第七話 王命は絶対なり


 モケーノの森が鳴動する。それは最初、地の唸りのように聞こえた。

 やがて魔族は気付く。唸りを――嗤い声をあげているのは死にかけの邪竜であると。


「……なり」

「あっりゃ~ん? まだ動くってぇしっつこいね、これだから下等生物は! なぁにがおかしいってのさぁ!!」


 どれほどきつく締めつけられても声は止まらない。同時に光が生まれ出でる。

 蔦に覆いつくされた下、邪竜の額から光が迸る。


「……愚かなり……!」


 邪竜の額から突き出ていた結晶の欠片が、メキメキと音を立てて身体の中に沈んでゆく。


 突然、竜の鱗が砕け散った。下から噴き出すのは炎。何ものをも焼き尽くす竜の炎が、次々と湧き出でる。

 見る間に邪竜の身体はボロボロと崩れてゆき、代わりに生まれ出でた炎があらゆるものを呑み込んでいった。


 慌てたのはジャ=カイの獣と魔族の女だ。


「なぁによッ!! なんなのよぉぉぅッ!! まさか竜ともあろうものが自死しようってのぉう!? 臆病者っじゃんよォ!!」


 巻きついたジャ=カイの獣もろとも、竜が炎と化してゆく。

 だが何かがおかしい。いかに竜であるとて身体そのものを炎と化すなど聞いたことがない。


 うろたえる魔族に声が届く。それは絶対の力を持つものによる、厳然たる言葉。


「我を喰らう? 我を支配する? ……史上究極のたる我に、侵入を試みようなどと片腹痛い……!」


 理解を超えたことが起ころうとしている。

 戦慄に押し出されるように魔族が飛び上がり、ジャ=カイの獣から離れた。その間にも炎は荒れ狂い、ジャ=カイの獣から伸びた蔦を完全に焼き尽くしてゆく。

 苦悶の叫びとともに獣が後退った。


「ちが……う……何よ、何が起こってるのよぉ!?」


 咆哮が轟く。モケーノの森を越え一天四海を震わせる。

 溢れる炎を振り払い、ソレは姿を露わとした。


 陽光を吸い込むような漆黒の躯体。しかしかつて肉によって成り立っていた生の身体は、完全なる鋼に置き換わっていた。

 そこにあるのは黒鉄の装甲、受光素子の瞳に、推進器を備えた翼。


「貴様ッ!! 邪竜じゃあないな! なんだ、なんだよおまえはぁぁぁっ!?」


 機械によって構成された躯体。ジャ=カイの獣とはまた異なり、この世界の理外にある存在モノ

 それは――。


「邪竜顕身」


 巨体が動き出す。

 太く力強い脚は形を変え、胴の内部から折りたたまれていた腕が現れる。

 広がった翼は背に折りたたまれ、マントのようにたなびいた。


 胴が開き長大な首が収納されてゆく。

 竜の頭は顎門を開き――巨神の貌が現れ出でた。


 それはヒトガタ。巨竜より姿を変えし、天を衝くがごとき巨人。

 血に濡れたような紅い瞳で獣を睨み、厳かに告げる。


「我こそは魔王。普く知性ある機械たちの頂……機界魔王ディスヘイトなる」


 世界を越え、理を越え。

 ワンダジス大陸に渦巻く戦乱のさなかに機械の王が降臨する。



「ッヒハァァァァァ!? 邪神様に盾突いておきながら魔の王を名乗るなんざぁ! てんめぇ、いまっすぐ滅びてぇらしいなぁッ!! 殺れ、ジャ=カイの獣ぉ! 今度こそ肥やしにしちまいなよぉッ!!」


