第16話 街へ

わざわざ見送りに集落の外まで来てくれた森の民たちに声を掛け、ファンたちは集落を出た。


「なぁ、本当に行くのか? 私は、その、花園を守らないと……」


「気分転換だよ、ピュルテだって俺の持ってるものとかにかなり興味ありそうな感じだったでしょ? 街に出れば見たことないものたくさんあるよ?」


先導するファンの後をもごもごとごねながらついてくるピュルテ。


昨晩、ファンはロトに発破をかけられた勢いでピュルテに対し、街へ行こうと誘った。

当然のように何故だ、いやだと話すピュルテにまさか直接元気づけるためだとも話せず、適当に話をでっち上げ少しでも興味のありそうな話を餌にかなり強引に約束をとりつけた。


そんなこんなで今、ファンたちは街を目指して歩いている。

だが、少し強引だったとは言え、一度行くと言ったのに往生際が悪い。


「いいお店があるんだよ、すごい美味しい料理を作ってくれるところが! ピュルテの料理とはもう別物だよ!」


「……あたしの料理をいちいち引き合いに出すな」


「本当においしいからさ、ロトも食べたがってたし」


肩で顔を潰すようにべたっとまどろんでいるロトはむがむがというばかりで話に入ってこない。

援護射撃が不発に終わったがファンはその調子で街に行ってから寄りたいところなどをピュルテに話し続けた。

そろそろこの森も歩きなれてきたころ、さくさくと道なき場所を行く。


「おぉ、もう出た」


戦闘らしい戦闘も起きず、一行は無事に森を抜けた。


ピュルテと一緒とは言えここまですんなりと森を抜けると行きの苦労が馬鹿らしく思えてきてしまう。


「ん?」


拍子抜け感が否めずにモヤモヤしていると何やらピュルテが立ち止まっているのに気づいた。


「どうしたの?」


「私はこのまま入ったらまずいだろ?」


言われてみれば街の中には花園へ向かったことのあるものたちもたくさんいる。

必ず全員がとは言えないがほとんどの人はピュルテの顔を覚えているだろう。

そんな場所に顔をさらしたまま行けばどうなるか

まず間違いなくもめ事に発展する。確信できる。


「そっか、うっかりしてた……」


ただ街に連れ出すということのみに意識が向いていたせいで失念していた。

どうしたものかと、しばし考え、一つ策を思いつく。


「ちょっと、ここで待っててすぐに戻るから」


そういってピュルテが止める間もなく街へと来ていったファン。


それから1刻ほどして、息をきらして帰ってきたファンの手元にはくすんだ色の布が。


「これ、着てれば多分、街の中では、ばれないと思う」


そういってファンが差し出したのは外套だった。

頭の先まですっぽりとかぶれる形のもので、深くかぶれば顔を隠すことができる。


「ありがとう……」


ピュルテは目を丸くしてその外套を受け取った。

取引などもなく、ヒト種からものをもらったのは初めてなのか、じっと食い入るように外套を見つめている。


「安物だからあまり丈夫ではないけど、数日なら問題なく着れると思う」


促されるまま見つめていた外套をがばっと被ると


「おぉー、大丈夫大丈夫。ぜんぜんわからないよ、これ!」


「本当か?」


心なしかピュルテが嬉しそうな表情を見せた。


「よし、行こう!」


さらにピュルテの背なかを文字通り押し、一緒に街へ入る。


「おぉおお……!」


立ち止まり、人の集まる方向を感動した、と声を上げてみるピュルテの姿は内心喜んでいるのが透けて見えた。


きょろきょろと左右を世話しなく見ながら盛んに首を動かして初めての場所を目に映そうとする。

深くかぶった外套の中、影の中から好奇心丸出しの視線が光っている。


「もうすぐ陽が落ちるから先に宿に行こう」


街を見せるのは明日でもいいし、別にいつだっていい。


「……」


そんな調子のファンが気に食わないのか、肩から意味ありげな視線を送るのは街につくまでろくに口を開かなかった相棒、ロト。


「何? 」


『別に~、随分熱心だと思っただけよ』


口をとがらせているのを幻視しそうな物言い。

ふてくされたような態度を取るのはなぜか


「アドバイスをくれたのはロトだろう……」


宿はこの街に来た時と同じ宿を取った。不愛想な受付に金を払い。奥の部屋を取る。

ヒトの作ったものは花園に来る獣車しかみたことがないと言っていたピュルテは小さな子供よろしく、なんにでも興味を持った。部屋に荷をおろし、簡単なものだけ持って店の立ち並ぶ道を歩く。


