第10話 ドウトの森
炎樹地帯を抜け、少し涼しい空気を感じながら次の場所へと進む。
「ピュルテ……、ちょっと」
「……」
呆れたような顔でこちらを見るピュルテ。
「ピュ……ルテ………手貸して………」
巻き付かれた草にがんじがらめにされ、身動きの取れなくなったファンを見て、ピュルテがため息をつく。
「思ったより間抜けなんだな……」
冷えた視線が突き刺さる。
ピュルテに肩にぶら下がった森人すら白い目をこちらに向けている気がする。
悲しいかな、そんな目を向けられて尚体は手の先が微かに動くだけ。
ピュルテは助けを求めるファンの目を見て、しぶしぶ救出に向かった。
近道と称してピュルテが通った道は今までの道よりも険しく、著しく体力を奪っていった。
ある程度進むといびつな形に育った植物が目につくようになった。
中心を何かが通ったように空間が開いている。伸び方はそれぞれ違えど中心に空いた空洞はどの草も共通している。
その根元には決まって何か魔物か獣の死体が倒れていた。
不気味な場所だなぁと呑気に考えながら進む。
だが不気味だといってもそれだけだと、もうすでにファンの頭の中ではその程度の認識だった。
「そこは踏むな!」
ピュルテの声になんで? と
答えようとしている間にピュルテが通った場所を踏んでしまった。
すると、
「うわっ」
足を上げた瞬間に足元から伸びてきた草が体に絡みついてきた。
引っ張られるわけでも、どこかに引きずり込まれているわけでもないが先に進もうとすると決して離すまいと、ファンの体を拘束するように巻き付いてくる。
驚いた声を発し、抜け出ようとするが草の拘束力はファンの力ではどうすることもできない。
どうしようと考えている間にも首元まで草が伸び、抵抗しようともがき続けるも、完全に体に巻き付いた草はファンが動くのを許さなかった。
「この一帯は絡み草の群生地帯。踏んだ生き物をささえぎの代わりにしてその背丈を伸ばす。死んだ生き物はそのまま朽ち果てて絡み草の養分になる」
動けないファンを助け出し、口元に巻き付いた草を引きちぎりながら説明してくれるピュルテの姿がどこか神々しく見える。
草の根元で死んでいた魔物たちもファンのように草にまとわりつかれて動けなくなり、そのまま餓死したのだろう。
助けがなければあの死体のようになっていたのかもしれない。
「この草は力を加えないように踏めば体に巻き付いてくることはない。コツがいるんだ。
体重が軽いものもこいつらの対象にはならない」
こちらの気も知らず、悠々とファンのとなりを行く森人を見て納得がいく。
あの体では絡み草に満足に力が伝わらないから、巻き付かれずに済んでいるということ。それならばここを通るのに苦労することはないのだろう。
「ここを抜けるのは確かに近いが、こうして毎回絡み草につかまっていては時間がかかって仕方ないってことだ」
ピュルテの言う絡み草に絡まれないように進むやり方は口で聞いた時は簡単そうに聞こえたが、実際にやってみせるのは中々に難しかった。
「こう……か?」
おそるおそる足をだし、踏みしめ、次の足を出した瞬間に
「っく、失敗した!」
瞬時に絡めとられたファンをピュルテが無言で助け出す。
何度となく繰り返される光景に森人も退屈したのか、離れたところで何かの木の根を掘っている。
そんな調子で進み続け、ピュルテに助け出される数も10を超えた頃