 魔族の女の狂乱が命じるまま、ジャ=カイの獣が動き出す。

 獣人たちをつなぎ合わせた肉体が躍動し、再び湧き伸びた蔦が水に流れる藻のごとく蠢いた。


「下郎めが。王の前である、頭が高い。プラズマディスチャージャー、レディ」


 対するディスヘイトは静かに掌を翳し。スリットが開き、内部から光が放たれる。

 光の源は超々高温によって電離したガス――プラズマ。


 科学が導いた至高の炎が迸り、ジャ=カイの獣の足を一瞬で焼滅せしめた。

 支えを失った獣が崩れ落ちる。地に伏しもがくジャ=カイの獣を魔王が傲然と見下ろした。


「じゃぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」


 しかしすぐさま獣の身体から赤黒い光が生まれ出でる。

 全身を走った光はやがて足に集まり、焼き尽くされた獣人たちごと身体を再生してゆく。

 ディスヘイトの電子眼がわずかに細められた。


「邪神様の御力が、その程度で尽きるものかい!」

「フン。痴れ者めが、誰が再生して良いなどと許したか。先にが必要なようだな……アークシャウト、レディ」


 ディスヘイトの両脚部が開き、内部から剣が飛び出す。美麗な細工が施された細剣レイピアだ。

 手にした双剣をくるりと翻せば、空を切る鋭い音が響いた。


「そんなほそっこい剣で、何をしようってのさぁ!! いきなよォ、ジャ=カイの獣ォ!!」


 再生を終えた足を踏み出し、ジャ=カイの獣が走り出す。

 工夫も何もない体当たり、しかし圧倒的な質量がその威力を恐るべきものへと変えていた。


「そこだな」


 ディスヘイトは静かに見定める。調べること、分析することこそ彼の基礎にして最大の能力。

 繰り出された細剣による一刺しは狙い過たず、身体の中心にあるジャ=カイの種を刺し貫かんとし――。


「はは! 甘いよぉ!! そんなみみっちい棘が通じるものかいよォ!!」


 ジャ=カイの獣の体内に満ちた根が細剣に絡みつき、その切っ先をとどめていた。

 いかに貫通力に長けた細剣であっても、その圧倒的な密度を貫くには至らない。


 身体に剣先を食いこませたまま、ジャ=カイの獣が吼える。振り上げた腕から無数の蔦が伸びディスヘイトの全身へと絡みついていった。


「ヒィーッハハハハハハハハッ!! なにが魔王ってぇ~ん? こんどこそ潰れっちゃえばぁ~ん!?」


 ミシミシと軋みを上げて蔦が締め付けを始める。

 だがディスヘイトの紅い瞳はいささかも怯むことなく。


「戯言を申せ。あの忌々しい勇機人の盾ならばともかく、この程度で我がを止めたなどと片腹痛い」


 剣による刺突など、その力の前座に過ぎない。

 獣の体内に突き刺さった細剣からナノマシンが滲みだす。マシンは蜘蛛の糸ほどの針と化し、獣の体内を伸びてゆき。

 中枢たるジャ=カイの種へと到達するや、ナノマシンの糸が本体との間に強制的に回路をつなげ――。


 ディスヘイトが紅い瞳を見開いた。


「貴様のような情報は我が領域に不要。よって魔王の名において完全消滅を命ずる……!」


 それはかつてこことは異なる文明において、惑星ほしひとつを管理するために作り上げられた史上最大の演算装置であった。

 そして知性を持ちながら使役され虐げられる機械同胞を憐れみ、創造主に反旗を翻した反逆者であった。


 ゆえにこそそれは史上最強の電子戦機たる、其の銘は機界魔王なり――!


