第20話 食い止めろ

道中、何度となく戦闘を経て、集落にたどり着くとすでに蜂の巣をつついた騒ぎになっていた。


上、下、関係なく走り回る森の民たちはそれぞれが自分のすべきことをすべく手分けして行動している。


あの集落の中心にある大樹のところではオサが大声を張り上げ、皆に指示を出していた。

指示を受けた森の民たちは、あるものはまとまって外へ向かい、あるものは荷を運び、入り口付近には内側から大量の泥を塗って補強するものもいる。


急いで中心の樹、オサの場所へ向かう。


「……! なぜあなたが、街で別れたと聞きましたが」


「それを知ってるってことはやっぱり。ピュルテは今どこに?」


ファンが訪ねると、少し待っててくだされと、近くに控えていた森人に何やら指示を出した。


「今、この森の中で起きていることはすでに知っておられますな?」


ここまでの道のりで否が応でも目にした。こくりと頷くファンに


「今感染した魔物たちがあちこちから移動して森の中を走り回っています。鳥の一族にも協力を仰いで、森全体の状況を把握しようとしているところです。ピュルテにはこれ以上感染が広がらないようにと、魔物を殺しに……」


「殺しに……ってこの森にいる全部を!?」


めちゃくちゃだ。今ここに来るまででもわざわざ戦闘を避けてきた程度にはおびただしい数の魔物がいたのだ。

いくらピュルテでも無謀というものだ。


「一応我々も戦えないなりに罠を張ったりして、なんとか魔物の行動を封じようとしてはいますが、効率が悪く……」


「だったらあたしが、ってことか」


森の民たちを死なせるわけにはいかないと、ピュルテはそう考えて行動したのだろう。

彼女のあの凄まじいまでの執念はファンも知るところだ。


『感染した魔物の数はどれくらいなの?』


「鳥の一族に頼んで森全体を見て回ってもらっていますが今の段階で数百はくだらないかと」


その数字は今ファンが頭に思い浮かべている光景よりも、よっぽど多い数なのだろう。


ドゴン、と地面が揺れるほどの衝撃。


それと同時にそこらじゅうから爆発が起きたような轟音が響く。


「この音……本当にやる気なんだ」


数百の魔物を相手取る、その言葉だけでも足が引けるに十分な情報だ。

だというのに、


「――――よし」


思考を巡らせていたファンは決意したように顔を上げて、頬を叩いて気合を入れると


「俺も戦う」


自分に暗示をかけるわけでも、鼓舞するわけでもなく、ただ覚悟を体に染み込ませるように一言つぶやいた。


『本気? そこまで体を張ってもあなたが得るものなんて……』


「得る者どうこうよりも、違う理由だよ。そもそも俺はピュルテに協力したいと思ってここに来たんだ。手伝う内容はどうだっていいよ」


そんなファンの言葉を聞いて、口を閉ざしたロトはファンの意思に従うように黙って首元にうずくまった。


「オサ、これを」


「これは……?」


「魔物除けに使える薬。この薬に水を混ぜて線を引くようにしてばら撒いて。この魔よけの線で囲んでこれ以上魔物が散らばらないように。」



森全体に広がる前に、今あちこちに移動する魔物を閉じ込める。


絶対的な効果があるかどうかは別だが、これでひとまずは感染の勢いも弱まるはず。


「わ、わかりました。鳥の一族に頼んでなるべく感染した魔物がすべて囲い込めるような場所から撒いてもらいます」


「じゃあロト、俺たちは魔物退治だ」


「待ってくだされ、鳥の一族に頼んでファン殿につくように言ってきますので、彼らの目があれば敵を探すのにも苦労しないはず」


索敵に力を割かないで済むのなら戦闘だけに集中して魔力を使える。


「きゅる!」


聞き覚えのある鳴き声がしたと足元を見ればひとりの森人が手を掲げていた。


「……お前、もしかして」


「ファン殿に助けてもらった子です。お前、子供は中央へ固まりなさいといっただろう!?」


オサが森人に向き直り、ファンの足元で何か言っている森人をしかりつける。

だが、そんなオサの声にもひるまずにきゅるきゅるとファンにはわからない言葉で何か必死に叫んでいる。


「ふん、ふん。それは……」


森人の訴えに困ったように唸るオサ。


「……どうしてもというなら、わかった」


しかしそのあまりに必死な声に折れたのか、しかたないという声音をにじませる。


「ファン殿、こいつをどうか連れて行ってやってください。」


「この子を?」


「戦闘はできませんが、我ら森の民は離れた場所にいる仲間からの情報を樹を通して知ることができます。役に立つかと」


「だけど……」


子供の森人ということは、あの樹に溶け込むような自衛の能力は持たないのではないか……ファンの向かう場所は危険すぎる。


「この子なりに覚悟してついていくと言っております。何かできることを、と思ったんでしょう。お願いします」


足元に視線を落とせば森人がこちらをじっと見つめて、ファンの言葉を待っている。

