第15話 リスク

「すごい……なんだ……」


禍々しい眼光を歪め、兇悪に笑うのは漆黒に包まれた狼。

体から感じるのは魔力ではない、だが体が訴えてくる。

今目の前にいる存在がこの場を制していると。


「あなた? ここに呼び出した……」


「そうだよ」


ファンは崩れ落ちそうになる体を必死に堪え、精いっぱいの虚勢を張った。

まっすぐに狼の目を見据える。

弱みを見せないことは契約において大事なポイントだ。

すでにこの惨状では些事かもしれないが、それでもと踏ん張りを見せる。


視線がぶつかり、ぎらついた眼が足元から順に向けられる。


「随分ぼろぼろ……」


値踏みされている。

この召喚は正規の召喚手順ではないため、今目の前にいる狼はただここに呼び出されただけの存在。

本来ファンには呼び出せないレベルの力を持つ、少し意思疎通が図れるだけの魔物と大差ない。


「契約者が貧弱? どれ?」


『私よ』


「うぅん?」


サニークル達は警戒し、精霊たちはざわざわと声は聞こえるものの攻撃してこない。

今ファンたちを中心にしてこの場は回っていた。


「不思議と、なかなかだ?」


『それ、褒めてるの?』


こんな状況でもロトはいつも通りだった。

もし今この瞬間にこの狼がファンを狙えば回避する手段はない。

サニークルや、精霊に追い回されて殺されるのと同じだ。


「となるとあ、なたか」


視線がファンへ戻った。

口からのぞかせる牙を光らせながら、狼がしゃべる。


「呼んだのは、あれ、と」


――――くる、コッチくる、みた、ミタヨ


「あいつら」


狼の視線はまるで警告するかのように精霊たちをけん制する。

向けられた視線に構えるように散らばっていたサニークル達が集まりだした。

精霊たちもざわざわと落ち着きがない。


――――ぶつけよ、投げ、ホウリコモウ、やロ!


実のなる樹が身震いするように揺れた。

ガサガサと音を鳴らし、一人でに動き出す。


「ファン! 避けて! あれに触れると爆発するわ!」


――――爆発?


「クァアアアアア!」


怒号が鳴ったかと思った瞬間、話し声がなくなった。


――――なに? 何が起きた? 


正確にはしゃべり声の半数が一度に消失した。

姿が見えない分、音を頼りに数を把握していたが捉えていた半数の音が怒号にかき消されるように聞こえなくなったのだ。


生えていたはずの樹もえぐり取られたような跡だけを残し、消えている。


困惑するファンが捉えたのは一筋の線。

宙を疾走するその線はあちこちに現れ、身軽な動きで駆け巡る。


「これって……」


『多分、精霊を……食べてる』


残った精霊の逃げ惑う声が辺りに木霊する。

金属音かという鋭い悲鳴が途中でぷつりと、切れる。

ひとつひとつ、後を追いまわし叫ぶ声を包むようにスッと消えていく。


「かっ! まーずい」


ぴちゃっと背後の水の音に振り返る。

精霊に味があるのか、苦虫でも食べたようにぺっぺと口を下げ、舌を伸ばしている。


――――みな、みなイナ、イナイイナイ! どコ!


悲痛な叫びを耳心地よさそうにして、汚れを落とすように前足で顔を撫でる。

日向にいる猫のような仕草。

だがその身に纏う死の気配とはあまりにもかけ離れていて……


『危ないわね……』


見た目通りの凶暴さは完全にファンの手中から逸脱している。

ファンが万全の状態であっても取れる手綱があるのかすら怪しいものだ。


「ガァアアゥ!」


どこか奮い立たせるかのような咆哮が一つ。

状況が変わったと本能で悟ったのか、群れを成してこちらの様子をうかがっていたサニークルがこちらに向け、移動し始めた。

群れの頭なのか、突出した一匹のサニークルの後に続いてぐんぐんと迫ってくる。


行進するように列をなし、背の棘を進行方向に向け、水を割くようにこの動きづらい沼をすいすいと泳ぐ。


「あれ、うまいか……?」


狼はその光景をなにやら思案顔で眺めている。


一匹二匹、三匹と続々とやってきたやつらは狼を警戒するように距離を取ったまま背中の棘をこちらに向けた。


――――まずい……!