ようやく絡み草の群生地帯を抜け、少し開けた場所に出た。
「ここが到着?」
水なんてどこにもない、そう口にしようとすると
「こっちだこっち」
ピュルテが手招きしたのはそこらに生えている木の前。
そこらにあるような普通の木に向けて小さなナイフで傷をつけている。
「木の皮なんて持って帰っても何に使うの?」
何か薬の材料にでもなるのだろうか、考えている間にもピュルテは止まることなく手慣れた手つきで木の周りを一周し、切りつけた傷が一周するように切れ目を繋げた。
ファンがつぶやくピュルテを不思議そうに見守っていると、
「そらっ」
おもむろに切れ目に指を立てて木の皮を掴んだかと思えば上に向かって引っ張り出した。
べろんと綺麗に向ける木の内面が露わになる。
「なにこれ……!」
木の内側は水を閉じ込めた袋のようにたゆんたゆんと揺れ動き、向こう側が見えるほど透き通っていた。
恐る恐る触ってみると柔らかい感触。水をそのまま触っているようだ。
「水の形をした木?」
「この木からは手軽に水が取れる。通常の木との違いはこの皮だ」
切り取られた木の皮は通常の木よりも色が濃く、厚みがあった。
「中の水が漏れ出ないように厚くできている、そしたらこうやって水を取り出す」
懐から出したのは乾燥した植物の束。
どうやって使うのかとみていると、ピュルテはおもむろに束をほどき、先端部分を木の中に突っ込んだ。
「おぉー、おもしろいね!」
ひも状にほどけた植物は木の水分をどんどんと吸いこんでいく。
水を吸って膨らんだ植物は乾燥時には想像がつかない程その大きさを増していき、突き刺した反対側まで水が行き届くまでにはこぶし大の幅を持つ大蛇のように姿を変えた。
「こんなものか」
膨らみ加減を見て、ピュルテが木に突っ込んでいた植物の口を縛る。
「これ、持って帰るときはどうするの?」
「こうする」
膨らんだ大蛇のようなそれをおもむろに体に巻き付けたかと思うと、腹のあたりで結び目を作りファンに見せつけるようにくるっと回って見せた。
「こうやって全身に巻き付けておけば落とす心配もないし、移動しやすい。二つ持ってきたからお前もやれ」
ほらと手渡されたひも状の束。
「……」
何のことはないと動き回っているピュルテだがあんな水の塊を全身に巻き付けて重くないわけがない。
見た目が異なるだけで重さだけを言えば鎖をぐるぐるまきにされているに等しいことは想像がついた。
「周りにも同じ木があるからあたしと合わせて後4本。手順は見たとおりだ。任せたぞ」
「なんで、あんなに、動けるんだ……」
次の場所へ向かうピュルテに続いて歩いていたが、水の紐を巻き付けてから最初以上についていくのが困難になり、気を抜くと置いてかれそうになっていた。
背嚢に気に入った魔道具を詰め込み、旅を続けているファンだが、引きずって裂けないよう、体を締め付けるようにぐるぐるに巻かれた水紐が想像以上に歩くのを邪魔している。
「動きにくい……」
正面では、森人が抱えた水紐の一端を手で持ってやっているピュルテの姿。
小柄な体で一生懸命に歩いている森人をどこか微笑ましそうに見やっていた。
そのまま一時間程歩いていると辺りの景色がまた変わる。
多量の岩が転がり、キノコがたくさん生えているのが目立つようになってきた。
ちいさなものから、一本の樹ほど巨大なキノコまで見渡す限りでも幅広い大きさのキノコが見えた。
