第4話 厄介ごと
ドウトの森中心部、完全に陽が消え、人の寄り付かない闇の中、ファンはジグザグに走っていた。
「はっはっ」
蹴り上げた土が宙を舞い、足元に敷かれた木の葉を踏み散らし駆ける。
走っても走っても森は果てが見えない。
ドウトの森は近辺では一番の広さを誇り、そこに住む魔物の多さからあまり人の侵入がない森だ。
タート川が流れるレビ渓谷に添うように広がる森は場所によって陽の光が届かない場所が存在し、闇が落ちた後は数歩先が見えないところがほとんどだ。
――――こんなに見えないものなんだ
今までの旅で夜の森を歩いてきたことは何度もある。
だが、ここまで何も見えないというのは経験したことがない。
いつ先のない崖が現れるか、魔物の襲撃があるか、見えないということに対し、ここまでのストレスを感じたことがない。
自然、地を蹴る足に迷いが出る。
思ったように力が伝わらない。
全身から集めた力を足首まで運んだのに、その力を働かせられない。
もどかしい気持ちは視野を狭くし、集中力を奪う。
「おわっ!」
いきなり目の前に枝が出現し、ぶつかりそうになる。
この森には人の手があまり入っていない。
つまり草木は伸びに伸び、高く育った樹は陽の光を遮り、辺りに影を落とす。
落ちた影の中、環境に合わせて変化する植物は陽の光なしでも育つようになり、その活動範囲を地からすぐそばに変える。
湿気た空気を葉に集め、根に水滴を回すその生態は地面を常に水分の多い、ぬかるんだ状態になるのだ。
地を踏む違和感を感じて下を見ればいつのまにか地面がぐっちょりと湿り、泥一歩手前な土質に変わっている。
撥ねた土がローブを汚し、頬についた。
周りの景色にも少し変化があり、
これまで競うように上へ伸びていた樹が地を這うようにその幹を下ろしている。
「いだっ痛い痛い!」
ファンからすれば道を塞ぐものが増えたわけで、体をぶつける頻度が上がっていた。
ましてや今はノイジーから逃げようと全力で、力の限り走っているため、茂みをかき分け、絡まるツタを引きちぎりながら逃走している。
「くっそ……。どこに行っても逃げ場がないぞ……」
体のいたる箇所に擦り傷を作り逃げるファンだったがこの広大な森の中、初めて入る場所ということもあってすっかり自分の居場所を見失ってしまった。
あてもなく走り続けるファンの背なかを守るようにロトがノイジーたちに向かって風を放ち牽制する。
が、
「ピヤァアアア」
『だめ、次から次へとどこから湧いてくるんだか……』
そのあまりの数に大した効果は得られずに終わる。
前へと進む足取りはやがてゆっくりと速度を落としていき、ノイジーたちに四方を囲まれることで止まった。
「はぁっはぁっ……しつこいやつらだな」
けたたましい騒音を鳴らしながら追いかけてくるこの魔物たちはどこへ進んでもその姿を現し、こちらの姿見てはピーピーと泣き叫ぶのだからたまらない。
暗闇の中でもぎゅうぎゅうに密集した白い毛玉の塊たちはうすぼんやりと遠くまでいることがわかる。
この深い闇の中で認識できるほどの数がいるとみて間違いない。
「うんざりだね……」
肩をすくめてみせるファンだったが体の疲労はなかなかのものだ。
ちりちりと全身に作った擦り傷が熱く、火でも当てられているように火照っていることも相まって疲労感がすさまじい。
「ピィィィ!」
そんなファンの様子を見て何を思ったか、ひと声鳴いた個体を皮切りにノイジーたちが一斉にとびかかってくる。
「ロト! 防御っ」
『はぁあっ!』
地から生えるように現れた風の壁が迫りくるノイジーたちを阻む。
「ピィィィ」
悲鳴を上げているのだろうか、風の壁に切り刻まれて弾かれたノイジーたちが次々に地に沈む。
「ふっ! はぁ!」
回り込むようにして風を回避してきたノイジーに向けて肘鉄、蹴りを繰り出す。
俊敏なのは逃げ足だけなのか、ファンの攻撃はたやすくノイジーに直撃し、体の芯に通った攻撃が華奢な体に突き刺さる。
「ぴっ」
短く鳴いて地に落ちるノイジーはピクリとも動かない。尋常ではない数だが、一匹の強さはたいしたことはない、ファンはそう確信した。
そんなことを考えている間にもノイジーたちは休むことなく襲い掛かってくる。