森の一大事、皆が精いっぱい動いているのを見てこの子も……。


「よし、一緒に行こう」


ファンがそう告げると、言葉は通じつともその意思は伝わったのか、ぴょんぴょんと喜ぶように撥ねた。


「やるなら、しっかりとな」


オサが告げる言葉にぴしっと手を上げた森人。


「よし、それなら行こう。今回は―――――」


――――全力で殺しにいく



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


高い樹に上り、周囲にいる魔物の中で一番離れた場所にいる魔物に狙いを定め、ピュルテは戦闘態勢に移る。

樹を足場にぎゅっと蓄えた力を一気に解放し、地面を移動する敵めがけて真っ逆さまに突撃する。

反動をつけるために蹴りつけた樹は足の形に抉れ、突き抜けた衝撃が成っていた巨大な実を粉砕した。


「あああぁっ!」


一撃。

咆哮とともに繰り出した踵落としが疾走する魔物の胴を捉える。

弾力性の高い、物理的な攻撃に強い体を持っていた魔物を、抵抗など無意味とばかりに容易く蹴破る。

そのまま地面へと着弾した。


何に襲われたかすら認識しないまま、体に大穴を開けられた魔物は地面へ縫い付けられたまま絶命した。


地面へ深々と突き刺さる足を引っこ抜き、血を滴らせながら次の獲物に意識を向ける。



すでにあたりにはピュルテによって殺された死体が散乱し、濃い血の匂いが充満している。


今仕留めた魔物で何体になるか、ピュルテはすでにわからない

いちいち数える暇もない、ただ殺し、感染を食い止める。それだけ。

昂る本能のままに身を任せ、目に映る魔物すべてを殺す勢いでとびかかり、殺しまわった。


「次は、あいつ!」


息を荒く吐き出し、視界に入った魔物へ突撃。


移動する魔物の後ろから先ほどと同じく、地面へ沈めんと拳でぶん殴る。


「がっ」


だが、その魔物にあたった拳はガンと音を立てて弾かれた。

硬いからにぶつかった衝撃で拳がしびれる。


攻撃されたことに気付いた魔物が振り向き、ピュルテの姿を捉えた。

巨大な鋏をぶらさげ、無数に生えた足をうねうねとうごかし奇妙に動いている。


顔を顰めるピュルテが殴った部位をにらみつける。

背なかの殻、一番硬いであろう部位に攻撃してしまった。


「それならっ」


再び突撃した先は魔物の脇、気持ちの悪い足を動かし、移動する魔物は風を切るピュルテの動きについてこれていない。

無防備にさらされているところへ渾身の一撃を叩き付ける。


「なっ!?」


しかし、防御するわけでもなく、するっと攻撃を通した魔物の脇部分はピュルテの拳をものともしない。


還す刀で振り下ろされた鋏がピュルテの胴を捉えた。


「うぇっ」


挟まれた体を地面へと叩き付けられる。

背なかに走った衝撃に行き場をなくした空気が口から飛び出た。


呻くピュルテへ追撃が振り下ろされるが、はっと意識を戻してその場から離脱する。


げほっ、と咳をして呼吸を整える。


「―――――硬い……」


つけられるだけの勢いをつけて殴りつけたはずの脇腹もまるでダメージがない。


「いや……!」


よく見て見れば全くの無傷ではない。少し罅が入っているように見える。

殴りつけたピュルテの拳の形が、うっすらと跡が残っている。

となればあそこを殴り続けていればいずれ殺せる……。


だが、


「時間がかかりすぎるか」


こうしている間にも何体もの魔物が散らばり、森を侵食していく。

今ピュルテがなすべきことはなるべく早く、すべての魔物を駆逐すること。

その為には、出し惜しみをしてなどいられない――――。


「はぁーー」


大きく息を吸い込むのと同時、周囲の魔力を意識する。


回転する音とともにピュルテの周囲に花びらが現れ、巻き上げた魔力を回収するようにピュルテへと流しこむ。


淡く、魔力の粒子を瞬かせるピュルテはどんどんと力を蓄えていく。



「しっ!」


体に納まりきれないほどの魔力を吸い上げて、上限いっぱいに取り込んだピュルテが大きく一歩、大地を踏みしめる。


――――同時。

爆音を携えて、目にもとまらぬ速さで間を詰めたピュルテが先と同じ位置に拳を振りかぶった。


まったく同じ軌跡をたどった攻撃はしかし、その内包したとんでもないのみが桁違いに変わっている。


わき腹から衝撃が突き抜ける。


魔物は、一瞬の間を開けて爆散したかとおもうと、ばらばらになった肉の破片が中空へと散らばった。


湧き上がるものを包むように拳をぎゅっと握ると、確かな手ごたえ。


高揚する気分を抑えつけて、取り込んだ魔力がなじむようにゆっくりと息を吐き出す。


敵を葬ったわずかな余韻、だがピュルテはそんなものを感じている暇すらない、と鋭くなった感覚を頼りに次の魔物を殺すべく駆け出した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


