第二章 魔王降臨編
第五話 じゃあくなりゅうのおはなし
緑の大地がどこまでも続いている。
ワンダジス大陸南方を覆う広大な森林地帯、モケーノの森。
背に野草を生やした巨大な蟹が大きさからは想像もつかないほど静かに歩き、鋭い牙と長い耳をもつ蝙蝠のような貌の獣が集団で走る。
豊かな森は数多の生命を育み、同時に熾烈な生存競争の舞台となっていた。
ブギョォアアアアッ。
鳴き声と共に地鳴りが響き渡り、生き物たちの警戒心を掻き立てる。
森に生い茂る太く頑強な木々が次々に倒れ、それらは慌てて逃げ出していった。
さして間を置かず事態の原因が現れる。
大木のように太い胴回り、牙は短く太く、額からは乱雑に生えた角が並ぶ。転がる落石のような勢いで走る、イノシシに似た生き物があらゆるものをなぎ倒して爆走しているのだ。
その突進は土石流も斯くやというもの。進路上にある一切を砕くという威力に満ちている。
破壊そのものたるイノシシの暴走を止められるものなどいない――だが、ぴたりと追いすがる小さな影たちがあった。
地を蹴り岩を蹴り、時には木々を足場に軽快に駆ける。
二本の足で立って走る、人族というには少々変わった風体をしたものたち。
手足の部分に衣服ではない毛を生やし、耳の位置も頭頂部に近いところにありピンと尖っている。
野を行く獣に近い特徴を持つ、彼らは獣人族と呼ばれる者たちであった。
「一番牙槍! いくぜ!」
先頭をかけていた青年が背負っていた槍を抜く。
森に住む大型肉食獣の牙から拵えた槍を構え、イノシシの動きを見定めると。
「せい! やぁーっ!!」
槍を抱き、イノシシの正面から飛び掛かる。死をも恐れぬ蛮行――しかし構えた槍は、彼の体重とイノシシの突進の威力をあわせて深々と突き刺さっていた。
イノシシの膚は固く、しかも内部に詰まった脂肪が強い弾力性を生む。貫くには鋭さと重さが必要だ。彼は相手の突進を利用することでそれをまかなったのである。
一瞬でもタイミングを間違えれば跳ね飛ばされ彼は挽肉と化していたであろう。成し遂げるためには高い身体能力ととてつもない度胸を要求される。
青年の成功に続き、第二、第三の槍が飛んだ。
ぎょげえええ、と野太い鳴き声を残してイノシシが転げる。さしもの巨獣も何本も槍を受けてはたまらない。
槍は首周りの急所を正確に突いていた。命の鼓動と共にどくどくと血は流れ、やがて勢いを弱めていったのである。
イノシシが息絶えたことを確かめた、獣人たちが歓喜の声を上げる。
「やっはぁ! 見事なもんだ。大きい、良い獲物が取れたぞ!」
「一〇周りの太陽で一番だな!」
「さすがはパーシェド、村で一番の狩りの名手だな!」
「へへっ。まっかせてくれよ!」
一番槍を担った青年を囲んでほめそやす。パーシェドと呼ばれた青年は胸を張り、腰から伸びたしっぽは嬉しさを隠し切れずぶんぶんと揺れていた。
獣人たちは顔を見合わせてひとしきり笑うと、倒れたままのイノシシを見上げる。
「ようし、村に持って帰るぞ!」
◆
モケーノの森をさらに奥へと分け入ると、突然木々の開けた場所が現れる。
そこには木々を組み合わせて作られた質素な建物が並び、様々な姿の獣人たちが行き交っている。
熊のように大柄な者、猫のように鋭くしなやかな者。
ここは多様な獣人族が寄り集まってできた場所、『アマニルの村』であった。
農作業に向かう者がえっちらおっちらと歩き、家の軒先で道具の手入れをしている者がいる。
そうしていると村の入り口からにぎやかな気配がやって来た。
