第三話 ジャ=カイの獣
王城の入り口へとたどり着いたキュレーナが目にしたのは、想像を超える惨状であった。
傷ついた騎士や兵士たちが次々に運び込まれてくる。
同行していた騎獣なども運び込まれるが、ほとんどが傷ついており痛みに暴れる騎獣を兵士たちが苦労して押さえていた。
無事なものなど一人一匹とてなく、苦痛の呻きが際限なく満ちている。
進むほどに震えを起こす足を叱咤しながら歩く。
無事な二人の姿を見つけた瞬間、キュレーナは安堵のあまりへたり込みそうになったほどだ。
「父上! 兄上!」
「おお……キュレーナか」
国王サマノト三世もまた、包帯がまかれた痛々しい姿で座り込んでいた。
出発前の溌剌としていた姿と比べて、一気に老け込んだようなくたびれた雰囲気が漂っている。
第二王子ヤンバリガもまた軽い傷を負っていたが、彼は周りの指揮を執り未だ壮健な様子だった。
「父上。いったい何が起こったのです」
「ああ。進軍中、魔族の奇襲を受けたのだ。抗ったがこのざまよ、なんと情けないことか」
「そのようなこと! ……ご無事であることが何よりです」
サマノト王は長い吐息を漏らすと立ち上がった。
ひどく消耗しているだろうに、その瞳に諦めの色はない。
「我らは生き残りをまとめて退くだけで精一杯であった。だがジャ=カイの獣を倒すことはかなわなかった。いずれこの王都へ辿り着くだろう、備えねばならぬ」
「そんな……」
兵士たちの被害も大きく、騎獣も数を減らした状態。
万全でも追い込まれたというのに、傷を負ったままジャ=カイの獣を迎え討つことが出来るのだろうか。
「父上! 戦えるものを集め迎撃部隊を組みます。しかし……戦力が足りません。この差を補うためには、籠城戦になるでしょう」
「そのために退いたのであるしな」
傍で聞いていたキュレーナが顔色を青くした。
王都で籠城戦。ここより後ろに、籠城に適しただけの防御力を持つ街はない。この街で戦うというのは本当に最後の抵抗なのだ。
覚悟をしていなかったわけではない。だが予想よりも早くその時が訪れた動揺は、少なからず誰の胸にもあった。
そうしてサマノト王はキュレーナへと向き直り。
「キュレーナよ、お前に役目を与える。すぐさま街を出る支度をするのだ」
一瞬、言われた言葉が理解できなかった。
すぐに湧き出た絶望的な思いがキュレーナの心を食い荒らす。
「そんな……できません。私に、皆を見捨てて一人で逃げろと……!?」
「そうではない、キュレーナよ。お前は王族としての務めを果たさねばならん。これより王都から民を逃がす。お前は彼らを導くのだ」
震える手を必死に握りしめ、キュレーナは兄に助けを求めて。
彼もまた父と同じ面持ちでいることを見て取り、愕然とした。
「では……父上は、兄上はどうなされるのですっ!?」
「我らはもうひとつの務めを果たす。兵士を束ね、ジャ=カイの獣を迎え撃たねばならん」
王女は悟った。サマノト王たちは己の命を賭して、彼女たちが逃げる時間を稼ごうとしている。
この街へと敗走したその時から覚悟は決まっていたのだろう。為すべきことを為す、ひどく静かな決意がそこにあった。
「私は……」
キュレーナの迷いはまだ晴れていない。
だが、状況は彼女を待つほどに余裕を持っていなかった。
「来た……ジャ=カイの獣だ!」
城門を監視していた兵士から悲鳴のような報告が届いたのである。
「予想より早いな」
「これでは……脱出が間に合うでしょうか」
「もたせるしかあるまい」
動き出す父と兄に対して、キュレーナは未だ心を定められていない。
取り残さないで――そんなわがまますら言葉にはならなかった。
「キュレーナ、いってくれ」
「兄上……」
「この大陸に人族の住まう場所は残らないかもしれない。でも最後まであがいてみせるから。後は……頼むよ」
戦いに向かう二人を見送りながら、彼女は立ち尽くす。
入れ代わるように、乳母が彼女を乗せるための騎乗用の竜を連れて来た。
「姫様、こちらに。おはやくご準備を」
命令を待つ騎竜の穏やかな瞳を見つめ、キュレーナの心は徐々に方向を定めつつあった。
◆
王都ツンデルモウ、西側城門。
わずかにでも戦える兵士が勢ぞろいして、ここで備えていた。
城壁の内側は、今も住民たちが避難でごった返している。
あまりにも時間が足りない。兵士たちの表情にも余裕は一切なかった。
「……奴だ」
ぽつりと、誰かの呟きがさざめくように広がってゆく。
道の彼方から近づいてくる影。
街道沿いに生い茂る木々から頭が飛び出るほどの巨体。接近に伴いその異形が明らかとなる。
