第六話 貪る獣の宴
モケーノの森に邪竜の羽ばたきがこだまする。
漆黒に塗りこめられた巨躯が空に在る限り、あらゆる生物はその威を畏れて首を垂れる。
自らの寝床であるアマニルの村まであと少しというところで、邪竜は顔をしかめて首を巡らせた。
その鋭敏な感覚に引っかかる、己の在り方を歪められたものが放つ悍ましい気配。彼にとっては鼻が曲がるような悪臭に感じられるのだ。
「やれやれなんと性懲りのない輩だ……。不快に過ぎる、いずれ根から焼き払わねばいかんな」
つい先ほど焼き払ったばかりであるジャ=カイの獣。さしもの邪竜もうんざりとした様子を隠せない。
魔族の手先であり絶滅の尖兵たる獣はワンダジス大陸各地へとしつこく侵攻を繰り返している。モケーノの森とて例外ではなく。
今までに現れたものは全て邪竜が手ずから焼き払ってきた。彼にとってさしたる脅威足りえないとはいえ、煩わしいことに変わりはない。
これまでは受け身に回っていたが、そろそろ根元から焼き払うべきかもしれない。
考えつつ、邪竜は身を翻し森の上空を回る。
「……どういうことか? 森中から悪臭が立ち上っている。やつらめ、敵わぬと知って数で押す腹か。重ね重ね不愉快な」
先ほどに比べて小さく微かな気配が、森のそこかしこから立ち上っていた。
これまで通りのジャ=カイの獣では通用せずとみて戦法を変えてきたか。しかし巨きく強い獣ですら敗れ去ったものが、小さな群れなら敵うとでもいうのだろうか。
不可解な思いを抱きながら、邪竜は気配を追いかけて――。
「なに? この方向には……」
森の中を蠢いていた気配たちを追ううちに、そのどれもが同じ一つの方向に向かっていることに気付いた。経路は様々だが間違いない。
気配の進む先を追いかけた、邪竜の瞳が細められた。
嫌な予感が胸中をよぎる。ひときわ強く羽ばたくと、気配の行き先へと向けて速度を増したのだった。
◆
肉の焼ける香ばしい匂いが漂う。
巨大なイノシシは香草と共にこんがりと焼き上げられ、皆の胃袋に収まる時を今か今かと待ちわびている。
「はぁ~。この香りがたまらねー」
「もう食べてもいいだろ!?」
「まだだ。もうちょっと焦げ色がついてから……」
「かわんねーよ! この焼肉番めぇ!!」
犬に猫に熊に鶏。様々な特徴を持つ獣人たちが集まりはやし立てる。
村の真ん中にある広場には巨大な焼きイノシシ。祭りの始まりを目前にして、アマニル村の住人たちは大盛り上がりである。
「お肉お肉ー」
「にぃーくぅー」
グパとティスコのお子様コンビも、今にも焼きイノシシに飛びつかんばかりであった。
そんな二人をパーシェドが抱え上げて止める。
「おチビども、もうちょいだから大人しく待てって……ん?」
ちょうどそんな時である。森から数名の獣人が現れたのは。
イノシシを仕留めたパーシェドたちとは別の方向に狩りに出た者たち。見たところ手ぶらのようだが構うまい。
「あいつらも間に合ったか。はは、焼き上がりに帰り着くなんていい鼻してるよ」
「いっしょに食べよー」
パーシェドたちはケラケラ笑い、帰ってきた狩人を出迎える。
が、ふと訝しんだ。
狩人たちの様子がおかしい。足取りはふらつき妙に頼りない動きをしている。
「どうしたんだよ、怪我したのか? そういえばさっき邪竜様が飛んで行って……」
「……げて」
「?」
うつむいたままの狩人。さすがに異変を感じたパーシェドが駆け寄ろうとして――鼻を突く異臭に立ち止まる。
ずっと黙っていた狩人が突然顔を上げ。
パーシェドが息を呑む。そこには、見知ったはずの狩人の顔はなかった。
瞳があるはずのところから植物の蔦が飛び出、触手のごとく蠢いている。
肌を突き破って生えた棘が顔の形を変え、開いた口の奥にはびっしりと根が生えているのが見えた。
「はああやぁく逃ぃげぇぇぇてぇぇぇ……もう、俺ばぁぁぁ……おりがばばばばびゃああああ」
叫んだ口から蔦が飛び出すのと、パーシェドが抱えた子供二人を放り投げるのはほぼ同時だった。
訳も分からず宙を舞う、グパとティスコは見た。
身体を捻って蔦をかわしたパーシェドが、腰からナイフを抜いて反撃に出たのを。
