第9話 戦いのあと

体が痛い。


スースーと体にあたる風が肌に染みて目が覚めた。


ぼんやりと覚醒した意識が今の状況を確認しようと辺りの情報を集める。


「どこだ……? ここ」


身じろぎしようと体を動かすと電流が走ったように痛みを感じた。


「いってて」


おもりを背負っているかのように思い通りに動かない。体に残る傷や疲労とは別に魔力があまり回復していない用だった。


「生きてる……」


一体自分がどうなったのか、混乱する頭が意識を失う前の記憶を手繰ろうとしたとき、


「うおっ」


寝ぼけ眼に微かに映った拳が顔面に迫ってくるのを見て咄嗟に身体を逸らした。


そこで身体が何かに縛られているのに気がつく。

手と足が思うように動かず、力を込めてもギシギシと音を立てるだけで何も出来ない。


「ぐっ」


受け身の取れないまま地面へ倒れ込む。


「間抜けな顔だな、人間」


痛みに苦しみながら視線をあげると、そこにはすました顔で握った拳を伸ばした守護者の姿があった。


とっさに構えようとするが体はミノムシのように横たわったまま動かせず、どこに力をいれても立ち上がることすらままならない。


そんな状態のファンを馬鹿にしたような顔で小突き続ける守護者はやがて、その行為に飽きたのか、近くにあった木の幹に腰を下ろした。


「お前……なんで」


ファンは守護者の顔を見て思い出した。意識を失う前、おぞましい殺気を纏った守護者に攻撃されて……。


「『なんで自分を助けたか』、だろう? それは……」


「こいつだ」と話す守護者の背後から体を隠し、顔だけをのぞかせる形でこちらを見るのは


「森の民……?」


「あたしが止めを刺そうとしたときにこいつがお前を庇ったんだ。」


そしてひょこひょこと近づいてきた森人が転がるファンの体をつつく。


「今回だけ、特別に殺さないでやった。特別な」


森人には食料を分けたくらいしか、何かした覚えはなかったが、そのことを恩義に思っていてくれたのか。

身体にまとわりついてくる森人をみて思う。


その光景を見て、すっと立ち上がった守護者がいう。


「ある程度回復するまで、特別にあたしの家においてやる。回復したらさっさと街へ帰れ」


――――家……?