「随分活気があるなっ」


「ここはいろんな方面からひとが集まる街だから、他のところよりも人が集まるらしいからね」


酒場の人たちが確かそんなことを言っていた。


「あっちにあるのはなんだ?」


「あれは居住区だね、個々の街の人たちが住んでる家だよ」


「家? あれが家なのか……ヒトは随分立派な家に住むんだな……」


なるほど、と唸るピュルテ。

森の植物を軸に集めた素材で作る家よりかは丈夫なはずだ。

逆にピュルテの拠点は獣の棲み処と呼ぶ方がしっかり来る作りだ、という感想は胸の内にしまっておいた。


店の人たちの元気のいい声にぴくぴくと反応している。フードで顔は見えなくてもそわそわしているのが伝わってくる。


「おにいさん、こっち寄っていきな!」

「これ、もう少し少なくして」

「早くしないとなくなるよー! 在庫は後20!」

「誰か俺の財布取ったか!?」

「目玉仕入れたから見てかないと損するよー! 早いもの順だ!」


空気に充てられてか、ファンも露店を見たくなってきた。


「金は、あるのか!?」


「大丈夫、何とかなる」


本当は懐はかなり寒いがそれを悟らせないように流れるように出まかせを口にした。


「あっ、待って!」


それなら、とピュルテが駆け出してしまった。

森で鍛えられた技術か、器用に人の隙間を縫うように移動するピュルテ。

慌てて追いかけるも、


「いっ」

「おい、走るんじゃね!」

「割り込むなぁ!」


怒鳴り声を浴び、辺りの人にぶつかりながら商店街を駆ける。


「ちょっと、先に行かないでよ」


「あぁ、悪い……」


追いついたファンにピュルテは罰が悪そうに振り返る。


「……誰? その子」


ピュルテの足元にはしゃがみこんで足をさすっている女の子が一人。

ぶつかってけがをさせてしまったようだった。


「……すまんな」


「もうっ! 痛いなぁ! こんなところで走ってこないでよ、ん? お兄さんじゃん。」


声を掛けられてその女の子が顔見知りだと気づく。

確か、酒場による前に会った子だ。


「この人お兄さんの知り合い? 気を付けてよね」


「あぁ、ごめん。つい興奮しちゃったらしくて」


「興奮って……そうか、お兄さんの知り合いだから外から来た人だよね。この被ってるフードは何?」


「それは……ちょっと秘密なんだ。あんまり見ないで上げて」


相変わらずはつらつとした元気な子だ。

道端に落ちた荷物を抱え治し、ピュルテのフードの中を見上げるように覗き込んでいたので、一つ忠告する。


「怪我してる、ちょっと待ってくれ、あたしが治す」


「え、別にいいよ、これくらい。かすり傷だもん。……ってやばいまだ運んでる途中だった!」


手当てしようとしたピュルテを制し、「じゃ、私急ぐから」と少女は風のように去っていった


人に走るなと言っておきながら、道行く人を押しのけるように走りさる少女を見て、ピュルテは唖然と固まっている。


「なんだったんだ」


「まぁ気にしなくていいよ。それよりあんまり俺から離れないでよ」


気を取り直して商店街を練り歩く。


「おじさん、だるまの花と目黒紐、世渡りの蝶かなにかない?」


「うちにはないな、代わりにこれはどうだ?」


「ナニコレ」


とある露店で目にしたのは口が紫に変色した蛇の人形、奇しくも集落で見た森の民の家の作りを彷彿とさせる木の編み込みはピュルテの目には良いものと映ったらしい。


「これ、良くないか?」


「いや、これは」


『粗悪品ね、何かのまじないの後っぽいわ。下手に触ると体の一部が腐るみたい』


「うわっ」


耳元でささやかれるロトの助言に思わず声が出る。

危うく受け取りそうになった。いらないと突っぱねると店の主人とピュルテは残念そうに眉を下げた。


「あれはなんだ?」


「あれは……なんだろ、けもの、かな?」


店の前で小さな獣たちが小躍りしている。

よくしつけられた獣たちは男の合図で並べられた小箱を飛び越え、くるりと回って見せる。


「ヒトは獣をしつけて商売をするのか」


「あれをやるのは一部のヒトぐらいだよ。しつける手間も馬鹿にならないだろうし」


数えてみれば合計5体もの獣がいた。あれがすべてしつけられているとしたら一体どれだけの時間をかけたのか。


『あれ、魔道具よ』


「え?」


『薄いけど魔力の気配がするわ、よく見てみて』


言われるがまま注視すると、獣たちにごくわずかだが魔力の糸のようなものがついている。

その先をたどると大きく身振りする男の裾に繋がっていた。


「じゃああれって」


『どこにあったのかしら、かなり珍しい種類の魔道具だと思うわ、糸を付けた相手を操るとかそんなかんじの』


物珍しいと集まっている客はすごいすごいと騒いでいる。

多分誰も気づいていないのだろう。

取っ組み合ってもみ合う獣たちの動きに興奮した周囲の人々は置かれた受け皿に次々に金を入れていく。


『獣のしつけなんてそうそう簡単にできるものじゃないってことね』


なんだか妙に残念な気持ちになった。

が、隣で目を輝かせて人垣の隙間を覗くように背伸びしているピュルテを見て、

これはこれでいいのかと自分を納得させた。


「最近ああやってお金をもらってる人よく見るね」


そばにある大広場にも似たようなことをしてる人たちが集まっていた。

大道芸と呼ぶのだったか。

ここにくるまでにも時折見かけた。


『魔道具がずいぶんと出回るようになったからそれを使う人が多いんでしょうね』


「魔道具かぁ」


ファンは魔道具を集めるのが趣味だ。たいていは実用的ではないがたまに発見する強力な魔道具、便利な魔道具を見つけた瞬間が楽しい。

ロトにはよく文句を言われるが、今日もピュルテを案内するという名目でこっそり楽しんでいた。


「あ、あれも」


広場でひと際集まりの良い大道芸をやっている人物が目に入る。

座り込んだ前に妙な結晶が置いてある。


「ふんっ!」

「どうしたどうしたー」

「その形でたしたことないなぁ!」


何やら魔道具のショーらしい。

力自慢歓迎と書かれた看板に吸い寄せられた筋肉の塊たちがそろって大声を上げている。

手に持った武器を勢いよく叩き付ける筋肉男。

ガインガインと町中に響く音。

あれだけ激しく叩き付けているのに日々一つ入らない。


――――なんの魔道具なんだ?