転がる岩にはびっしりと苔が付き、その苔を啄む鳥が数羽目に入る。
「もうそろそろだな」
そういってピュルテが手渡してきたのは一枚の葉。
「葉っぱ?」
「これから通る場所はキノコの胞子が凄いからな。これで口を隠せ」
見本を見せるようにファンに渡した葉と同じものをピュルテは自分の口に当てて見せる。
ファンも同じように渡された葉を口にあててみる。すると
「なんか、べたべたする」
顔に張り付く葉は謎の粘液を表面に滴らせ、顔につけると非常に不快な気分にさせられる。
「ここを通るときだけだ、我慢しろ」
そしてピュルテの案内でさらに道を進んでいく。
獣道に等しい、乱雑な道。
口を覆う葉でうまく呼吸ができず、息が上がる。
「霧?」
進んだ先、突如として視界を濁らせる黄色い霧がファンの視界を曇らせる。
いつ発生したのかすらわからないが、それは一瞬にして目の前に広がっていた。
「霧じゃない、胞子だ。これを吸い込むと面倒だからな、葉をはがさないように進むぞ」
言われるがまま、もう一度口の周りに張り付く葉を手で抑えつけ、隙間を潰す。
激しい動きで葉をはがさないために、慎重に前へ進む。
葉を抜けて出た呼気が宙を飛ぶ黄色い胞子に触れ、辺りに散っていく。
――――すごい量だ。これが全部胞子……。
ピュルテ曰く、この胞子は衝撃によって拡散するキノコのものらしく、今ファンが歩いているこの地帯に生息する虫たちの動きでこれだけ大量に胞子が飛んでいるらしい。
あちこちに生える巨大なキノコも同じ種類だといわれれば、妥当な量にも思えるが、それでもやはり異常な量の胞子だった。
「うわ……」
ピュルテを見失わないようにあるいていると、やがて足元に大量の虫がひしめいているのが見えてきた。
カサカサと音を立てて体を震わせるように密集している。
見た目は全身が真っ黒で、体には茶色の体毛が生えそろっている。
それらの虫がファンたちの進む方向へ行進するように移動している。
「
密集した黒染の群れを見て顔を顰めているファンにピュルテからの忠告が入る。
――――微かな物音がする。
その時、ファンの背なかに毛の塊のようなものが蠢く感触。
「うわぁっ!!」
思わずその場で飛び跳ね、背なかに侵入してきた異物を取り除こうと、体をばたつかせる。
「おい、暴れるな!」
しかし背なかの感触に気を取られたファンはそれどころではないと、背嚢をずらし、なんとか体についたものを振り払おうと体を振り回す。
「あっ」
そして、振り回した手が近づいてきたピュルテの顔を掠める。
その拍子に、背中から落ちた黒染がぽとりと地面へ落ちた。
落ちた黒染は背なかからひっくり返り、じたばたと足を動かしている。
「「「「「シュー――」」」」
ファンが暴れたことで、大人しく地面をはいずっていた黒染の群れが鳴き声を上げる。
刺激をしてしまった対象のファンの下へ、わさわさと足を動かして詰め寄ってきた。
「何やってる、こっち!」
もはや慎重などとは言ってられなかった。
体に何匹か登ってきたのを手で振り落とし。
詰め寄ってきた黒染たちから逃げるべく、ピュルテに手を引かれるように駆ける。
そのまま走り続け、追ってくる黒染たちもいなくなった頃。
「はぁ、全く、お前は……くくっ、何を……くふふ」
難を逃れた二人は互いに顔を合わせ、視線が重なったところでピュルテがファンに文句を言おうと口を開くが……。
――――笑ってる?
