第14話 とっておき


「あった! 円棘獣サニークルの跡だ」


ロトの探知を全開にしながら食草地帯へ向かう途中、ピュルテが声を上げた。


ピュルテが指さすのは抉れた状態の地面。

穴が開き、その場を無理やりに動かしてできたと見える地面が円棘獣の跡だという。

体についた棘を地面へ突き刺しながら獲物を追う円棘獣の跡はわかりやすい。

断言するピュルテの案内で迷いなく森の中を進んでいく。


リードの話が本当なら昨日の夜にこの付近を通ったということだ。

まだこの近辺に隠れている可能性もある。


ロトがすでに探知しているが、念のためと木の影や草村の中、森の民が隠れられそうな場所を見ながら進む。


「……ダメだ、ここで後が消えている」


地面がやや緑がかる場所まで来たところで痕跡がなくなった。

たどり着いた場所は目的地、食草地帯。

そこは生物の気配がどっと減り、湿った空気が体にまとわりつく独特の場所。

周りの景色は一変し、どんよりと薄い霧がかかったように煙が立ち込めている。


『嫌な場所ね』


一歩足を動かすたびに足裏には粘液がへばりつき、上からは時折、液体が垂れてくる。

この液体は安易に振れると体が溶ける、天然の溶解液だ。

落ちた地面を溶かし、固まると足元の粘液と化す。

ピュルテの話ではここは一つの超巨大な植物の一部で、中に入った生物を溶かすことで自らの養分としているそうだ。

そのためこの近辺には生き物の気配が薄く、ファンたちが歩くとぴちゃぴちゃと音が遠くまで広がっていく。

鼻を刺激するのは形容し難い悪臭、嗅ぎ続けていたら体に毒そうな匂いが辺り一面に蔓延している。

匂いの下は下の地面。溶解液に溶かされた生物の溶けた匂い、いやそもそもの溶解液からして妙に鼻が嫌がる匂いをしている。


「こんな場所にくるなんて、あまり良くない状況みたいだね」


臭いし、動きづらい……。何をするにしても不快感が募る、いやな場所だ。


普通、用もなければこのような場所には訪れない。理由がない。

ファンたちがこうして感じるのだ。ほかの者たちも考えることは同じなはず。

同じ森の中でもこことトラレイトの花園とでは空気の澄み方が違う。


「おまえの探知には引っかからないのか?」


『お前じゃなくて、ロト。……今のところは何もないわね』


痕跡もきえ、探知にも引っかからない。

もしも森の民たちが円棘獣に追いかけられたままここに来たのならもっと奥まで進んだのか。

正面を見ると、溶解液に溶かされた道はもはや沼といっていいほどに溶け切っていた。

この先を行くとなると……


「これって足まで浸かったら溶けるんじゃあ」


溶解液の濃度が濃ければ想像は容易い。踏み込んだ足は瞬く間にじゅぅじゅぅと音を立てて溶け、深部へ数進むまでもなく全身を沼に引きずり込まれてお終い……。

頭に浮かんだイメージから、足の疼きが。


「いや、ここの溶解液は確かに生き物を溶かすが即効性はない。多少長居しても少し肌が被れるくらいで済む。さすがに一月もいれば溶けるが」


『それなら心配ないわね。ファン、ほら』


促すロトは優雅にファンの肩へ着地すると、そんな調子で前へ行くように指示してくる。

いい気なものだ。

もし自分が入るなら頑として入らなかったに違いない。ロトは間違いなくそういう性格をしてる。

ファンの内心などお構いなしに進む方向を示すロト。

だが抗う理由もない、しぶしぶと溶けた地面へ踏み出す。


「うぇっ」


足を包む柔らかい感触。

生暖かい沼の中は粘土が高いせいもあってか、一歩踏み込みだ後、引き抜こうとする足を離すまいとしているかのように絡みつく。

力を込め、勢いをつけることでへばりつく泥を引き離し、進む。

一歩一歩に通常の何倍もの力を使わなくては歩くこともままならない。


だがさすがと言うべきか苦戦し、なかなか歩みの遅いファンの先を行くピュルテは持ち前の怪力ぶりをいかんなく発揮。

同じ場所を行っているとは思えない速さで進んでいく。


―――――――またかっ


しかしこの状態で戦闘など起きれば足を引っ張ることになるのは間違いない。

どうしたものかともがいてみるが沼は変わらずファンの足を引っ張り続ける。


「力任せに引き抜くからダメなんだ、足を引き抜く角度を変えればすんなり抜ける」