「ロト、近くの水を巻き上げて僕らにかけて!」


『え、水?』


「早く!」


先の戦闘ではロトは探知に集中していたため、ファンの言うことが理解できていなかった。

それでもファンに言われるがまま小さく生み出した風を操り、沼の底のドロドロした部分を掬い上げる。


「「「オォオオ!」」」


とどろく咆哮とともに文字通り雨の如く棘が降り注ぐ。


「ぐっうっ!」


ドスドスと降ってくる棘の衝撃が体を打ち付ける。ギリギリでロトが被せてくれた水の盾がかろうじてファンたちの体を守るが、所詮は即席、すべてを防ぎきれるわけではない。

体に棘が当たるたび、口から声を漏らしながら早く終われ、と必死に耐え忍ぶ。


「ぉま……むり、して……」


「俺の体、だけじゃ全部は、無理だけどねっ」


ピュルテはかなりの重傷だ。これ以上のダメージを負わせるわけにはいかない。

ファンは横たわるピュルテに覆いかぶさり、身を盾にして攻撃から庇っていた。

いつ終わるともわからない攻撃が嘘のように続く。


「ガァアア!」


耳に届くサニークルの咆哮は攻撃開始時よりも増えている。

あの群れが順番に棘を打ち続けているとしたら、いったいどれだけの時間こうして耐えることになるのか。


すでにボロボロの状態、激しく殴られ続けていると錯覚する衝撃を受け続ける。

魔力が切れかけた今、体の芯に響く。


「うっと、し」


唯一、その場でうっとおしいとばかりに顔をしかめ、サニークルを見据えて睨んでいた狼が、


――――――――ぶつりと音が途切れた。


歯を噛み鳴らした瞬間、今までファンを襲っていた棘が瞬く間に消失した。

踏ん張るように力を入れていたファンは消失した圧力に体をよろめかせる。


ばっと顔を上げるとファンたちをまたぎ、サニークルへ疾走する狼の姿が。


狼がガチガチと歯を噛み合わせる度に周囲の空間が歪む。


「なんの、ちからだ……?」


ファンの下で、せき込むピュルテが狼を見てつぶやく。


この世には未確認の力がまだまだ存在しているといわれる。

ヒトが魔力と呼ぶ力以外の未知の力。

それらは大概、唐突に目の前に現れ理解の範疇を超えた現象を引き起こすものだ。


あれもその類だと、ファンは承知の上で召喚を行った。

それでもいざああして目の前にすると面食らう。

完全に異質な力。その不可解な現象を我が物顔で行使する狼はサニークル達の攻撃を毛ほども気にしない。颯爽と、最短距離を突き進み戦闘で棘を放っていた一匹に食らいついた。


「ガッ、キュ……」


首元に食らいつき、その顎をもって体を持ち上げる。

ぶんと首を振って放るサニークルは頭部を狼の口に残し、ちぎれとんだ。


咥えた頭部を力強くかみつぶし、血をしたたせる。

黄色く光る眼光は次の獲物を探すように揺らめく。


「ガァ!」


沼に潜んでいた二匹が狼の足に食らいつく。

仲間の仇とばかりに、サニークル達は噛みついた足をくだこうとする。


「……つぎ」


だがピュルテの装甲をも貫いたあの強靭な顎がまるで相手にされていない。

攻撃など受けていない。

まるで影響しないと、悠然と歩きだす姿は足につくサニークルが見えていないようだ。


次に狙いを付けた獲物めがけて変わらぬ速度で疾走する。


その様は蹂躙という言葉を具現化した地獄であった。


「これは……」


あまりにも、圧倒的だった。

羽虫をたやすく殺すように、狙ったサニークルに噛みつき、食いちぎる。

抵抗するサニークルたちが放つ棘も意に介さない。

びくともしないその肢体をを持ってして避けるまでもなく、かみ殺されていく。

歪んだ空間を身に纏って歩む姿は現実とは思えない。


ファンはその光景をじっと見つめる。

ばちゃばちゃとサニークル達のちぎれた身体が沼に落ちる音がやけに耳に残った。



群れが壊滅するのに時間はかからなかった。

数分たったかどうか。

ファンたちを苦しめたあの群れは肉片となって沼に散らばっている。

戦闘音はもうしない。

かわりに充満するのは濃厚な血の匂い。


「質より、量」


満足そうにぺろりと舌なめずり。

食い散らかしたその凄惨極まりない状況をみてファンは思う。


――――あれは、手に負えない。


ファンが開く扉から引きずり出した力は必ず予測不能を連れてくる。

だからこそ生か死かの場面でしか使用しない。

今回も覚悟の上で呼び出しはしたが、これは良くないものを引き当ててしまった。

ファンは自分の手には早々制御できないと悟った。


――――すぐに、戻す……!