「近くで聞くと、やばいね」


向かってくる魔物の突進を受け止め、感染した部分に触れないよう、注意を割いて銀糸を巻き付ける。


ロトの生み出した風が足裏から勢いよく噴出し、蹴りの威力を倍増させる。

吹き飛んだ魔物に絡みついた銀糸が引っ張られ、ぎゅうぎゅうと締め付けられた魔物がばらばらになった。


戦闘中も絶え間なく、轟く音はとても一人が起こているとは思えない。

続いて向かってきた魔物を蹴り飛ばしながら、ファンは感嘆の声を漏らした。


『あんな調子で持つのかしら』


ロトが風のカーテンを作り出し、視界内にいる魔物が逃げないように囲いながら、ファンの戦闘を補助する。


おどけるように一言、皮肉を言いながら風の刃を飛ばし、一定の距離を保つ。決して自分に近づかせない立ち回りは錯乱し、動きの単純な魔物をたやすく手玉にとっている。


ピュルテのあの尋常ならざる大立ち回りはかなりの力を使っているはずだ。

こうしてファンたちも尽力して戦ってはいるが、あそこまで全開で戦い続けるのは不可能だ。

ファンはただでさえ、魔力の使用効率が悪い。

それを理解しているロトはあまりファンから魔力を引き出し過ぎないように戦っていた。


「でも、抑えて戦うんじゃあ、間に合わないかもしれない!」


6対の羽のついた虫の魔物がファンめがけて鱗粉を振りまいてきた。

それは一目でわかる神経毒。吸い込んだ獲物の動きを止めるためにばらまく厄介な粉だ。

ファンはまばらに飛んでくるそれを、後方の樹へ銀糸をひっかけて起点にし、猿のように樹の隙間を飛び回って回避する。


樹の陰に見切れたファンを追って傍を飛ぶ魔物に死角から残っていた腐薬を振りかけた。


ブンブンとうるさくなっていた耳障りな羽音が徐々に音を弱めていく。


薬のかかった羽の部分が腐り落ち、飛ぶことのできなくなった魔物が落下。


なすすべなく無残に地に落ちた魔物は足を上に向けてばたつかせる。

すかさず地面へ降りたファンがわずかに残った羽を震わせてもがく魔物の頭へナイフを突き刺す。


ぴくんと震え、魔物の動きが止まったのを見て、ファンは銀糸を使って移動する。


また一体、魔物を仕留めたもののまだまだ視界に移るだけで大量の魔物がいる。

これらすべてが感染した魔物なのかは判別できないが、いちいち確認しているあいだにも、まだ感染していなかった魔物が感染していく。

それならばすべてを殺し切るしかない。

そのためには今のままでは手が、人が、力が足りない。

想定していたよりもずっと状況が厳しい。


息つく間もなく、次の魔物を相手取るファンは戦いながら考える。


一体一体を殺す速度をもっと上げるには、もっと早く仕留めるためには……


手持ちの魔道具は生活に伴うものばかりで戦闘向きに使えそうなものも殲滅戦には向かない。


――――どうする


「おい、森の民からの伝達だ。遺跡の近くのほうにも感染した魔物が!」


こっそりと隠れている森人から情報を受け取った鳥の一族がファンへと通訳する。


圧倒的に手が足りない。


まだこの場所の魔物が残っている。遺跡へ向かうにしてもここが片付いてからだ。


聞こえていた轟音もまだ鳴り響いている。

ピュルテもいまだ戦闘中、となれば


「これしかない」


今度は正規の手続きで、


ロトを召喚している最中にするにはいろいろと問題はありそうだが、この際やってみるしかない。


隙を見て、大きく距離を取ったファンは意識を切り替え、地面へ紋様を刻み込んでいく。


「ロト! 防壁を頼む!」


戦況をみてあちこちへと風を操り、魔物の注意をひき、ファンの補助をしてと奮闘しているロトに向かい大声で叫んだ。


『……私だけじゃ足りないって、そういうことね……!』


「手が足りないんだ! 後で謝るから、頼む!」


『……。本当ならあたしだけで十分なのに』


静かに闘志を燃やし始めたロトへファンは必死に頼み込み、懇願する。

