第7話 脅威はそこに
—————撒いたか?
自然ごくりと唾をのむ音がなるが、その音すらうるさいと感じるほどファームは集中状態にあった。
全身の神経をとがらせて周囲を警戒する。
ひりつく表情からは全くと言っていいほど余裕がなく、物音一つに過剰に反応する姿はどこか滑稽に映るがそれを笑うものはここには一人もいない。誰もが彼のひと声で動けるように警戒を続けていた。
「逃げ切ったんじゃねえか」
ぼそりとビルが言う。
それは半ば願望が入り込んだ呟きだったがその後、しばらくたってもノイジーたちがやってくる気配はない。
再度、ファームが索敵を放つ。
「……どうやらそうみたいだな」
その言葉を確認した瞬間、どさどさと座り込む音が広がる。
「はぁっもう無理だよ、僕これ以上戦いたくないよ」
ぜーぜーと息を切らすイートンの悪態が耳障りだが内心は全く同じ気持ちだった。
ほっと気が抜けたせいか自分の呼吸がひどく荒いことにファームは気が付いた。
「ふー」
思わずでたため息が体のこわばりを緩める気がする。
周りを見れば皆一様にへたり込み、呼吸を整えている。
無理もない。あの規模の魔物群れの中でこれだけの損害で済んでいること自体がそもそもとして上出来だ。
獣車を守りつつほぼ全方位から襲い来る魔物を迎撃して進むのは簡単なことではない。
こうしてここにいる者が無事でいるのが不思議なくらいだった。
—————いや、不思議でもないか
殿を務めると足止めを引き受けたバイアスの貢献なしにはここまで逃げてこられなかっただろう。
獣車を狙う魔物の内、半分がバイアスに注意を引きつけられ、標的を変えていた。
あそこで数を減らしていなかったら今呑気に座り込んでいられないだろう。
「あの魔物はなんだ! 今まで来たときはあんな奴ら見なかったぞ!」
そんなことを考えていると先ほどまで静まり返っていた獣車の中からドロがよたよたとでてくる。
ドロの怒鳴り声が森にこだまするも、その声に返事するものはいない。
依頼主の小言に耳を傾ける余裕は誰にもなかった。
おかまいなしに続く説教を聞き流しながら考える。
あの白い魔物、個々の力はどうとでもなるがあの規模の数を相手にするにはこちらの戦力が足りなさ過ぎた。
事前に情報を得ていれば対処する方法も何とか考え付いたかもしれないが……
戦力を一人失い、この先またあの魔物か、それ以上に兇悪なものが現れたら生き残るのは難しい。
気持ち的にはこのまま一目散に撤退したいところだが……
「あの様子じゃ何もわかってねえ」
こちらに視線を向けるビルが気だるそうに言う。
「あいつはおそらく無理やりにでも進むだろうが、明らかに戦力不足だ。このままじゃ体がいくつあっても足りやしねえ」
ドロの方を見やり大きなため息を吐いてビルが続ける。
「俺はこんなとこで犬死するつもりはねぇ、この依頼も割がいいから受けただけだ。このまま進むってんなら俺は抜けるぜ」
ぎらついた目つきで話すビルの言葉に嘘は感じられない。
「待て! このまま抜けたら依頼はどうなる!」
「知ったことじゃねえ、命あってのってやつだ。わからねえか?」
天秤にかければたいていのことは命に比重が傾く、そのことは十分理解している。
「一人で街に帰れると思っているのか」
ここまで危ない依頼だとわかれば無理に遂行する義務もない、自分だって許されるならすぐにでも抜けるだろう。だが、今ここで抜けられてはこちらの命が危なくなる。
「……」
ビルは何も答えない。あの地獄のような局面を潜り抜けたからこそ一人で帰る危険性についていやでも理解できているだろう。
少し考えこんだ後、何か思いついたように顔を上げた。
「お前も一緒に抜ければ話はまとまるじゃねえか」
名案だといった具合に口角を上げ、どうだと目線で問いかけてくる。
「それはできないな。確かにこのまま進むのは危険だが二人で街に帰るよりかはまだ現実的だ」
本音はすぐにでもこの依頼を投げ出して街へ帰りたいがその後の自分の評判に傷がつけばこの先仕事を受けづらくなる。久々に受けた大口の依頼、ファームはリスクを冒しても完遂させることを選んだ。
「はっどうだかね」
今のが建前であることを知ってか知らずか、吐き捨てるビルが睨んでくる。
「さっきから何を揉めてるのさ、そんなことしてたらまた」