言葉に反応して周囲を見渡す。

ほとんどが自生した蔓や植物でおおわれており、ふかふかと柔らかそうな葉でできた寝床以外は獣が住む場所と聞いても納得ができるほど、そこは自然そのものだった。


「ここが君の?」


不思議そうに尋ねるファンの回答は予想通りだったのか、特に何の反応もないまま「そうだ」と守護者が頷く。


「私は少し出てくる。いいか、変なことはするな」


そう言い放った守護者はファンを置いてどこかへいってしまった。


「……」


少し時間が経ってから、ファンは体をよじり、芋虫のように這って入り口のところへ向かう。

守護者の気配はない。

どうやら本当にどこかへいったらしい。


「くっ、動きづらいな」


ふと、地を這うファンの姿をじっと見つめる視線がある。

顔を向ければ森の民が、興味深そうにファンのことを観察していた。


「なあ、お前。これ解いてくれたりしない?」


ダメ元でそんなことを言ってみる。

ファンをかばったとさっき守護者は言っていた。もしかしたらこの蔓も解いてくれるかもしれない。

そんな思いから話しかけてみたが


「きゅる?」


やはり言葉は通じず、何を言っているのかという表情で首を傾げられてしまった。

それならば、と何かないか体を振って確かめる。

旅をするにあたってのさまざまな道具を持ち歩いているファンならば蔓の一つや二つ、いつもならば何のことはないのだが、


「何にもない……戦闘の時に落としちゃったか」


体を揺すって出てきたのはこの森で採取していた数種類の草のみ。

役立ちそうなものは何もなかった。


――――魔力もないし……どうしたものか


ファンの目的はあくまでもトラレイトの花。

そして守護者がどこかに行ったこのタイミング。

花を奪って逃げるならここしかない。


召喚者が気絶したことで、ロトも消えてしまった。

となればあとに残る手段はこれしかない。


「っふ、っふ」


うつぶせの姿勢から仰向けに体勢を変えたファンは入り口付近に転がる石に向けて、縛られた手をこすりつけた。

否、厳密には手ではなく手を縛る蔓に向けて。

手を縛る蔓は今の状態のファンでは力づくで引きちぎることはできない。

それならば地道に蔓を削り、傷つけて解くしか手はなかった。


――――急がないと


守護者がどこに何をしに行ったのかは不明だ。

だが、このまま収穫なしで街に帰るのでは何をしに来たのかわからない。

あの怪物と戦っても勝てる見込みは見えなかった。

ならば今、隙を見て目的を完遂させる。


ゴリゴリと体を揺らし、慎重に、蔓の部分だけに石のとがりをこすりつけて蔓の繊維を断ち切っていく。

そして、ぶちっという音とともに蔓がちぎれる音がした。


「よし、これで」


力を入れ、手に巻き付いていた蔓を緩め、ほどく。


入り口から、飛び出る。


「おぉ……」


守護者の寝床をでると、改めて花園の光が目に入る。

白く、淡い光をぼんやりと発行させ、身に纏うトラレイトの花々が存在感を放っている。

これらすべてがその身に多量の魔力を宿らせ、咲き誇っている。

圧巻の光景だった。

その光景に思わず目を奪われていたファンは、ハッと我に返る。


目標はすぐ目の前だ。


「変なことはするなといったぞ」


声が聞こえると同時に、背なかに衝撃。

うめき声を漏らす暇もなく、地面へ横倒しにされた。


「ずいぶんと、帰ってくるのが早いね……」


軽口をたたくが、背中を膝で押さえられ、身動きが取れない。


「おまえこそ、そんなにすぐに帰らなくていい。回復するまで家においてやるといっただろ」


強く背なかを押され、「ぐっ」と空気とともに声が出る。


「お前を助けたのは、森の民のおかげだというのが聞こえなかったか? あいつがいなければ今頃お前をバラバラにしているというのに……」


ぎりぎりと締め付けるような痛み。

背なかに加わる力が言葉の怒気とともに増していき、体が押しつぶされる。


「せっかくしてやった忠告を無視してまで……、何故そんなにも花が欲しい? 何故だ」


いよいよ体からめしめしと嫌な音が聞こえ始めた。

質問を投げかけた割に、その実力を弱める気配はない。

返答次第では、ファンの背骨を小枝を踏みつけるように簡単にへし折る圧があった。


――――なぜ、どうして花が欲しいか


そんなものは決まっている。


「それが。俺の旅の、目的だから」


必死に声を絞り出し、答える。

肺に空気を取り込めず、もんどりうちそうになりながらも、しっかりと伝わるようにファンは答えた。

苦し気に話すファンの声に、守護者が嘲るように質問を投げる。


「旅? 目的? なんだ、金でも欲しいのか?」


吐き捨てるように問うた声に


「会いたい人が、いる。そのために俺は」


金なんかのためじゃない。そんなもののために俺は旅をしていない。

吐かれた言葉を否定するように、体に力を入れる。

抑えつけられた体は自由に動かない、だがせめてもの反抗。

背を振り向いて、のしかかる守護者をにらみつける。


視線が絡み、その瞳に自分が映っているのがわかった。


「会いたい人……」ファンの目から一度も視線をそらさず、守護者は一言、小さくつぶやくと動きを止めた。


――――なんだ?