それは慣れてるからできるんでしょ、と怪しみながらも試しにアドバイス通りにやってみる。

沼にはまった足を力を入れずにスッと斜めに引き抜く――――っ。


「おぉ!」


すると今までの抵抗が嘘のようにすんなりと足が抜けた。

何度足を抜き差ししても面白いように抜ける。


「動けなければ戦えないからな。ここはすでに精霊の縄張りだ。沼にはまったままじゃ奴らのいい的だからな」


「精霊かぁ」


精霊――――――――全世界各地に存在する様々な特性を持つ存在。

人に寄り添う者から人に害をもたらすもの、災害を引き起こすもの、確認できた存在は数知れず、何か理解の及ばない事柄はすべて精霊の仕業としておそれられている地域もある。

割とどこでも確認した、とされる情報の多い存在だが、実際に目で見ることはあまりない。

ファンも、ジルから話を聞いただけで実際に見たことはない。


『ちょっと力の持った子供くらいに考えておくのがいいわよ。そんな大したものじゃないから』


「子供って……」


ロトはこんなことを言うが、いささか自分と感覚がずれている節があるのであまり参考にならない。

過去に何度となくその甘言に裏切られた経験は体に刻まれている。

話半分に聞いておこう。

ファンはそんなことを考え、沼から足を引き抜く。


――――――――ウフフフフッ


何か、声が聞こえた。


――――何か、イル、ナンダロ、てき? テキ?


耳元の傍を飛び回るように、その音はあちこちから聞こえてきた。

笑い声はこの不気味な空間に馴染むように広がっていく。

笑い声の隙間に挟まる声は怒っているような荒い声音で、自分たちの縄張りにやってきた外敵に対して警戒の様相を呈している。


――――タベ、ミッツ、いる ミッツミッツ! タベル?


こちらを見ているようだがファンたちからは精霊の姿を見つけることができない。

だが精霊たちもすぐに攻撃してくる気配はない。

匂いを嗅いだり、くるくるとあたりを行ったり来たりしている感覚だけが何故か伝わってくる。


ファンたちが何者なのか観察しているような素振り。


「噂をすれば、だな」


前を歩いていたピュルテが一瞬足を止め、何も気づいていないとばかりに再び歩き出す。


――――なん、ニオイ、ツーツー、ニオイ、ニオイ?


ファンたちを認識した精霊たちは興味津々と、ファンたちを嗅ぎまわるものの明らかに混乱していた。


人間の五感と同じく精霊にも似たような機能が備わっている。その中でも嗅覚、ニオイをつかさどる機能はヒトよりも優れており、精霊はまずニオイをかいで対象を認識する特性がある。


『あまりキョロキョロしないの、感づかれたら面倒よ』


ピュルテの情報通りならこの森にすむ精霊は攻撃性が強く、縄張り意識が強いため、このように自分たちの場所に無断で入ってきたやからは問答無用で攻撃する。


「っと、そうだ。せっかく臭いのを我慢してるのが無駄になる」



そこでファンたちは特殊な薬草から絞った液体を体に被ることで自分たちのにおいを偽装した。

ピュルテ発案の作戦はうまくいったようで。

刺激臭に混乱した様子の精霊たちは未だファンたちの正体を理解できていない。


体から漂う刺激臭に顔を顰めつつも、未だ飛んでこない攻撃に確かな効果を実感する。


――――ずっと見てるな……


感じる視線、どこに姿があるかはわからないが一向にその視線が外れる様子がない。

まるで観客に囲まれた旅芸人の心境だ。


針の筵とはこのことを言うのか、『見られる』というあまり経験のない状況に無意識に体がこわばる。


ぽちゃ、ぽちゃ、と歩く水音が響く。


いつの間にか笑い声が消えている。


唯一視線だけ、それだけが静かな空間に刺すようにファンを襲う。


じんわりと汗がにじむ。


神経をすり減らし、慣れない足場に苦戦しながら道を進む。


「そろそろ見かけてもいいと思うんだが……」


戦闘を歩くピュルテがぽつり、つぶやく。


その時だった。


『反応あったわ! 下! 沼の中にいる!』


静けさを切り裂くロトの声。

示す場所には微かに他の場所よりも盛り上がった泥があった。


――――風の探知に当たらないのはそのせいか! 


