、原形を崩壊させ始めている。
ドロにはその現象が何なのか心当たりがあった。
「魔力感染……」
今、世界各地でその規模が広がりつつと街の噂で耳にした。実際に商人として、この街以外の場所を移動する際にもこの現象に包まれた場所を目撃した経験がある。
今目の前で起きているのはそれと全く同じもの。
「きゅ?」
「きゅきゅ!」
そして森人もまた、その現象を見て鳴き声を発した。
ドロには何と言っているか理解できないが、きゅるきゅると鳴く声は二人の間で何度か交わされる。
そしてしばらく交わされた会話が終わり、鳴き声が止むとこっそりとその場を見ていたドロの方へと戻ってきた。
そのまま隠れているドロの傍を素通りすると元来た道を戻っていく。
おそらくこの現象を報告に行ったのだ。
今きた道を引き返すということは集落へ戻るということ。
このまま森人の後をついていっても街に戻ることはできない。
ドロには取れる手段がない。
わずかに見出した可能性も今、潰えた。
「……っ、くそぉ! 」
花園で隊を失ってから再び、ドロは完全に森の中で孤立した。
芽生えた希望が消えたことで胸の内に芽生えた心細さを、声を出すことでごまかそうとする。
がさっと茂みの中で物音がした。
「ひっ」
隠しきれない不安が物音に敏感に反応し、弱弱しい声を上げた。
出てきたのはまだ小さい獣、自分を脅かす存在ではないことを確認できたことでホッと安堵の気持ちが生まれる。
が、その安堵の感情はすぐにこんな小さな生物に怯えてしまった自分への羞恥、そして怒りへと変化した。
「脅かしやがって!」
蹴りつけようと近づいたドロに驚いた獣は、ぴょんと撥ねて、歪んだ空間の中へ飛び込んでしまい、姿を消した。
「帰れない帰れない帰れない! どうして、この俺が! くそ、くそ、くそ!」
いくら地団太を踏んでも事態は前に進まない。
「ふぅーふぅー、落ち着け、落ち着け、何かないか、帰れる手段か何か」
周りに当たり散らかして、少し怒りの静まったドロは、冷静になった頭で考える。
まずはこの状態を何とかする必要がある。
街へ帰るにはどうすればいいか。
この森の中で一人さまよい続けるのは危険が大きすぎる。魔物から隠れることで難を逃れてきたものの、今までは結局のところ運が良かったに過ぎない。
今のまま街を目指して動いたところでどこかで必ず魔物に見つかり、死ぬ。
「せめて獣車の中身があれば」
非常時に備え、いくつかドロにも扱える魔道具を準備してきてはいたのだ。
だがそれもピュルテに破壊されてしまい、今この場にはない。
「ん? 待てよ」
何か忘れていることがあったような、一瞬何か引っかかる感覚。
そしてそれはすぐさま思い出すことができた。
「そうだ、獣車があるぞ! あれには確か」
道しるべとなるように森に入ってからずっと目印を垂らし続けていたはず。
それをたどっていけば街には確実に着ける。
となればあの花園に戻り獣車の来た道を戻ればいい。
「そうだそうだ。すっかり忘れていた」
ここ数日、異常な環境にいたせいか、こんなことも頭に浮かばなかったことが悔やまれる。
臍を噛むドロは顎に手をやり、頭を回す。
「幸いあの危険な女も今、街に出ている。花園に行っても安全なはずだ」
近づくものすべてをなぎはらう狂犬めいたあの女に遭遇し、やられる心配もない。
花園に戻るだけなら一度集落に戻れば、ある程度の道は記憶している。
「問題はあいつがいつ帰ってくるか」
先ほど集落の中で聞いた情報ではただ街に行くということだけしか聞き取ることができなかった。
そのため、すぐに戻ってくるのかはたまたあのヒト種の男だけを送っていったのか判断がつかない。
街の傍までいってすぐに戻ってきたのではあの女に鉢合わせてしまう可能性も否めない。
そうなれば一度追い払われている身だ、次は本当に命を取られてもおかしくない。
それだけの圧力を前に感じた。
「どうすれば……!」
悩むドロの耳に先ほど聞いた鳴き声が届く。
森人が帰ってきたか、と振り向くとそこには小さな獣。
先ほど八つ当たりで蹴り飛ばそうとした獣が怯えながら、震えていた。