突然背なかに感じる力が弱まったことに疑問を感じたファンは、首を曲げ、背に乗る守護者の顔へ視線を向けた。


守護者はむっつりと黙り込み、眉を寄せて何か考えているようだった。


そして、その苦い表情のまま口を開く。


「おまえ、あたしの手伝いをしろ」


今、なんといったのか。


「え?」


唐突に告げられた内容が頭の中を流れていく。

わざと感情を切除したような平坦な声。

しかしそこに今までの憎しみめいた感情は感じられない。


「お前がどうしてもこの花が欲しいというなら、特別に一輪だけ譲ってやる。その代わり、しばらくあたしに付き合え。それが条件だ。さもなければ今、ここでお前を殺す」


有無を言わせない口調、だがこれが最大限譲歩された条件だというのはファンもこれまでの守護者を見て理解していた。


「わ、わかった。何をするかよくわからないけど、手伝う」


さっきまでの態度との変化に未だ頭がついていっていないファンだったが、ここで肯定する以外の選択肢はない。花の数は重要ではない。一輪だけでも手に入ればそれでいいのだから。


「……」


その返事を聞いて、守護者は踏みつけていた足をどかし、立ち上がった。

押し付けられていた圧迫感から解放され、ファンはため息を一つはく。


「詳しくは明日話す」


そういって守護者は先ほどの寝床に戻っていく。

ファンは身体についた土を払い落し、立ち上がる。

抑えつけられていた背中が少し痛むが、その他には特に怪我もない。


――――手伝い……か


何をするのかはわからないが、協力すれば花が手に入るのならばやるしかない。




翌日、体を揺すられる感覚で目を覚ました。

顔を上げれば、ファンに構ってほしいのか森の民が脇腹をつんつんとつついている。


「っつ」


体に走った痛みに顔を顰める。

傷はまだ治っていない。

それどころか


「魔力が……全然回復してない」


ここに来る前、森で一夜を明かした際と比べてその回復具合が全く違う。

全体の3割も回復していない。


「これじゃあ」


戦闘がかなり厳しくなる。ロトを呼ぶには5割は欲しいところだ。

となれば、魔道具を駆使してやりくりするしかない。


「そうだ、荷物は」


守護者との戦いでどこへ行ったのか、今ファンの手元には背嚢がない。


視線を移し、周りを見る。

守護者はすでに起きたらしく、その姿は見えない。

昨日一度見回した上でもう一度探して回るがどこにもファンの荷は置いていない。


「起きたか」


そこで、寝床の入り口から声がかかった。

振り向くと、柔らかそうな布を体に巻き付けた守護者がいる。


「……魔力はあまり回復していないか」


「ある程度の戦闘はできるよ……、でもなんでこんなに回復が遅いんだろう」


一晩同じ場所にとどまり続けた割には回復が遅い。ロトを召喚していない状態のファンは戦闘力の半分を欠いたようなもの。

その疑問に答えるようにピュルテが口を開く。


「このあたりの魔素のほとんどは、花たちが吸い取ってしまう。だから魔力の回復が遅いんだ」


「花が……?」


それを聞いてあの濃密な魔力を備える理由に納得がいく。

これだけ濃い魔素が漂う森の魔素を大量に吸収すればあれだけの密度になるのも道理だ。


「だが全回復するまで悠長に待ってもいられない。その状態でついてきてもらうぞ」


「そうだ、昨日言ってた手伝いの内容って」


花を譲る条件。

何を言われるのか、この状態のファンにできることなのか。

不安はあるがそれを口には出さない。

せっかく譲歩された条件をみすみす捨てることはしない。


「最近、森の気配が少しおかしい。空気というか、違和感を感じる」


「違和感?」


それはここに住む者にしかわからない感覚なのだろう。

ファンには何が、どこがおかしいのかさっぱり理解できないが、それはきっと外の人間だからなのだと自分に言い聞かせる。


「そうだ。その原因を探す手伝いをお前にはしてもらう。私と一緒にこの森を見て回る。それが手伝いの内容だ」