異変に気付いた村人たちが駆け寄ろうとして、そこへと別の場所から蔦にまみれた獣人が飛び込んできたのを。
惨劇が始まる。
「ばなれびゃああああああ」
身体中から伸びた蔦が、狩人の意思とは関係なく周りの獣人たちに絡みついた。喉を締め上げ手足を拘束する。
「や、やめ……」
柔らかくしなりながら恐るべき鋭さをもつ蔦が、締め上げた獣人たちに突き刺さってゆく。
刺さった端から根を伸ばし、蔦にまかれたものたちは悲鳴すら上げられず、もがき苦しみながら喰われていった。
血肉を貪り根を伸ばし。一気に成長した蔦が獣人の身体を突き破る。
そうして次に逃げ遅れた獣人が餌食となり、蔦はさらに新たな獲物を狙い――侵食は加速度的に広がってゆく。
「いったいどうしたんだ!?」
「たすけ! じゃりゅ……さ……」
「に、逃げ……!」
「ああ! ああ! とうさ、かあ……」
もはやそこにのどかだった村の面影は残っていない。
あるのはひたすらに悲鳴と血、蠢く蔦が次の生贄をもとめて彷徨う地獄。
「はしって! はしって!」
「あそこまでにげよう、きっとじゃりゅう様が助けてくれる!」
殺戮が吹き荒れる村を、グパとティスコの二人が駆け抜けてゆく。
小柄な身体を生かして伸び狂う蔦をかいくぐり、二人は村の奥にある祭壇を目指していた。
そこまで逃げれば邪竜が来てくれる。きっとこの惨状から助け出してくれる。
それは幼い二人の知る中で最も強く、頼りになる存在。
祭壇へとたどり着いた二人は、そのまま崖の向こうに飛び込もうとして。
「あああああああぎゃぎゃぎゃばああああああああ」
蔦まみれの獣人がついに背後まで追いついていた。
ひゅんひゅんと宙を切る音。綿毛のように伸び広がった蔦が、彼らめがけて襲い掛かり――。
「ティス、ごめんね」
「!?」
背に衝撃を受けてティスコの身体が崖から飛び出す。
驚き、宙に投げ出されながら振り返った彼女が目にしたもの。
それは両手を突き出し笑顔を浮かべたグパと、その背後で蔦が荒れ狂う光景だった。
◆
突風を巻き起こし、羽ばたきが雲を切り裂く。
静けさに満ちたアマニル村に、邪竜の巨体が舞い降りた。
悪臭の源を追いかけてここまで舞い戻り、そして邪竜は目の当たりにする。
「お前……たち」
村に蠢くかつて村人であった者たちを。誰一人として正気はなく、蔦と根に覆われた異形へと変じている。
「じゃぎゃばばばばりゅぶぶぶぶぶ」
邪竜の姿をみとめるや、村人であったものたちが集まりだした。
身体から伸びた蔦が絡み合い、村人であったものをつなげてゆき――。
「じゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃ」
生まれ出でる巨獣。
獣人であったものが絡み合ってできた狂気の産物。
悍ましい悪臭が周囲を埋め尽くす。耐えがたい不快感がせり上がってくる。
それは絶滅の使者、破壊の具現――ジャ=カイの獣。
強固な鱗に覆われた邪竜の表情は、傍からは窺い知れない。
しかし口から漏れた炎混じりの吐息が、竜の想いを如実に表していた。
「それらは我が下僕なるぞ。ジャ=カイの獣ごときが支配しようなどと、思いあがりおって!!」
ジャ=カイの種によって浸食された獣人たちを救う手立てはない。少なくとも邪竜は知らない。
残る手段はひとつだった。
「下僕たちよ……せめて我が炎にて導いてくれよう」
口を開く。あらゆるものを焼き払う竜の炎が、身の裡より湧き出でる。
欠片も残さず灰とする。ジャ=カイの獣を睨みつけた瞬間――それと目が合った。
不格好なヒトガタのような形をとるジャ=カイの獣。
その鼻先の部分に、ひどく幼い獣人の姿があった。
蔦に覆われていても、その形を見間違えることなどあろうはずがない。
邪竜の背でまどろみ、転がり落ちてはしゃいでいた。何度も鼻先に乗せて運んだ幼い獣人、グパ。
蔦にまみれた姿からあの声が聴こえることはなく、もう笑顔を見ることもない。
「……ッ!」
邪竜は口を閉じた。閉じてしまった。
なぜと問われても、理由は彼自身にすらわからないだろう。