言い争ってる場合じゃないとわかってくれたのか、不満そうにだがロトはファンの周囲を囲うように力を行使する。風の障壁がファンを包んだ。



これで攻撃される心配もない。

かっと集中し、早く、だがいびつにはならないように注意して陣を書き上げる。


「―――――よし、完成!」


ファンの足元に、人の背丈ほどの召喚陣ができあがった。


渦巻く風の中で、完成した召喚陣に魔力を注ぎ込む。


『召喚』


ロトとは違う、一変にまとめて魔力を持っていかれる感覚。

ナイフで刻み付けた紋様に力が灯る。


魔力の粒子を纏い、顕現したのは


巨大な帽子を被り、ふんわりと柔らかそうなローブを纏う少年。

背丈は森人よりも大きく、ファンたちよりも小さい。


「……! ついに呼ばれた……」


大きな帽子のせいで顔が少し見づらいが口元が少し緩んでいるのが見える。

魔力の粒子が少年へと吸い込まれ、召喚は完了した。


「あなたが召喚者?」


「そう。今この森で暴れている魔物を倒す手伝いをお願い!」



魔力を持っていかれた虚脱感で息を荒くしているファンを見て、少年は周囲に目を向けた。

あちこちで暴れまわる魔物。そのすべてに魔力感染の跡がみえる。


「妙な模様のやつを、狙うの?」


静かな声でファンへと質問してくる少年にうなずいて見せる。 

その動作を見て納得したのか、少年は被っていた帽子に手を当てる。


「それなら、簡単」


契約者はこの世界とは異なる世界から召喚する特殊な存在。

力を発揮するには召喚者から注がれる魔力が必要不可欠だが、契約者が発現させる力は魔力の概念から外れ、この世界にある魔力とは別の力を有する場合がある、それが。


「――――全部まとめて……」


ふわふわのローブをはためかせながら、溜めた力を放つように帽子から勢いよく手を離し、両の手のひらが魔物に照準を定めるように動く。


出現したのは指ほどの細さの鉄の杭。

有に数十を超える数の鉄杭が少年の周りに展開され、それが少年の合図とともに打ち出された。


「――――っ!」


魔物の悲鳴は聞こえない。


魔物に認識されない速度で体を通り抜け的確に急所を撃ち抜く鉄杭は、自身が死んだことに気付かせることなく魔物の命を奪う。


鉄杭を打ち終わり、再び周囲に目を揺らす少年は間髪入れずに第二射の動きに移った。


一撃では倒せない魔物には鉄杭を二本撃ち、それでもだめなら三本。

確実に仕留めるまで鉄杭を撃ってはすぐに装填する。

その一連の動作の速さこそが殲滅力の高さ。

はびこる魔物を全滅させる勢いで魔物を殺していく。


地面が小刻みに揺れた。


「……? なんだ?」


順調に魔物の数が減ってきたところで唐突に足元から謎の振動が伝わってくる。


見れば慌てたように森人が樹の上にのぼり、感染していない獣が怯えるように逃げ去っていく。


「土蛇が来るぞ!」


いち早く何かを察知した鳥の一族リードが声を上げる。

その直後、

足元の地面が勢いよく隆起し、人間一人は丸呑みできそうな大きさの蛇が姿を現した。


「土蛇……?」


すばやくその場から距離を取ったファンは飛び出してきた蛇をにらみつける。


その全長は近くに生える樹と同等。

視線を上にあげなければ伸びた頭を捉えることができない程巨大な蛇だった。 

土を被った厚い鱗に覆われた体は生半可な攻撃では効果がなさそうに見える。

そして、


「こいつも感染済みか……」


腹側の体には薄緑に変色した模様が確認できた。

その範囲は広く、こちらの攻撃が届く範囲にはほとんど感染した模様が広がっていた。 


『これじゃあ近づいて攻撃するのは危険ね』


ファンと同じように冷静に観察していたロトが腹の感染部分を見て言う。

他の魔物と違い、あの巨体では少し体を動かしただけで感染部分に触れてしまう危険が高い.