「それって」


無理難題でも言われるかと覚悟していたが、話をきくに森の見回りの付き添いをすればいいのか。

それなら今の自分にもできそうだとファンは内心胸をなでおろす。


「あたしも普段近寄らない場所まで様子を見に行く。あたしひとりでも少し危険だからな。それに見る目は多いにこしたことはない。それと」


放り投げられたのはファンの背嚢。

ふわりと投げられたそれを慌てて受け止める。


「散らばっていたのはすべてその中に入れておいた。さっそく向かうぞ、ついてこい」


そういって問答無用で踵を返す守護者。

背に背嚢を背負い。慌ててその後を追いかける。



草木の間を潜るように進む守護者の後を追い、ひたすらついていく。


「……」


守護者は寝床を出てから、一度も口を開かずただ黙々と歩いている。

慣れない足場を歩き、息を切らしながらファンは思う。


――――なんか、気まずい……。


この数時間、二人はひたすらに歩き続けていた。


「きゅる」


正確にはピュルテの傍を鳥のひなのようにひょこひょこと動いまわる森人がいるがそれはさして問題ではない。

この間、交わした会話は全くのゼロ。

心なしか感じる空気も重くなったように思える。

そんなファンの心境など当然守護者には伝わるはずもなく、一度気にしだしたファンだけが一方的に罰の悪さを感じているに過ぎない。

肩に乗る重さがないことを確かめて、深く息を吐いて巨大な根をまたぐ。

これまでの旅では常にロトが隣にいた。

こうしてろくに素性も分からない人物とともに行動するということにファンは慣れていなかった。

それに加え、昨日まで殺す殺さないのやりとりをしていた相手だ。

沈黙してしまった守護者の背なかを見て、どうしたものかと頭を悩ませる。

何か話しかけてみるべきか。


「えっと、名前、聞いてなかったよね」


振り返る視線が鋭い。

やや間を開けて、正面に向き直ったかと思うと、


「ピュルテ……母上のつけてくれた名だ」


声は硬いが返事が返ってきた。


「改めて、俺はファン。森の異変を探るって言ってたけど具体的には何を見てればいいの? 俺には森の異変なのか、元からあるものなのか見当がつかないんだけど」


森の異変。もしピュルテの言う通り、今この森に何か起きていたとしても外から来た人間であるファンには皆目違いなど見分けることができない。

事前にどこに注目すればいいのかもよくわからないまま、ただピュルテの後をついていくだけでいいのだろうか。

そんな質問をするファンに今度は振り返らずに前を向いたままピュルテが答える。


「さっきは見る目といったが、厳密にはあまりあてにしてない。とりあえず黙ってついてこい」


淡々と言い放ったピュルテが歩を速める。

話す余裕があると判断したのか、今までの倍近い速度で進み始めた。


「……」


そして再び沈黙の状態のまま歩くこと数時間、


「樹? なのかな、これ」


辺りに生えている樹が一変し、いびつな樹が生え育つ場所へやってきた。

もはやそれは樹と呼ぶべきなのか、細い蔓のような太さの幹がふらふらと伸び、その先に巨大な実をぶら下げている。首の座らない赤子の如き不安定さ。まるで踊っているかのようにゆらゆらと動いていた。


そして耳にはぱちぱちと何かが弾けるような音が届く。

だが、近くにその音に該当するものは見当たらない。


「気を抜くな、もうここはすでに危険地帯だぞ」


返事をするよりも先に、それは起きた。


「――――っ」


脳に鋭い電流でも走ったように、意図せず体が勝手に動いた。

大きく後ずさり、直後今ファンがいた場所に何かの破片が突き刺さる。

それは頭上で爆発した巨大な木の実の破片だった。

急激に膨れ上がった木の実が弾けた皮の欠片を勢いよく辺りに飛び散らせたのだ。


「あっぶないっ」


「爆樹の近くを通るなら一気に駆け抜けなければ、蜂の巣になるぞ」


肝を冷やして体勢を整えるファンを見てピュルテが言う。


――――爆樹?


