第5話 ルクルス

 少年の目が赤く燃え上がる。どうやら言っていることは本当らしい。

「で、おじさん。何が望み?」

「それよりお前の名前は?」

 少年はクスクス笑う。


「おじさんは変わってるねえ。ボクの名前を聞いてどうしようってのさ。あ、ひょっとして、そういう趣味? ボクのこと気に入ったの?」

「ば、馬鹿なことを言うな」

「そう? そんな人も結構いるんだけど」


 少年は高坂の狼狽ぶりを楽しむように言葉を続ける。

「まあ、別にボクはそれが望みなら叶えてあげるだけだから。下等な人間がボクの体に何をしようと気にならないし。おじさんだって、蚊に血を吸われたからって体が汚れたとか思わないでしょ。それと一緒さ」


「質問に答えないつもりか?」

「ああ。ボクの名前か。それを知るのがおじさんの望みだと言うなら教えてあげなくもないかな」

「そうでもしないと名前も教えられないと?」


「そりゃ、そうだよ。名前は大切だからね。下手な相手に教えたら死命を制されちゃうからさ。まあ、好きな名前で呼んでよ。信次とかどう?」

「それは俺の名前だろ」

「あはは。そうだったね」


 高坂は少年を睨むが一向に意に介した感じはしない。

「じゃあ、仕方ないな。ボクの公式偽名を教えてあげる。ルクルスだよ。さて、そんなことより、何か望みを言ってよ。おじさんは久しぶりの上玉だからさ。ボクも頑張っちゃう。オーソドックスなところでは復讐とかだけど、おじさんの一番許せない相手は誰?」


 ルクルスは高坂の目をじっと見据える。そっと溜息をつくと言った。

「なんか、ボクが同情するのも変だけど、関わった人間に碌なのがいないね。まあ、高校のときの5人なんかがいいんじゃないかな。遊びで他人の人生を狂わせるなんて性質が悪いよ。あ、ボクの言うセリフじゃないか」


 ペロっと舌を出してはにかむ。すっかり、高坂は相手のペースに乗せられていた。

「最近ってことで、おじさんのことをSNSにアップした相手でもいいけど。たぶん、そいつはおじさんがそのせいでどれくらい苦しんでるかなんて知りもしないと思うよ」


「俺はもう生きていたくない。ただ、一人で寂しく死んでいくのが納得いかないだけだ」

「えー。ボクと心中というのはリクエストメニューの中には無いんだよね。じゃあさ、おじさんを陥れた人たちの今の姿を見せてあげるよ。特別サービスだからね。それで、誰をどうしたいか決めるってのでどうかな? OK?」


 高坂はおずおずと頷いた。

「よし、決まりだ。それじゃあ、ちょっと目をつむってよ。いいと言ったら目を開けてね」

 高坂が言われた通りにする。しばらくするとルクルスの声がした。

「いいよ」


 高坂が目を開けると、オフィスの一角だった。姿は見えないがルクルスの声が聞こえてくる。

「おじさんの姿は相手から見えないから心配しなくてもいいよ」

 高坂が目を凝らすと、照明の消えた薄暗い部屋の一角で、一人の男がもそもそとカップラーメンをすすっていた。


 あれは……花岡清治? だいぶ髪の毛が薄くなっていたが広い背中に見覚えがある。

「花岡さん、ちょっと来てくれるかな」

 食べかけのカップラーメンに一瞬視線を注いだ花岡は窓際の席に近寄って行った。


 窓際の席の人物は机の上に広げた書類を指さしながら色々と花岡に言っている。あまり機嫌は良くなさそうだ。ルクルスの声が聞こえる。

「可哀そうにあの男、月の小遣いが1万5千円なんだよ。だから、お昼は毎日カップラーメンさ」


 窓際の相手に平身低頭していた花岡は戻ってくるとパソコンを操作しながら、カップラーメンを口に運ぶ。すっかり汁を吸って伸びたものを飲み下しながら、必死にキーボードに指を走らせていた。

「さてと、それじゃ、ちょっと目をつぶって」


 次に目を開けると、ガラス張りの室内から緑あふれる中庭を眺められるレストランの中に居た。白と黒のビシッと決めたウェイターがキビキビと料理を運んでいる。テーブルは女性客で一杯だった。

「あの窓際の4人組の女性客を見てよ。黄色い派手目な服を着た女性がいるでしょう? あれが花岡夫人さ」


 ちょっと厚めの化粧にこれ見よがしなアクセサリーをつけた女性がいた。周囲の女性と楽しそうに食事をしている。

「ねえ。メニューを見たら、最低のコースでも6500円からだってさ。それにカヴァのボトルも開けてる。いいご身分だと思わない?」


 嘲りを含んだ笑い声でルクルスが言う。

「花岡氏は今では立派なATMさ。家では最低の扱いを受けてるよ。今じゃ洗濯物も一緒に洗ってもらえなくて、土日にたまったものを自分で洗ってるんだ。あれ? おじさん、どうしちゃったの? ちょっと憐れんじゃった?」


 高坂は世間の人間が皆幸せだと思っていた。元クラスメートの現在の姿に衝撃を受ける。柔道をやって颯爽としていた花岡がただの中年になり、職場にも家庭にも居場所が無くなっているとは想像もしていなかった。目をつぶるように促され、再び目を開けると、流行らないハンバーガーチェーンに戻っていた。


 ルクルスは気遣うような視線を高坂に向けてくる。

「あは。おじさんには見せない方が良かったかな。なんか毒気を抜かれたような顔をしてるけど」

「ああ。いや。ちょっと意外だっただけだ」


「ふーん。まあ、いいや。でも、いくら流行らない店でも流石にお客さんが入って来てるね」

 いくつかのテーブルに他の客が座っていた。

「他所の景色を見せてる間は微動だにしないから、この場所にいつまでもいるのはマズいかも。移動しよっか」


 店を出ると再び、物凄い熱気が押し寄せてくる。

「おじさん。どこ泊まってるの?」

 高坂が昨日は素泊まりの木賃宿にいたことを告げるとルクルスは顔をしかめる。

「それじゃあ、ボクを連れてはいけないね。仕方ないな。付いて来てよ」


 ルクルスは駅までの道を歩き、改札に入っていく。高坂もICカードを取り出して追いかけた。幸いなことにまだ少しは残っている。数駅乗って歓楽街のある駅で降りる。駅を出て、大通りを渡り、いくつかの路地を抜けた先の中古マンションの入口にルクルスは立つ。


 エレベーターで5階に上がり504号室の扉をルクルスは引く。

「さあ、遠慮しないで。とは言ってもボクの家じゃないんだけど」

「じゃあ、誰の家なんだ?」

「聞かない方がいいよ」

 ウフフとルクルスは笑った。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る