第19話 迫る足音

目を覚ますと何やら外が騒がしかった。

通りの方で何かあったのだろうか。


梯子を下りると、背を向けているせいで顔は見えないがピュルテはまだ眠っているようだった。

トントンと階段を降り、食間に行って水をもらう。


「これ、何の騒ぎ?」


「街の入り口のあたりで人だかりができてるらしくてな、詳しいことはわからん」


宿の従業員から帰ってきた答えは要領を得ない。

ピュルテが起きるまで少し様子を見に行ってみるかと、外套を取りに部屋へ戻る。



外に出ると、案の定どこから湧いたのか昨日よりも人が多い。

人の流れについていくように歩いていくと、宿の人が言っていたように確かに入り口のところで人垣ができていた。


「何ごとだ?」

「人が倒れてるんだってよ」

「人?」

「あいつドロのところでみたことある気がする」

「帰ってきたのか」

「でも一人だけだぞ」


隙間を縫って、顔をのぞかせると、そこには治療を受けている男性の姿があった。

敷かれた布の上に横たわる血だらけの男性が体に包帯を巻いている人に向けて何か話している。


「これ、何があったの?」

近くにいた人に尋ねてみる。


「この前、ドロ商隊がドウトの森に花摘みに行っただろ? あいつはその側仕えで、なんでも森から逃げてきたらしくてな、商隊の連中はあいつ以外全滅したんだと」


「全滅?」


魔物にでもやられたのだろうか。

だがそれだとしたらなぜあの一人だけが帰ってこれているのか


「良く帰ってこれたね」

「でかい鳥の魔物に食われる寸前だったらしいぜ、巣へと運ばれてる最中にその魔物が急に落下して死んだから助かったんだと」


なんとも運のいい話だ。

横たわる男の方を見れば確かに体中が全体的に湿っている。

足や腹に見える血は口にくわえられていた時についた傷のようだ。


「でもそれでこんなに人が集まってるの?」


だとしたら随分とこの街は娯楽に飢えている。


「それがよ、あの男の話だと今森の中が大変なことになってるらしくてな、森中に妙な色がついて草が枯れだして」

「魔物の動きも随分、活発になってるからこの街にも飛び出してくるかもしれねえらしいぞ」

横から別の男が口をはさんできた。

「勘弁してほしいよな」

と言って男たちは去っていく。


妙な色、草が枯れる、この二つにファンは心当たりがあった。

その現象をファンは見たことがある。


早くピュルテに報せに行こうと振り返ったところで、


「今の話、本当?」


こちらを見ているピュルテがそこにいた。


「見たわけじゃないからあれだけど、本当ならかなりまずい事態になってる」


確証はないが、嫌な予感がした。

だがこの予感は間違っていない気がする。

そんなファンの表情を見て、しばし沈黙したピュルテが顔を上げる。


「あたし、戻るよ」


そして一言、声低くつぶやいた。

元々街へはファンが強引に連れてきたわけで、森の緊急事態となればそれは早く状況を確認したいと思うのは当然だ。


ピュルテがファンの隣を通り抜けようとして、思い立ったように立ち止まる。


「そうだ、これ渡しておかなきゃ」


そういって渡されたのは


「これ……!」


それは一輪のトラレイト。

未だ、淡く光を灯すそれは陽のさす街の中でも眩いほどの存在感があった。


「それはお礼。森でも、街でも、ファンにはかなり助けてもらったから……」


あれだけ人には絶対に渡さないと息巻いていたはずのピュルテから、この花をお礼として渡されるなんて想像もしていなかった。



「あたしは花園に来る人間しか知らなかったから、お前みたいなやつがいるのも知らなかった。森の中にいただけじゃわからなかったと思う」


だから、特別だ。と話すピュルテ。


「楽しかったけど……観光はこれでお終い」


ピュルテは少し顔を伏せたかと思うと、ゆっくりとファンを見て言う。


「それがあれば、もう森に戻る理由もないだろ、お前は自分の旅をがんばれ」


唖然と立ち尽くすファンを前にじゃあな、と一言つぶやいてピュルテが走り去る。


止める間もなく、口を挟む暇もなく、あっという間にその姿は見えなくなった。

突然、突き放されたように一人取り残されたファンはピュルテの背なかを目で追ったまま固まっていた。


『よかったじゃない、なんだかんだ交渉せずともうまく手に入って。これで目的達成ね』


ひょいと、ついてきていたロトが肩に乗っていう。


ジルの書が必要としているのはトラレイトの花。

今、この手にあるものを本に吸収させることでファンの目的である本の完成に一歩近づく。


確かに目的はこれで達成だ。

元々ファンがピュルテに付き合っていたのもこの花を譲ってもらうため。

一緒に行動していたのもそう、この街にも来たのも落ち込んでいたピュルテを元気づけるため、仲良くなればトラレイトの花を交渉次第で手に入れることができると思ったから。

花が手に入った今、ピュルテを追う理由はない。

わざわざ他人のために労力を使う必要はなくなった。


『じゃあ次は昨夜聞いた魔女の祭りとやらに行ってみる? あの小さい子が知ってたんだからその辺の人に聞けばわかるでしょ』