グリフォンが、バイコーンが。ドラゴンまでもをこね合わせ、機械部品で無理やりつなぎ合わせて人の型に押し込めたような姿。
まばらな刺のように張り出している銃火器がさらなる異様を掻き立てる。
「兵士たちよ! 我らが背後に守るは諸君らの父、母、あるいは子供、友である! 皆が逃げる時を稼ぐため……ここで奴を止めねばならぬ!!」
「応!!」
「奮闘に期待する! 魔投を用意せよ! 範囲に入り次第、雷針の法で迎え討つ!」
「魔法変換! 槍構えぇ!」
兵士たちの持つ魔導杖が光を放つ。生まれ出でた力は迸る雷撃と化し、捻じれながら集まり槍と化した。
ジャ=カイの獣は森を抜け、もはや目前。
圧倒的な巨体を前にすれば、外すことなどありえない。
「放てぇい!」
千を超える雷が迸り、ジャ=カイの獣を全身くまなく打ち貫いた。
雷針の法は一撃の威力に欠けているも、ジャ=カイの獣の動きを鈍らせる副次的効果がある。
身体が痺れもだえ苦しむジャ=カイの獣へ向けて、残る騎獣たちが一斉に空を翔けた。
しばらくされるがままになっていたジャ=カイの獣だが、やがて動き出す。
突き出た刺のような銃がぎゅるぎゅると蠢き、騎獣たちを射界に捉えて。直後、猛然と光の矢を撃ち放った。
光条が空を貫いて走るたび、騎獣たちが次々と血を噴き墜ちてゆく。
圧倒的な速度、威力。流れ弾は城壁にも命中し、そのたびに少なからぬ被害を及ぼしていた。
「ちくしょう、化け物め! 焔打の法だ、奴を焼き尽くせ!」
杖を振り回す。生まれ出た焔が火球をなし、振り下ろす動きに従って放たれていった。
焔打の法は純粋な威力に優れる。猛烈な炎が獣を炙り、焼き尽くさんとして。
「父上、これなら……!」
「いいや、待て。まさか」
グリフォンが、ドラゴンが。混ざった生の部分は焼けただれてゆく。
だが獣の体内から深い赤の光が走り。機械部品がミシミシと蠢くたび、焼けただれていた部分が修復されてゆく。
ついに炎の力を、獣の再生力が上回った。
「ぎゃりりりりりりりりり」
突如として耳障りな咆哮をあげ、ジャ=カイの獣は大きく腕を広げた。
全身の銃が蠢き、一斉に前を向く。
「いかん! 皆、伏せ……」
サマノト王の警告は遅きに失していた。
銃身から一斉に光条が吐き出される。破壊的な威力が、王都ツンデルモウを守る城壁へと容赦なく穴を穿ってゆき――。
「馬鹿な!?」
城壁そのものを、上に並ぶ兵士ごと吹き飛ばした。
もはや抵抗らしい抵抗は起こらなかった。
崩れた瓦礫を踏みしだき、ジャ=カイの獣は悠然と王都に侵入する。
逃げる準備をしていた住民たちが、呆気に取られて見上げる。
人の一〇倍はあるだろう巨体。騎獣と機械部品を混ぜ合わせた姿は、もはや正常な認識の範疇にない。
ワンダジス大陸に人族が住まう地の尽くを灰塵と化した。
それはもう侵略者ですらない――絶滅者、魔族の手先たるジャ=カイの獣。
言葉すら失った住民たちへと、ジャ=カイの獣は銃身を向けて――。
「皆さん! 止まらないで! 早く逃げてください!!」
一陣の風が吹き抜け、ジャ=カイの獣の注意をそらす。我に返った住民たちが慌てて走り出した。
たった一騎の騎竜が空を翔け、ジャ=カイの獣へと立ち向かってゆく。いや、それは抵抗というにはあまりにも儚いもの。
だがたとえ注意をそらすのが精いっぱいだとしても、その間に無数の命が窮地を脱しているのだ。
「く……城壁が。皆は、父上は無事なのか……?」
城壁の残骸の間から、ヤンバリガが這い出して来る。
そうして空を振り仰ぎ、騎竜にまたがる人物を見た時、彼はついに心臓が止まる思いがした。
「なっ……キュレーナ!? どうしてまだ逃げていないんだ!!」
軍をも壊滅させた獣に、騎竜はかくも勇敢に立ち向かったと言えよう。
だが活躍は長くは続かない。ジャ=カイの獣は煩わしげに腕を振り回し、目障りな騎竜をあっさりと叩き落した。
「ぬぅ……くっ。キュレーナ……!」
ヤンバリガによって助け出されたサマノト王は、ともに墜ちた騎竜のもとへ走る。
地面に叩きつけられた騎竜は既にこと切れていた。だが、傍らに倒れていたキュレーナには息がある。
たぐいまれな幸運と、おそらくは最後まで娘を守ってくれたであろう騎竜へと祈りを捧げ、サマノト王は娘を抱きしめた。
小さく呻いて意識を取り戻したキュレーナの顔を、二人が覗き込む。
「父上……兄上……」
「キュレーナ! よかった……!」
「なぜ。逃げよと命じたであろう。どうして戻ってきたのだ」