近づいてみてみよう、言葉を発っする前にすでにピュルテは人ごみに割り込んでいた。


やがて筋肉男は武器を下ろし、倒れ込むように体を崩した。

ヤジが飛び周囲の熱量が上がっていく。

悔しそうな顔で男は置かれた受け皿に金を落とす。

失敗したものは金を払わなくてはいけない、と。



「次やるやつはいるかー」

「もしかしたらもうひびが入ってるかもな!」

「どうした? 誰もいないか!?」


あれだけ攻撃を受けてもびくともしないとなると挑戦しても仕方ない、ヤジは飛ばしても自分が行こうとはしない。面白半分にちゃちゃを入れるのが楽しいみたいだ。

そんな人込みの中、うらやましそうに見つめているピュルテを見て


「一回やってみたら?」


「え……」


「やりたいんじゃないの?」


失敗したときの金は自分が払えばいい。せっかくだからとやりたそうにそわそわしていたピュルテの背中を押す。


「なんだ? 随分細いのが出てきたな!」

「武器もねえのか?」

「体の方が折れちまいそうだ」


新しく現れた挑戦者に野次馬がはやし立てる。

顔を見られないようにぐっとフードを深くかぶり、周りの声にぴくぴくと体を反応させる姿は一見すると弱弱しく見える。


『あんな人目のあるところに出して……ばれたらどうする気なの?』


「いいんだよ、本当にやばくなったら逃げれば。なんとかなるよ」


ピュルテは結晶の持ち主と何事か話している。武器は持たなくてもいいかなどの確認だろう。

顔まですっぽりと覆っているから女だということもわかっていないかもしれない。


「どうしたー? 早くやれ!」

「やっぱりやめるのか?」


結晶の周りをぐるぐると回って見つめたり、コンコンと軽くたたいていたピュルテを急かす声が飛ぶ。


「意外と……脆そうだな」


満足したのか、ひとしきり結晶を触ると一歩下がり、力を溜めて構える。


「ふぅうう」


吐き出す吐息とともに魔力が練り上げられていく。

ぎりぎり花弁は出現していないが、周りで見ていた野次馬も雰囲気が一変したことに気付いたのだろう、徐々に場が静まり返る。

フードから覗く首元が微かに光沢を纏っているのが見えた。


「はぁあ!」


腕を引き、勢いをつけた回し蹴り。

風切り音とともに

残像すら残さない神速の一撃が滑らかな動きで結晶に叩き込まれた。


甲高い音を響かせ、抵抗なく砕け散った結晶が地面へ散らばる。


「やった!」


トンと踵で地面を叩き付、足の調子を確かめるピュルテは砕いた結晶の残骸を見て嬉しそうに声を出す。


『あーあ』


ワーッと起きる歓声は腹の底を震えさせ、露店を見ていた人々が振り返る。何事か、と集まってきた人々は砕け散った結晶を見て、その犯人を見て驚愕する。


「これ、もらっていいんだろ?」


野太い歓声と興味の視線を浴びながら

ピュルテは声の出ない結晶の持ち主に向けて、拾った中身を突き出す。

まさかこんな細身の人物が結晶を蹴り砕くなど想像もしていなかったに違いない。

呆然自失、そんな言葉を具現化した店主の男にピュルテは一言言って、浮かれた調子で戻ってきた。


「これ、すごいだろ!」


「なんとなくこうなる気はしてた」


あの一撃を食らった身から言わせてもらえば砕けて当然というか、誰に狙われるわけでもない、じっくり魔力を練ることのできる状態が整っているなら攻撃の精度は桁違いの者となるとわかってはいた。