この妙な樹を指しているのだろう。

あまり近寄らない場所とは言っていたがやはりこの森の情報には詳しいらしい。

さして驚いた様子もなく忠告する姿は落ち着き払っている。

ならば一気に走り抜けるかと構えた瞬間、辺りから枯れ葉がこすれる音。


視線を向ける。


「うわっ」


そしてどこからともなくやってきたのは八本足を器用に動かす巨大な虫たち。

丸い胴体を囲うように生える足に、ガチガチと突き出た顎が噛み合う硬質な音。

蜘蛛と蟻を混ぜたような見た目だった。

その蜘蛛蟻は人の腰ほどまである体でかさりかさりと落ち葉を踏みながら歩き回っている。

その動きの気味の悪さに生理的嫌悪感が込み上げる。


「集まってくるのが早いな」


めんどくさそうにつぶやくピュルテが眉を寄せる。

触角を動かし、こちらの出方を見ている虫たちはざっと数えるだけでも十以上の数がいる。

その多くが飛び散った木の実の果肉に反応し、触角を動かしている。


――――木の実目当てに集まってきてるのか


どうするか、ファンが動くよりも早く、ピュルテが疾走する。

虫の群れに睨まれる現状を嫌うように素早く駆け、爆樹の生えるそばを風のように通り抜ける。

そのあまりの速さに蜘蛛蟻たちはピュルテの影を追うことすらできなかった。


「あれ、でもこれ」


しかしその疾走を見ているファンがあることに気付く。

虫たちの群れに囲まれる前に通り過ぎていったピュルテ。

虫たちはただその人影を目線で追いつつ、追いかけるようなことはしない。

むしろ今抜けられた場所を埋めるかのように進行方向を塞ぎだす。どうやら森人もピュルテの体にくっついていったらしい。

タイミングを逃したファンは完全に分断され、一人先を進むピュルテに置いてかれる形となってしまった。

正面には4匹の蜘蛛蟻が陣取り、残りの6匹がもたついたファンの横、背後を固めるような形となってファンを囲む。


――――正面突破は……難しそうかな


ロトの力が借りられない今、勢いで振り切るには速度が足りない。回り道を行こうにも横に回る蜘蛛蟻がこちらを警戒している。数は少ないが横に抜けようとも正面にいる蜘蛛蟻たちが近づいてきてしまえば結局同じこと。