「できません……皆を見捨てて、一人だけ逃げるなんて。できないのです」
「聞きわけよ! ここにいても、死ぬだけだぞ」
「でも……できない! お願い……一人にしないで!!」
「キュレーナ……」
ついに泣きじゃくりながら抱き着いてきた娘に、サマノト王はほとほと困り果てた表情を浮かべた。
兄であるヤンバリガにも諭す言葉などない。他ならぬ自分自身も同じような想いを抱いていたのだから。
「まったく困った子だ。普段はあれほど素直だというのに、このような時だけ聞きわけのない」
「父上だって、わがままばかり!! 勝手に、死にに行かないで……」
「子に生きてほしいと願うのは、普く人に通ずる願いだ。王であろうとなかろうと同じことよ」
ジャ=カイの獣が踏み出した。絶望が迫ってくる。
自らの終わりを、父子は不思議に落ち着いた気分で見上げていた。
「ここまでなのか……」
「父上、ごめんなさい」
「よい。謝るでない。お前たちの心をわかっていなかったわしの不明よ。……叶うならば、もっと早くに皆で話すべきであったな」
サマノト王はたった二人残った子供を抱き寄せる。
もはや護ることはかなわない。だが三人の誰もが離れようとはしなかった。
太陽を遮り、ジャ=カイの獣が黒々とした陰影と化す。巨大な足が持ち上がり彼らに死をもたらさんとして――。
「救難ビーコンの起動を完了……誘導を開始します」
瞬間、キュレーナが身に着けていた隠し部屋の腕輪が光を放った。
視界の全てを埋め尽くすほどの強烈な光。父子は思わず目を覆って。
「なっ、何事か!?」
「うわあああああっ!?」
「これは、腕輪が……!」
光はすぐに一筋に束ねられ、まっすぐ天の彼方へと向かった。
誰もが状況を理解できないまま、ただ静かに事態は動き出す。
――空に流れる星が走る。
天の高くにおいて流星は砕け、欠片がワンダジス大陸の各地へと降り注いだ。
そのうち一つがまっすぐにツンデルモウへと落下する。
誘導に従い降り現れた欠片は、王女を護り倒れた騎竜へと向かい――その身に直撃する。
その瞬間、確かにキュレーナは見た。
流星であると思っていたものは、結晶質の欠片であったことを。
騎竜に刺さった欠片がするりと内部へ入り込んでいったことを。
生命の鼓動を止めていた騎竜が、あろうことかビクりと跳ねた。
そうして変異が始まる。
竜の身体を覆っていた甲殻が変質してゆく。生物としての身体が機械へと置き換わってゆき。
形状が、機能が、存在が異なるものへと書き換わってゆく。
やがて光が収まった時、後に残るのは純粋な機械と化した躯体。
鋼の竜が、天に向かって咆哮する。
「なんと……ジャ=カイの獣が、増えたのか!?」
機械部品と融合し、人族に仇なすジャ=カイの獣。
純粋な機械と化した騎竜はしかし、人間に襲い掛かることはなかった。
甲高い噴射音を奏で、空に舞い上がる。
圧倒的な速度を乗せた体当たりが、天を衝く巨獣すらよろめかせた。
「どういうことだろう。ジャ=カイの獣同士が争っている」
「違います、兄上。あれは、あの竜は……」
キュレーナは腕輪を見つめる。文様に光を走らせ、腕輪はただ一言を告げる。
「救助要請の送信を完了」
ジャ=カイの獣が吼える。突如として顕現した機械の竜を明らかな敵と認識。
全身の銃をもって撃ち落とさんとし。
空を薙ぐ必殺の光条は、しかし全て無為に終わる。
騎獣ですらまったく追いつけないであろう恐るべき速度。機械の竜は一気に空へと駆けあがる。
輝く太陽を背に、騎竜の姿が影に塗りつぶされた。
「武竜顕身」
竜が姿を変えてゆく。
獣に近しい後ろ足が伸びた。翼は折りたたまれ全身を覆ってゆく。首と尻尾が位置を変え、新たな腕が現れる。
やがて太陽の覆いから脱し、それは大地に着地する。
「なんだよ……こいつ」
「馬鹿な、これは獣ではない。まるで……」
父子を背にかばい屹立する、機械でできた巨大な――人。
「勇者」
腕輪が光り、応える。
鋼の巨人はジャ=カイの獣を睨む。金属によってできた口が開き、人に聞こえる言葉が流れた。
「私は勇機人ブレイブエース。人々を悪の魔の手より護るために創られた。ジャ=カイの獣よ。貴様は捕食でも生存のためでもなく、ただ無辜の人々を傷つけるためにある」
機械の巨人、勇機人ブレイブエースは告げる。
「目標を確認した。その嘆きの源を……絶つ」
勇者、それは――世界を救った者を指す言葉である。
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