口論を聞きつけたイートンが注意するまでもなく、自分の話を聞いてないことに気付いたドロが顔を真っ赤にして憤る。
「—————っ!しゃべる元気があるならさっさとださねえか! さぼった分は契約料から引いとくから覚悟しとけ!」
獣車へ戻るドロを横目に気だるそうに体を起こす一向。息を整えたがせいぜいの休息は一瞬にして終わってしまった。
「ふー」
二度目についた深いため息は疲れか、呆れか、同時に抜けてしまったやる気はこの依頼が終わるまで戻らないに違いない。
(やっかいな依頼を受けちまった)
かける天秤を間違えてませんように、祈るような気持ちを抱え、重たい体を持ち上げた。
がむしゃらに走らせた獣車はどうやらかなりの距離をすすんでいたらしく、頭上は完全に木々で包まれ風通しの良い洞窟を歩いている錯覚に陥る。
気分とは反対に体はなぜか昨日より軽く、かなりの速度で進行していた。
「まったくようやくまともに進みだしたか、」
苛立ち交じりに使用人をどかし、どすんと音を立てて座り込む。
ガタガタと揺れる獣車の揺れが腰に響く。
速度を上げた獣車の乗り心地は何十年と乗っているドロですら耐えがたいものがあった。
「あいつらがもっとしっかり護衛をこなしていれば……」
昨夜の魔物の群れには肝を冷やした。
ちらりと獣車の中から見ただけだったが、視界一面を白く染めるその光景は地獄以外の何物でもなく、あの量の魔物が存在しているのは完全に想定外だった。街で集めた情報ではこの時期に大量に繁殖する魔物はおらず、厄介な魔物は出たとしても対処が聞くレベルのはずだった。
だが結果はこのとおり、あてにならない情報を集めてきたやつらを呪っては外の音におびえ、普段の倍に感じる夜を過ごした。
「索敵に自信のある護衛をやとったというのに、とんだ無能だったわ。そのくせどいつもこいつも反抗的でこっちの話を聞きやしない!」
ふつふつと湧き上がる感情がそのまま口を通り、形になっていく。
ドロの機嫌が悪いのはいつものことだったが、これほど気の立った様子を見せるのは珍しい。傍の使用人が気まずそうに顔を曇らせる。
鼻息荒く怒気を発し続けるドロがここまでこの仕事に対して入れ込むのには理由があった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
半月ほど前、商品を獣車に運び込んで自宅に帰ると家の前に異様な風貌の男が立っており、使用人と何やら話しているのが見えた。魔道具を身に着けているのか、陽が落ちて暗い中でも男の輪郭がはっきりと認識できた。
「なんだ、私に何か用があるのか」
話を聞くにこの街でも有数の商人であるという話を聞いて仕入れを頼みに来たという。
有数の商人という男のおべっかにほんの少し気を良くしたドロは、客なら話を聞かないわけにはいかないと男を招き入れた。
口元を布で覆い表情の読み取り難い男はぴくりとも表情を動かさずに話す。
依頼の品は街でも悪評高いあの森に群生するトラレイトの花。
しかも個人で扱うには多すぎるほどの量を男は仕入れてほしいという。
「トラレイト……」
商売柄、様々な土地を行き来するドロにとって格好がこの地域のものでないからと言って仕事を断ることはないが、トラレイトの花と聞いては簡単に請け負うことは出来ない。
花の守護者の存在をこの街で知らないものはいない。高値で売れると聞いて興味本位で集めた情報の中に一本でも持って帰ってきたものはいなかった。
侵入者は等しく返り討ち、腕自慢のダイという男に至っては再起不能になるほどの怪我を負って帰ってきたという。そんなものたちが口をそろえて言うのは花園を守る存在の圧倒的な強さだ。
曰く、その動きは目にとどめるのもままならない。
曰く、盾をも貫く衝撃
曰く、攻撃を無効化する体をもつ
錯乱したとて皆が皆ここまで口をそろえて言うからには信憑性を感じずにはいられない。
こんなものを相手取るなど蓄えをどれほど消費することになるか。
無謀な依頼は商人として受けるわけにはいかない。
この街の商人にも同じように掛け合い、そして断られたのだろう。英雄になりたいわけではないのだ。誰だって化け物と戦うのは避けるに決まっている。
――――有数の商人などとうそぶきおって、たらい回しにされた結果のおべっかではないか!