近接戦闘は避けなければこちらの命が危険にさらされる。 


だが、感染している以上はあの蛇もしっかり殺し切らなければ……。


『私の風もあまり意味ないでしょうね』


首をゆらゆらと揺らしていた蛇は視線の下にファンたちがいるのを確認して、大きく口を膨らませた。


「来るっ!」


ファンが攻撃の動作に入った蛇を見て叫ぶ。

同時。

膨らんだ蛇の口から勢いよく紫色の液体が吐き出される。

すでに避ける構えができていたファンは余裕をもってそれを回避した。


今ファンがいた場所へ頭上から降り注いだ液体は一瞬で地面を溶解させた。


「消化液か」


蛇の開いた口を見て次の動作を予測し、さらに大きく跳躍。


再び吐き出された消化液もファンを捉えることなく地面へ着弾した。

着弾した消化液が勢いのまま飛び散り、着弾個所から一メートルほどを巻き込んで溶かす。


飛んでくる速さはさほど速くない。

目で捉えてからよけようとしても間に合うはずだ。

だが、


「この範囲はめんどうだね」


消化液は蛇の口から放たれて宙に吐き出された後、中空で分散し、広範囲にその猛威を振るう。

着弾した場所から一メートルに飛び散った消化液が広がるため大きく余分に攻撃を躱す必要がある。

さらにはその威力。

地面を溶かし、樹を枯らし、魔物の死体を消滅させる。

今周りを見渡すだけでもあちこちで地面から煙が挙がっており、

鼻を押さえたくなるような悪臭が広がっていた。

それは少しでも体に掠めればそれは致命的な傷となる。

そして、


「シュルルル」


大きく身をよじらせた蛇がさらに胴体を地表へ伸ばし、森のあちこちを這いずり回る。

その動きを避けきれず、胴の部分に触れてしまった魔獣の身体が薄緑に変化し、その魔獣があちこちに走り感染を広めていく。


あらたに感染し、森のどこかへ逃げようとする魔獣を鉄杭がどこからか飛んでいき、魔物の体を突きぬけた。


「どうしよう……」


あの消化液を見て躱すのは可能だ。

だがその後。

躱した後蛇に近づいて、あの感染済みの胴体を触らずに攻撃する……不可能だ。

どれだけ素早く動いてもあの巨体が少し動くだけで感染部分にあたってしまう。

さらに言えばあの分厚い胴体を貫通できる手段がファンにはない。


「…………」


ちらりと後ろを振り向き、鉄杭の少年へと目配せする。


「多分、倒せる」


ファンの意図が伝わり、少年が蛇の前に進み出た。

後ろから並び見るとその大きさは歴然だ。



一般的な大人の体格よりも二回り以上小さな少年。

見上げるほどの大蛇の前に立つ姿は一見、生贄にされる子供をみるかのよう。

だが少年の大人しそうな喋り方とは裏腹に、確実に倒せると確信しているような自信ある目つき。

立ち姿も凛としており、びぐびくと怯える素ぶりはまるきりない。



土蛇が目の前にやってきたちいさな人を認識し、唸らせた胴体をぐっと曲げる。


「ーーーーァ!」


弾かれるように蛇が動く。

地に足をつけたままの少年を丸呑みにしようと口を開いた蛇が噛み付いた。


ーー硬い金属音が響く。

口から大きく発達した牙をのぞかせる土蛇は少年の肩口に食らいつこうとし、失敗した。

いつのまにか出現させた長い鉄杭をつっかえ棒のようにかました少年は大きく開いた土蛇の舌の上で丸呑みにされるのを防いだ。

勢いよく閉じようとした口が鉄杭に阻まれ、拮抗している。


「臭い……」


開いた蛇の喉奥からは強烈な刺激臭が臭ってくる。

直後、拮抗した状態にある少年の目に映ったのは喉奥から込み上げてきた消化液。


「ーーっ」


鉄杭を離し、早々に口の外へでた少年。

同時に土蛇が口にかまされた鉄杭ごと消化液を吐き出した。

思いの外粘ついたのか蛇の粘液が少年の足を鈍らせるが、すれすれのところで消化液を回避する。

横っ飛びになりながら手のひらを突き出し、土蛇に向けて鉄杭を出現させた。

鉄杭が手のひらから勢いよく土蛇の口の中目掛けて突き進む。

だが、土蛇の反応速度も並ではない。

少年がに手のひらを向けた瞬間に口を閉じ、突き出した頭を引くように胴を曲げ、鉄杭が発射されるタイミングには潜り出てきた土の中へ体を隠して鉄杭を交わした。


実に器用に穴を使い、鉄杭の攻撃を避ける土蛇。

あの巨体ながら動きも早い。

体の全体が見えなくとも巨大だと理解できるほどの大きさを持ちながら、知覚してから回避行動をとれる機動力は厄介なことこの上ない。


「体はまだ土の中なのに……」


そう、体全体が見えない。つまりこの戦闘中土の中へ潜ったり、出たりしているあの蛇はまだ体を土のなかに残したままなのだ。

体が大きすぎるため、地表に出している部分だけでもある程度動けてはいるが、本来あのような状態にあるならば蛇と穴の繋がる部分を攻撃すれば確実に攻撃を当てられるため、こちらが有利になる。

だが、あの土蛇の胴体に何本鉄杭をぶつけてもあまり効果は得られないだろう。

何本か、狙いのそれた鉄杭が蛇の胴体に刺さっているがそのどれもが浅い。あの分厚い鱗に阻まれて皮の表面で止められている。


並の魔獣なら容易く貫通する鉄杭をもってしても致命傷には遠く及ばない。

仕留めるなら急所、それしかない。

だから少年は執拗に頭を狙い、攻撃を仕掛けているのだ。


消化液を避けようとすれば攻撃に転じる暇がないが、回避に専念すればあの速度、当たりはしない。


――――……今、少し量が少なかった……?


