第一章 勇者顕現編
第二話 星に願いを
空に流れる星が走る。
はかなくも眩い輝きは古来より人を惹きつけてきた。ある者は吉凶の前触れと言い、ある者は尽きる前に願いを乗せるのだという。
「人々に無上の武力を。普く敵を滅ぼす力を。……父上の無事の帰還を……どうか」
バイマジヤ王国第三王女キュレーナは後者であった。
固く手を組み真摯に祈りをささげる。それは輝きが燃え尽きても未だ終わる気配がない。
「姫様。あまり夜更かしなされては明日に響きます」
「ばあや。そうですね……。しかし今は少しでも何かをしていたいのです」
教育係も務める乳母がやんわりと窘めても彼女の祈りは続く。
叶うならば隣に並び、祈りを捧げたいところではある。しかし持ち前の責任感からそれはできなかった。
「それでは姫様、明日は朝から図書館へと参るのはいかがでしょう」
「ばあや? 今は本を読む気分ではありません」
「そうではありませんよ。陛下たちのお力になれるよう、書物の知識を開くのです。先人の教えに良いものがあるかもしれません」
キュレーナは少し考えるそぶりを見せてから祈りを解く。
「それは良いですね。少しでも役立つものがあれば……」
「調べものは大変でございますよ。そのためにも今はお休みください」
キュレーナは素直に頷き、寝室へと向かう。
乳母は密かに胸をなでおろしていた。父である国王と兄である第二王子が共に戦場にいる今、王女は不安でたまらないのだろう。
だとしても、乳母としては彼女自身の身を案じてほしい気持ちが強い。
「お休みなさいませ、姫様」
「お休みなさい」
そうして乳母は寝室の傍らで、王女の寝息が聞こえてくるまでしばしの時間を過ごすのだった。
◆
見上げた夜空に輝く一筋の線。
バイマジヤ国王サマノト三世は髭を撫でつけ唸る。
「おお。ヤンバリガよ見たか、星が流れたぞ。吉兆であることを願うな」
「はい、父上。そうだ、僕が明日の勝利を星掛けしておきます!」
星の流れる時間は短い。既に空には影すらないが、サマノト王は息子である第二王子ヤンバリガの行動を止めはしなかった。
彼に倣って、周りの騎士や戦士たちの中にも星掛けを始めた者がいる
戦いを明日に控えて誰もが静かに昂ぶり、同時に祈りの先を求めていた。
「ほどほどにな。今は少しでも休むことも戦いのうちである。なぁお前たち?」
そういって傍らに身を横たえたグリフォンの嘴を撫でる。
くえっ、と同意なのかよくわからない鳴き声が返ってきた。
この場にいるのは人間の兵ばかりではない。
森の奥には切り札である
この戦いに、バイマジヤ王国は持てる総力をつぎ込んでいるのだ。
「明日の戦いは厳しいものとなろう。すでにこのワンダジス大陸に、人族の住む地は残されておらぬ。我らが王都ツンデルモウが最後の砦。我らはただ一振りの剣の切っ先よ」
サマノト王の表情を、焚火の明かりがゆらゆらと照らしている。
そこには責務と自信、明らかな苦悩の皺が刻まれていた。
「……ヤンバリガよ。今からでも遅くない、王都へ戻りはせんか?」
「父上! その話は……終わったことです」
「だが次代を担う若者がいてこそ老骨は身を投げうてる。兄に続いてお前までもが戦いに倒れてしまっては、誰がこのバイマジヤ王国を支えてゆくのだ」
「王都にはキュレーナが残っております……あの子には芯の強さがある。いずれ然るべき相手を見つけ、立派に務めを果たすでしょう!」
「そうではない。ヤンバリガ、そうではないのだ……」
絞り出すような声。王といえど人の子に過ぎない。
第一王子は既に緒戦において倒れている。彼としても、これ以上失う前に自らの手で決着をつけたい気持ちがあった。