「っち! お前か! 今度はなんだ……」
悪態をついている最中で、その獣の姿に言葉を忘れる。
獣は先ほどまで薄橙色の毛をふさふさと生やしていた。
それが、今見れば形容し難い色に変色し、汚染された体の一部が崩壊を始めかけていた。
その原因は明白、先ほど驚いた拍子に入ったこのいびつな空間に入ったせいだ。
この空間から出てた獣はすぐさまその体が汚染される。
そこで、ドロの脳を再びある考えがよぎった。
この現象は触れた部分を生物問わず感染させ、崩壊へと導く。
この獣が今歩いた場所も、感染した前足の部分が触れた箇所はどんどんと変色し、変われはてている。
もし、この獣のように感染した動物を森に放てば……。
それは大きな被害とともにとてつもない騒ぎになるはず。
そうなればピュルテはその処理に対応せざるを得なくなる。
あの時、集落で盗み聞いた情報通りなら、ピュルテは花園を守っているだけでなく、森の民とも親交がある。
そうなれば、無視するわけにもいかないはず……。
花園にむかう自分への注意をそらすことができるかもしれない。
「少しでも可能性を考えれば……」
自分への意識をそらす手段になりえるやもしれない。そう考えたドロはすぐに行動に移る。
空間の歪――――
非力なドロでも手に負えるような小さい獣を脅かし、世界の断片に入るように。
そこからしばらく待機し、出てきた動物たちを観察したが、どの個体も必ず体に感染した部分を有しているのが確認できた。
「ははっ、これなら……!」
ばらばらに、出てきた獣たちを森中を駆け回らせるために追い回し、放った。
「これで……!」
道をはばかる草を掻き分け、ドロは無我夢中で進む。
恐る恐る隠れる必要はもうない。
怯える対象はすべてピュルテ達が殺してまわり、今、ドロの行く手を遮るものは誰もいない。
血や泥で体をぐちゃぐちゃに汚しながらも、その瞳の中の光はぎらついたまま、視界には映らない何かを見据えているかのよう。
そして、
「ついた、ついたぞ……!」
凄惨な状況が広がる森の中で、唯一ここだけは何もなかったように、先の状態となんら変わりない。
花の守護者の常駐するこの場所は魔物ですら避けるためか、魔力感染の被害は欠片も見受けられなかった。
その中で、圧倒的な存在感を放つトラレイト。
予想通り、ピュルテはそこにはいない。
周囲の音も、何も聞こえない。
――――今ならっ
ドロはその視界にトラレイトを映すと、文字通り花に吸い寄せられる虫のようによろよろと近寄っていく。
「これが……」
ゆらゆらと揺れる花に手を伸ばし、その花弁に触れる。
それだけで傷だらけの体に力がみなぎり、回復していくような気がした。
手にしたトラレイトは遠目で見るのと実際に触るのでは全くの別物だった。
希少価値通りの、力をそこに感じた。
「ふは、はは、はあははは!」
ぐっと花をつかみ取り、根っこから引き抜く。
それも、これも、これも、これも、その隣のも。
目の色を変えて一心不乱に花を摘む。
あの憎らしい守護者の顔を思い出しながら鬱憤を吐き出すように、
「くくっざまあねえ! お前が魔物の相手をしてる間に、すべて! 根こそぎ! 引き抜いて持って帰ってやる!」
ブチ、ブチ、と地面へ強く根付いたトラレイトを無情にも引き抜き続ける。
これを全て売りさばけば、どれだけの富が転がり込んでくるか、想像すらできない。
市場に出回ることの少ないこの希少品をこれだけ確保したとなれば、もはや今までのようにせこせこ物を売る必要もない。
頭を駆け巡る妄想が、口角を吊り上げ、気分を高揚させる。
その時、
――――視界が反転した。
何が起きたのか、わけがわからず、なすすべなく体を地面へと打ち付ける。
自分が吹き飛ばされたと認識するまで、ドロは受け身も取れず、ごろごろと転がった。
混乱する頭で今、いた場所を見る。
「……」
蹴りを放った姿勢のまま底冷えするような殺意をあふれさせるピュルテが、そこにいた。
「な、もうだと!? 早すぎる……!」
蹴りを食らった痛みも忘れて、驚愕を露わにする。
それに、なぜドロの行動がばれたのか、たまたま鉢合わせてしまったのか?