足としっぽを使って高く飛び、そのままファンの頭や胸めがけてとびかかる。
知能はあまりないのかそのパターンの攻撃しかしてこない。
しかし、
「何匹いるんだ!」
数が多いのはわかっていたこと。
それでも数が減った様子がない。
すると、
『ファン!』
反対側のノイジーを受け負っているために身動きの取れないロトが、何かを察知して叫ぶ。
見ればとびかかるノイジーの後方で順番待ちでもするように迫っていたノイジーたちが口を開き、こちらを向いて何かしようとしているのが見えた。
「ロト! 借りるよ!」
体の内側の魔力を意識する。ぐるぐると蠢くその流れをロトとの回線をなぞるように動かしていく。
脈動する血液よりも早く、ロトへとつながる感覚をはっきりと認識し、意識して引っ張り出すような感覚。
…………イメージを、パスを、つなげる……。
ロトが風を放つ感覚を感じる。手を、足を動かす感覚。
つながった。
「風よ!」
ノイジーたちから放たれた超音波があわやファンへとぶつかる寸前、風のヴェールが包み込むように超音波を丸め込め、防いだ。
契約者であるロトの能力をパスをつなぐことで使用可能とする、ファンの能力。
通常以上に魔力を消費しないとパスは繋げないため、普段はめったなことでは使わないが今はそんなことを言っていられる状況ではない。
「こういう攻撃もあるのかっ」
ファンの手から勢いよく風が吹き、とびかかってきたノイジーを吹き飛ばす。
「はぁっ!」
今飛ばしたノイジーはざっと数えても30はいたはずだ。
だが
「ピィィィ!」
ノイジーが声を上げ、超音波を放つ。
その攻撃は目に見えないものの、秘められた威力は本物でこのあたりの木なら平気でなぎ倒す。
「壁をここにっ」
周囲に風の層を作り上げ、攻撃から身を守る。とぐろを巻くように練り上げられた風は超音波を掻き消し、霧散させる。
ぶつかり合った衝撃が地面を抉り、飛び散った土がぱらぱらとあたりに降りそそぐ。
吹き飛ばしたことで生まれた隙間にはすでに別のノイジーがおり、牙をむきだして威嚇していた。
「くそっ数が多すぎる!」
襲い掛かるノイジーを吹き飛ばしても、次から次へと後続のノイジーたちが迎撃の間を縫って飛び込んでくるため、埒が明かない。
続けざまに二匹のノイジーを蹴り飛ばし、器用に着地する。
蹴り飛ばしたノイジーが茂みに消えるのと同時、あふれかえるノイジーが開いた隙間を埋めるように迫ってくる。
『ファン! これじゃあ切りがないわ!?』
ファンにまとわりつくノイジーを細く、威力を高めた風の刃で次々に屠りながらロトが叫ぶ。
森の中はどこもかしこもノイジーばかりで足の踏み場もないほどに大量のノイジーが、同胞の敵であるファンたちを狙っている。
一匹では臆病なノイジーは危険が迫るとノイジーだけに伝わる特殊な鳴き声を響かせ、おびただしい数の仲間を呼び、仲間を呼んだあとは臆病な性格などどこ吹く風。一転して攻撃的になり、手が付けられなくなる。
これでは商隊を追うどころではない。
ひとまずこの場から移動しなくては、そう思い辺りを見回すがどの方向もノイジーのいないところはなく逃げ場がない。
「ロト! この近くに隠れられそうな場所はない!?」
『今調べてる! …………あった、この先、正面に進んで!』
緊急時ゆえになせる業か、普段より倍速く探知の風を広げたロトが道を示すように、前方にひしめくノイジーへ風の刃を放つ。
2発、3発と、駆ける刃がわずかな隙間を作り出す。
すかさず隙間に飛び込み、しがみついてくるノイジーを蹴り飛ばし、吹き飛ばしながら森をひた走る。
踏み出す足は噛みつかれたことで血にまみれ、地を踏み込む際に感じる痛みが水を差すようにファンの意識を乱す。
『でかいのいくわよ!』
ロトを中心に風が集まってくる。
びゅうびゅうと勢いよく吹く風は一部高い音を奏で、ロトの周りをぐるぐると囲うように動く。
周囲のノイジーを巻き込んで、大きく発達し、風の渦は上空高くまで育っていく。
森に現れたのは巨大な風の塔。
「おぉ……」
ごっそりと魔力を持っていかれ、青い顔をするファンだったが、そのあまりの迫力に思わず感嘆の声が漏れる。
「やばっ」
じり、じりと風の勢いに巻き込まれそうになるのを木に鉄紐を巻き付けて耐える。
――――俺に対する配慮は!?