召喚したときとは真逆。

まだファンの中にある扉は閉じていない。

呼び出した時と同じように、この世界に存在しているあれを元の場所へ送り返すため。

ファンは再び意識を下に、ぐっと潜らせる。


『ファン、早くしないと――――』


敵対者を破壊しつくした狼はまだ落ち着いている。

たっぷりと浴びた返り血を上手そうに嘗め回しながら、自らの体を毛づくろいしている。

その仕草は完全に普通の獣のそれだが、その力は普通とは一線を画す。


気持ちが逸る。

あの敵意がファンたちに向けられることが恐ろしい。

脅威を消すための新しい脅威を自ら生み出してしまった事を後悔しそうになるほど、目の前にある存在は圧倒的だった。

すでに正規の契約をするつもりはファンにはなく、沈んだ意識の矛先を狼に向け、静かに、だが速やかに返還の準備を整えようとしていた。


だが、


「ここ、食べ終わった」


体を清めた狼が、こちらに向けて言葉をかける。


「――――っ」


その声で、ファンの集中が乱れる。

足を一歩前に進めるごとに水音がなり、狼はゆっくりとした動作で近づいてくる。

潜らせていた意識にブレが生じ、それまで感じていた周囲に溶け込んでいくかのような感覚が戻ってしまう。

ここで狼にファンの行動を悟らせることは危険だ。

呼び出された存在が再び元の場所へ戻されることをどう思うか、これまでの経験から、この世界にとどまろうとする存在が多いことをファンは知っていた。

ふわふわと浮かぶ意識だけを抽出し、その強烈な意思に形を作るようにこの世界に引っ張り出す。

そうしてこの世界へ顕現した契約者、否、契約を結ぶ前の存在は元の世界に戻るのを嫌う傾向にあるのだ。

この狼も、この世界に生まれた瞬間、明らかな快楽を見せた。

とすれば、今のファンが何をしているかに気付けば……何をしてくるかは想像に易い。


――――意識を、もっと集中、集中……


『お疲れ様、悪いけどファンはかなり疲れてるの、契約は少し待ってくれる?』


じっと動かないファンの傍ら、ロトがファンの代わりに狼へ返事をする。

あくまで、自然に。緊張が相手に伝わらないよう心掛けて、時間を稼ぐ。


「先に、契約だけ」


『契約はすぐにできるわ。でも魔力を少し回復しないといけないから』


狼は、そんなロトの言葉を聞いて、じっと座り込むファンを見つめた。

集中し、一言も発さないファン。

ロトは狼の行動を注意深く、監視するようにうかがっている。

ファンの準備が整うまで、絶対にファンへ手を出させないために。

ロトは緊迫した状況を相手に伝えまいと、平然を装う。


「はやくしないと、身体の、力の供給を……」


狼がこぼす言葉に応える声はない。

これ以上の下手な返答は違和感を生むかもしれないと、ロトは沈黙を選択した。

重くるしい空気がその場を満たす。


と、


「……身体が、変」


鼻をひくひくと動かし、何か異変を察知したような仕草を見せた。


「この匂い……」


そしてゆらりとファンの下へ近づいてく。


『ちょっと、大人しくしてなさい!』


思わずロトが慌てたように声を荒げる。

明らかに動揺したその声音に狼の目つきが一変する。


「体から、力が戻っていく……」


その抜け出た先をたどる視線。

視線の先に映るのは、


「召喚者……契約するつもり、ないな?」


自身の体の異常に気付かないわけもなく、狼はその異変の原因を素早く断定した。


――――もう少し、あと少し!