数は見たところ一匹。


声を出したことで向こうもこちらに気付いたようだ。


「フオォォォォ!」


沼から口を出し、ひと声咆哮を上げるとこちらに向かってくる。


『ファン!』


駆け寄ってくるピュルテよりも素早い動き。沼から出た身体は急速に乾燥し、その棘を露わにした。


――――円棘獣!


「――――っ」


焦って沼から足を抜くのが遅れ、瞬く間に距離を詰められた。

すでに敵は目と鼻の先にいる。

大きく開けた口を開け、骨ごとかみ砕きそうな顎が――――


『させないわ……』


円棘獣との間に風の壁が出現する。

突如現れた風壁に勢い余った円棘獣がそのまま噛みつく。


「よしっ! 抜けた!」


その隙にハマってしまった片足を引き抜いた。

目の前で大きく口を開いたままの円棘獣に向けて


『召喚』


生まれたのは見合った小規模の火。

口の中に転がるように入っていった火種はしかし見た目以上の威力をもって円棘獣の喉を焼き焦がす。

小さく悲鳴を上げて後ろずさった円棘獣へ追撃をかける。


「ファン! こっちもだ!」


攻撃を仕掛けようとしていたところにピュルテからの声が。

そちらを見やるとブクブクと空気を出しながら次々に円棘獣が現れた。


「こいつらがいるってことは」


森の民もこの近くにいるということ。


そのためにも早くこいつらを倒さなくては、意気込むファンは手に持ったナイフを構え、目の前の円棘獣へ突っ込んだ。


――――まだうろたえてる、ここだ!