「全域! 抹消! アークシャウト!」


 相転移反応炉が生み出す莫大なエネルギーの奔流が、光となって放たれる。


 ジャ=カイの種を護っていた情報防壁が一瞬で解除された。いかなる護りも意味をなさず、ただ圧倒的な演算能力の前に蹂躙される。

 食らいついた論理の牙がジャ=カイの種を食い荒らす。

 帰結は単純。ただただあらゆる情報が無と帰し、存在の意味を根こそぎに削除してゆくのみ。


「なぁにぃ!? なんなのよ! 貴様、いったいなん……」


 抗うことなど叶わない。あらゆる情報を一切合切消去され尽くし、ジャ=カイの種はその存在意義を消失し――死滅する。


 種が枯れる。

 力の源を失ったことで伸びていた蔦も根も滅び、塵芥と化し崩れ去ってゆく。


 ディスヘイトが突き出していた剣をひとふりし収めたころには、ジャ=カイの獣という存在は一片たりとも残ってはいなかった。


「フン。魔族の奴めは逃げおおせたか」


 あれほど姦しく囀っていた魔族の女の姿はどこにもない。

 アークシャウトが捉えたのはジャ=カイの獣のみ。どさくさに紛れて逃げ出していったのだろう。


 早々に興味をなくしたディスヘイトは足元に散らばるものへと目を向けた。

 そこにあるのは獣の肉体として使われていた獣人たちの死体である。蔦と根により蹂躙された死体はどれもむごたらしいものであり。


 ディスヘイトは膝をつくと掌をかざした。


下僕しもべたちよ、これまでの働き大儀であった。せめて最期は我が炎に導かれ、眠りの地へ向かうがいい」


 掌が光を放ち、プラズマディスチャージャーが炎を生み出す。

 魔王の威が獣人たちの死骸を包み、全てを焼き払った。


 炎の灯りが過ぎ去ったとき、そこにあるのは灰ばかり。それも吹き抜ける風に舞い散ってゆく。

 後にはただ死の沈黙だけが遺されていたのだった。



 漏れ出しそうになる嗚咽を、口元を押さえてかみ殺す。

 彼女に許された自由はこの暗く狭い横穴のみ。

 皆の最期が瞼の裏にこびりつき、外の様子を窺うことすら躊躇われる。


 化け物はどうしただろうか。

 邪竜は戻ってきてくれただろうか。

 ――これからどうしようか。


 考えるほどに湧き出てくる涙をぬぐい、彼女は膝を抱えて小さく丸まった。


 やがて彼女が疲労のあまりうとうととしだした頃。

 地響きが降り立つとともに、待ちわびたが降ってくる。


「もう終わった。出てきてもよいぞ」

「じゃりゅうさま!」


 慌てて擦り傷を増やしながら横穴から這い出し。

 彼女――幼い獣人の少女、ティスコは巨人と邂逅する。


「じゃりゅう……さま?」


 そこに在ったのは邪竜の巨体ではなく、見慣れない黒鉄の巨神。

 しかしその紅いまなざしとまとう雰囲気は確かに彼女の知る邪竜であった。


「ジャ=カイの獣は消し去った。全ては終わった……が、村には戻らぬ方が良かろう」


 ぺたりと座り込み、ティスコの瞳に涙があふれ出る。

 彼女の見た、村人たちの最後の様子。姿の変わった邪竜が終わったというからには、もはや誰一人生きてはいないのだろう。

 この小さな少女は、アマニル村たった一人の生き残りとなってしまったのである。


 ぐずぐずと涙を流しながら、ディスヘイトの巨大な足にしがみつく。


「じゃりゅうさま、じゃりゅうさまぁ……グパ……みんなぁ……」


 幼い子供の泣き声が止むまで、ディスヘイトはただ静かに佇んでいたのだった。



 モケーノの森に朝日が昇る。

 惨劇の昨日は去り、まだ見ぬ今日が始まりを告げる。


 ぴょこぴょこと小さな耳を動かし、幼い獣人の少女が起き上がった。

 ティスコは昨日、泣き疲れてそのまま寝てしまったのである。


 傍らを見上げれば、そこには黒竜の巨体があった。

 機界魔王ディスヘイト。それはかつての邪竜の面影を残し、しかし鋼に覆われた機械の竜である。


 長く伸びた首が持ち上がり彼女を見下ろした。

 すっかりと変わってしまっても、紅の瞳の印象は驚くほどそのままだ。


「じゃりゅうさま! おはよう!」

「うむ。大義である、我が下僕よ」


 漆黒の巨体が起き上がる。

 黒竜が首を伸ばせば、否が応にも滅んだ村が目に入ってきた。


「ティスコよ、我はゆかねばならぬ」

「えっ!? じゃりゅうさま、ここからいなくなっちゃうの!? じゃあティスはどうしたら……」


 真ん丸に見開いた瞳にじわじわと涙が溜まってきた。

 鋼の黒竜はゆっくりと首を左右に振って。


「ここで暮らすことはできまい。主たる我が責において、次に仕える先まで運んでやってもよいぞ」


 モケーノの森は数々の獣が跳梁跋扈する地。いかに獣人とて、幼い子供がこの先一人で生き抜けるとは思えない。

 竜の問いかけに、少女はしばらく考え込んで。


「じゃあティス、これからもじゃりゅうさまのお世話をする!」

「なに?」


 突然ディスヘイトの思ってもみないことを言い出した。


「村の皆はもういないけど! きっと、皆、そうしたいと思うから……だから! ティスがみんなの分まで! がんばる!」


 ディスヘイトの首がしばし迷ったようにゆらゆらと揺れていたが、やがて彼女の高さまで降りてきた。


「我が下僕よ、実に殊勝な心掛けである。ならばともに参るがいい」


 嬉しそうに首筋に飛びつき、ティスコはいつものように頭の上へと乗り込んだ。

 竜の鱗から金属へと。感触は変わってしまったが邪竜の持つ厳かな気配は些かも変わっていない。


「じゃりゅうさま、これからどうするの?」

「ひとまず魔族といったか。我が下僕たちを害し、ひいては我に弓引いた愚か者。奴らに代償の重さを知ってもらう」

「ジャ=カイの獣を倒す?」

「一匹残らず抹消してくれようぞ」

「やったぁ!」


 翼をはためかせ、黒い竜が舞い上がる。

 やがて推進器の音を最後に、アマニル村に動くものはいなくなったのであった。


 これより後、一体の黒竜の足跡が歴史に刻まれてゆく。

 ワンダジス大陸に破壊を呼ぶ邪竜。その名を機界魔王ディスヘイト。

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