潜った意識の中、外の世界と一時的に自らを切り離すような状態にあるファンだったが、肌にあたる強烈な敵意を感じる。

その敵意がなんであるか、見なくとも理解できた。


自らが呼び出した力の塊から力を手繰り寄せ、元の場所へと戻していく。

ファンの体を通して、力が、存在の欠片が通過していく。


「もっと、食べたい、もっとここで……!」


抜け出る力はどうしようもなく、するりするりと狼の体から抜け出す。

その力は狼の存在そのものだ。

自分が消えていく感覚に異を訴えながら、

あがくように、口を開いた狼は狙いをファンに定め空間に食らいついた。


「――――っが」


強烈な痛みによって深く沈んでいた意識が強制的に浮上させられる。

目に飛び込んできたのは真っ赤な血に染まった腹部。

それまであった肉の感触が無くなり、抉られた左の脇腹が風を浴びて損壊の感触を与えてくる。


目から頭に飛び込んできた怪我の状況に、固まった身体が反応できない。

身を瞬時に支配した痛みがひとしきり体を暴れまわり、遅れてやってきた「認識」がようやくファンの体の制御を手放した。


「ぁぁああああ!」


そのあまりの痛みは自分を何か誤魔化そうとしなければ耐えがたいものだった。

痛みから何とか逃げたいという意思で大きく絶叫を上げる。


『ファン! ファン! あぁ、血がっ』


「力が、止まった。そいつを殺せば、元に戻らない? ここに、いっぱい食べれる……」


ファンの腹を食い破った狼が悶絶するファンを見て、何か確信した様子を見せた。


ファンの傷にうろたえたロトは


『時間を、時間を稼がないと……』


ファンを標的と定めた狼が近づいてくる。

その顎に死のにおいを纏わせながら、わずかな生を謳歌するため、自由を得ようとする狼が障害を取り除きにやってくる。

時間を、隙を作るにはどうしたらいいか。


『何か、何か……!』


ロトはあちこちに視線を巡らせ、必死になって打開策を考える。

自分の契約者に迫る死からどうにかして回避する手段はないかと

どうやったら助けられるかと。

ロトには戦う魔力がない。

円棘獣をせん滅させるこの狼に対抗できるような力はない。

ただ、倒す必要はない。

ファンの準備を整える時間を稼げさえすればいい。


『これ……』


そして一つ、道具を見つけた。


「カァ――――」


もんどりうつファンに止めを刺そうとする狼の顎が開き――――。


『喰らえ!』


気合の入った掛け声でロトが投げつけたのは一つの瓶。

その瓶が開いた顎の牙へ当たって砕け、


「ギュァアアアアアアアア!」


狼の鼻先を掠めた液体が、一拍おいて効力を発揮した。


『人間の匂いを上書きしてごまかすくらいの匂いだもの、その鼻が嗅いだらひとたまりもないわよね……!』


それは精霊避けに準備していた特殊な草の絞り液。

この食物地帯に来る前に自分たちの体に被った液体の残り。

強烈なにおいでヒト種の匂いをごまかすために使用された嗅覚を破壊する代物。

ファンたち比較的鼻が疎いものたちでも耐えがたい匂いの液を嗅覚の鋭い獣が嗅いだら、その効果はさもありなん。

鼻を押さえてのたうち回る狼は鼻に触れた液体を落とすために倒木に鼻をこすりつけ、体毛に鼻をうずめ、なすりつけるようにばたばたと暴れている。


『ファンお願い、今のうちに!』


何とか作り出した時間。

いまだ痛みにあえいでいるファンにロトが必死に声を掛ける。


『頑張って! ここを何とかしないと、生きるために!』


ロトの声を聞いて、脂汗か、冷や汗かわからないものをダラダラと垂らしながら吸い込んだ息を止める。


「ぐぅ、うぅぅ!」


痛みをごまかすために強く拳を握りしめ、歯がかち割れそうなほどにかみしめてファンは再び意識を沈めた。


極限状態に追い込まれたファンの体、その本能が焦りや、痛み、その他現状抱えるすべての問題を解決するために、力を発揮した。


――――潜れ潜れ、速く、速く!


かつてないほどの速度で意識を底に沈めたファンはのたうちまわる力の波動を捉える。

意識から伸ばした手を力を抑え込むように握りしめる。


未だ開いたままの門へ、その淀んだ空間の先へ掴んだ力を運んでいく。


――――戻れ!