喉の痛みに悶えていた円棘獣へ振りかぶったナイフを突き立てる。


「硬いっ」


刃の先の部分が突き刺さるものの、そこから先が硬い皮に阻まれ、差し込むことができない。

力を込めてナイフを押し込むが指の先ほどの距離を進んだかどうか。


「ガァアアキュゥゥ!」


円棘獣が体に取りついたファンを体を大きく揺することで振りほどいた。

唸り声は自分に攻撃してきた敵への不快感か、その目つきは完全にファンを敵として認識したようだ。


ちらりとピュルテを見やれば、その強大な怪力をもって、取り囲む円棘獣を殴っては吹き飛ばし、沼ごと蹴り上げる姿が見えた。


――――さすが……あっちは大丈夫そうだ


問題はファンの方である。

相変わらず魔力不足問題に陥っているために派手な攻撃はできず、唯一の武器による攻撃も硬い皮に防がれる。


「最近こういうこと多い……」


この森に入ってから自分の攻撃性能の低さが露骨に障害となるケースが多い。

自分の問題点が嫌と実感できる状況、なんとかしたいと思いながらも今すぐ解決できるものでもない。


「まぁあるっちゃあるけども……」


『そんなに腹をくくる場面でもないでしょう。これくらいどうにかしないと』


ロトの言葉が耳に痛い。

契約者に頼り切りなたたかいかたももうすこしなんとかしたほうがよさそうだ。

魔力がすぐ切れる割にその後の手札が少なすぎる。


思わずこぼれた愚痴も円棘獣は聞いてくれない。

魔力を回復する手段がないのなら、もう残る手段はただ一つ。


あと残ってる魔道具は…………三つ、手に持った小さなガラクタ魔道具で切り抜ける。

そのためには闇雲に攻撃するのは得策ではない。

そう判断したファンはぽちゃぽちゃと足音を鳴らしながら円棘獣の周りをぐるぐると回り、様子をうかがう。


――――あの硬い皮膚にナイフが通らないなら柔らかいところを狙って切るしかない。口の中、足の付け根……は硬そう。腹は、よく見えないな


となれば、沼に使った部分を狙うよりも先のように攻撃を躱しながら開いた口の中に攻撃を放り込むのが一番。

にじりにじり、警戒しながら近づくと、円棘獣も本能で感じ取ったのか背中の棘を震わせてこちらを睨みつけてくる。


一歩、また一歩、慎重に近づき、相手が攻撃してくるのを待つ。

離れすぎてはこちらの攻撃が意味をなさなくなってしまう。

動くたびに撥ねる水滴が頬にとび、滴となった水が首元をつたい、流れる。

ぎりぎり攻撃を仕掛けてきそうな位置を測り、反応できる距離を保つ。


離れた場所でなる大きな水音にも目もくれず、こちらを睨みつけたまま唸り声を上げる円棘獣。


未だ激しく音のなる水音から察するにピュルテもまだ戦っている。

それだけ円棘獣に苦戦しているのか、それともこいつらの皮に攻撃が通らないせいか。


――――じれったいな


なかなか攻撃してこない。

加速する意識は周囲の音を拾い、あれこれと頭の中で思考を巡らせる。

森の民のこともある早く倒して捜索しなければ、そんな思いが一歩、さらに踏み出した時。


「ぐるぁあ!」


まだ駆けて二歩、攻撃は届かないと思っていた距離で円棘獣が咆哮すると共に、フルフルと振動していた背中の棘が射出された。


「ぐっ!?」


予想外に放たれたそれは爆発した破片のようにあたりに飛び散った。

完全に予想を外された攻撃に何とか腕を交差し、体を丸めることで難をしのぐ。

バスバスと体に突き刺さる棘の痛みにに呻きながら耐え忍ぶ。


――――こんな攻撃方法があったのか!


あの背中で震えていた棘は威嚇のために震えていたのではなかった。

攻撃準備の段階だったのだ。



数秒、射出され続けた棘の猛攻が止まった。

顔の前にやっていた腕を下げる。

だらだらと流れる血が沼を赤く彩る。

粘性が高いために水面に突きたった棘がその破壊力を感じさせる。



口を開く円棘獣の顔に移るのは喜びの感情か。

心なしか開閉する口が笑っているようにも見える。


ずるりと音がなる。


見ていると抜けた棘の穴からずるずると新しい棘が生えてきた。


――――まだ打てるのか


弾切れはどうやらなしのようだ。


また背中の震えが始まった。


「このままじゃハリネズミだ」


辺りに散らばる棘を見ればある程度の射程は予測できる。

だが円棘獣を中心として、全方位にまき散らされるあの棘は予測できたとしても避ける手段がない。

ロトが力を使えない状況では棘から身を護る術が……。


――――来るっ!