その表情はどんな感情か、目はファンを咎めたいのか吊り上がっているのに、口元はその目とは裏腹ににんまりと形を崩していた。
「なんで、ふふ、笑って――――」
そこでファンも自分の異常に気付いた。
何故か言葉を発しようとすると、おかしくてしかたない。
いや、すでに言葉を発そうとしなくてもなんだか笑えてきた。
「くくっ、あはははは!」
すでにピュルテはこらえきれず、大笑いしている。
あきらかに妙だが、初めてみるその表情は何とも普通の少女のようにはつらつとした笑顔だ。
それにつられるようにして、ファンもこらえきれなくなった。
「ふふ、ふ、ははははははは!」
倒れた巨木に座り込み、しばらくの間二人はその場で笑い続けた。
「「はぁ、はぁ」」
お互い顔を見て、笑い疲れた頃、唐突に湧き上がる衝動が収まった。
頬の筋肉が釣りそうになる中、呼吸を整えたピュルテが話し始める。
「ふぅ……、ようやく収まった」
腹を押さえて、立ち上がったピュルテが頬を引きつらせてこちらを見る。
笑いの余韻が残っているのか、何やらにらみつけようとしているみたいだが、その表情に締まりはない。
「お前のせいだぞ、全く」
「俺のせいって」
そんなことを言われても困ると視線で訴えるが、ピュルテもそこまで本気で咎めているわけではなさそうだった。
そしてピュルテの顔を見ていて一つ気づく。
「葉が取れてる……」
一つ自信を落ち着かせるようなため息をひとつついたピュルテの顔にはつけていたはずの葉が無くなっていた。
ファンが慌てて手を振り回した時、ピュルテの顔の前を掠めたときに着けていた葉にあたってしまったのか。
そこで今の妙な事態に見当がついた。
「今気づいたのか……、」
「じゃああの胞子を吸い込んだから」
笑いが止まらなくなったのかと、自分の顔に触れてみればやはりいつの間にか葉が無くなっていた。
走っている最中に落としたのか、記憶がない。
黒染から逃げるのに気を取られて全く気が付かなかった。
「あれはな――――」
ピュルテが気の抜けた調子で話す。あの黄色い胞子は
「ただ笑うだけならj別にそこまで大した問題じゃないんじゃ」
「吸い込みすぎると息ができなくなるほどの発作になるぞ。下手したら死ぬ」
まあこれくらいじゃ何ともないけど、とピュルテは息を吐く。
「なんだか変に気を張っているのが馬鹿らしくなった……」
そのまま少しその場で休憩し、
「ついたぞ」
「ここは……」
正面。
何処か見覚えのある植物が視線の先に生えている。
ハッとして周りを見れば予想通り、至る箇所に蔓が張り巡らされていた。
あれに引っかかるとあの植物から攻撃が飛んでくる。
今引っかかっていたら防御態勢を取る暇もなく食らっていただろう。
「見たことあるのか」
「ロトと一緒に花園を探しているときに見つけて、めんどくさそうだったから早めに離れたんだ」
「あれの名前は『縄張り草』。近くにある蔓をひっかけるとあれの本体が感知して攻撃を飛ばしてくる。
おまけに……」
言葉を切ったピュルテが示した方向に数匹の魔物が集まってきていた。
どの魔物も何か操られたようにこちらに向かってきている。
ふらふらと近寄ってくる魔物たちは明らかに正気ではない。
「匂いだ」
「匂い?」
言われてみればどこか鼻につくような妙な匂いが気がする。
だが、ピュルテに指摘されて意識して嗅がなければわからない程の薄いにおいだ。
「私たちにとってはあまり意味のないものだが、ああして嗅覚の鋭い魔物に対しては有効だ。魔物の意識に靄をかけて自分のところに誘導し、あの蔓に引っかかりやすくする。獲物を自分の近くまで誘い込む--の習性だな」
「匂いにはつられないけど俺たちはここで何をするの?」
「わからないか?」
不敵な笑みというべきか、得意げに笑うピュルテは語る。
「あたしたちがわざわざ森を走り回って探さなくてもあれが勝手に集めてくれるんだ。目的の奴がくるまでここで待ってたらいい」
それから数分その場で待っていると
ほらきた、とピュルテの言葉に視線を戻すと丸い、毛の生えた大玉がこっちにぽよんぽよんと近寄ってきていた。
「あれがお目当ての食料?」
「そうだ、仕留めに行くぞ。蔓に引っかからないようにな」
言うがはやいか俊敏な動きで毛玉に接近するピュルテにならい、水紐を一度茂みに隠し、後を追う。
目に見える蔓はあまり数がない、だが見落としがちな枝のすぐそば、地面すれすれに張り巡らされている蔓などは注意してよけないとわかっていても引っかかりそうになる。
ファンが蔓に四苦八苦している間に、ピュルテはすでに毛玉に攻撃を仕掛けようとしている。
「はぁああ!」
ピュルテの体から魔力の残滓がほとばしる。
速度に乗ったまま拳を叩きつけようと振りかぶったのを見てファンが叫ぶ
「後ろだ! 避けて!」
ファンの声に後ろを確認したピュルテの視界いっぱいに、今殴ろうとしていた毛玉の姿が。
「————っ!」
勢いのついた体に横から攻撃を喰らいピュルテが吹っ飛ぶ。
とっさに空中で体勢を変えるが、間に合わない。
ピュルテの体が木に叩き付けられ体に衝撃が走った。
「どっから湧いた……!」
痛みに顔をしかめるピュルテが睨む視線の先には二匹の毛玉。
ピュルテを飛ばした勢いを保ったまま跳ね回っている。
と、
————まずい……!