その指先が、門を通った。


確認した瞬間に開いた扉を閉じる。

今まで感じていた力の残滓が門が閉まると同時に消え去った。


「ぷはぁっ!」


目を開ける。

のたうち回っていたはずの狼はその毛の一本も残さず姿を消していた。

隣りにはへたりと座り込むロトに、横たわったまま呼吸しているピュルテ。


「はぁ」


返還は完了した。

痛む脇腹を押さえ苦い顔のファンはそれでも、

改めて脅威が過ぎ去ったことを認識し、わずかに口角を上げた。




「ぁあ……」


打ち捨てるように沼に浮かんでいた森人を全員回収した。

わかっていたことだったが誰もが体をあの棘に貫かれ、死んでしまっている。

オサから聞いていた子供たちの人数とぴったり同じ。

おそらくこれで全員だ。


「戻ろう……」


口を引き結び、何かをこらえるようにじっと子供たちを見つめるピュルテへ声を掛ける。

肩が、震えていた。

この場にいる全員が憔悴していた。

先ほどまでの戦闘音が嘘のように、全く音がしない。

ざわめいていた精霊はいなくなり、動くたびになる水音がどこまでも先へ染みていく。


長い沈黙が下りる。


「その……」


何か話そうとするファンだったが今、この瞬間に何を話したらいいのかがわからない。


「……」


口を開きかけて、断念する。


浮かぶ大木に横になるピュルテは上を見続けている。

遠く、どこを見ているのかわからない。


――――ずっと、みない


ピュルテは子供たちの亡骸を決して見ようとしなかった。

時折、思い出したように表情を歪め堪えているのが見てわかる。

今、なんと声を掛けるべきなのか。

所詮部外者であるところのファンはピュルテほどの感情が付いてこない。

だが、芽生えた仲間意識が悲しんでいる様子のピュルテを励まさないといけないと訴えかけてきている。

言葉を探し、いや違うと切り捨て、また考える。


そうして時間だけが過ぎていき、


「ほら、敵よけの道具があったから被って」


結局、ファンの荷物を取りに行っていたロトが帰ってくるまで、ファンは何も言いだすことができなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「きゅ、きゅ、きゅるる」