「お前だな」
「何?」
ピュルテの口調は静かだった。
固まった表情に冷たい眼、しかしドロにぶつけられる殺意だけがありありと伝わってくる。
「ここまで急速に感染が広がるなんて考えにくい、森の民たちが
声音には怒りの感情が見え隠れし、その照準を向けられているドロは冷や汗を流す。
ピュルテの目は完全にドロを敵として定めている。ここで火に油を注ぐような真似は危険だ。
ドロは何と言うべきか、黙り込んだまま考えていると。
「それに、飽き足らずっ、……私の、母上の花園をっ!」
ドロが引き抜き、先の蹴りの衝撃で取りこぼした花たちに、ピュルテが視線を落とした。
抑えきれなくなった感情が理性の枷を破りみるみる膨らみ、――――爆発した。
「殺す!」
殺意の塊と化したピュルテが叫び声と同時にドロの視界から消える。
本能でまずいと理解したドロが残っていた最後の魔道具を起動させる。
「な、何とかしろ、俺を助けろ!」
怯え交じりに怒鳴りながら、依頼人から渡された鈴を鳴らす。
「……?」
起動したはずの魔道具は凛と音を鳴らしたが、何も起こらない。
そのまま困惑しているドロのこめかみを、ピュルテの拳が的確に抉った。
命を刈り取る一撃。抵抗なく水平に吹き飛んだドロは無残に命を散らし―――――。
「何が、起きたんだ?」
確かに攻撃を食らったはずのドロが何事もなかったかのように起き上がった。
ぐっぐっと拳を握る。
と、体の表面に何やら薄い膜のようなものが張ってあることに気付いた。
「これは……」
状況から見て、明らかに魔道具の効果だった。
無防備に食らったはずの攻撃を受けても傷一つない。
殴られた箇所にじんわりと感触が残っているだけ。
「すごい……これが魔法都市の魔道具の力か……!」
その絶大な力を実感し、感嘆するドロは鋭く睨んでいるピュルテをみて嘲笑する。
「っは! この程度か、所詮森の中でしか生きていけない脆弱な存在が! お前の攻撃など欠片も、俺には通じないぞ!」
攻撃が効かないのなら、もうあんな女は怖くない。そう判断したドロはそれまでの恐怖を裏返すように威張り散らす。
「所詮、お前程度――――」
話している途中、確かに視界にとらえていたピュルテが消え、鼻先に出現した拳に殴られた。
「っく」
しかしさして痛みはない。
体の膜がその威力を殺してくれている。
「ははっ、だから効かないと」
話している最中にまた一発。しゃべらせはしないとばかりにさらに一発。
「やめっ」
ドンっ、と低く、重たい音が連続して響く。
――――なんだ、こいつ
効かない。こいつの攻撃は効かない。なのに、それなのに
おぞましいほどの怒りを込めて、繰り出される攻撃はその感触だけを不気味に残す。
じわぁ、と嫌な予感が広がった。
「殺す」
――――蹴り。
「殺す」
――――突き。
「殺す」
――――掌底。
憎しみのこもった一撃はどんどんとその速さを増していく。
ドロの体を吹き飛ばし、その先に瞬時に回り込み、ゴム毬のようにはじき返す。
痛みはない、だがあらゆる角度からピュルテの攻撃を受け続けた衝撃は確かにドロの体をむしばんでいく。
「う、うぉえ」
そして、限界が訪れた。
体を通過していく衝撃にドロの体が耐えきれなくなった。
揺れる視界に吐き気が上り、体を包む膜とは別に殴られ続けた拳の感覚が、その込められた殺意が、弱まったドロの体を冷たく壊していく。
「や、やめ」
漏れた言葉も、ピュルテには届かない。
攻撃は、止まらない。
泣き言、命乞い、そんなものを許す段階は初めから存在しない。
森の平和を蝕んだ害虫を、今まで過ごした在り方を、
踏みにじる敵に裁きを下す。
ただ執拗に。
殺意を込めて。
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