「キリルルル」


思考を走らせるファンを見て、蜘蛛蟻たちが行動に出る。

甲高い声を上げながら正面から二匹、両脇から一匹ずつが接近してきた。

いち早く攻撃に移ったのは正面の二匹、カサカサと足を動かしてファンの頭めがけてその細く鋭い足の先端を振りかざす。

足が迫ってくるギリギリまで引きつけたファンが体に触れる寸前で一歩後ろへ下がる。

顔のすぐそばを足が通過し、生まれた風が前髪を揺らす。

深々と地面へ突き刺さった足を見て、動こうとするファンの両脇に僅差で遅れた蜘蛛蟻が構えている。

同じように振り下ろされた足を前へ転がることで避ける。


――――動きが速い


すでに突き刺さった足を引き抜いた二匹が自分の足元を通り抜けるファンを狙って追撃してくる。


前へ飛び、頭を下げ、跳躍して、乱れうちの如く向けられる攻撃を躱し、いなし続ける。


数が多くても一度に攻撃してくる数は二匹までだ。

それ以上はその図体の大きさが邪魔をしてぶつかり合ってしまい、うまく攻撃できずにいる。

囲まれつつも、迫ってくる個体の攻撃を避け、その隙に移動して位置を変えることで袋叩きにされるのを避ける。

幸い、蜘蛛蟻たちは飛んでくる攻撃がない様子。足先の動きに注意を割いていれば攻撃は避けることができる。


――――問題はどうやってこうげきするか


ファンの今の荷の中に攻撃系の魔道具は少ない。

普段はロトの力を借りていたせいで、独力での戦闘となると取れる手段が少ない。

まさかこんな展開になるとは予想もせず、街であまり魔道具を買いこまなかったのが失敗だった。


――――使える魔道具……何かあったっけ。召喚分も残すとなると……


考えている間にも蜘蛛蟻はファンを休ませてはくれない。

しつこく何度も同じ手で攻撃を仕掛けてくる。

またも同じ挙動からの振り下ろしを。


「いくらやっても食らわない――――」


言いかけたところで言葉を切って大きくのけぞった。

鋭い切っ先が髪を掠め、数本の髪が舞う。地面へ倒れ込む勢いで回避したのが功を奏した。

そのまま地面へ手をつき、地面を押すように飛び起きる。


見れば足の途中にある節が段になり、その部分が伸びた分の足を収容するように縮まった。

だが問題なのはそこではなく、


――――動きが、変わった


近づいてただ振り下ろすだけの単調な動きから、振りかぶった地点から伸縮自在の突き。


そして移動した先、そこは爆樹の樹の根元。

頭上で膨らむ気配がファンの背筋を凍らせた。


「ぐぁっ!」


急ぎ飛びのくも、その回避は間に合わない。

宙を飛ぶファンの胴に弾けた皮の破片が降り注ぐ。

無作為に突き刺さった皮はファンの肌を裂いてその身を半分ほど埋め込んだ。


その衝撃に受け身も取れず、地面へ倒れ込む。

吹き出た血が体を濡らし、ハリネズミのようになった背中は身をよじるだけでその異物感を訴えてくる。


痛みに悶絶する暇もなく、接近してくる蜘蛛蟻の足を跳びのいて回避。


――――落ち着く暇が、ない!