準備ができたのか、、沼を泳ぐように素早い動きで今度は向こうから距離を詰めてくる。


「くそっ!」


離れようにも円棘獣と違い、この粘度の高い沼の中では思うように動けない。

再び発射された棘がファンを襲う。


顔を覆う腕の隙間から円棘獣を見る。

何か連動しているのか、大きく開けた口。

どうやら発射の際には常にあの口を開けたままらしい。


「いっ」


体に刺さる棘に思わず涙ぐむ。


――――ヤバイ……


すでに体中血だらけだ。

一方的に向こうからの攻撃だけを喰らい続けていれば到底あいつを殺すことなどできない。


何か、盾でもあれば。あの空きっぱなしの口に一撃喰らわせられるのだが。


「――――!」


盾、要は防げればいい。

躱せないなら守るしかない。


懐から取り出したのは伸縮性の優れた紐。


「これに、重りを付けて」


先端に背嚢に入っていたこぶし大の道具を取り付ける。

ロトにはガラクタ呼ばわりされたこの道具、使い道がなくても持っておいてよかった。

収集癖が思いもよらぬところで良い要素になった、とファンは得意げに取り付けた道具を沼に沈める。


円棘獣はすでに第三射目の準備をしている。


随分と回転率が良い。

ぐっと沼に押し込んだ紐をひっぱり何かを確かめると紐を掴んだまま円棘獣へ近づかんと走り出した。


「グォオア!」


まさか近づいてくるとは思っていなかったのか、放った咆哮にわずかだが困惑が感じられた。

それでも円棘獣はしっかりとファンを見据え、油断せずにその棘を構える。


振動し、その揺れが棘を伝い、


放たれた。


まっすぐに飛んだ棘はその振動に反応し、空中で爆発する。

飛び散る断片がファンに迫る。


「ここだ!」


その瞬間手に持った紐を思いっきり引っ張り、物を投げるように振りかぶった。

事前に沼に沈められていた先端の重りが引きずり出され、宙を舞う。

その光景はある種、目を見張るものであった。

空中へと出てきた重りは沼の水、正確にはその粘度の高い液体を引っ提げ、ファンの前へ進む。


「そーらっ!」


力を込め、紐を振り回す。

円を描くイメージで振り回された紐はその引っ提げた粘液が軌跡となり、空中に丸い盾を作り出す。

荒ぶる紐を力づくで制御するファンはその盾で円棘獣の棘を受け止めた。

沼に棘が刺さるということはその水を自在に使えさえすれば、棘から身を守ることができる。


数秒、力任せに紐を振り回すファンには長い時間。

やがて攻撃が止む。


「食らえ!」


ここが好機! とばかりに開いた口へ投げ込まれたのは初めに入れた魔道具よりも二回り大きい代物。


「ぐぉあ?」


ごくんと口を閉じた円棘獣が飲み込んだ異物に気付く。


だがすでに遅い。


『召喚』


―――――爆発。


空気を震わせる大きな爆発音が目の前で炸裂した。

距離が近かったためびりびりと肌がちりつく。

身体を駆け抜ける爆風が体にまとわりつく水を吹き飛ばしていく。



飛び散った円棘獣の肉片がぽちゃぽちゃと落ちてくる


「何とかなった……」


一体にあらんかぎりの力を使ってしまった。

痛みをこらえながら、体に刺さってままの棘を抜いていく。


「そうだ、ピュルテの方は」


どうなったと、思い出し向き直る。


「ふっ!」


ばしゃばしゃと水面を切るように円棘獣が吹き飛んでいく。

相手取る

円棘獣は3体、そのうちの一対は今まさに彼方へ飛んでいき、残るのは明らかに怖気づいた様子の2体。


「そっちは終わったのか」


戦闘が終わった気配を感じたのか円棘獣から視線は外さず、ファンに問いかけてくる。


「こっちはなんとか、そっちは……大丈夫そうだね。さすが」


魔力がうねりを上げ、ピュルテから立ち上っている。

体の周りに浮かぶ花弁は回転数をあげ、絶賛稼働中だ。

この一帯の魔素を全て平らげてしまいそうな吸引力をもってして戦うピュルテは桁違いの戦闘力だった。


「こちらももうすぐだ」


難なく言ってのけた宣言通り、残りの2匹へ駆けだしたピュルテはかろうじて視線で追うのがやっと。

この足場でどのようにすればあれほど早く動けるのか、シューと静かに唸る花弁の音がその痕跡を残していなければどこを移動したのか目星をつけることもできない。