『ちょっとそれ、良く見せて』


ピュルテが勝ち取った戦利品を自慢するようにロトへ突き出す。狩った獲物を見せびらかす、獣のような習性だ。


『これ、相当珍しいところで出てきたものね』


「珍しいところ?」


結晶ができるというと、人里離れた洞窟……立ち入るものが少ない山の中、とかだろうか。


『多分魔物の体内でできた結晶よ。これはその魔物の一部が食べた鉱石』


「鉱石? 何かに使えそうか?」


『この辺だとあまり使い道はなさそうね、どこか加工してくれる場所を探せば別だけども』


このあたりは確かに品物の出入りは激しいが辺りに鉱石が掘れる場所もないのであまり流通していない。

加工するなら違う国に行かなければならない。


「じゃあこれは……」


『売るのがいいわ』


「そうか……」


せっかく勝ち取ったものをいきなり売り払おうとする残酷な猫がそこにはいた。

フードの中で明らかに落ち込んでいるのが伝わってくる。


なんとも微妙な空気で換金屋に向かう。

やたらと元気のいい受付に品を渡し、査定された金額の金を受け取り、外へ出る。


すでに日は落ち、闇が落ちている。


「何か食べる?」


「そうだな……」


先ほど露店でつまみ食いをしたとは言え、まだまだ腹の虫は満足していない。


「確かにおなか空いたな、さっき軽く運動したしどこか食べに行こう。前に街にある食べ物がうまいと感何とか言っていただろう、そこへ行こう!」


『私の分も用意してよね』


丁度飯時だ、席は空いているだろうか。

商店街の道も少し人が減っている。

早くいかないと満席になってしまう。


「味は確かだから楽しみにしてるといいよ」



ーーーーーー

幸い、ぎりぎり席を確保できたファンたちは以前訪れた酒場にやってきた。


嗅ぎ慣れない匂いに落ち着かない様子のピュルテが男たちの笑い声に反応して、フードを引き締めるように掴んでいる。


「別にそんなに警戒しなくても大丈夫だよ、静かにしてれば気づかれないから」


夕がたあれだけ注目を浴びていたのに今更ばれるのを恐れているのだろうか。

声を掛けてもあっちこっちに動きが定まらない。


落ち着きなく、伸ばした足でコツコツと床を叩き、音を立てている。


「はーい、おまたせ!」


快活な声で料理を卓に載せる店員がせかせかと次の注文を取りに去っていく。

目の前にやってきた料理にピュルテが釘付けになっている。

自分で作るものとはまるで様子の違う見た目に困惑しているのか、手にしたナイフで襲る襲るつついている。


「それで切って食べてみて」


「バカにするな、いくら疎い私でもこれくらいの使い方はわかる。あたしはべつに野蛮人ってわけじゃないぞ」


と言い放ったは良いがどこから食べたらいいんだろう、そんな表情をしている。


相変わらず感情が読み取りやすい。

今ならピュルテの頭の中を全て覗き見れるような気がする。


「ロトはこれ」


肩に乗るロトに切り分けた料理を持っていく。口の前に差し出された料理を大きな目で見つめ、嬉しそうにぱくりとかぶりついた。


『うまぁ~』


頬を押さえて幸せそうに鳴いた。早く次をよこせと耳を引っ張る力が強い。


「いて、いててて、ほらほら……。うーん、うま」


そんな二人の様子をみて、いざとピュルテが肉を切り分けた。

ぎこちない動きで滑る肉汁と格闘しながらもその小さな口に不釣り合いな塊を口に運ぶ。


「――――っ」


それは間違いなく、街に入って一番幸せそうな顔だった。




「なぁ、聞いたか? ドロのやつら、まだ帰って来てないらしいぜ」

「帰って来てないっても、まだ数日だろう。そんな大げさな。」

「つけた傭兵の数も随分少なかったみたいだし、森の中でくたばったんじゃねえかって話」


料理に舌鼓を打っていると端の方で話している声が聞こえてくる。


ドロ……、ドウトの森に入る際に尾行していた商隊だ。そういえばノイジーの騒ぎから忘れていたがどうなったのか、確かピュルテと……


考えている間にも男たちに噂話は進む。


「俺らの時よりも少ない人数で挑むなんて頭に血が上りすぎてどうかなったいまったか?」

「いや、なんでも腕のいい奴を一人雇ったとかなんとか」

「その話ならデマだぜ、そこの角でーーに聞いたから間違いない、ここにいるやつらよりかは少しは腕が経つのかもしれないが知らねぇ名だった」

「そりゃあおめえが鞭なんじゃねえのか?」


やいのやいのとあちこちから情報が行き交う。さして秘密にすることもない、ただの世間話の一つとして流されているのか、話している男らの顔色はドロのことで苛立ちが現れることはあっても特に妙な様子はない。


「そういえば宿屋のカールが薬草やのフーゴと良い仲だってな、聞いたぜ」

「はあ?、本当かよこうしちゃいられね、俺は用事ができた」

「娘ほどの年齢の子がお前なんか相手にしねえって」

「わからねえだろうが!」

「髭面なら一人、親父がいれば十分だろうよ」


耳に入ってくるのはそんなどうでもよい話ばかり。

大声で話している者からひっそりと杯を片手に和やかに笑いあう声までさまざまな声が入り乱れ、耳から耳へ流れていく。

そこで一つ気になる話をしている組を見つけた。

卓に腰かけた二人組の男女。

旅装束のようなものを纏っている。

この街の人間ではなさそうだ。


「ひどい目にあった、こんなことならお前の言う通りにもう少し遠回りをするんだったか」


「だからあたしは言ったのよ! 見てよこのローブ! 気に入ってたのにズタボロ! 服やで新しいの買うまであんたがなんとかしなさいよ」

「何とかって言われても」

「こないだ売りさばいたあれの金がまだあるでしょ、それから出しなさいよ」

「金弁してくれ、そんなたくわえはないんだ。あそこでランズ達が出てくるなんて予想できなかったろ? そんなことまで責任はとれないって」


ファンたち以外にもドウトの森に入ったものがいたのか、やはり魔物の被害にあって痛い目にあったらしい。


「あの変な魔物、あたしが助けなかったらあんた死んでたんだよ、感謝してしかるべきじゃないの!」


ヒートアップする女の口ぶりには引く気配が全くない。

しどろもどろの男は何とか弁解を測ろうとしているが、うまくいっていない様子。


女の圧に男が押し切られようとしていると、辺りの男たちからヤジが飛ぶ。


「もめ事かー!」「俺も混ぜろ」

「おごってくれれば加勢するぜ、にいちゃん!」


声の大きさでは目立つことのない酒場でも不穏な空気には敏感なのか、小競り合いの気配を察知した男たちが見世物とばかりに茶々を入れる。

酒のつまみ代わりに余興でも見ている気分なのかそろいもそろってにやけ笑いを引っ提げて二人のやり取りを見守っている。


「……ちっ」


自分の下に集まる視線をウザがるように音を立てて椅子に座る女。

腹立たしいと口を曲げ、明後日の方を見ている。

助かったと胸をなでおろしている男。


「悪かったよ、今回は俺の判断ミスだ。少しならローブの代金持つからさ、な?」


「少しねぇ……どうせなら全部持ちなさいよ!みみっちい。そうだ、あの時見た珍しそうなあの斑点のついた魔物! あいつでも狩ってきて売ってきてよ。他の個体よりも高く売れそうだし!」