目の前にいる男の冷めた表情がドロの神経を逆撫でる。
報酬との天秤など図る必要もない、とっとと追い返そうと使用人に目くばせしたところで男が口を開いた。
「報酬はある場所の情報を提供するつもりです」
「情報?」
この男もしやとんでもない地雷だったか、トラレイトの花を依頼した男の報酬が情報などと到底考えられない。受ける依頼はこちらに利が出るものか、それに準じた将来性を見越して選別しているのだ。今ドロが必要としている情報など、さして報酬として受け取るほどの者はない。自力で十二分に集められるものだ。
「バカにするのも大概にしろ! 木っ端な情報など私が集められないとでも思っているのか!」
元々短気な性分のドロが声を荒げる。それでもなお眉一つ動かさない男の姿が癪に障った。
「これは十分報酬として成立する情報ですよ。魔法都市の名を聞いたことがあれば、ですが」
今、この男は何と言ったのかせりあがっていた怒りの熱が冬風に晒したように冷えていく。
魔法都市。およそ実在するのかどうかで議論が行われるものたちもいるといわれる幻の都市。
見つけたものは計り知れない技術、魔道具を手にする機会を得るという。
噂では一定の周期で世界のどこかに出現するといわれているが性格な情報は誰一人いないといわれる眉唾の都市。
だが過去に魔法都市を訪れたことがあるとされる人物は数人存在している。
体を未知の限りで纏った面妖な姿の旅人がいたという記録が残った本をドロは読んだことがあった。
「そんなもの、信じるわけが……」
そういいつつ頭のどこかでこの男の話が信じられると感じている自分がいた。
この男の見慣れぬ恰好。知らぬ土地の民族衣装か何かかと思ったが時折ぬらりと怪しく光るそれは魔力を必要とする魔道具特有の気配にそっくりだ。
この世界にある魔道具を全て把握している人物など存在しない。そう断言できる。
――――それらしきものを用意して信じ込ませようとしているだけだ、そうだ、それ以外ない……
ドロは自分の知らない魔道具を纏っているだけだと自分に言い聞かせるが、そこにある魔道具が自分の目にしたことのあるものとは何か違うことを直感で悟っていた。
「今私が身に着けているの魔道具はお察しの通り、魔法都市から入手したものです。比較的力は弱い部類ですがその辺の魔道具とは一線を画す品です」
男の話す内容はどうにも怪しさが残るものだ。だが、魔法都市に繋がる情報が本当にあるのだとすれば森の化け物と戦うに釣り合う報酬になる。
「……」
そうして結局ドロはこのあやしさの残る依頼を受けることにした。
依頼の期日はいつでも良いというふざけた回答だったがいつ出現するかわからない魔法都市を目指すのならば早くこなしておいて損はない。
男が去ってから、ドロはその後の予定を後にずらしてまでこの依頼の準備を始めた。
依頼が完了したら知らせてくれと残していった鈴のような魔道具でさえ、ここらでは見られない質の高いもので、魔法都市の名が現実に近づいてるような気になった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
そうやって出来上がったのが今回のパーティである。索敵を行えるファームを中心に事前に聞いていた魔物に対処できるような護衛を数人雇い、少数精鋭で編成を行った。
花園を探すとなると大人数での移動はデメリットが大きいのだ。
それなのに、
まだ花園の影すらつかめていない上に護衛は一人減り、他のやつらもばてばてと来た……!全く情けない!こんな調子でまたあの大群にでも襲われたら……
大量の魔物に襲われた恐怖心が一夜明けたことで怒りへと変化する。
「ッ—————!」
その時、ひと際大きな揺れが座り込んでいたドロを跳ね上げる。
「トロルだ! 近いぞ!」
急停止した獣車の外からはひりついたファームの怒声が聞こえてくる。
「トロルだと!」
森の巨人————トロル、目を付けられれば戦闘は免れない。巨大な体で迫ってくる姿は災害に等しい。
「急げ、たらたらしてないでこの獣車を早く安全なところまで持っていけ!」
こんな深い森の中で獣車が壊れるようなことになれば、生きて街に帰るのが難しい。花の採取どころではなくなってしまう。
ずしんと響く揺れはこっちに来ようとしているのか、ドロには判断がつかない。
にじりよってくる魔物の恐怖に抗おうと大声で怒鳴り、自分の中の恐怖をごまかす。
もっと高い金を積んで優秀な者を雇うべきだった……!