仲間の一匹を蹴散らされ、日和っていた2匹は近づいてきたピュルテに反応できない。

きっと突然目の前に現れたように感じたはずだ。

不意打ちを喰らったように無防備に拳を受けた円棘獣は先の1匹と同じように水面に叩き付けられ、水面を跳ねながら吹き飛ぶ。

ピュルテは放った拳を素早く引き戻し、引いた拳で反動をつけるように蹴りを繰り出す。

埋まっていた図体を根こそぎ持っていく力のこもった一撃は、最後の一匹を天高く打ち上げた。


「これで、終わり!」


打ち上げられた円棘獣は垂直に落ちてくる。構えたピュルテの下へまっすぐに。

くるりと回転して反動をつけた蹴りが、落ちてきた円棘獣の腹をきれいにとらえた。


ドゴン、鈍い音を立てて近くに生えていた樹の幹に打ち付けられる。

ずるりと落ちていく体はぴくりとも動かない。


圧倒的だった。


――――これから花を奪って逃げようとか危ないこと考えてたな……


過去の自分の無鉄砲さが蹴り殺された円棘獣と重なる。

心なしか背筋が寒くなった。


「ふーふー」


身震いしていると、息を吐くピュルテの様子が少しおかしい。

肩で息をして、肌もほんのり赤い。

戦闘後の疲労だろうか、少し憔悴したような素振りが見える。


「平気?」


「あぁ、少し、力を入れ過ぎただけ、大丈夫だ」


集落を出てから、表立っては感情的に見えなかったピュルテだが、内心ではそうではなかったのか。

静かに、だが抑え込んだ意思があふれだしている。ほとばしる魔力の奔流が内にしまい込んだ感情の波にも見える。

おそらく森人の子供たちが心配で、その手掛かりを目の前に必死になっているのだろう。


――――森の仲間……


人間嫌いのピュルテが交流をもつ一族。

少ししか話しているところを見てないが、オサとのやり取りは培ってきた関係性が感じられた。


『まだ、一匹残ってるわよ!』


目を閉じ、索敵に集中していたロトからの声。

さっき一番初めに円棘獣が吹き飛ばされた先。

沼に浮かぶ仲間の死体のそばにもう一匹、円棘獣が。


「――――っ!」


驚いたのはどっちが先か、それはまだ敵が残っていたことによるものではない。

その背中、円棘獣の特徴である棘。


そこにひっかかるようにしてぶら下がる影が見える。

遠目に見てもファンの腰までほどしかない小さなシルエット。

それはファンたちが探していたものたち。

ただその影はサニークルが泳ぐのにも微動だにせず、


――――その体はべっとりと血に染まっていた。


「あぁぁぁぁ!」


目の色を変えたピュルテが一直線に走った。


「待っ、ピュルテ!」


爆発した感情が疾走を力づけるように、一瞬で最高速に達したピュルテの一撃が円棘獣へ


ザパァ。


飛び込んでいったピュルテの脇、目視していた円棘獣のすぐそばからもう一匹。

待ち構えていたと、飛び込んできたピュルテの胴へ食らいついた。


「かっ」


ピュルテの肺から空気が押し出される。

その速度が裏目になった。

胴へ深々と食い込んだ牙が衝撃共にピュルテを襲う。

何が起きたのか、理解できないといったピュルテを痛みが現実に引き戻す。


「うぐぁああ」


円棘獣はもがくピュルテを逃すまいと顎に力を入れていく。


ミシミシと嫌な音が体から鳴る。

じたばたと腕を叩き付け逃れようとするピュルテだが、うまく体に力が入らず、宙ぶらりんの姿勢では満足に威力のこもった一撃は出せない。

じわじわと万力のように閉じていく口がピュルテの体を押しつぶす。


「う……ぁ」


花弁の回転が弱くなっていく。

音が止み、動きを止めた。

抵抗していた腕がだらんと垂れ下がる。


「ピュルテ!」


噴出する風の射出で一気に距離を詰めたファンが円棘獣の体に取りつく。


「がぁあ!」


仲間に攻撃をさせまいと傍で様子をうかがっていた一匹がファンに迫る。


『通さない!』


すかさずロトのサポートが円棘獣を阻む。

小さな風の渦による風の障壁はピュルテを助けんとするファンを守る。


「こいっつ!」


取りついた円棘獣の口の隙間に腕を突っ込み、ナイフを口内に突き立て、かき回す。


「ぐぅおおお」


呻く円棘獣がピュルテをこぼした。

ばしゃっと水に落ち、そのしぶきが二人の体を濡らす。