毛玉の動きを追っていたファンが気づく。
この罠が多重に仕掛けられたところで動き回れば、
ピンッ
音がするのと同時、横から人の頭ほどの塊が飛んでくる。
頭を傾けて回避するも、毛玉に飛んでいった塊は柔らかそうな毛に包まれたかと思うと勢いを増して跳ね返った。
「あぶないなっ」
避けたはずの塊が図らずも毛玉によって跳ね返され、あちこちにぶつかっては思いもよらぬ方向へ撥ね飛んでいく。跳ね回る毛玉に飛んでくる塊、その両方が蔓のセンサーに引っかかり新しい塊が放り込まれる。
混沌とした様相を増していく状況に
「ピュルテ、どうする!?」
叫びながらピュルテに近づこうと、焦って蔓に引っかかり、今度はファンに向かって塊が飛んだ。
飛んでくる塊を殴りつけて叩き落すと
————なんだこの匂い……!
着弾した塊はその中身から粘液を垂らし、刺激臭をまき散らしている。
ピュルテもファンと同じように飛び交う塊と蔓に苦戦しているようだった。
「毛玉を仕留める。手伝え!」
毛玉に近づこうとするも飛び回る塊が邪魔で思うように近づくことができていない。
そして間の悪いことに
「さっきの魔物か」
はじめにおびき寄せられていた魔物が矛先をこちらに変えつつある。
騒ぎに正気を取り戻したのか、足取りは先よりもしっかりしていた。
一匹の魔物がこちらに向けて走ってくる。
————魔力は……3割くらいか
「弾けろ!」
そう言って叫ぶのと同時に勢いよく振りかぶる。
向かってくる魔物に向けて投げつけたのはストックしてあったガラクタ魔道具の一つ。
魔物に向かって飛んでいく魔道具が途中で消え、代わりに召喚したのは、
――――爆発。
手のひらサイズの魔力を含む魔道具が生んだのは小規模の爆発。しかしその威力は見た目とは裏腹に迫ってきていた魔物を爆殺し、飛び散った肉片が後続の魔物たちへの攻撃と化した。
殺傷能力こそ低かった肉片による範囲攻撃はしかし牽制としての働きを見せ、ひるんだ魔物たちの動きが止まる。
「スゥーーー」
辺りの魔力が一か所に吸い込まれていくのを感じ、見るとピュルテの様相が変わっている。
消えたと錯覚する速度で飛び出したピュルテが毛玉までの最短距離を詰めていく。
途中に敷かれた蔓は直前で回避し、着地地点の木に足を付けたかと思えばすぐに姿が消える。
足場として使った箇所だけが、ピュルテの跡をなぞるように揺れている。
「はぁああ!」
魔力を纏った一撃。
込められた鬱憤が威力に変わり、毛玉の弾力性を貫通した。
勢いよく地面へ叩き込まれた毛玉の頭蓋が破壊される。
空気の揺れでも察知しているのか、あちこちに放たれた塊を的確に叩き落し、跳ね回る毛玉を一匹ずつ処理していく。
改めて間近で見るピュルテの凶暴さが、その一撃の重さが、殴りつける音を介してファンの脳裏に認識される。
あれと真っ向から戦うのははっきりいって作戦を間違えている。
まともに戦っていい勝負ができていた自分に自信が持てそうなほどだ。
技術ではない、野生の本能を具現化したような動き、響く咆哮は芯に響く。
「手伝う必要とかないよね、これ」
一匹、また一匹と毛玉の数が減っていき、蔓を刺激するものがいなくなり、飛んでくる塊も少なくなってきた。
ピュルテから何か感じ取った様子の魔物たちは口を開き、唸り声を上げるだけでこちらに近づこうとはしない。じりじりと下がっていく様子は明らかにピュルテのことを恐れていた。
今のうちにもっていくか、ピュルテが仕留めた毛玉を運ぶためファンが地面へ転がっている毛玉の回収に向かう。