枝葉を揺らし現れる巨大な影。木の皮を橇代わりにして運ばれてきた、それは巨大なイノシシであった。
「おお! パーシェドたちがやったぞ!」
「なんて大きなノシイーだ。さすが村一番の狩り上手だな」
集まってきた人々が口々にたたえるのを聞き、狩りに出た者たちはひたすら舞い上がっている。
すると人々のざわめきをかき分けて、一人の獣人が現れた。
お付きの者に手を引かれてやってきた小柄な老婆。灰混じりの髪と猫の特徴を持つ、この村の村長である。
「うむ、うむ。パーシェドや、ほんに見事なノシイーだの」
「おう! 村長のばっちゃ、ありがとな!」
村長はしばらくうんうんと頷いていたが、やがて周囲に指示する。
「これほどの獲物、是非とも邪竜様にご覧いただかねば。ほれ皆の衆、祭壇にお運びよ」
どよめきが湧きおこった。パーシェドたちの喜びはいよいよもって頂点に達し、そろそろ尻尾がちぎれそうだ。
村の者総出でイノシシを運ぶ。目指すは村の一番奥、岩を組み合わせて作られた祭壇だ。
イノシシをどでんと中央に置き、祭壇の下に控えた獣人たちが跪く。
「我らが偉大なる邪竜様。あなた様の
祭壇の向こうは崖になっている。
風が吹くばかりのそこから、重い唸りが上がってきた。地響きにしては地が揺れることはなく、風の音には重すぎる。
やがて巨大で長い影が陽の光を遮った。後を追うように全身が露わとなり――。
人族が使役する騎竜などとは根本から異なる、圧倒的な巨躯。広がった翼が祭壇を影で包む。
陽の光を吸い込むような黒色の鱗がずらりと並ぶ身体。
長く伸びた首の先には血のように赤く光る瞳。額には結晶質の欠片が埋まり、怪しげな輝きを放っている。
現れた『邪竜』を前に、獣人たちは一斉にひれ伏した。
彼らなど一飲みにできるであろう巨大な口が開き、地の底から響くような声で告げる。
「我が
「ははーっ! 森は実り多く、素晴らしき糧を得てございます。これもすべてあなた様の御加護によるもの。どうぞ成果をお納めください……!」
でんと置かれたイノシシを一瞥し、しかし邪竜は面倒そうにあくびをもらした。
「下僕たちよ、その心意気は受け取った。しかし我は眠いゆえ、これは貴様らで食すがよかろう」
「ははーっ! お褒めにあずかり恐悦至極……」
それだけを言い残し、邪竜の巨体がすーっと崖の向こうに引っ込んでゆく。
そこには巨体によって踏み固められた地面のくぼみがあり、邪竜は長い首を丸めて横たわった。
ちょうどよいサイズ感がとても落ち着く。ごごごご、と地震としか思えない大あくびが漏れ出した。
「うむ、皆耳にしたか。邪竜様のお心である、よく分け合うように」
「やったー!」
村人たちは今日は宴会だー、など騒ぎながらイノシシを下げてゆく。
そうして彼らがすっかりと引き払った後に、ポツンと残る小さな人影があった。
「じゃりゅうさま、寝てる?」
「動かない? 動かない?」
ころころと転がるような動きをした幼い獣人――犬の特徴を持つ男の子グパと、猫の特徴を持つ女の子ティスコの二人である。
やんちゃ盛りの彼らは祭壇の向こうの様子を確かめて。
崖のへりから覗き込むと、下には丸まった邪竜の巨体。どちらからともなく頷きあう。
「あ、これ二人とも!」
気づいた村長が止める間もなく、崖から身を躍らせた。
斜面になったところをすたたたたと軽快に駆け下りる。幼いとはいえ獣人、この程度の崖はお手の物だ。
そうして邪竜の足元まで下りると、今度は巨体を登り始める。
鱗を手掛かりにしてひょいひょいと。すぐに上り詰めて。