張り詰めた空気に割って入るものがある。
王国騎士団長ヨイツニオは自らの胸を叩き自信をのぞかせた。
「ご心配は無用。殿下は我ら近衛騎士団と共にあります。我ら騎士の誰もが鍛え上げた業物。さらには騎獣隊もそろっておりますれば、いかにジャ=カイの獣といえどたやすく後れは取ら……」
「おうやおうや。それはぁ、どうでしょうかぁ~?」
ざわめきが起こった。騎士たちの誰でもありえない、あざ笑うような声音。
ヨイツニオは素早く剣を抜くと闇夜に切っ先を向けた。声の方向から位置を割り出そうと集中し、しかし直後に彼の努力は無駄となる。
それは空から現れた。闇から湧き出るように形が滲み、人の姿を取ってゆく。
いや、それを人と呼んでよいものか。一見して道化のような姿に見えるそれは、明らかに人ならざる異様な気配を放っているのだ。
「魔族!? こんなところにまで現れるかっ……!」
「それはもう、バイマジヤ王国のみっなさ~んがあまりにもナメクジ遅いので、こちらからお迎えにね? は~い。夜分遅くにご足労いただきあっりがとうございま~す。それではここがぁ、てめぇらの終わりの地になっりまぁす! お足元に墓穴掘って死んでくださ~いねぇ~」
そうして道化は、懐から何かを取り出しバラまいた。
皺がれた小さな粒――種は重力に抗う奇妙な軌跡を描いて宙を飛ぶ。
「いかん!? 各自、騎獣を護れ……」
「ウジムシ遅いでございま~すよ~」
種が次々に騎獣たちへと突き刺さる。グリフォンのまとう金属鎧を貫き、ドラゴンの硬い甲殻すら問題にしない。
種が刺さった獣たちが尋常ならざる苦しみ方を始めた。涎をばらまき、のたうち回るあまり周囲の木々に身体をぶつけても止まる気配がない。
森の中を混乱が吹き荒れる。騎士たちは己の相棒を鎮めようと躍起になってかかるが、既に手遅れというもの。
種を受けた騎獣たちの身体に異音と共に盛り上がる――機械部品。
騎獣たちの存在が根本から書き換わってゆく。生物と機械が混じる異形。その名を――。
「ジャ=カイの獣……! きっさまぁぁぁぁぁ!! 騎獣たちの苦しみを思い知れッ!!」
裂帛の気合とともにヨイツニオが駆けた。木々を足場に飛びあがり、空中の道化に向けて斬りかかる。
必殺の剣閃が通り過ぎた時、しかしそこに道化の姿はなかった。
現れた時と同じように、宙に溶けだすようにいなくなったのだ。
「虻みてぇな攻撃、ご苦労様で~す。それより、あちらを放っておいても良いんでしょうかねぇ~? ヒュヒヒヒヒヒヒヒヒ……」
騎獣たちの変異は既に完了していた。
四肢は鋼に覆われ肥大化し、体の各部から異様な器官――銃火器を生やす。
ジャ=カイの獣。この世界を蝕む魔族の手先にして、魂なき邪神の傀儡。
息を呑む騎士たちへとサマノト王の静かな言葉が命じた。
「騎士団よ、ジャ=カイの獣と化したものはもはや助からぬ。手加減はするな。味方を討つ苦しみを味わう前に、眠らせてやるのだ……!!」
「はっ!!」
騎士たちも覚悟を決め、剣を抜き放つ。
暗闇の中で戦いが始まった。
◆
バイマジヤ王国の都、ツンデルモウ。
かつては人の賑わいに溢れていたこの都も今は閑散とした雰囲気が漂う。
王城すら人が出払い、吹き抜ける風の寂しさにキュレーナは我知らず己の身体を抱きしめていた。
「姫様、大丈夫でございます。ばあやがお側におりますよ」
「ありがとう……このようなことで不安がっていてはいけませんね。しっかりしなくては」
乳母が鍵束から鍵を見つけ、図書館の扉を開く。
バイマジヤ王国は歴史の長い国家である。魔族による侵攻が起こる前は非常に栄えており、その積み重ねが大量の書物をこの都に招いた。