絶えずどこからも狙われ続ける状況。

覆すことができなければ待っているのは死だけだろう。


ファンは爆発した木の実のほうへ視線を向ける。

あの爆発が起こるタイミング。巻き込まれたのがファンだけなはずはない。

しかし、あの爆発の範囲にいた蜘蛛蟻は木の実の破片を食らいながらも、大して体が傷ついた様子がない。

体の厚みが内部まで皮を通さないのか、欠片も効いていなさそうだった。


――――いつ爆発するかわからない実の近くにいるのは危険だ


爆発する条件がわからないため、不用意に近づくことができない。

状況はかなり厳しい状態にあった。




「ふぅ、ふぅ」


蜘蛛蟻からの攻撃をしのぎつつ、不意に爆発する木の実の攻撃を時折食らう。そんな戦闘がもう一時間は続いていた。

ファンの体中に皮の破片が突き刺さり、見るもはばかれるようなありさまだった。

その間、反撃する隙もなく、ただ防戦するしかない戦いは精神をすり減らした。


――――きっつい……


こうしている間にも絶えず攻撃は繰り出され続けている。

肌すれすれで躱し、神経をとがらせて最小限の動きを心掛ける。

そうすることで無駄な動きを省き、瞬時に次の行動をとることができる。

だがその行動も、回避をするために取っているにすぎず、この状況を抜けるには至らない。

荒れる呼吸が、逐一背なかの痛みを感じさせ、動きを阻害する。


痛みに呻くファンの隙を見て、容赦なく命を狙う蜘蛛蟻たちは疲れた気配すらない。

そもそも虫が疲れなどを感じるのかわからないが、消耗しているのは明らかにファンの方だ。


「でも、舐めてもらっちゃ困る……」


こんなところで躓いてはいられない。

助けは求めない。

先に抜けていってしまったピュルテが戻ってくることは考えてはいけない。

これくらい一人で切り抜けられないようなら、それでいいと思っていてもおかしくはない。


――――ここは覚悟を決めなきゃ


花を譲り受けるため、そのためにも……。


蜘蛛蟻が目の前に迫る。

もう何度と見た足の振り下ろし。

ここからその軌道を見る。


――――わずかに足先が揺れた。


「ここでっ」


目を見開いて迫る足の動きをとらえ続ける。

振り下ろしの挙動に見せかけた突き。

振ってくる途中で変わった軌道に合わせ、ファンは自分の胴を狙う足に折りたたんだ腕を添えるようにして防御した。

蜘蛛蟻の尖った足先が服を裂き、腕の表面をこすっていく。

交わすのではなく、受け流すことを選択したファンが手に入れたのは一拍の「間」。

回避する時間を省略することで自分の手を繰り出す隙を無理やりに作りだす。

出血もいとわず、脳が痛いという感覚を認識するよりも早く。

ファンは腰に付けた指先ほどの小さな球を丁度蜘蛛蟻の胴の上あたりに放り、歯を食いしばった。


――――炸裂音。


耳を直接攻撃するかのような、強烈な爆音。

それは主に注意を引くことのみにすべてを賭けたような一品。

巨大な音を鳴らす、ただそれだけに特化した魔道具。


近距離で鳴り響く不快な音に、あらかじめ構えていたファンですら頭痛がする。


「キルルッキルルルルルル」


だが、蜘蛛蟻たちはそれ以上に苦しむ声を上げた。


一時間の戦闘の中でファンが得た情報は、蜘蛛蟻は爆樹の木の実の攻撃は受けないが、爆発する際の音にひるむ傾向にあるということ。

大きな音に反応し、一度体を縮こまらせる習性。ここに反撃の兆しを見出した。


――――ここだっ


今この瞬間、どの方向にいる蜘蛛蟻もファンに近づく余裕がなくなった。

この一瞬に、ファンは反撃の手立てを整える。

足元に素早く書き記した陣。

円の中に記す紋様は即席のため簡素なものだが、その作りは正規のもの。


「召喚――――」


ファンの体から魔力の粒子が抜け出し、きらめく粒子が陣に吸い込まれるようにして陣全体が発光する。


「ホロッ、ホロホロホロッ」


陣から顕現したのは膝下ほどの大きさの小人。

その背丈には不似合いな巨大な槌を掲げ、ふらふらとよろめく姿はまさに子供が巨大な武器を持ったとしか言いようがない。


「小さい……」


その体ではとても扱えないような巨大な槌が地面へ落ちる。

小人はその小さな手で持ち手を握っているものの、自分の体重以上の重さがある先端部分を動かせず、槌に手を添えているような状態だった。


――――さすがに即席すぎた……?


陣の内容は呼び出せるものの上限が低い、簡素な陣だったため、呼び出されたものも戦闘には向かなそうな小人になってしまったかもしれない。

となれば、ファンの反撃は失敗したことになる。


「キルルルっ!」


そんなファンの下に、今まで静観を決め込んでいた二匹の蜘蛛蟻が接近する。

陣に魔力を持っていかれ、動きの鈍ったファンの頬を浅く切り裂き、地面へ足が突き刺さった。


「まず――――」


無防備に接近を許してしまい、崩れた態勢が次の攻撃を受けようとしたその時。


――――目の前に迫っていた蜘蛛蟻が嘘のように吹き飛んでいった。


「え……」


唖然とその光景を見つめるファンの目には、体全体で遠心力を使うように大きく体を回転させた小人が、その回転に巻き込むように槌を振るい、勢いのついた一撃を蜘蛛蟻に叩き込む光景がありありと映っていた。


ファンが感じた不安ごと吹き飛ばすように。

あの小さな手では扱うのは無理だと思っていた槌を体全体を使って自在に振り回している。

小柄な身体で繰り出す攻撃はその身の倍の大きさの蜘蛛蟻ですら軽々と吹き飛ばしていた。


「ホロロ!」


思わず予想していなかったその光景をまじまじと見つめていたファンが我に返る。

見た目とは裏腹に蜘蛛蟻の巨体を吹き飛ばすほどの力。

どうやら小人にはファンが思っている以上の力があるらしい。


「…………よし」


これなら、ファンにも勝機がある。

そして小人が蜘蛛蟻を殴りつけたおかげで、ファンが反撃する隙が生まれる。


「狙うのは……」


疾走するファンの頭上で爆発の気配。

だがファンは避ける姿勢も取らず、転げた蜘蛛蟻の足を狙う。


「ぐっ」


駆ける背なかや足に飛散した皮が突き刺さるが、それを全て無視してファンは走る。


――――前足、よこせ!