ぐらぐらと揺れる木は根っこごととれそうで、いつ飛ばされてもおかしくない。
「んぐぐっ」
木の幹がみしみしと音を立て、鉄紐が深く食い込む。風に引かれる力に抗おうと強く、固く握りしめた手のひらは鉄紐がこすれて起きる摩擦のせいで火を掴むようだ。
必死に耐えるファンのそばを次々とノイジーが通り過ぎていく。
「ピィィィ」
徐々に遠ざかる鳴き声と上空高く舞い上がっていくノイジーはどこか現実的ではなく、小さくなっていく姿にはどこか滑稽さがあった。
周囲一帯のノイジーをあらかた巻き込み、上空へ運ぶ風の塔はやがてその動きを緩め、ゆっくりと倒れていく。
激しい音を立て、森に甚大な被害を与えた風の塔は地に接触する前に霧散した。
間を開けて、ぼとぼとと落下するノイジーたちが大きな雨粒と化し、いたるところに血だまりを作る。
「はぁ……はぁ……」
風が収まり、握っていた鉄紐を離す。
ドッと幹にあたり、地面を転がる鉄紐に続いてファンは膝をついた。
冷水を浴びたように全身が寒い。
さきの大規模な力の行使でファンの魔力を使った影響が表れていた。
――――ひとまずなんとかなった……?
寒気か、疲労か、小刻みに揺れる足をなんとか動かし、立ち上がる。
近くにノイジーがいないのを確認し、歩き出す。
「まだ音が聞こえる」
どれほど離れているか正確なところはわからないが遠くでノイジーの鳴き声が響いているのが耳に届いた。
地上に戻ってきたロトの案内を頼りにファンはゆっくりと歩を進める。
地に落ちるノイジーの亡骸をまたいで歩き、数刻が立つころ
『ついたよ』
「広いね」
ラウクッド、それは『森の巨人』の棲み処の跡を指し、トロールのにおいを嫌う魔物たちが近寄らないことから森に入る人の休憩所として使われるようになった場所だ。切り倒した巨大な木をツタや蔓で補強したそれは森にできた巨大な小屋のよう。
縦横共に民家の3倍はある大きさは軍一つは収納できる広さを持つ。
棲み処を定期的に変える生態をもつトロールは一つの森にいくつもの棲み処を作り、最終的に自分の一番気に入った場所を決めて住み着く。
『中には何もいないわね』
「木でできた洞窟みたいだ……」
人が入るには大きすぎる入り口を通り、中に入る。
ラウクウッドの中はひゅるひゅると小さな音が鳴っていた。
外側の木の隙間から入る風が原因だろう。
「光……?」
内側には指先ほどの大きさの光があちこちに見える。
『あれはランキの星ね、切り倒した木に寄生してたんでしょう』
「へー……」
なんにせよ足場が見えるのはありがたい、これ幸いと光の近くまで進む。
『うん、やっぱり中は安全ね。なんの気配もしない』
「ひとまず休むところあって良かった……」
安全だとわかった途端、背嚢を下ろして大の字に寝そべる。
大きく伸びをすれば、体のいたるところから子気味良い音がなった。
同時に力んだことで忘れていた全身の擦り傷がここにいるぞとばかりに痛みを発し、己の存在を主張してくる。
『見た目ボロボロねぇ』
「中身もそうだよ……」
ロトも気が抜けたのか発する声が軽い。
「さて、今のうちに食事にしよう」
『まあ私は食べる必要はないんだけど』
「まあまあ」
『旅用の食べ物ってあんまりおいしくないし……』
渡した干し肉にロトがぶつくさと文句をいう。