「きゅ、きゅ、きゅるる」

「きゅ、きゅ、きゅるる」


大樹に祈りを捧げるように手を合わせ、森の民たちは体を揺らす。

一人が揺らせばその隣の者が次に揺れ、連鎖する揺れは集落全体に繋がるように広がっていく。


「我ら、一族が捧ぐ」


オサの一言で前に出た森人が手に持ったものを大樹の前に備える。

それはこどものものと思われる装飾品だった。

亡くなった子供たちの人数分、かつて身に着けていただろう品々を以前ファンが見ていた部分に並べた。


森の民たちはいっせいに目を瞑る。

流れる沈黙の間、各々は何を思うか。

ファンもそれに倣い、瞼を閉じた。


「……」


黙祷が終わると、森の民たちは声を上げる。

いなくなったものへ、伝えたいことを、大樹を目の前にまるで子供たちを相手にするように。

言葉はわからなくても伝わるものがあった。


――――安らかに……


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


集落に戻ってきたファンたちは運んだ子供たちの遺体をオサに渡した。

震える手で、亡骸を受け取ったオサはしばし子供たちを見つめ、キッと表情を引き締めると心配して駆けつけた森の民たちに事を話に行った。

その様子を見届け、そこでファンは意識を失った。


とうに限界の来ていた体は随分と睡眠を必要としていたらしく。

目覚めたのはそれから数日後、そばにいたロトに頬を引っ張られる感触とともに起きた。

バキバキと音を鳴らし、妙に体がべたつくので触ってみると、体中びっしりと薬草が塗り込まれていた。

ロト曰くファンが寝ている間、看病をしに集落の森人たちが順に訪れたという。

触るたびにぴくぴくと身じろぎするファンの様子を楽しんでいたらしい。

遊ばれていたようで複雑だ。


ファンはその足でオサのところへ事情を話しに行った。

そこで出くわしたピュルテは見た目的には随分と回復し、自力で歩く程度には問題ないようだった。


「調子はどうだ? 体の傷はもういいのか?」


「このとおり、あれくらいの傷なら寝てればなおるし」


「数日寝込んでおいて何を」と肩に乗るロトの言葉からは意識をそらし、答える。


「そうか……」


ふわっとピュルテが自然に笑みをこぼす。

安堵の感情が伝わる優しい笑み。そのきれいな容貌に似合う柔らかい表情だった。


「なんか……」


『お得意の口の悪さはどうしたのよ』


ファンとロト、そろって入る指摘に戸惑ったように頬をかく。

「そんなことない」と話すピュルテの様子にどことなく違和感を感じる。


『あなたの方こそもう少し寝てた方がいいんじゃない? なんか気味が悪い』


「私は別に普通だといってるだろう。それよりこんなところでどうした?」


「オサに少し話でもと思って」


べたべたと体に塗りたくられた薬草を思い出す。

きっとオサが何かお礼を、と森の民たちに看病を頼んだのだろう。

結局何の事情も伝えられていない、説明位しなくてはオサに申し訳ない。

と思ったのだが


「あらかたの経緯なら私が話しておいた。心配はいらない。ゆっくり休んでいればいい。


「それなら」と答えるファンはどうもピュルテの様子が気になった。


「私は少し用がある。腹が減ったのならここの連中が用意してくれると思うから聞くといい……」



それきり、今日までピュルテとは会っていない。


「ここにいらしたのですか」


ガタガタの体を引っ提げ、大樹の前で行われていた葬式を眺めていたファンの下へオサが近寄ってきた。


「ファンどのは確か普段旅をしてらっしゃるんでしたか」


「あれ、話したっけ?」


「私もたまにヒト種を見ますから、格好でなんとなくわかりますわい。お二人でなんて大変そうだ」


「大変……?」


「環境が変わるというのは私の知る限り大変なことだと思っていましたが、そうでもないのですかな?」


意外だ、と話すオサはファンの隣に腰付けた。


「儀式の方はもういいの?」


「はい。一連の儀式はもう終わりです。後は皆がそれぞれ……」


視線を移すと、散り散りに自分たちの家へ戻っていく森人たちの姿が見える。

中にはその場に残るものもいた。



「そういえば、皆看病に来てくれたみたいで、オサが言ってくれたんでしょ? ありがとう。食べ物とかも置いてくれて、助かった」


「客人を丁重に扱うのは我らとしては当然です。たとえヒト種でもピュルテの連れてきた御仁ですからのう」


はっはっと快活に笑う姿はやはり似合わないと思わざるを得ない。

子供と同じ姿で豪快に笑う姿は中身と外見が頭の理解を遅らせてしまう。


「む? どうしました?」


「あぁ、いや」


ジロジロ見ていたのがばれた。


『その顔でしゃべるから変だと思っただけよ』


まごまごとしているファンの後ろからズバッとロトが言い放つ。

相変わらず他者への遠慮が微塵もない。

思っていることをストレートに話してもあまり良いことがないのは交流下手なファンでも理解しているというのに。


「ヒト種は我らの見分けがつかないのでしたか……よく見ればかなり違うものなんですがのう……」


しかしさすが集落をまとめる者か、これくらいの無礼はさして気にしていないらしい。

ふむ、と残念そうに唸るだけだ。


それきり少し間があく。

何か用があったのか、こちらをじっと見続ける視線に少々居心地悪くなってきたころ。


「ファンどの。今回はありがとうございました。」


オサはその小さな体をぐっと曲げ、深々と頭を下げた。


「え?」


思ってもいなかった言葉に妙な声が漏れた。


ファンは子供たちを助けられなかった。

それに加え、もともとピュルテが助けようとしなければ動向もしていなかった。

ファンにとって森の民は積極的に助ける対象ではない。


それだというのにオサはファンに感謝を述べる。


「我ら一族は言葉は通じずともファン殿に感謝しております。」


「いや、俺は何もできなかったから」


列になり、順に装飾品を一撫でして後列に入れ変わる。森の民の儀式をまじまじと観察していたファンは思っていることを素直に口にした。

まぎれもない事実だった。

協力したのは良いが結果的に子供たちを助けることはできなかった。

命がけで持って帰ってこれたのは傷だらけの痛々しい亡骸だけ。

力なく口にした言葉に何を言います、とオサは言う。


「他種族に協力する、それ自体が我らにとってはありがたいこと。子供たちの体もこうして大樹に還すことができた……」


「大樹に、還す」


「私たち一族は森の一族ゆえ、戻るのはあそこと決まっています。森から生まれ、また還る。食草地帯では養分にと溶かされたまま。あなたたちが子供たちをつれて、帰ってきてくれだけで感謝です。」


語り口調はとても穏やかだった。


ファンとしては森の民に何かをしてあげたつもりはない。

ピュルテの希望に沿うように、ピュルテが助けたいというから助けることに協力しようとした。

そのスタンスは変わっていない。


「ピュルテから聞きました。魔物に囲まれたと。逃げることもできたはずだと。」


それはピュルテの、あの姿をみて、そうしたいと思っただけだ。


『そうね、感謝されてもいいと思うわ。大変だったもの』


「ロト……」


『感謝くらい適当に受け取っとくのがいいわよ。突っぱねる意味もないんだから』


そんなものだろうか、未だすっきりとしない心持のファンにオサが言う。


「大した礼もできませんから、言葉だけでも」


そういって再び頭を下げる。

本格的に居心地が悪い。何だろうかこの気持ちは。


「礼ならピュルテに言って、俺は彼女に協力したから」


「もちろんあの子にもお礼はしました。随分ひどい傷まで負って……見ることはできませんでしたが、そうとうな戦闘だったでしょう? あの子があそこまでやられるのを私は見たことがない」