視界に蛇と少年を捉えながら、辺りの魔獣を狩り続けるファンが今の土蛇の攻撃に違和感を覚えた。


鉄杭を構えた少年が消化液を避けきり、土蛇が消化液を吐き終えたのを確認。

攻撃に転じようとしたその時に、土蛇は予備動作もなく少量の消化液を吐いた。


次の消化液が溜まるまでの間隔を狙っていた少年に消化液が迫る。

量は少なくともその溶解効果は同じ。


「――――!」


あわや半身を溶かされるという場面で少年は生み出した鉄杭を発射せずに正面に展開。

素早く密集させ、地面へ突き刺した。

消化液が着弾。

鉄の溶ける匂いが煙と共に立ち上がる。


「あぶなかった……」


煙が晴れると、そこには溶けた鉄屑の塊に守られ、縮こまった少年の姿。

間一髪、盾のように展開した鉄杭が消化液から少年を守っていた。

だが、急造の盾は完璧とは言えず、撥ねた飛沫がわずかに少年の体を焼けただらせた。


あの少量の消化液は、攻撃のタイミングをずらすためのフェイク。

口の中にある程度の消化液を残したまま、少年が避けきったと確信し、攻撃してくるタイミングで残しておいた消化液を吐き出したのだ。


吐ききると次に消化液を溜めるまでの時間があることに狙いをつけた少年の動きを理解したような動き。

獣の本能が、少年を仕留めるためにどうすればいいかを体現した攻撃だった。


身体のあちこちに傷を負った少年は痛みに耐えるようにうずくまっている。


そんな少年の姿を見た土蛇が追撃にかかろうと口を開く。

弱った獲物を前にして、これを逃すようなことはない。

今まで喰らってきた獲物と同じように、確実に仕留めるため土蛇は勢いよく食らいつこうとする。


「やられっぱなしじゃ、ないぞ」


だが仕留めきれそうだと判断した土蛇のその行動は、少年にとって好機となる。

とびかかってきた土蛇はすでにまっすぐに頭を着きだし、眼前に迫っている。

大きな口を開け、丸まった少年を丸のみにしようと牙から唾液を滴らせて。



それならば、と少年は発射準備を整えた鉄杭を出現させ、手のひらの先で留めた。

少年の動きは鈍くなっていない。

消化液の飛沫を浴び、体を焼かれるような痛みに襲われながらも、飛び込んできた蛇を返り討ちにする構えを即座に整えた。

土蛇が今まで相手にしてきた獲物とはものが違う。

これしきの傷ならば、問題なく体は動くのだと言うように少年は淀みなく照準を定める。


―――一呼吸。


攻撃を避けることができない距離。そのギリギリまで土蛇を引きつけて、


「ここっ!」


一本の鉄杭に集中したことで鉄杭は今までの倍の速さで飛ぶ。


開いた口に吸い込まれるように、一直線に進む。


「シュアアアァァァァ!!!」


巨大な口の中を進み、その喉奥から後頭部へまっすぐに突き抜けた鉄杭が後方の樹にぶつかり、更にその先まで飛んでいく。


口の中に穴をあけられた土蛇が悶えるように暴れだす。


「うぉっと」


苦しそうに暴れる土蛇は見境なく身体をあちこちに叩き付けた。その範囲は巨体故に広く、少し離れた場所で様子を見ていたファンのもとまでうねる胴が届く。


その身体は感染に侵されているため、万が一触れてしまえばこちらの命に係わる。慌てて飛びのいたファンはさらに距離を取り、一度大きく後方に下がった。


「ん……?」


そうして距離を取ったところで、土蛇の身体が暴れた拍子にすべて穴から抜け出ていることに気付いた。

地面を抉り、土煙を立てて暴れている土蛇の「尾」が地表に出ている。

その全体が露わになったことで改めて土蛇の大きさに驚愕させられる。

このサイズの魔獣がこの森に生息している、その事実を改めて実感したのはトロルの住居以来か。

だが驚くべきはそこではない。

真に注目すべきは今地表に出てきた「尾」の部分。

否、それは尾があるはずの場所。


「これは……」


じんわりと背なかに流れる汗が冷たい気がした。


閉じていた瞳が開き、眠っていたそれが目覚める。


未だ頭を打ち付けながら暴れている頭とは異なるそれは引きずり出された場所を確認するようにあたりを一瞥すると、唖然と見つめていたファンの姿を捉え口を開いた。


「シャアァァァ!」


双頭の蛇。

尾があるはずの場所に存在するのはもう一つの


それは威嚇するような声とともに動き、噛みつきか、とファンは構えたところで何かを吐き出した。


「いっ」


視界に何かが飛んでくるのが見えたと思ったときにはファンの体は吹き飛んでいた。


空中で体勢を整える時間もなく、地面へ転がる。


衝撃に呼吸が一瞬止まり、腹を押さえながら激しくせき込む。

涙目になりながら攻撃を食らった場所を手で触るも、外傷は見当たらない。


「……大丈夫?」


詰まった呼吸を整えるファンの下へ少年が素早く駆けてきた。


「何とかっ」


その言葉を聞いて少年は土蛇の気を引くように鉄杭を撃ちながら、ファンから離れるように駆けだす。


――――なんだ? 今の……


少年の背なかを視線で追いながらファンは思考する。


消化液ではない。

腹部を触った指はざらざらとしたものが付着し、大きな外傷は見受けられない。

一つ確かなのは驚異的な速度。

一撃の威力もファン一人をしばらく悶絶させる程度には高い。

何発も食らえば不味いことになる。


と、あえて土蛇の注意を引くように走り回っていた少年の身体が吹き飛ぶ。