ただ吐き出さんとした炎は霧消し、その隙にジャ=カイの獣へと自由を許してしまったのは確かだ。
獣は意外な素早さで蔦の絡まる腕を伸ばし、邪竜の首へと絡みついた。
大きさだけなら比肩する。蔦がきしむ音と共に強力な膂力を発揮し、邪竜の
モケーノの森で最大最強を誇る、黒竜の炎。
だが口から吐き出すものであるがゆえに、単純な行動で封じられてしまう。
邪竜が唸り、蔦を引きちぎろうと力を籠める。
ジャ=カイの獣は竜に巻き付いたのみならず、貪欲に動き出していた。
ずぶり、ずぶり。突き出た蔦が鋭く邪竜の身体に突き刺さった。
竜の鱗の隙間をこじ開け、それでも堅い竜の肉をえぐるように潜り込んでゆく。
全身を苛む苦痛にさしもの邪竜も表情を歪ませた。
「はははははは! あははははははははは! ざぁまぁないよねぇぇぇぇ! こんの程度で! 邪竜さまぁ~ん?」
宙から滲みだすように影が生まれ出る。
花弁のように華やかなドレスをまとい、毒々しい色と気配を振りまく者――魔族。
ジャ=カイの獣の頭上で、舞うようにステップを刻む。
「はぁ~んなんて良い景色! 図体ばかりの駄竜。でっもぉ~ジャ=カイの種の肥やしにはぁ、ちょうどいいかもって!」
邪竜の身体へともぐりこんだ蔦から根が伸びてゆく。
全身を苛む激痛とともに、何かが己を喰らってゆく緩慢な恐怖が湧き上がってきた。
ジャ=カイの種はあらゆる生物を蝕み、己のものとする。獣人たちに続いて邪竜の身体をも取り込もうという腹だ。
貪り、侵し、破壊する。それがワンダジス大陸を滅亡せしめたジャ=カイの獣。
だがそんな暴食の獣に対して、未だ抗うものがいた。
獣の身体の片隅で呻きがあがる。犬の特徴を持つ、獣人の青年が身を乗り出していた。
パーシェドは村で一番勇敢な若者だった。
イノシシ狩りの名手であり、常に先頭を駆けることを誇っていた。
蔦に貫かれ根に食われ、それでも歯を食いしばっている。
その顔に浮かぶのは誇り。ただ餌となることを良しとしない、決意が声となる。
「じゃ……りゅう……さま……おねが……われら……全て、焼い……くれ!!」
だが彼の抵抗もそこまでだった。メキメキと蔦が伸び、パーシェドの姿を飲み込んでゆく。
声をあげるものは残らず、ただ一体の獣と化していった。
「下僕ごときが……我に命じるとは身の程を知らぬことだ」
激痛に苛まれながら、それでも邪竜は口の端を歪めた。
みしり、みしり。締め上げる蔦と根に抗い、邪竜が動き出す。
抗うほどに根が喰い込み、ぶちりぶちりと千切れた膚から血がしぶく。
いかな強靭な黒竜の身体とて限界はある。だが邪竜はそんなもの知らぬとばかりに吼えた。
「命じるのは……我であろう。この愚か……ものめ……!」
竜の血肉が飛び散り、同じだけジャ=カイの獣の蔦が千切れる。
炎が燃える。瞳が輝き、顎門を縛る蔦を食いちぎった。
ジャ=カイの獣の頭の上で、魔族の表情から笑みが薄れてゆく。
苛立たし気に足元のジャ=カイの獣を踏み蹴飛ばして。
「蜥蜴がぁ! しつっこいじゃない!! お前、さっさと食っちまいなよ!!」
ジャ=カイの獣がおおん、と低く唸った。
ずぼぼぼぼと身体からさらに蔦を生やす。それらはいっせいに邪竜へと飛びかかり、その全身をさらに強固に締め付けた。
邪竜の身体が見えなくなるほど巻き付き、今度こそ竜の動きが止まる。
流れ出る血はだんだんと勢いを弱め、肉の軋みも途切れがちになり。
やがて邪竜の身体から力が抜け落ちた。
「ふふ、あはははははは!! や~ん蜥蜴、おっいしそ~う。これでジャ=カイの獣をつくればぁ、もう怖いものなしかなって。邪神様も~う、絶対にお喜びになるしぃ~ヒッヒッヒッヒ」
ぎちぎちと耳障りな笑い声をあげ、魔族が舞い踊る。くるくると毒々しい色の花弁を開き。
足元ではジャ=カイの獣が邪竜を食らいつくさんと蠢いた。
「……我、時を得たり」
上機嫌に踊り狂う、それは気付かなかった。
邪竜の額に埋まった結晶が輝きを放ったのを。蔦に覆われた下で竜の瞳が見開かれたのを。
嗤い声が湧き起こる――。
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