第6話 本郷桐人

 ルクルスは時折姿を消すこともあったが、何度かに分けて高坂のクラスメートの現況を見せてくれた。花岡の次に案内されたのは叶絵理沙。バーの片隅で杯を傾けてバーテンダーにくだをまいていた。

「私はこれでも昔はそこそこ売れたアイドルだったのよ」


 バーテンダーは能面のような顔を崩さない。

「若手俳優との密会写真が週刊誌に載りさえしなければ……」

 アルコールの靄を叶は吐き出す。元々は綺麗な顔だったのだろうが、叶の表情には不摂生の跡が深く刻まれていた。


 高坂は一時期あれほどのぼせあがった相手の姿を見ても不思議と何も思わなかった。

「ふふ。いいねえ。周囲の男は自分を飾るためのアクセサリーというぐらいにしか思ってないんだね、このおばさんは」


「ねえ。嘘だと思ってんでしょ。これでも一時期は……」

 叶は国民的アイドルグループのメンバーの名前を告げる。

「恋人だったこともあるのよ」

「報道されたことは無かったですね」


「そりゃそうよ。バレたら大変だもん」

 次々といくつかの名前を挙げる。自分がいかに魅力的で多くの男を跪かせていたかを得意そうに語った。そこには過去の栄光にすがるだけの寂しい女がいる。バーテンダーも何も言わないが、その目には憐憫の情が宿っていた。


 高坂が合図を送り、気が付けばルクルスにあてがわれた部屋に居た。空調が効いたバーに居たはずなのに高坂は全身にびっしょり汗をかいていた。

「うーん。おじさん。落ちぶれた姿を見て満足しちゃった? それとも同情してるの? まあまだ残ってるけど、これだけ世話を焼かせておいて、誰も選ばないなんてのはやめてね」


 西田哲平は高坂に負けず劣らずのパワハラを受けて憔悴し、加藤留梨は夫が何度も若い女と浮気を繰り返し嫉妬と屈辱にまみれていた。

「あれ? 意外と世の中ってこんなもんなのかな。おじさんを陥れた連中は見事なまでに不幸になってるねえ。なんか、おじさん思い詰めた感じが無くなってるんだけど」


 高坂は心のバランスを取り戻しかけていた。自分を不幸にした相手が不幸になっているからといって過去の恨みが完全に消えるわけではない。それでも、不幸な姿を見ているうちに自分がどうこうしようという気は失われつつあった。漂白されたような表情をする高坂を見てルクルスは慌てる。


「あー。おじさん。そういう顔をするのやめようよ。もうちょっと、ほら、ギラギラと内なる欲望に火をつけてさ。あ、そうだ。まだ、もう少し残ってるから、それ見てみようよ。それとも、清掃会社の部長にターゲット変更する?」

 すっかり怠惰になってしまった高坂をルクルスは奮い立たせようとする。


「あ、そうだ。高校の時のリーダー格の本郷桐人。こいつは高級住宅街に家を構えて、社長として派手に暮らしてるんだよ。なんか、ムカついてこない? うん。聞いてるだけで怒りがこみ上げてくるでしょう。その姿を見て怒りを新たにしようよ。それじゃ準備いい?」


 半ば強引にルクルスは高坂の手を取る。高坂に悟りを開かれて契約前に自死を選ばれては魂を得ることができない。冗談じゃない、折角のきれいな魂を墜として頂こうというのにさ、ルクルスは本郷の居場所をイメージする。


 空中から見下ろす邸宅は豪勢なものだった。ガレージは3台分のスペースがあり、スポーツカーとSUV、セダンが止まっている。広い中庭の池では優雅に鯉が泳いでいた。中庭に面したダイニングでは本郷と美しい女性、小学校中学年ぐらいの男の子が食事をしていた。


 絵に描いたような裕福な家族のだんらんのひと時だった。

「ねえ。なんかムカツクでしょ。社会的に成功して、金持ちで美人の奥さんがいて子供もいて。おじさんが手に入らなかったものを全部持ってる。壊したくなるよねえ?」


 ルクルスが煽るが高坂の目は無感動にその光景を眺めていた。

「ほら。おじさん。ボクと契約しよう。そしたら力を貸してあげる。サクサクっとあのガキを切り刻んでもいいしさ。あの奥さんをあいつの目の前でってのもいいんじゃない?」


 ルクルスの呼びかけに反応しなかった高坂だったが、視線を動かすと眉を動かした。部屋の隅に豪邸と不釣り合いな見すぼらしい格好をした少女が床に座って俯いていたのだ。何かで叱られて夕飯を抜かれているのかな、と高坂は考えたが間もなくそんな甘いものではないことを思い知らされる。


 男の子が床に料理を落としべちゃっという音が響く。それを見ていた両親はあらあらと言っていたが、男の子は異様な言葉を放つ。

「おい。サラ。エサだぞ」

 その声に少女がビクっと体をさせたが、歩きにくそうに足を引きずりながら急いでやってくる。


 落とした料理の側に女の子がしゃがみ込んだのを認めた男の子の顔に笑みが浮かぶ。足を伸ばすとスリッパで落ちた料理を踏みつけた。

「早く来ないから。本当にサラはグズだね。まあ、いいや。食べなよ」

 男の子が足をのけると床にへばりついた料理の残骸を女の子は手づかみで食べ始める。固定物を拾い終わると直接床を舐め始めた。


 なんとも異様な光景をテーブルについた3人は目に入らぬかのように談笑を続けている。桐人はタバコをくゆらせていたが、立ち上がるとイライラしたような声で言った。

「この愚図。いつまでそんなことをやってるんだ」


 パタパタと歩いて少女の側にやってくる。怯えたような表情を浮かべる少女のシャツをめくり上げると背中にタバコを押し付けた。歯を噛みしめて熱さと痛みに堪え床に這いつくばる少女を桐人は冷たく見下ろす。

「まったく、お仕置きが必要だな」


 桐人は少女の腕をつかむと無理やり立ち上がらせて、廊下の方に引きずり始める。少女は蚊の鳴くような声で女性に向かって懇願する。

「お母さん。やめさせて。お願い」

 美しい女性は笑みを浮かべる。


「だって、あなたが悪いんじゃない。悪い子にはお仕置きが必要でしょ」

「いや。いやっ」

 少女は引きずられまいとするが桐人の力には敵わない。蛇のような目で少女を見ながら桐人は力づくで連れて行く。


 ルクルスですらあっけにとられて何も言えない中で、高坂の押し殺した声が響いた。

「もうたくさんだ。早く戻してくれ」

「分かったよ。おじさん」


 

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