「ロト! もう一回!」


すかさずピュルテを抱え上げ、足を纏う風の力で距離を取る。


「ぁ、ぁいつの、せなか……」


「わかってる、でもこれは」


額から流れる水を拭いながら円棘獣を見据える。

痛みに呻く円棘獣の後方から見えるのはわらわらと蟻の群れのように数をなす円棘獣。


「何匹いるんだ……」


30はくだらない。今までどこに潜んでいたのか不思議だが絶望的状況なのが一目で理解できる。


『ファン、魔力がもうないわ。さっきのでもうすっからかん。攻撃を受け止めるほどの風は作れない』


それに加えて抱えるピュルテはひどい傷を負っている。

早く治療しないと……


――――あれ、ニオイ、ニオイダ。


ふっとそばを通るささやき声。


『まずいわ、気づかれたみたい』


すっかり忘れていた。濡れた身体のせいで精霊だましの液体が流れてしまった。


――――てき、テキ、侵入者だ、やっちゃう? ヤッチャエ


話し合うような声がぽつぽつと聞こえる。

やがてファンを認識した声たちはその声音を変える。

ざわざわと声が広がっていく。

喜怒哀楽。ごちゃごちゃと混ざり合う奇怪な感情の声たちが侵入者という一つの目的へ焦点を合わせていく。


――――やろ、ヤロウ、ころ、ソウ、殺す


昂った感情が一つの敵意となってファンに狙いを付けた。


「――――!」


間一髪足元から伸びてくる物体をよける。


「これは、樹? の枝か……?」


『ファン! 一つに気を取られないで!』


――――伸び、ノビろ、くしざし、ザシザシ


あちこちから枝が伸びて近づいてくる。


「っく、この状態だと……」


その尖った先端が目や、口、腹部などを狙い、ファンめがけて攻撃してくる。

身をよじり、体を突き刺そうとする攻撃を何とか回避する。

攻撃の当たらなかった枝はぐねぐねと成長していたかと思うと、唐突に動きを止め、朽ち始めた。


――――アタン、ナ、よけた、ハヤい、はや


「なんだこれ……」


『精霊ね。どうやら自然を操れる力を持ってるみたい』


「自然を操るって、これが……」


沼の中から枝が生まれるのは土を操ったのか? あちこちから伸びてくるのも精霊の仕業なら、


『ここを抜けないとしつこく狙われ続けるわね』


「きっついね」


思わず弱音が漏れる。

もはやファンたちに戦闘の術はない。

魔力もほとんど底をつき、とても戦闘できるほどの余力はない。


「「「ぐぉおおお!」」」


先ほど攻撃した円棘獣に合流した群れがこちらに目を付けたようだ。

共鳴する雄たけびが森を揺らす。


――――うるさ、ウルサーイ、おおキ、コエ


『限界ね、はやくここから逃げないと私たちみんな死ぬわ』


「……ぁて」


抱えていたピュルテが声を発した。


「あんまりしゃべると、今からキミを連れて集落まで戻る。もう少し我慢して」


「こども、たちが……」


苦しそうに、息を吐き出しながら話す姿は痛々しい。

おそらく相当ひどく体内を損傷している。

腹部からどくどくと血を流し、今にも死んでしまいそうな傷だ。

それなのに、ピュルテの目は強い、意思を灯している。


「残念だけど、あれは……」


背なかにぶら下がっていた森人はどうみても死んでいる。

残りの子供たちは確認できていないが、まず見込みは薄いだろう。


「で、も。連れて、帰らない、と」


「ダメだって!」


抱えていた腕から逃れるようにピュルテがもがく、取り落としそうになるのを慌てて抱え治す。


「くっうぅぅぅ」


――――弱ってル、よわってるのがー、イルね、いるいる


無理に体を動かしたせいで体が痛んだのか、ピュルテは痛みに顔をしかめ、ぎゅっと体を抱きしめるように丸くなる。


「だから動かないでって――――」


この状況で未だ聞き分けのないピュルテに怒鳴り声を上げようとしたファンの声が、切れる。

ピュルテは小さく震えていた。

痛みをこらえるように、ぎゅっと目を瞑り、動かない体を無理やりに動かそうとファンの腕の中でもがいている。

少し体を動かすだけでも相当な激痛が走るはずだ。

体をよじるだけで泣き叫んでもおかしくない傷だった。

それなのに、こんな傷を負っても関係ないと、自分の体は二の次だと。