あれほどの傷を負うことなどそうそうあることではない。

ましてやあのピュルテがそこまで攻撃を食らうなど……あの時、彼女がどれだけ動揺していかが改めてわかる。


「そうだ、ピュルテは……」


「あの子なら私の家にいます。かなりひどい傷でしたからね、しばらくはゆっくり休んでもらわないと」


「あぁ……なるほど」


いくら魔力の濃い土地といってもあの傷だ。治癒するにはもう少しかかる。

肉体的な損傷はファンの方が軽傷だったせいで忘れていた。

ちらりと様子をうかがっていたファンの顔を見て、オサは何か察したと口を開く。


「気になりますか?」


「少し元気がなかったみたいだったから」


ファンはすでにピュルテを仲間だと思っている。

不器用なりに彼女のことが心配だった


「あの子の母親が亡くなった時もあんな感じでした……」


「母親ってピュルテの」


あの花園を守ってくれるようにと頼んだというピュルテの母。


「もう何十年と前になりますか、といっても私どもの間隔はヒト種の方とは違うのでさほど昔には感じませんが。あの方は我ら一族に随分と気を掛けてくれました。どこかからかこの森に移ってきて、あの花園のある場所に住みつきました」


「もともとはこの森にいたんじゃないんだ」


「随分遠くからやってきたと言っていた気はしますが、どこだったか、忘れてしまいましたな」


くしゃっと笑うオサは懐かしそうに話す。


「あの子がこの森に来たのもその時です。母親に連れられ、腕の中で丸くなる姿が可愛らしかった。最近は随分と尖ってしまいましたが小さいころは捕まえた虫やトカゲを私に見せに来たり、母に連れられて私の家に止まって遊んだりと普通の子供と同じく、大人しかったのですよ」


「そういう書物読んだことある」


ジルの持っていた絵のついた本によく似た女の子の話が書いてあった。


「母親が大好きで、いつもフェクティの後をくっついて回って。どこにいくにもフェクティの傍を離れようとしませんでしたなぁ」


遠くを見つめ、一つ一つ昔の話を引っ張り出してオサは微笑むように話す。


「それから、森の外がとにかく気になっていたようで何度も何度も私のところへ『何かお話をして』と聞きに来たものです。私はこの森の外に出たことなどないので困ってしまって……」


――――やっぱり昔から外に興味があったんだ……


どう見ても困ったようには見えない緩んだ表情で、まるで孫の話を聞かせるようだった。


前にピュルテがファンに対して旅の話を聞きたがったのも、昔からこの森の外の世界に興味があったからなのだろう。


「ピュルテのお母さんからは外の話を聞けてなかったのかな?」


ピュルテから、その身の上話を聞いたことはない。母親が大好きだったという彼女が母親の話を出すのは花園に関してのことだけ。何か口にしない理由があるのか、昼間見たピュルテの顔を見てファンはなんとなく彼女についての話が知りたいと思った。


「もともとピュルテが森の外について行きたがったのはフェクティが話をしたからだとあの子自身から聞きました」


オサは饒舌に続ける。


「ただ、一度ピュルテが森の外に一人で出ようとしたときがありまして、そのころはまだ体も小さい頃ですから……とても戦闘などできません。この森で生き抜く手段を持たない小さな女の子がふらふらと歩いていれば、魔物の恰好の餌です。当然のようにピュルテは喰われかけました。遭遇した魔物に食われる寸前にフェクティが何とかピュルテを見つけて助け出しましたがそれでもギリギリのところだったようで後から話を聞いた時に珍しくフェクティがとても怒っていたのをよく覚えております」


その件からあまり外についての話をしてくれなくなったそうですとピュルテに聞いた話を語るオサ。


「じゃあフェクティは、ピュルテが外に行かないように……」


花園を守るようにピュルテに頼んだというのももしかしたらそれが関係しているのか。

だがだとしたら自分の子供を縛り付けようとするのはどうだろう、とファンが眉をひそめたところで。


「いや、彼女ははあくまでもピュルテがまた勝手に外に出ないように、興味をそらそうと話をしなくなったのでしょう」


『あの怪力娘は言い聞かせるのも一苦労でしょうしね』


静かに話を聞いていたロトがふんと口を挟む。


「彼女は、何よりもピュルテを第一に考えていて……、そこは出会った時からずっと、最後まで変わりませんでした」


「そうなんだ……」


話を聞く限り、ピュルテの母は立派な親らしいことが伝わってきた。

ピュルテが自慢げに話していたことも納得だ。


「ただ、そんなフェクティが亡くなってからあの子は随分と変わってしまった。いくら話しかけても一言も話さず黙ったままで、たまに口を開いてもお母さんはどこ、とばかり。焦点の定まらない目でふらふらと歩いていて……とても心配だった」


かなり長い間、ピュルテはそうしてふさぎ込んでいたという。

やはりピュルテにとって、大事な、大好きな母親が死んでしまったという事実は受け止めきれなかったのか。そんなピュルテに何もしてやれなかったと悔やむオサの声からは当時の無力感が透けて見えた。