そんなことをいいつつもすでにガジガジとやっているのはいったいどういうことか、思うところはあったがそれを口にする愚行は侵さない。
「確かに塩辛いんだよね、それにもう少し柔らかい奴が食べたい」
口にする干し肉はガチガチに繊維が結び付き、強固な結束が見られる。そう簡単にはちぎれないのが厄介だ。
『ファンはいつも町でおいしいもの食べてるでしょ』
恨めしそうな顔でこちらを見るロトに、
「……何回も言ってるけど街中では絶対しゃべらないでね?」
召喚術を行っているものをファンは自分以外に見たことがない。
昔まだ幼かったファンが街中でロトを現界させたまま歩いていた時は、会う人会う人皆が何事がと詰め寄ってきた。見た目はただの獣でもその身に宿した力は並ではない。
妙な連中に目をつけられたことも一度や二度ではない。
そんな経験を経てからというものこうしてロトと会話をするのは旅の道中や人目のないところだけとしているのだ。
『でも私だってこんなのよりもっとおいしいもの食べたい……』
食事をとらなくても問題ないとは誰が言ったか、そしてしゃべらなければいいのではないか。しかしファンは突っ込まない。目に見えた災害に飛び込むのは蛮勇に他ならない。
「花が手に入ったらどこかうまい店がある街にいくのもいいね」
『他の街に行くのもいいけどまずはあの宿で食べた料理を私にも食べさせて』
むっとした顔でロトが言う。
――――なんで知ってるんだろ……
『パスはつながってるんだから、ある程度のことはお見通しよ』
「風の力って心も読めるの?」
『顔に出すぎ』
街に帰ったらーーの酒場の料理を食べさせる約束を取り付けられたあと、二人は就寝するべく寝心地がよさそうなところを探し始めた。
『商隊からはぐれちゃったね』
ポツリとロトが言葉をこぼす。
「あれだけ湧いたノイジーを振り切って進むのは難しいだろうし、街に引き返しただろうね」
すでに森の中心部近くまでは進んでいるため、ここから引き返すのも手間になる。
あの商隊を追うことなく花畑にたどり着くにはノイジーを刺激しないように動き、かつ広範囲を探索して歩く必要がある。
「何日かかることやら」
大まかな位置だけでも把握できていれば良いのだが、酒場で聞いたところによると特に目立った目印などはないらしい
『逃げるのにもだいぶ魔力を使っちゃったし』
「探知用の風は絶やせないからその分の魔力を残しておくとなると…………」
考えれば考えるほど一度出直した方が良いような気がする。
魔力回復に加えて食料不足と、厄介ごとしか出てこない。
「うーん、ささっと済ませようと思ったんだけどうまくいかないもんだねー」
『見通しが甘かったってことね』
街の人は確かに花畑だけでなく、森も危険だと忠告してくれていた。
これまでこれまで旅してきた経験から危険といっても普通の森、たいしたことはないと高をくくっていたのがまずかった。
「とりあえず疲れたよ、寝よう」
ぐるぐると頭の中を渦巻く考えを消し去るように目を閉じる。
あっというまに寝息を立て始めたファンを見て
『ふふっ』
未だ騒がしい森の中、遠くに聞こえる獣の声に耳を澄まし、ロトは夜通し警戒を続ける中時折ファンの寝顔を見つめては慈しむような笑顔を見せた。
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