「体に斑点のついた魔物なんて気味が悪い。変な病気にでもかかってたらとんでもないよ……」

弱弱しく反論する男。その態度にますます女の機嫌が悪くなる。


そんな光景を横目にみてファンは思う。

魔物、斑点。そのキーワードに何か引っかかるものを感じた。どこかで聞いたような、のどに使えた骨がなかなか取れないような気持の悪さ。

ランズという魔物はあの男女の二人組が入ったであろう深さの場所には本来生息しない魔物だ。

魔物の群れが強い魔物に襲われるのを避けて生息場所を還ることはあるが、こうもいろんな魔物に変化が出ているとなると皆目見当がつかない。


「なあ」


さらに言えばあの二人組が言っていた地域はファンたちが通った場所とは異なる箇所に接している部分だ。


二人の言うようにもし病気にかかった魔物がいたならば早いところ医師に診てもらわないとファンでは治療の方法がない。

少し時間を作ってみてもらうべきだろうか。


「なあ、おい」


正面から声がしたかと思い、視線を向けると

口をすぼめたピュルテの姿が。

思わず話に夢中になっていたファンはピュルテが声を掛けていたことに気付いた。


「ファンは、あれを飲んだりはしないのか?」


ピュルテが指し示す先には顔を赤らめた気分最高潮とばかりにひた騒ぐ男、の手に注がれた酒。


「飲むこともあるけどあんまりね……」


『ファンはあまり酒が得意じゃないのよ』


料理に舌鼓を打ちながら、ピュルテの問いに答える。

ファンが手にしている杯の中身は聞いたことのない名前の果実水。

飲みはじめとのみ終わりで異なる味のする比較的さっぱりした飲み物。


「ピュルテは? 森だと……オサのところとかで飲んでたの?」


あの魔力回復剤が出現する集落ならば、酒の一つや二つ作っていたとしても不思議はない。


昔から集落に出入りしていたピュルテならそこで酒をもらっていそうだ。

もしくは花を狩にきた商人の荷物などから拾って飲んだことがあるかもしれない。


「酒は、あれは飲むべきじゃない、母上もそう言っていた」


きっ眉を釣り上げ、話す様は真剣そのもの。

どうやらこの様子だと飲んだことはないらしい。

ダメだと口では言っているが、その視線が男たちの杯に頻繁に流れるところを見るに、興味はあるようだ。


「せっかくだし、飲んでみたら? ちょっとくらい、お試しで」


「いや、別に飲みたくは……」


「あまり強くない酒を1つー!」


他の客に負けないよう、大声で注文を頼む。

謎の意地を張るピュルテを遮るように問答無用で。


「おいっ」


「まあチャレンジチャレンジ!」


やってきた酒は思いのほか酒精の匂いが強い。

ふわっと香る爽やかな果実の香りの後に、頭を殴りつけるような濃い香り。


おかしいな注文を間違えたか、いきなりこの濃度の酒を飲むのはどうなんだ。

酒に耐性がないものが飲んだらしばらくは床と離れられなくなりそうな一杯。


運ばれてきた杯の匂いをスンスンと嗅いでは、顔をしかめているピュルテの姿は、見慣れぬものを前にした獣そのもの。

森育ちの本能が危険物と判断しているのかなかなか口をつけようとしない。


「……」


しばらく杯の液体と睨み合いを続けていたかと思えば

ぐっと、勢いよく杯を飲み干した。


ーーどうだ?


初めて飲む酒の感想は? そんな言葉が喉元にでかかったが、ピュルテの顔を見て

飲み込んだ。


「ぁう……」


ピュルテは言葉にならない言葉を発し、呻くように空になった杯を卓に叩きつけた。


「んっ! こ、これ! ふしゅぅーー。」


『大丈夫かしら』


これは、思っていたよりも耐性がなかったか?