苦しみながら、痛みではなく、体が動かないことがもどかしいといわんばかりに必死になっている。

十中八九死んでいるだろう森人の下へ行くために。

向かっても無駄かもしれない、そんな考えなど微塵も浮かんでいない。

ただ、ただ助けたいという意思が、ファンの目をくぎ付けにした。



『まずい、あいつらこの女を狙ってくるわよ』


「……」


『ファン?』



――――それ、イケイケ、シネシネ、いケ


沼からずずずっと音を立て、姿を現したのは一つの樹。

色とりどりの実がなり、風もないのになぜかひとりでに揺れている。


『あの実は……! ファン、攻撃が来るわ!』


ここで逃げるのが、おそらく正解だ。

今の状況ですんなり円棘獣の群れから森人を回収して、集落に帰るのは無理だ。

精霊にも存在がばれた、二つを同時に相手取りながら戦う、そんな選択肢はどう考えても不可能。

考えるまでもないことだ。

なのに、


『ちょっと? どうしたの?』


不思議な気分だった。

このどうしようもない状況、足を動かさなくてはいけないはずなのに。

頭では理解しているのに体がそれを良しとしない。


「円棘獣もこっちに向かい始めた! 逃げるわよ」


多分知らない間に仲間意識のようなものができていたんだと、ファンは思う。

今までロトとの旅で他者とのかかわりなんてものはほとんどなかった。

あったとしても街を訪れるたびに、情報を集めるために街の人に聞いたり、店の人と少し話す機会があるかどうかといった具合。

大前提には、自分の目的や、発生する利益を考えることがあった。

昔、ジルが一緒に旅をする人がいたらそれは楽しいと言っていたが、いまいち理解できなかった。

利点や不利点だけを考えて、わかったような気になって、知った気になっていた。

ずっと心の底で冷めた自分が、自分自身を見ていた。


「早く!」


でもこの数日、

共に行動するうちに、

一緒に飯を食べるうちに、

話をするうちに、

いつの間にか本来の目的を忘れて、過ごしている自分がいた。

初めて、自分を第一に考えないで動いていた。


そして今、

ピュルテをみて。

仲間のために動こうとする姿を見て。


なんとかしたい


と、そう思った。だから、


「迎え撃とう」


ここで逃げることはしない。


沼に浮かぶ大木にピュルテをのせる。


この状態でにはリスクが大きい。


だが、それでも体は動いた。

なんとかしたいという気持ちが、衝動が、ファンを突き動かした。


――――潜れ、潜れ……。


自分の体の中、イメージする扉。

意識の底にあるそれに感覚を繋げていく。


バチっと幻聴が聞こえる。


深く自分の中を潜っていった先、その扉へ意識を伸ばす。

外の音はもはや意識の外にある。

何か叫んでいるロトの声も徐々に遠くなっていく。

ゆっくりと、水を掻き分けるように少しずつ距離を詰めていき、

意識が扉の淵へと触れる――――。


――――つながった。


力が、そこにはあった。

得体のしれない、理解の範疇を放り捨ててなお余りある未知のもの。

不可能を捻じ曲げ、道理を黙らせる可能性の塊。

びりびりと体中を電気が走る錯覚に襲われながら、それでも手を伸ばす。


――――取った……!


たどりついたを強引に掴み、引きずり出す。

手に抱えた戦利品を抱え、この現状を変えるための切り札を掲げるように。

どうにもならないすべてをぶち壊すために。


意識が浮上した。


――――『召喚』


電流が走った。

ファンを中心にほとばしる力が沼を伝い、バチバチと周りに広がっていく。


――――なに、ナニコレ、コワイ、こわい、コここワ


体を包んでいた万能感は消え、耳に音が戻る。

鳴りやまない耳鳴りに、体が悲鳴を上げミシミシと軋み上がっていた。

体に掛かる負荷が徐々に徐々に大きくなっている。

だが


「な、んだ」


召喚はなされた。


『やっちゃった……』


集まっていた視線が気圧されるのが気配で伝わってくる。


「ウォォォォオオオオ!!!!」


その存在は、現界したことを確かめるように体を見やると歓喜の声を上げた。

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