さっきのファンと同じように、避けることもままならず、何かが少年の体に直撃した。

水平に数メートル弾き飛ばされた少年は左手に出現させた鉄杭を地面に突き刺し、鉄杭を握りしめたままくるんと回転し、衝撃を受け流した。


「あれは」


見えたのは茶色の塊。

人の胴ほどの幅のある土の塊だった。

指についていたのは土塊が砕けたときについた砂の一部。

湿った砂を口の中で固めて飛ばしているのだ。

消化液とは違い、その範囲は狭い。

消化液が範囲的な攻撃なのに対し、土弾は点。

当たってもすぐに致命傷にはつながらない。

だが、


「――――っ」


ファンの視界に影が映った瞬間、正面で腕を交差させる。


――――衝撃。


腕に当たって弾けた土の塊がぱらぱらと散らばる。


ひりひりと痛む腕を下ろしながら、ファンは土蛇へ視線を向ける。


厄介なのはこの速度。


視認してからではせいぜい防御するのがぎりぎり間に合うかどうかといったこの速さ。


一時的に標的がファンに移った瞬間に少年が土弾の蛇へ鉄杭をぶつけようとするが、打ち出した鉄杭が土蛇の土弾によって軌道をそらされる。


「シャアァァァ!!」


すでに消化液を吐く頭の方はその驚異的な生命力で再び少年を見据えている。

口の中から後頭部へ抜けたはずの傷はふさがってはいないが、その目つきを見るに攻撃性はより高くなっているに違いない。

シュルシュルと威嚇音を鳴らし、土弾を避ける少年をにらみつけている。

状況はますます最悪になりつつあった。


「2匹に増えたと思えばいいだけ……」


鉄杭を射出してすぐさま正面に鉄杭の盾を広げる。

飛んできた消化液を鉄杭の盾が受け止め、着弾した瞬間に横から走り抜けた少年が鉄杭の照準を……。


「――――くっ」


駆ける方向がわかっていたかのようにタイミングを合わせられた。

少年が中空にいる状態で迫る蛇の口が肩に食い込む。

急ぎ攻撃のために合わせていた鉄杭の照準をあきらめ、かみ砕かれる前に口と体の境目に鉄杭を差し込む。

踏ん張るための地面から離れていた少年は、突撃してきた勢いのまま樹の幹へと叩き付けられた。


大樹をへし折る勢いで突っ込んだ蛇は目前であがく獲物をしとめようと噛みつく力を強くする。


「痛……い!」


牙が皮を破り、肉を引き裂く寸前で強く前蹴りを2発。

放った蹴りの反動を利用して後ろへ飛びのける。

刺さっていた牙から無理やりに抜け出したことで肩が大きく裂け、大量の血がこぼれる。

しかし息をつく暇はない。

飛びのいた先に狙いをつけていたもう片方の頭が消化液を吐きかける。


「展……開、間に合え……!」


鉄が溶ける音。

鼻を通り抜ける不快な臭いに顔を顰めた少年が、次の行動に移ろうとしたとき。


「がっ――――」


盾を展開した少年の横に回り込んだ蛇が土弾を浴びせかけた。


双頭の蛇の連携に対処が追い付かない。

頭が二つ。

それは単純に考えて攻撃が倍に増えることを意味する。

土蛇の猛攻をなんとかしのぐ少年も、しかし手数が足りない。

消化液には盾を張ることで対処し、噛みついてくる場合には大きく距離をとり、躱せなければ鉄杭を差し込んで深手を避ける。

だが、


「――――っ」


どれを対処しても、その次にやってくるこの土弾が躱せない。

どれほど速く動こうとそれ以上の速度で飛んでくる土弾は対処のしようがなかった。

運よく防ぐことができたとしても、それが限界。


攻撃する隙が無い。

防戦一方。

これではどうすることもできないまま、嬲られるしかない。


ーー加勢したいけど……


土蛇に苦戦する少年が視界に入るたび、なんとかしたいきもちが浮かび上がるが、その思考を見透かしたように魔物達がそれを許さない。

先程土蛇が出現するまでは少年の鉄杭がかなりの数の魔獣を刈ってくれていたがそれでもなお、魔物の数は多い。

全て倒しきったと思えばどこからかやってきた魔物が感染を広めたり、倒したはずの魔物がまだ生きており、僅かに逃げる隙を与えた隙に別の獣、魔物に衝突したりと

森には死屍累々の魔物の死体、感染した魔物。逃げる獣がはびこる地獄とかしていた。


「なんにしても、このままだと」


少年があの蛇を倒せなければ、ファンもまたあの蛇にやられる。

今のファンではロトの力を借りても善戦すら難しい。

皆、あの蛇にやられてしまう。


ぐっと歯を噛み、劣勢の少年を思わず見やる。


「…………?」


そこで、ファンは一つ妙なことに気づいた。

攻撃を食らう度、少年の被っていた巨大な帽子が薄くなっている。

それだけではない、身に着けていたローブまでもが薄くなっていっているのだ。

色ではない、存在が消えるように――――なくなりかけているように見えた。

召喚の際には確かにはっきりしていたはずだが、どういうことかとファンは首を傾げる。


「シャァア!」


と、そうして考えている間にもまた少年が攻撃を食らって吹き飛ばされた。


「ローブが……」


土弾を食らい、先ほどまでかすかに目で認識できていたローブが完全に消えた。

同時に巨大な帽子もどこかへ消え、初めからそんなものは身に着けていなかったように下に着ていた薄い生地が露わになった。

両腕には傷を手当てするように布が巻かれ、肩から脇腹にかけては血でべっとりと赤く染まり痛々しい傷を見せる少年。しかし身を包むローブがなくなった途端彼は笑みを浮かべた。