「へへー。ぼくがいちばん!」
「えー! ティスのほうがはやいー!」
眠る邪竜のうえでぴょこぴょこと飛び跳ねた。
小さな獣人の子供にとって、邪竜の巨体はちょうどよい遊び場なのである。
もちろん村長は完全に頭を抱えている。
「これこれ、邪竜様はお休みぞ。邪魔をするでない……」
注意の言葉など、当然二人が聞いているわけもなく。
すると眠っていた邪竜の瞳がすっと開いた。血のように朱い眼差しが獣人の子供を捉える。
「よい、捨て置け。我にとってはそよ風ほどのこともない」
言い残してすぐに寝る態勢へ戻った。
強固な鱗に覆われている邪竜にとって、獣人の子供が何をしようと蚊に刺されたほどにも感じない。
村長がほっと胸をなでおろしている間に、竜の背で転がっていた二人もまたうとうとと揺れ始めている。
本当にまったく話を聞かない二人に、村長は長いため息を禁じ得ないのであった。
◆
天気の良い日だった。
アマニル村に住む獣人たちは巨大なイノシシをさばくのに忙しく、村はずれの祭壇では巨竜と幼い子供が一緒になって眠っている。
そんな、穏やかな風吹く平穏。
しかしにわかに邪竜が瞳を開いた。首を持ち上げ何かを嗅ぐようなそぶりを見せて。
「ふうむ……面倒なことだ。二人とも、目を覚ませ」
呼ばれてふわ、とグパとティスコが飛び起きた。
目の前に邪竜の巨大な鼻先がある。生暖かい吐息に転がりそうになりながら何とか踏ん張った。
「どーしたのー? じゃりゅうさまー」
「無粋な客が現れた。我は行かねばならぬ」
「ふぁい!」
なにやら妙に慣れた様子で二人は邪竜の頭へとよじ登る。
首を伸ばして二人を崖の上まで運ぶと、邪竜が一息のうちに起き上がった。
巨躯から伸びる長い影が村まで達する。村人たちのざわめきが遠くに聞こえた。
「ふん。我が縄張りに土足で踏み入ろうとは不快な輩よ」
森の彼方を睨み首を巡らせ、邪竜が翼を開く。
一羽ばたきのうちに巨体が舞い上がり、竜の持つ超常の力をもって一気に加速した。
小さくなってゆく竜の姿を、グパとティスコが小さな腕を振って見送ったのだった。
◆
モケーノの森を駆け抜ける獣人の一団がある。
彼らはパーシェドたちとは別の方向へと狩りに出た者たちであった。
「くそ! 走れ、追い付かれるぞ!」
彼らとて森を歩くことに通じ、腕に覚えのあるひとかどの狩人である。だというのに今はなりふり構わず走ることしかできない。
なぜなら今の彼らは狩るものではなく――。
「じゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃ」
奇怪な鳴き声と共に強烈な光が森を薙ぐ。光条が木々を破砕し地を灼いた。
狙いは明らかに獣人たち。
「ジャ=カイの獣め……!!」
木々を砕き、巨大な熊のような化け物が顔をのぞかせる。
ところどころに混じった機械部品から棘のように銃火器を生やし、それらが吐き出す光条がひたすらに破壊を呼んだ。
追われるものと化した獣人たちが次々に毒づく。
「獣め、性懲りもなく森を汚すか! 急ぎ邪竜様にお知らせせねば!」
「こうなったら俺が囮になる! その隙に……」
彼らの中で一番の俊足自慢が飛び出そうとした矢先、空を巨大な影が過る。
「おお、あれを見よ!」
獣人たちの指さす先へと光条が走る。ジャ=カイの獣もまた空飛ぶものに気付いていたのだ。
巨体が翼のはためきと共にあっさりと光を躱し、突風を巻き起こしながら地へと降り立つ。
獣人たちの表情が喜色に染まった。