城の図書館はワンダジス大陸随一との呼び声も高い規模と壮麗さを持つが、戦乱により人々の足が遠ざかっている今は薄暗い本の蔵でしかない。
覆い付きのランプを手に二人は書架の間をしずしずと進む。やがて図書館の最奥までやってきた。
「このあたりは特に古い記録が並んでいます。建国時の伝説など……もしかしたら古い魔族との係わりが記されているかもしれません」
「今は少しでも、手掛かりになれば」
藁にもすがる思いで書物を解き開く。
キュレーナは真剣に内容を調べてゆく。だが乳母はそれほど熱心な様子には見えなかった。
(優しくけなげなお方。しかし目的がないと、このままでは姫様の心がもたない……)
これはあくまでも王女を気遣っての行動である。彼女も書物にいきなり役に立つことが書いてあるとは考えていない。
少しでも気が紛れればいい、そう思っての提案であった。
時は過ぎる。どれほど必死になって探しても役に立つような記載など見つからない。
無為が王女の心に疲労を降り積もらせてゆく。
「……ばあや。先は長そうですし、少し休みましょうか」
「そうですね、姫様。それでは用意をしてまいります。失礼」
乳母の背を見送り、キュレーナは図書館の壁にもたれかかる。
腕の中には一冊の本。『星の勇者』と題された、他愛のない絵本があった。
「……私では、父上と兄上を助けることはできないの……?」
もしも自分がもっと強ければ、
「どうして、私はこんなに無力なのでしょう」
吐息を漏らした瞬間、彼女を支えていた壁の感触がふっと消えてなくなった。
いきなり支えを失い勢い余って転ぶ。予想もしない事態に身を護ることもできず、強かに後頭部を打っていた。
「いったぁ……なぁに、どういうこと? どうして壁が……」
頭をさすりながら周りを見回す。
ずっと塞がれていたのだろう淀んだ空気が鼻をくすぐった。ランプから漏れた明かりが伸びる先には、台のようなものが置かれている。
「城にこのようなところが……」
心臓が早鐘のように打ち付ける。明らかに尋常の目的あって作られた場所ではない。
キュレーナは意を決すると絵本を抱きなおし、立ち上がった。
そろそろと近づいてみると、台の上には腕輪と思しきものが置かれている。中央に複雑な文様が描かれた装飾を持つ、見慣れない形の腕輪だった。
部屋には他に何もない。ただこれを収めるためだけの場所のようである。
「これは、いったい何のためなのでしょう」
腕輪にそっと手を添える。
なぜこの城にこのような場所があるのか。
なぜこの腕輪は隠されていなくてはならなかったのか。
なぜそれが今見つかったのか。
疑問だけが際限なく心の中を占めてゆく。当然ながら腕輪は黙して語らない。
何もかもがわからない中、しかしキュレーナには不可思議な確信があった。この腕輪が自分の前に現れたのには意味がある、と。
そっと手に取り持ち上げる。
腕輪は自分でつけるにはサイズが大きいような気がした。
これからどうすべきか彼女が迷っていると、外から騒々しい気配が迫ってくる。
なんとなく隠し部屋を出ると、乳母が急いでこちらに向かってくるところだった。
「姫様! 姫様、大変でございます。陛下が……」
「どうしたのばあや。父上に何か!?」
さっとキュレーナの顔色が変わる。
予定ではこんなに早く戻ってくる手はずではなかった。ならば何か不測の事態が起こっているということであり。
「陛下と、騎士団がお戻りになりました。ですが皆、傷をおっておりまして……!」
「! すぐに参ります」
もたらされた悪い知らせ。
キュレーナは血相を変え、父のもとへと急ぐのだった。
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