間近で見ると柔らかそうな見た目通り、手に持った肉が柔らかい。魔物にも食べられる奴とまずくてとても口に入れられない奴がいるがこれは前者の方でも味に期待できそうな魔物だ。
「新しい魔物が匂いにつられて集まってくる前に早く移動しよう!」
目につく魔物もあらかた仕留め、様子を見ていた魔物はピュルテにおびえて逃げ去った。
この場に残った毛玉の死体をあの植物に栄養として持っていかれる前にこの場を離れたい。
まだ刺激臭の残っているため、新しい魔物がいつ集まってきても不思議ではない。
そうしてこの日は次の場所を目指してもう数時間進み、陽も傾いてきたのでここらで野営をすることになった。
流石と言うべきか、この森に長年住んでいるだけあってピュルテは寝床を探るのが上手い。
人一人がぎりぎり横になれるくらいの幅の枝を持つ樹をすぐに見つけ出し、少しの改造を加えて瞬く間に寝床として活用できる場所にしてしまった。
「欲を言えば、トロルの巣でもあれば一番だったが」
そんなことを言いつつも、自分で作った寝床の寝心地は良いらしく。
気持ちよさそうな顔をしてくつろいでいる。
ともに行動することになってから、随分とファンに対しての態度が柔らかくなった。
口調にも、今まで感じていた棘がいつの間にかなくなっている。
――――少しは認めてくれたってことなのか……?
ピュルテからすればファンは自分の縄張りをしつこく争うとする害にしか見えないだろう。
それがどこで変わったのか、わからない。
だが、ただでさえ一人で旅をしてきたファンだ。
他人と行動することさえ経験がなく、どうしたらいいかわからないとファンにとって。
一度こじれた状態をどうにか修復できそうな今の気配は素直に良かったと思えた。
その夜、ピュルテがいつの間にか取ってきた木の実をかじり、仕留めた獣の肉にかぶりついている最中ふと思ったことを話してみる。
「やっぱり森の中だと、料理とかはしないの?」
「料理?」
肉を大胆にかみちぎっていたピュルテが不意を突かれたとばかりに高い声をだし、眉を額によせる。
「何を言ってるんだ、今食べてるだろう」
「これは、うーん、料理と言えば料理なのかな……」
街で食べた料理と比べて、この肉を焼くだけの作業を料理と呼んでいいものか、考えるファンだったが、自信満々のピュルテの口調に半ば押し切られる形で閉口する。
「お前、旅をしてると言っていたよな。外ではこれは料理と言わないということか?」
「言わないってこともないけど、すぐ近くの街で出たのはこれよりも凝ったものだったかな」
一応最大限に配慮した言い方をしはしたが、言葉を選んでいるのはピュルテにも伝わったのだろう。
不満げな顔をすると、その不満を散らすように荒々しく肉に食らいついた。
「はぁ」
そんな姿を見ていたからか、なんとなしにため息が出る。
思いのほか体にたまっていた疲労は多かったらしい。筋肉が張り、硬くなっているのを感じながら
「なんだ、疲れたのか?」
「まあ、これだけ動けばね」
一日ただ森の中を歩くだけでも疲れる。それに加え、この森は魔物の数が多い上に癖のある魔物ばかりだ。
これで平然としていられるほどファンは頑丈ではない。
「旅人ならこれくらいどうってことないんじゃないのか」
「険しいところにもいくけど、常にそんなところばっかり行ってるわけじゃないし、この森はかなり魔物が強いから」
上を仰ぐように体を弛緩させ、横たわるファン。
少し、沈黙が流れる。
遠くで獣の吠える声が聞こえ、静かになったことで虫たちの音色がはっきりと空間に響く。