熟れた果実のように赤く染まった顔をふんすかふんすか動かして、空ろ気な瞳をゆらゆらと巡らせている。

体の挙動から枷がはずれ、床をふみ鳴らす足でぎぃぎぃと木製の床に悲鳴を上げさせる。


「ピュ、ピュルテ?」


恐る恐る話しかけると、揺らめいていた視線が椅子から、卓へと昇り、ファンを捉えて止まる。


「ふへっ」


ローブに隠れていた顔は椅子に座ったことで露わになっている。

何が楽しいのか、ファンの顔を眺めながらにやにやと笑みを浮かべていた。


「大丈夫……?」


目の前に手をかざして振ってみるがその視線は動かない。

やはり酒が強すぎたのか、そう思った時


ばたんっと。


額を卓に打ち付けピクリともしなくなった。

一瞬、死んだのかと思うほどの動きだった。


『お酒、弱かったのね』


赤くなった額をさらしながら、ふぐふぐと寝息を立てるピュルテ。

ファンは微塵も起きる気配がないその姿をみて思わず肩をすくめた。


「どうしようかな、これは」

少しめんどくさいことになってしまった。

陽気な空間に囲まれる中、ファンは一人自分の中の陰気が高まるのを感じた。




「うっ、んん?」


口から出る音は随分と濁った音。

頭を押さえ、苦悶の混じるその声は明らかに酔っ払った後の声。


「起きた?」


背中に背負った暖かい熱を発する塊が気づく気配を察知してファンは声を掛ける。

背中で身じろぎするピュルテが揺れる視界に目を細めているのがなんとなく見なくても分かった。


「どこだ、あたし……」


「今宿に向かってるところ。しばらくぐでっとしてればいいよ」


ファンの声がちゃんと耳に届いているのかどうか定かではないが、もたれかかる力が戻ったので理解したのだろう。

すっかり人気の少なくなった通りを歩きながら、闇の落ちた街を眺める。

人でごった返していたころとは売って変わって、履いた靴のコツコツと響く足音がもの寂しい雰囲気を際立たせる。

人一人背負って歩いたことで火照った体を冷ますかのように風が吹き、体を抜けていく。

まるで自分がこの通りを独占しているかのような感覚がなんとも心地いい。


「その、……かった」


「え? なに?」


端から端まで声の届きそうな静けさの中、背中から聞こえた呟きはそれでも聞き取れないほど小さかった。

聞き返したことでピクリと体を反応させたピュルテが何か震えたかと思うと


「だから、今日はその、良かった。ヒトの街なんて初めて来たけど、おもしろかった……」


絞り出すように、か細い声ではあったそれは確かに感謝の言葉だった。


「本当!? それなら、良かったや」


ファンは内心今日の案内でよかったのか自信を持てないでいた。

なんせ今まで誰にもこんなことをした経験がない。

自分の大雑把なイメージによってなされたのが今回の街案内だった。

あまり意識しないようにしていたが、やはり不安というのは隠しきれないものらしく今、ようやくピュルテの言葉を受けてよかったとファンは胸をなでおろした。


「少しは人間嫌いもなくなった?」


「……まあそれはお前がいるからなんとなく、な」


「それはどうも」


自分がピュルテの人間嫌いをなくすきっかけになっていることは妙に誇らしい気分だ。


――――誇らしい……なんか変な気分だ


自分の中で起きている変化をおかしく思いながら、悪い気はしない。


ふと、ピュルテがこぼす。


「随分、にぎやかなんだな、ヒトの暮らしは」


「そう? 俺には森もなかなか騒々しいかんじがするけど」


ノイジーたちのあの耳を破壊するのではないかという爆音は記憶に新しい。

他にも音という点では常に何かしらの声が聞こえていたし、静かだというなら確かに集落や食草地帯は静かかもしれないが……。


「それは、違う。あたしが言ってるのはこう、なんというかそう活気だ。活気。」


「あぁ、活気ね」


この街は確かに他の街と比べてもなかなかに活気のある方だ。

いろんな人間が通り、集まる場所だから必然と言えばそうだが人の多いところはそういうものだ。


「みんな声を上げて、騒いだり、笑ったり。どこを見ても新鮮な場所だが、目に映る人間すべてが活力にあふれていた」


この静かな空気に浸るように、語り掛けるような調子でピュルテは言う。


「見ていて、とてもいい気分だった」


その口調は穏やかで心から感じたことを話している、とファンは思った。

だがどうしてかその声は少し寂し気に笑っている気がする。


「俺から見たら集落の奴らとも仲良さそうにしてたけど……」


活気だというなら森の民たちもなかなかにあるのではないかと思う。

静かな空気ではあるのかもしれないが、常に静まり返っているわけではない。

網の根を渡り歩き、集落をヒト一人訪問しただけで大騒ぎ。仲間が亡くなれば……送り出す。


「集落へ顔を出すのはそう多くない。時々様子を見に行くくらいでしかあいつらとは会わないんだ」


それでも、ファンよりも長く生きている種族として、長い時間を彼らとともに生きてきたことだろう。

時間の感覚など共有できるはずもないが、途方もない時間であるはずだ。


「もしも、あたしが……だったら……」


最後の言葉はファンの耳には良く聞こえなかったがその声音がただ消え入るように、少し寂し気だったことが少し、気になった。

だが、はっきりとは見えない表情をファンはあえて覗き込むことはせず、寝入ったしまったピュルテを連れて、完全に無音となった道を帰った。


ーーーーーーー


「早く! 走れ! 来てるぞぉ!」


ファムの叫び声に続くのは顔を鬼のように変貌させ怒りの感情に満ちたビル。

だがそんな攻撃性の塊と化したビルであっても取った判断は逃げ。手にした剣を肩にしまい、後ろを振り向きもせず、一心不乱に走り続ける。

その後ろにドロの側近として仕えていた部下二人。どちらも疲労困憊といった具合で、今にももつれそうな足を必死に動かし、鬼気迫る表情で走っている。


そして、今まさに尻まで迫った魔物にせっつかれるようにどすどすと重い体を前へ前へと進もうとしているイートン。

その顔はぐしゃぐしゃでいろんな汁が混ざり合い、ひどい有様だ。


――――イートンは間に合わないっ!