そうすればもっと安全な道中になったはずなのに。そんなことを考えながら小刻みに揺れる獣車の中で頭を抱えて脅威が去るのを必死に待った。
そしてどれだけ走ったのか、気づけば外からは何も聞こえなくなり。
身体で感じ取っていた圧迫感も消え去った。
「どうなった……?」
側付きの男に恐る恐る尋ねる。
「いない……、追うのをあきらめたようです……!」
男も、血の気の引いたような顔で外を覗き込むとほっと安心したような顔でドロに答えた。
諦めたのか、そもそも本当はこちらを追う意図はなかったのか。
どちらなのかはわからないが、ひとまず危機は去った。
こわばっていた筋肉がふっと緩み、身体から力が抜ける。
そして、
「正面! 何かあるぞ!」
隊の後方、トロルから死に物狂いで逃走する獣車を援護するために全体の見える位置で獣車と並走していたファームは前方を走るビルの声を聞き、視線を向けた。
少し開けた場所。背後を岩の壁が覆い、半円を描くように広がる空間にそれはあった。
「花園だ!」
「着いたぁ!」
淡く白い光を放ち、優雅に風に揺られている。
魔力を蓄える花。
『トラレイト』
売りに出されれば一輪で十年は優に食べていけるほどの値が付くとされる貴重な花。
群生地帯が定まっていないため、どこに分布するのかもよくわかっていない幻の花。
――――これが、本物の……
一瞬、自分が何のためにここにいるのかも忘れ、トラレイトの放つ光に目が吸い寄せられていたファームがハッとして指示を飛ばす。
「目的地に到着! 周囲の脅威がないか確認したのち、素早く花を荷台へ載せろ!」
気を取られそうになったが、この危険な森にいる時間を少しでも減らすことが自分たちの命を助けることになる。
森に入ってからのこの短い時間で嫌というほど体で理解したファームは呆けている隊の正気を取り戻すように声を上げる。
「急げ、急いで積みこめ! なるだけたくさん、根こそぎ持っていくんだ!」
先ほどまで獣車の中で怯えるように縮こまっていたとは思えない程、大きな態度で騒ぎ立てるドロ。
その傲慢な顔つきは相変わらずだが、どことなく焦っているように見える。
「早くしろ、早くしないとまたアイツが……」
隊の皆が周囲の確認をすでに済ませている。
そんなに慌てなくとも……と嘆きそうになった時、
突如、音もなくファームたちの正面に人影が降り立った。
――――今どうやってここに降りてきた……?
少し目を離し、視線を戻した瞬間。
一行の行く手を阻むように正面に立ちふさがる謎の人物。
「で、出た!」
声を出して慌てふためくドロが後ずさりながら指をさす。
「殺せ! 早くそいつを殺せ! なんのためにお前らを雇ったと思ってる! 早くしろ!」
いち早く隊の後ろへ隠れたドロの声が酷く耳障りで、苛立ちすら覚える。
だがごちゃごちゃと喚くドロに何かを言うものは誰もいない。
その人物を認識してから、皆一様に臨戦態勢に入っており、他のことに意識を割く余裕など微塵もないからだ。
――――息がっ…………
目の前から当てられる圧に胸が締め付けられる。
肺が軋んでいると感じるほどの重苦しい空気。
危険という存在を体現したような存在に誰も口を開こうとしない。
あのトロルが追ってこなかったのは、こいつの縄張りに近づきたくなかったから……!
あれは追うのをあきらめたのではなく、ここに逃げ込むと気づいたからこその行動。
野生の本能が目の前の人物から逃げることを選択したのだと、今ようやく理解する
「――――っ」
そしてそう悟るのと同時、怒りに表情を染めた
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