小さな音が重なり合って、大きな音が遠くから混じる。
混在する音の中、それでもピュルテの声は掻き消えることなく、ファンの耳にすっと入ってきた。
「お前、会いたい人がいるから花を狙ったと言ったな」
声の調子は少し低いが、その声音に怒気は含まれていない。
「お前は何だか今までやってきた人間たちと空気が違う……。昨日今日と見ていて分かった。だから教えろ。なぜ、あの花が必要になる」
その言葉は自分の中の気持ちと折り合いをつけようとしているようにも聞こえた。
一緒に行動した結果、ピュルテが嫌っている人間とは違うのだと認識されたからこそ、その理由を知っておく必要があると考えたのだと、ファンはピュルテの言葉からそう感じた。
それなら妙に隠す必要も、偽る必要もない。
「ちょっと離れてて」
疑惑の目のままピュルテが一歩下がったのを見て、地面から生える草に噛みついて引きちぎる。
そのままぷっと吐き出すと薄い色の陣が一瞬現れる。
「これは……」
吐き出した草が消え、一冊の本がその場に現れた。
それはここに来る前、トラレイトの情報を得るきっかけとなった本。
「僕の師匠、ジルの本。約束の書だ。」
陣が消え、召喚した本が地に落ちる。
装飾は派手過ぎず、だが力を秘めているのが伝わる。独特の圧を放っていた。
「その本は特殊な魔道具の一種で、生きているんだ。僕の師匠が指定したものを取り込むことで今かかっている封印が解ける」
その本は特定のモノを取り込んだのち、その姿を一変させる。
口を噤んで
「初めはその辺にある本と何ら変わりなかったんだ。たぶんこの先も本に取り込むたびに変化すると思う」
本に放り込んだ素材は今のところまだ二つだけ。だが、その二回ともが本の外見を変化させた。
「俺は、師匠の残したこの本の封印を解くために旅をしてるんだ」
「残した……」
『約束の書』にくぎ付けになってピュルテが小さくつぶやいた。
「その師匠というのは、死んだのか?」
「わからない……、何も言わずに急に消えちゃったから……」
だからこそ、自分は師匠がどうなったのかを確かめたくて旅をしているのかもしれない。
あの日、師匠の消えた日。確かにあった温もりを思い出しながら、ファンは思う。
痕跡を頼りに、後を追っていけばいつかまた会えるのではないかと、なんで急にあの場所を去ったのかと。
聞ける日が来るのかもしれない。
「なるほどな……」
開いた手のひらを見つめるファンを見て、ピュルテは何を思ったか。
一言つぶやくと、少し考え込む。
そして何かを思いついたようにに顔を上げた。
「お前、今まで旅してきた場所をお前は覚えてるか?」
「場所?」
「旅人何だろう? ここら辺にはない土地や、珍しい場所の一つや二つ巡ったことはないのか?」
「あるけど……」
それが何だというのだろうか、唐突に変わった話題に首を傾げるファンに、
「どうせしばらくはここにいるんだ。人間には吟遊詩人なる職があると母上から聞いたことがある。じっとしているのも、その、なんだ。暇なんだからもったいぶらずに話せ!」
話を切るように口を開いたピュルテは、少し恥ずかしがるような面持ちで顔を伏せた。
ツンと顔を背ける仕草は何だか今までのイメージに合わなかったが、
「面白い話なんかないから期待しないでね」
その一面は初め思っていたよりも、ずっと親しみやすいものなのかもしれない。
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