ドロ一行は現在、ドウトの森で何故か大量に行進している魔物に遭遇し、興奮状態にある『衣蟻』に追いかけられていた。

それはまるで蜂の巣をつついたような騒ぎ――――実際にはありだが――――で誰もその勢いを止めることができない。

人間の体を優に超える体格で尖った爪のような足をカタカタと動かしながらファムたちを狙っている。

すでに崩壊しかけている隊の指揮を懸命に取ろうとするも、もはや指示がどうこうすれば解決するという段階ではない。

隊の盾役であるイートンは事逃げるとなると、獣車のない現状ではファムたちの足を引っ張るだけ。


「ほっはぁ、はあ! はっ!」


息が詰まりそうになりながら、肉のついた体でどうにかしてこの蟻たちから逃げようと、


「しゅるるるる」


蟻たちが鼻の先まで迫っていたイートンについに追いついた。

その独特の呼吸音とともにイートンの鎧にギザギザと尖った顎がひっかかる。


「はっ! あああぁぁ……!」


そのまま音を立てて交差する顎が捉えたイートンの胴体を鎧ごと切り裂いた。

血しぶきが舞い、先頭の蟻が赤く染まる。

体を三分の一ほど抉られたイートンの弱弱しい悲鳴のあと、転がるように地面へ倒れ込んだイートンは後続の蟻の群れに踏みつけられ、見えなくなった。


血を浴びてさらに興奮のボルテージが上がったのか速度を増した『衣蟻』たちに苦悶の表情を浮かべるファム。


鉄のような足に阻まれ、満足に進行を遅くすることすらできない。


「くそっ!!」


すでに疲労の限界にある体は思ったように動いてくれない。

向かい風なのかと思うほど前へと踏み出す足がのろく感じる。

ほとんど力任せに一歩一歩足を上げるせいで無駄に体力を消費し、それをごまかすように口からは絶えず悪態が出続けた。


「くそ、くそ、こんなことっ!」


ファムたちがこうして逃げ回ることになったのもピュルテによって獣車が破壊され、隊の状態を整えるのに時間がかかってしまったせいだ。

ファムがピュルテにやられてから、次に気が付いたのは木の上だった。

腕はへし折れ、体中が痛みに襲われていた。

意識を取り戻した瞬間に襲ってくる痛みは気が付かなければよかったと思わず思ってしまうほどで、しばらくその場から動くことができなかった。

痛みに耐え、木から転げ落ちながら地面へ着地するとそこは花園から少し離れた場所だった。

隊の皆はどうなったかと周りを見るファムはそこでドロ以外のメンバーを発見した。

誰もが装備をぼろぼろにし、木っ端のように蹴散らされていた。


各自が持っていた治療道具やその他備品など以外はすべてどこかに行ってしまった。

おそらくは花園付近に散らばっていそうだったがファムは絶対に花園に近づこうとしなかった。

体に刻み付けられたあの守護者の恐怖は早々に引き上げたいと思うほどの者だった。

なすすべないとはこのことかと、そこそこ長い傭兵生活で理解した。


意識の戻った者から順に簡単な治療を施して街へ帰ることを決断した。

ドロの側近たちもファムの決断に不満を唱えることなく同意した。


そこからだった。すでに依頼主であるドロを捜索する気はファムにはなく、いかにしてこの森を抜けて街へ帰るかを考えて行動した。


「いいのかよ、これからの傭兵人生に依頼主を見捨てて生還した、なんて噂が流されるぜ」


直前にやり取りしていたビルからはそんなことを言われたがそんなことが気にならない程、事態は切迫していた。

先のことを考えていたら、今が危ないのだ。


なるべく魔物と戦闘しないように索敵して、というスタンスは変えず隊はファムの指揮の下、同じ窮地を共にすることで連帯感を増した。

だがその進行速度は致命的に遅かった。

隊の全員がどこかしらを負傷し、満足に戦うことができない。

ファムも含め全員の装備の大半が損壊した。

イートンの盾と剣はどちらも派手にひしゃげ、鉄の塊と化し、ファムのナイフは根元から折れた。

はじめから戦闘目的でこの森に来てはいない側近の二人も護身用の装備は粉々といっていいほど無残に壊れ、残っているのは奇跡的にどこの箇所も壊れていないビルの剣のみ。


こんな状態では魔物との戦闘がもしあればその時点でほとんど死んだようなもの。だというのに行きに比べて理解できない程多種多様な魔物がわんさかとあふれかえっていた。

まるでこの一帯に森中の魔物が集まる餌が置いてあるような、異常な集まり方だった。


そのため見つからないように身を隠しながら進む一行の歩みは、どうしても鈍くならざるをえなかった。

それに加え、満足に食事もないまま、神経をすり減らしてこの不慣れな環境。

隊の皆はどんどんと疲弊していった。

魔力は回復するのに体力がどんどんと削られていく。

休んでも休んだ気になれず、常に気を張っているせいでいろんなものがすり減っていく。


そんな状況だ、こうなるのも当然とばかりについに魔物の群れに見つかった。


その一手をかましたのは側近の一人。

疲れからかふらつきながら歩いているところ、不用意に木に寄りかかり、『鈴虫』を押し潰してしまった。


自分の身から出るエキスで周囲に特有のにおいをまき散らす特性を持つ『鈴虫』の体液がそばを通りかかっていた『衣蟻』の嗅覚に引っかかってしまったのだ。


迫りくる『衣蟻』から逃げるのに必死ですでにどこを走っているのかすらわからない。

引きつった喉のせいか、うまく息ができない。

吐いた息を吸い込む肺が苦しい。

足の感覚だんだんと薄くなっていくのが恐ろしかった。

じわりじわりと”死”がファムたちの足に絡みつこうとしていた。


「もう、だめだ! 無理だ! いやだいやだいやだあ! 死にたくない! 助けて、誰か助けてぇ!」


前を走る側近の男の一人が無残に消えたイートンを見て発狂する。

情けなく助けを懇願しながら、がたがきはじめている体を鼓舞するように無理やりに振り回す。


「あんた! なんとかしろよぉ! この隊のリーダーだろ? このままじゃみんな死んじまう!」


自分に追いついてきたファムの姿が目に入り、そんなことを叫ぶ男。

ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる男に苛立ちを感じるも、無駄な口は開かない。

横目でみつつ、先を行くようにさらに前を走るビルともう一人の下へ。