「邪竜様がいらっしゃったぞ!」
「早い! もうおつきになったのか!」
光を拒むような黒色に染まった鱗。長大な首と尾をしならせて、邪竜は奇怪な獣を睨んだ。
「……臭い、まったく臭くてかなわんぞジャ=カイの獣。我が縄張りに不快をまき散らしおって」
心底嫌そうな声も、理性なき獣には通じない。ジャ=カイの獣が奇怪な調子で吼え返す。
「ふん、中身のない吼え声よ。やはり魂なき傀儡などつまらんことだ」
呆れている間にジャ=カイの獣が動き出す。
全身に生えた針銃から光条を吐き出し。破壊的な光の槍はしかし、強靭なる竜の鱗によって弾き散らされ何の痛痒も与えることはなかった。
光条が通じないと見て取るや、獣が爪を振り上げる。
それを振り下ろすより早く、振るわれた邪竜の尾が獣を強かに打ち据えた。
「……これ以上触れようとは思わんな。疾く焼滅せよ、傀儡め」
不快感も露わに吐き捨て
「ぎじゃじゃじゃじゃ!?」
ジャ=カイの獣が放つ光条など比較にもならない、巨竜の炎が獣を飲み込む。
熊のような生身の部分が耐えきれず焼け落ちてゆき、機械部品の崩壊が始まる。
間を置かずジャ=カイの獣の内部から赤黒い光が沸き起こる。それは今にも焼け落ちんとする身体を再生しようとするも、炎の威力は種の力など歯牙にもかけない。
見る間に肉も骨も灰と化し、機械部品が滅んで行く。
しばらくして邪竜が口を閉じた時、そこには灰のみが残っていたのであった。
離れて身を隠していた獣人たちが歓声を上げる。
「さすがは我らの邪竜様よ! ジャ=カイの獣など恐れるに足らず!」
「獣め! 邪竜様ある限り、我らの森には踏み入らせんぞ!」
邪竜は炎混じりの吐息を漏らすと、一気に翼を広げた。
「これで心置きなく休めるというものだ」
独り言ち、邪竜は空に舞い上がる。
そうして意気揚々と自らの寝床目指して飛んでいったのであった。
◆
「やはりすさまじい。邪竜様の炎を受けて平気なものなどいないな」
「ああ。邪竜様のご加護ある限り、森は安泰だ!」
しばらくの間、獣人の狩人たちは飛び去った邪竜の影を眺めていた。
これまでにもジャ=カイの獣は何度か現れているが、そのどれもが邪竜によって返り討ちにされている。
モケーノの森において最強を誇る黒竜。
その威光の前では、いかな破壊の徒たるジャ=カイの獣とて蹴散らされるのみ――。
「そっれじゃあ~困るのよねぇ~」
どこからともなく知らぬ声が聞こえてきて、獣人たちは周囲を見回した。
しばらく探し回り、やがて一人が空を指さし声を上げる。
「なんだありゃあ……」
それは支えもなく翼もなくただ空中に佇んでいた。
姿だけを見るならば人、それも女性だ。
それも植物の花弁を重ねてドレスにしたような優雅で――ひどく毒々しい色合いに包まれている。
「噂に聞く人族、ってわけじゃあなさそうだ」
全員から十分に奇異の視線と警戒を集めた女は、裂けるような笑みを浮かべて。
「はいはぁ~い、ダサくっさい獣ども? あんたたちにちょっとしたプレゼントがあるんだけどぉ」
病的に白い指をするりと広げれば、そこには禍々しい気配を放つ粒――ジャ=カイの種が。
「あたしたちのぉ、すっばらしい邪神様のお恵み~あ・げ・ちゃ・う! ちなみに? 拒否権は? あるわけねーだろオラ」
指に挟まれたまま、ジャ=カイの種がうぞうぞと根を伸ばす。
獣人たちが慌てて武器を構えるより速く、無数の根が宙を駆ける――。
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