「そんなあの子の様子が変わったのがあの花園にヒト種たちが現れるようになってからです。いったいどこから話を聞きつけたのか、それまではフェクティがいたことであの花園に近寄るものは魔物やこの森の他種族を含めて誰もいなかった。なのにフェクティが亡くなってから次第にちらほらとあの花を狙ってヒトが入るようになった」


オサが語ったのはその時のピュルテの変貌ぶり。

それまでふさぎ込んでいた感情が、爆発したように侵入者を狩り始めたのだという。


「ですが少しだけ、良いきっかけになるんじゃないかと思いました。なんであれ、あの子に変化があればそれがきっとうまい方向に転がると……。ですが結局あの花園から離れようとはせず、口を開くようにはなってもどこか別のことに意識が向いているようでした。そして何より一度も笑った顔を見せてはくれません……」


悲しい表情でオサはいう。


「しかし、根はやはり小さい頃のまま、我ら森の民にも魔物に襲われないように時々集落へ様子を見に来てくれたり、はぐれた一族の者を見つけると送り届けてくれたりします」


それを聞いて、道中、甲斐甲斐しく森人の世話をするように面倒を見ていた姿を思い出した。

ファンを助けた理由と言い、きっとピュルテにとって森の民は家族のようなものなのだ。


「すいません、つらつらと喋ってしまいました。あなたがたとピュルテがどのような関係にあるのか、わたしにはよくわかりませんがよければあの子を気にかけてやってください」


優しい、慈愛に溢れた声色。

その言葉には真摯な想いがこもっているように、ファンはかんじた。


「あらためて、ありがとうございました。森の民の代表として私からお礼を」


渡されたのはちいさな瓶。中には濃い緑色の液体が入っている。


「こんなものしか用意できませんが、何かあった時に使ってください」


「これってあの時の」


はじめてここに来た時に飲んだあの妙な飲み心地の


「あれとは種類は同じですが、濃度は桁違いです。飲めば魔力の回復が図れます」


「!」


魔力の回復する液体など、どこにも出回っていない。

お宝ものの品だ。


「いいの?」


街で売れば当分その街で食うに困らないだけの価値はある。

こんなものをポンと渡してしまっていいのだろうか、と確かめるようにオサに問う。


「形にできる感謝などこれくらいしかできませんので」


そういってオサは自分の家へと去っていった。


『思わぬところで収穫ね……』


「……」


黙り込んでしまったファンにロトは怪訝な顔を向ける。


「まだ何かあるの?」


もう長い付き合いだ。ロトにはファンが何か考え込んでいることくらいすぐにわかった。

言ってみなさいと聞き出す口調はそっけないようでいても柔らかい。


もらった瓶を眺めながらファンはピュルテのことを考えていた。

あの時、あの食草地帯での一幕。

励ましの一言すら口に出なかった自分。それが心にしこりとなって残っている。

適当な言葉を掛けることは実際やろうと思えばできたのかもしれない。

だが、あの場面でそれを口にするのは薄っぺらいと、そう、思ってしまった。


ぽそりと一度口にだすと脳と口が連結したようにするすると言葉が出てくる。

ふんふんとファンが話す内容に相槌を打っていたロトがいう


『いままで私としか過ごしてないんだもの、そりゃあそうなるわ』


あっけらかんと、軽い調子で話すロトはそのふわふわした手をファンの顔面につきつけるように続ける。


「励ましの言葉なんてその時々、誰に言われてもダメな時やどんな陳腐な言葉でも掛けられてうれしいときがあるわ。そもそもあの女が元気がないことが私たちに何の関係があるのよ?」


「…………一応俺たちの目的はトラレイトだから、ピュルテがあのままだと、そのー、」


『花の交渉を持ち出しづらいってこと?』


こくりと頷くファンだったがそれが建前なのは筒抜けだった。

ロトが「ふぅーん」と本当にそうなの、と疑うように半目でファンを見つめる。

要するにファンは落ち込んでいる様子のピュルテを元気づけたいのだ。

不器用だから、何を言ったらいいかにまごついて、手をこまねいている。


『まぁいいわ。そんなに気になるなら直接本人に話に言ったらどう?』


「でもなぁ」


煮え切らないファンにしびれを切らしたロトが叫ぶ。


『街にでも連れ出して案内してあげれば気分転換になるでしょ! ぐじぐじしないの!』


『全く、なんで私が」とぼやくロトはファンの背中を見て、ふて寝するように丸くなった。

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