だが、この感じはなんだ。

すっきりとしない、漠然としたこの気持ちは。

握った花を見て、ファンは昨日のあのピュルテの表情を思い出す。

これまで、人のためを思って行動することなんてなかった。

ジルがいなくなってからずっと、ファンは一人で旅をしてきた。

唯一ロトだけは家族みたいなものだが、それでもファンは自分のことだけを、本を完成させることだけを考えてこれまでやってきた。


「……」


『そうとなれば出発に向けて準備しないと……ファン?』


始めは険悪な仲だったピュルテも、今はすっかり打ち解けたと思う。

今ピュルテは花園を、森の仲間を助けるために森に戻っていったはずだ。

森人の子供を救えなかったと落ち込む姿を見たファンだからわかる。

言葉に出さずとも、街の騒ぎを見て心配したはずだ。


『ファン、聞いてる?』


森人たちは戦えない。

今森で魔獣たちが暴れているのなら。

またこの間のように森人が襲われているのなら。

それを一人で何とかしないといけないんだ。


「ロト……俺」


『……本気?』


ぎゅっと、もらった花を握る。

あのヒト嫌いのピュルテからもらった、これは有効の証だ。

今まで、人の好意を貰った事のないファンが初めてもらったものだ。


これはファンが勝手に想っているだけかもしれない。

だが、この花を譲ってくれたというピュルテの好意にファンは初めて何かしたいと思った。

利害ではなく、純粋に何か協力できることがあるなら手伝いたいと。


『…………はぁ、なんとなくわかってはいたけど、これ以上あの女に付き合うのはメリットないわよ? それでも行くの?』


頷いて見せるとろとは呆れたようにため息をついたが、それ以上には何も言ってこない。


一人で戦いにいったであろうピュルテのために。

そのピュルテが守りたい森の民のために。

自分も少し、協力したい。


これが本当の寄り道。


「それでも行く」


明確な目的があるわけではない。

ただピュルテの手助けをしたいという曖昧な理由で動こうとしている。

仲間のために動くものとはこういう気持ちのことなのだろうか。


『……いくならさっさとして』


肩に座り込んだロトがふてくされたように薄目で言う。


身体に沸いたよくわからない活力がなんだかむず痒い気がして、走り出す。


だけど、不思議といい気分だった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「これは……」


ピュルテを追いかけて再びドウトの森に入ったファンはその変貌ぶりに驚愕を隠せなかった。

森の至るところに生えている変色した植物。それはじわじわと枯れていっている。


地面に転がる魔物の死体の数はまだ浅いこの場所でもおびただしい程だ。

少し遠くに見えるのは巨大な鳥の魔物だろうか、硬そうなくちばしが地面へ埋まり、体の半分ほどが消えている。


『魔力感染ね……』


この世界に広がる最大にして最悪の症例。

生死にかかわらず、魔力を持った物体を、その存在をこの世界から滅ぼさんとする悪魔のごとき現象。

街で聞いた変色しているという噂から察してはいたがここまでひどいものとは。


改めて周囲を見渡し、街に来ているこの数日の間にここまでの拡がりを見せる『魔力感染』の進行の速さにファンは肝を冷やす。


そもそもこの原因の場所はどこにあるか、それすらわからない。

だが、ひとまずはこの感染を早く止めないと、この森だけでなく街にまで被害が行く。


『あれを見て、』


ロトが示す方向には体の色を変色させた魔物が奇声を上げて暴れまわっているのが見えた。

角を大きく発達させた馬のような魔物。

そいつは鋭いかぎづめを地面へ引っ掛け、近くの樹に手当たり次第に頭突きを繰り返している。


苦しみ、悶えるような仕草でがんがんと頭を振る姿は常軌を逸している。


「何を、してるんだ」


そこで、ファンは気づいた。

あの魔力感染に侵された馬が頭突きした樹、その感染部分と接触した箇所が薄く変色し始めていることに。


「だからこんなに早く、感染が広まってたのか!」


感染した生物が通った道、触れた場所、そこは病魔に侵されるように変色し、新たな感染場所となってしまう。


ああやって感染した生物が移動し、暴れ、その箇所が触れる度にそこからまた次の感染が始まる。


森の入り口に等しいこの一帯がこれほどの状態になっているとしたら、この先はすでに地獄だ。


数日前の森の異変とは、おそらくこれの始まりだったのだ。

感染した魔物から逃げるように他の魔物たちは自らの棲み処を放棄してまで違う場所へと移動していた。


「クロロロロっ!」


馬から視線をはがし、鳴き声の方に振り返ると正気を失い錯乱している一つ目の魔物がこっちへ突っ込んでくる。


『ファン! あいつも感染してる! 触られたらまずいわ!』


見れば脇腹のあたりはすでに感染しきっており、外側からじわじわと粒子になって消えている。

その苦しみからか、泣き叫ぶ魔物の形相はおぞましい。


感染している箇所は胴一帯と口元。