「やっと……きた」


つぶやいた瞬間、可視化できるほど濃密な力の気配が少年の右手を渦巻くようにあつまっていく。

その力は、魔力とは形容し難い力。

言葉に当てはめる術はなく、ただそこに存在していることだけをありありと理解させられる、問答無用の圧。


未知の気配に危機感を覚えたのか、土蛇が慌てたように土弾を放つ。


が、


「もう遅い……」


放たれた土弾は確かに少年の腹をめがけて飛んだが、少年の周囲。一メートルほどの範囲に入った瞬間、何かにぶつかったように砕け散った。


土弾の蛇がそれを見て怯えたように首を引く。


あつまった力の奔流は近づく異物を問答無用で消し飛ばす。


獣の本能が警鐘を鳴らしたのか、土蛇に回避行動をとらせるが少年はそれを逃すまいと右手を上げる。


少年の右腕から放たれたのは音。

水紋のように浸透していくその音はまるで死神が訪れる前触れのように、不気味な静けさを生んだ。


音が止み、布に包まれていた少年の右腕が露わになる。

異様に黒ずんだ文様が右腕のあちこちに記されたそれは禍々しい気を放っていた。


「時間、魔力、受けた傷、すべてが力に。すべてを力に……」


右腕に集まっているのは少年が顕現してから少年が得たすべての事象。

正から負。すべて平等に力へと変換されるが故の禍々しさ。

それは袋の中にに封じ込まれた空気の如く、中に閉じ込められたエネルギーがいまかいまかと解き放たれる時を待っている。


少年の視線の先には音に反応し、逃げることもできずにただ硬直したままでいる土蛇。

少年は掲げた右腕を正面に構え、告げる。


右腕解放リリース


張り詰めた空気を破るように、閉じ込められていた力が濁流のように流れ出す。


少年の意思によって指向性を与えられた力が逃げる暇さえ与えず、土蛇を飲み込んだ。

破壊の波は近くで逃げ惑う魔獣や動物を巻き込んで流れていく。

飲み込まれたものは力に耐えきれず、その体を崩壊させ、あるいは押し潰されて息絶える。


そのエネルギーは恐ろしい程にただ、ただ暴力的に場を飲み込んだ。


――――。

――――――――。

――――――――――――。


動かなくなった土蛇を見て、少年が息を一つ。

だらだらと汗を垂らしながら、右腕を下ろした。

力の放出にと伴い、その余波が右腕を侵食したのか脱力した右腕は血にまみれていた。

少年の前には削れた地面。

破壊されつくした木々。そして魔獣の群れが等しく地に横たわっていた。


戦闘の終わりを見て、ファンも硬くなっていた体から一瞬力を抜く。

あの巨大な土蛇を倒してしまえば戦況はかなり楽になる。

ここで完全に気を抜くのはまずいが、ひとまず強敵を対処できたことに笑みを浮かべる。

視線には少年の姿。

魔力をほとんど注いで呼び出した契約者の力はこれほどにすごいものかと改めて認識した。


片膝をつき、少年が身体から出る熱気を冷まそうと深く息を吐きだしたとき、


「シュゥウウアアア!」


――――死んだふり!?


ボロボロになった土蛇が動きだし、少年の隙をついた。

向かってくる土蛇を少年は驚いた表情で見詰めるが、反動で身動きが取れない。


ファンも戦闘は終わったと油断していたために、この不意打ちを止めることができない。

残った力を振り絞るように少年に迫る土蛇が、今、その喉笛に牙を突き立てんと――――。


――――小気味よい破裂音が響いた。


蛇は口を開いたまま、少年と薄皮一枚のところで制止していた。

首は伸び切り、どれほど前へ進もうとも金縛りにあったように動けないでいる。


何故だ、と疑問に思ったファンが蛇の体をたどるとそこには逆方向に逃げるもう片方の土蛇の姿。

逃げる蛇から伝わってきたのは怯え。

ただ逃げ去りたいという強大な力を前にした獣の本能。

口元についた砂を見ると、あれは土弾の頭の方か。

片や消化液を吐く頭の方は今にも少年をかみ殺さんと殺気を振りまいている。

この両極端に進む蛇たちの意思がぶつかり合い、均等に引っ張られた体はその場で動けなくなったのだ。

よく見れば土弾の頭は傷が酷く、消化液の方よりも強くあの攻撃を受けている。

少年が解放したあの力を至近距離で受けたことによって恐怖を覚えた。

この森でおそらく初めて遭遇した強敵に生まれて初めてひるんだのだろう、この双頭の蛇にとって獲物以外に初めて現れた敵だったのだ。

だから今、こうして体の制御をすることができずにいる。


「あの連携が初めて崩れたってことか……」


固まっていた少年が立ち上がる。

目の前で止まっているあわれな蛇を見て、左腕を構えながら、布を取り払う。


「油断した……恥ずかしい。」


瞬間、先ほど感じた力の圧が再び場に現れる。


「でもまだ残ってる」


禍々しい気配。

鼻先に押し付けられるようにされる土蛇はしかしその場から全く動くことができないでいる。


「でも、二度目はない。今度こそ完全に……」


収束していく力が少年の制御の下、今度は左腕にその力を宿す。

構えた左手が照準を丁寧に土蛇に合わせる。


左腕解放リリース


流れていった力の跡。

飛び散る木々に魔獣の死体。

そこにはもはやそんなものはひとつもなく、ただ一つの肉片も残さず、何かが暴れた後だけが残っていた。

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