「おい、見捨てるのか、おいって! なあ! おいてくつも――――」


不意に音が消えるとともに体のすぐ隣を何かが通り抜けていく。

飛び立っていく一羽の巨大な鳥の翼が目に映り、高く飛びあがったかと思うと瞬く間に姿を消した。

その大きな袋のようなくちばしの中にもがく物体が見えたのは気のせいではない。


「―――――っ!」


また一人、続々と数を減らす隊のメンバー。

この森において、隊全員を守り切れるなどと思っていた自分が恥ずかしくなってくる。

くっと歯噛みする間もなく、すぐ目の前の獲物をかっさらわれた衣蟻がファムに狙いを付けた。

かち、かち、と顎を鳴らし、合唱でもするように音が重なっていく。


そんなとき、正面に洞窟のようなものがあるのが見えた。

倒れた大木のすぐそば、洞穴のような空間がぽかりと空いている。

大きさは人一人がなんとか入れるかといった幅だ。


「洞窟だ! あれに入るぞ!」


最期の望みをかけ、声を張り上げる。


「―――――!」


ギリギリで洞窟に駆け込み、後ろに迫る蟻たちがドスドスと入り口に突っ込む音が広がる。

後ろの男の腕に微かに蟻の顎が触れる。


「ぐっ」


ごつごつとした洞窟内の傾斜を滑り落ちる。体を打ち付けながら、足の裏を使いつっかえ棒のようにして勢いを抑える。

急に辺りに闇が落ちたように周囲が暗くなる。

ほとんど何も見えない中、ズザザザと砂煙を巻き上げながら予想以上に深い穴を落ちていく。


「止まったか……?」


摩擦で足の裏が削れるのではないかと思い始めた頃、ようやく勢いが落ちる。

痛みをこらえて立ち上がり、手に持った蔦を引っ張る。

ぐっぐっと確かに感じる手ごたえに途中でちぎれていないことを確認。


――――なんとか助かった……


九死に一生とはこのことか、たまたま逃げた先にこんな場所があるとは運がいいのか悪いのか。

自嘲気にため息をつく。


洞穴の中は光がとおっていないため、真っ暗だ。

耳に神経をとがらせながら、背嚢から取り出した道具で火をつける。

松明代わりに近くに転がっていた枝の先を布でくるみ、油で浸して燃やす。


「無事か!」


周囲を照らしながら、ファムは洞窟中に響くような大声で仲間を探した。


「うぅ」

「なんとかな」


三拍ほどあって呻く声が帰ってきた。


息はあるらしい。


蟻たちはどうやら中に入ってこれない様子。先ほどまですぐ後ろに聞こえていた耳障りなカチカチという音が聞こえない。


「くそぅ、腕がいてぇ」


炎で照らされたのはドロの付き添いの一人。

腕を押さえながら、今にも泣きだしそうに顔をゆがめていた。


「ビル! どこだ!」


だが先ほど聞こえたもう一つの声――――ビルの姿が見当たらない。


「こっちだ……」


その声は頭上から聞こえてきた。


今滑り降りてきた斜面の途中、ファムたちよりもすこし高い位置に飛び出た木の根に引っかかるようにしてぶら下がっているビルが見えた。

身体を強く打ち付けたのか、帰ってくる声は弱弱しい。


「降りてこられそうか!?」


炎で照らしながら問うとビルは億劫そうに片手を上げた。


それでも命はとりとめた。

あの地獄のような状況からこうして抜け出せただけでも奇跡と呼ぶべきだ。


――――だが、問題はここからどうするか


滑り落ちてきた斜面は角度がきつく、登るには骨が折れる。

時間を空ければ蟻たちもいなくなるとは思うが、それでも確証はない。

こんな思いまでして逃げてきてまた鉢合わせるのだけは避けたい。


となると、


「こっちか」


照らした炎の範囲では到底照らし切れない闇。

先に何があるか予想すらできない未知のそれは、疲弊したファムを威圧するように広がっている。


だが進まない選択肢はない。

ここから生きて出るのならば、避けては通れない。


と、そんなことを考えていると


――――何かがつぶれるような音がした。


「なんだ……?」


それは暗闇の先。

だがそう遠くもない場所から聞こえてきた。


そこで気づく。


――――男がいない。


腕を押さえ、先ほどまで近くにいた男が姿を消していた。


「――――! おい、どこへ行った!?」


声を出すが、その叫びは飲み込まれるように闇に溶ける。

まるで、口を開けて獲物が飛び込んでくるのを待っているかのように。


「――――っ」


焦りがファムの心を蝕む。

ただでさえ残り少ない戦力をここで失えば街へ帰れる可能性も低くなる。

ここは危険を冒してでも、あの男を探しに行くべきだ。


そう判断したファムは後ろを振り返り、頭上のビルを見る。


いまだ木の根につかまり、降りてくるのには相当時間がかかりそうだった。


――――仕方ない


「ビル! 男が消えた! 少し先に進んで探してくるがすぐに戻ってくる!」


言うが早いか、ビルの返答も待たずに駆け出す。


片手に握りしめた枝が少しずつ短くなり、握る手が熱くなる。


――――くそっどこへ行った!


何も見えないというのはここまで厄介なものなのか。

男がどう進んだかの痕跡すら見つけられず、苦虫を噛む。

そうして走り回っていると、


―――水音が聞こえた。


完全な無の世界に響いた唯一の音に縋るように近づく。


身体を流れる汗がむず痒い。


それでも我慢して走り続けた先。


そこには、


「っ」


身体を半分に分かたれた男の死体が、血だまりに転がっていた。


――――遅かった


なんの獣にやられたのか、その死体は恐怖に染まった顔のまま死んでいる。


「これは」


足元をよく見れば何かが這いずった跡。

この大きさは……


そこまで確かめたところで寒気がした。


男の死体の奥。


何かいる。


巨大な生き物の気配。


そしてそれはおそらく男を殺した犯人に違いなく……。


おそるおそる照らしたその姿は。どこか緑がかった、巨大なとぐろを巻くそれは。


――――まずっ


危険だと、そう感じるのがほんの少し遅かった。。


「がっ――――」


腹を食い破られ、血しぶきが舞う中。

ファムが最後に見たのは舌なめずりしながら口を開く大蛇の姿だった。。

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