攻撃されるよりも前に、起き上がるよりも早く、蜘蛛蟻の足の付け根に勢いよくナイフを突き立てる。

刃の半分が足の内部へ深々と刺さったことを確認すると、樹にぶら下がる蔓を引きちぎるように上から下にナイフを引き下ろす。

しっかりと握られた持ちてはファンの手から離れることなく、突き刺さった足の肉を裂き、外殻を引き裂いた。


――――ぼとり。


「まずは、一本……!」


付け根から肉の繊維を伸ばしながら、ちぎれた足が地面へ落ちる。

足を一本失った蜘蛛蟻はバランスを失い、起き上がることができずにもがいている。

これで一匹は動けなくなった。

仲間が一匹動けなくなったことで今までと少し動きが変わった。

ファンを危険な敵だと判断したらしい。

取り囲む速度が先よりも早くなった。

だが、こちらも反撃の手段を手にした。


これで残りは9匹。

全滅させる必要はない。

追ってこれなくすれば問題はないのだから、


「次っ!」


ーーーーーーーーーーーーーーーー


「お前、なんでそんなに傷だらけに……、あれくらいなんてことないだろ……」


傷だらけのファンを見て激しく驚いたような表情を浮かべたピュルテはそういって動揺していた。


ファンは体中から血を流し、あちこちに裂傷を抱えた姿でピュルテの下へ追いついた。

手に握りしめた蜘蛛蟻の足を戦利品のように掲げて、不敵に笑って見せる。


数時間かけて、蜘蛛蟻の群れの足をもぎ取り続けたファンは体中に傷を負いつつも一人であの状況を乗り切った。

先に行ったはずのピュルテはファンがついてこないことに気付き、途中で途中でとどまっていたらしい。

それでもわざわざ助けに来るほどのことでもないと思ったのか、ついでに近辺を探索していたという。


「だから今朝言ったでしょ? 今は魔力がないから、ある程度の戦闘しかできないって」

痛みに少し顔を引きつらせるファンを見て、ピュルテは口を噤んだ。

何かを言いかけ、それを飲み込んだように見えた。

ただ一人、ピュルテの腰に引っ付いた森人だけがキョトンとした表情で二人に顔を見つめていた。


爆樹の生える場所を抜け、通常の樹が並ぶ森に景色が戻る。

戦闘が終わったことで体の興奮状態が解けたのか、背中の傷が燃えるように熱かった。


「……ここまでくればあの虫たちも近づいては来ないはずだ。あいつらの目当ては爆樹の木の実だろうしな」


そこでファンは気づいた。夜も近いというのにこの一帯だけは何故か足元が見えるほど明るい。

それはどうしてか、少し進んだことでその理由が判明した。


「樹が、燃えてる?」


視界に映るのは鮮やかな橙色。

風に揺れて右へ左へ揺らめく炎がランプの光のように森の中を照らす。

しかしここは街ではない。

自然の中だ。

ランプなど存在するはずもなく、それは炎を身に纏う樹が起こす光景。


「これは炎樹。火虫という虫を火種にして燃え盛る樹だ。この樹は少し特殊で熱を栄養に育つ」


「熱を……」


ゴウゴウと燃え盛る樹は周りに延焼することもなく、一本の樹が個として燃え続けている。

近づいてみれば、火の近くにいるはずなのにさほど熱さを感じない。

熱のない炎が樹を覆い、燃えている。

その不思議な光景に思わず目を奪われてしまう。

闇が落ち、足先すら見えないドウトの森の中でこの一帯だけは美しい火色に染まっていた。


「今日はもう寝るぞ。明日はまた違う場所を見に行く」


「ここは?」


「異常は感じられない。正常だ」


どうやらピュルテ曰くここは何ともないらしい。

何を根拠にそういっているかはファンにはわからないが、感覚的なものなのだろう。

これだけ苦労して何もないというのはどこか肩透かしを食らった気もするが、仕方ない。


「いててて」


少し離れた場所に寝転んだピュルテを見やり、すぐに顔を引き戻す。

いつの間にか近くに寄ってきていた森人の眠る顔を見て、突き刺さった棘の痛みに苦労しつつ、横になった。

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