それに触れないようにファンは取り出した銀糸を近くの枝にひっかける。

腕にはめていた黒い腕輪の留め具を外し、銀糸とともに手のひらで握りこむ。


倒れ込むように、口を開き、こちらを食らおうとする魔物。


その突進のような噛みつきをすんでのところで躱し、体の代わりに腕を引き、ピンと張った銀糸で受け止める。


「カッ」


感染部分を避けるように、顔の中心部分に食い込む銀糸に魔物が呻く。


『どうせならもっと突っ込んでくれないとねっ』


ロトが放つ風の竜巻が魔物の背なかを押すように放たれた。

戦闘に使えるよう加工された銀糸はその頑丈さで、魔物の体重をものともしない。

顔にくいこんでいく銀糸はちぎれることなく魔物の顔を切り裂き、


「はぁっ!」


ファンが手に持った銀糸を突っ込む魔物と逆向きに引っ張る。


自分の勢いを利用された魔物は体を半分にされ、もがくことなく地面へと沈んだ。


「どこもあたってないよね……」


感染場所に触れてないか、体を確認し、引っ掛けた銀糸を回収する。


やはりロトの力を借りれば魔物一体や二体、相手することはできる。


「とりあえずピュルテと合流しないと」


今何をしているかわからないが合流しないことには始まらない



地面に落ちている魔物の死骸を避けつつ、記憶にある道をたどっていく。

見覚えのある場所をたよりにどんどん奥へ進む。


だが道はわかっていても、倒しても、倒しても、無限に湧いて出る魔物がファンを阻む。


「はあああぁ!」


無防備な魔物へ振りかぶった一撃を叩き付け、骨を砕いた。

自分を鼓舞するように吠える。

だがその気概もこうも終わりが見えないと厳しいものがあるが正直なところだ。


蹴り飛ばした魔物の首をへし折り、迫ってくる次の魔物へ向き直る。


いくら魔物を殺そうとしても戦闘音に引かれ、どこからか魔物が集まってきてしまう。

すでに通ろうとしていた道には魔物が準備万端といった具合に詰まっている。

そのほぼすべてが漏れなく魔力感染に侵されており、体に触れることなく戦うというのもファンの神経を削っていた。


魔力感染はその規模に対して治療法がない。


極論を行ってしまえば一発食らってしまえばそこで終わり。

ある意味魔物のとる最強の攻撃はそれだ。

すでに感染している魔物に救いはないが、すぐに死ぬわけでもない。

じわじわと体が霧散していく痛みを味わいながら、ゆっくりと死にむかっていく。


その運命に抗うように魔物たちは痛みに暴れ、苦しみを紛らわせるように駆けまわる。

それが二次感染の原因だ。

すなわち、これ以上感染を広げないためにも、今感染している魔物は速やかに処理しなくてはならない。


「にしてもこれじゃあ」


森の前にファンがもたない。

額に汗を浮かべながら、まだ感染していない魔物の腕を狙って受け流す。

足元に炸裂した叩き付けを乗り越えるように、魔物の顎へ蹴りを食らわせた。


吹き飛んだ魔物が後ろに詰まっていた魔物を押し倒す。


消耗し始めたファンが肩で息をしていると、


「きゅる?」


近くの樹からひょっこりと出てきたのは一人の森人。

戦闘地帯にも関わらず、呑気にファンの顔を見つめると、ぴょんぴょんと撥ねた。

これは喜んでいる表現だったか、突然現れた森の民に驚いていると、何やらファンへ向かって手招きをしている。


――――ついてこいってこと?


ぼやぼやしていたら次の魔物が迫ってくる。

ここは素直に森の民を信じよう、そう判断したファンは魔物たちがおってこない用、薬屋で買った腐り薬を線を引くように地面へ撒いた。


先を行く森の民の後を追うように歩く。


流石この森に詳しいというべきか、ファンの知らない道を通っているが、この道は魔物が格段に少ない。

餌に群がるような地獄と化していたさっきの状況とは天と地の差だった。


時折現れる魔物に応戦しつつ、森の民を守ろうと振り返ると、


「あれ、どこに」


さっきまでいた森の民の姿がない。

もしかしてやられたかっと焦った瞬間、

見ていた樹の根元から、いや根元ではない。

戦いが終わったのを確認して、樹の幹から通り抜けるように現れた。


「樹と同化して、え?」


『樹に一体化して身を護る……これなら戦闘力がなくてもこの森の中で生き残れるわね』


確かに少し疑問に思っていた。

この森に棲んでいて、何の能力もなくあれだけの数の森の民が生きてこられたのはどうしてかと。


今見た能力があればたとえ、魔物に追いかけられても逃げ切ることができる。


『あの子供たちはまだこの能力を使えなかったのね……だから……』


しっくりと来るものがあった。

きっとあの子供たちも成長し、大人になればこの能力が使えるようになるのだろう。


驚くファンたいに不思議そうな視線を向けながら、森人は樹から這い出て、ひょこひょこと再び先導しだした。


自分の身が守れるならば、無理に森人を気にかけなくても大丈夫だろう。


戦闘に集中できる。


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