第4話 フードコート

「残念ながら条件に合わないようですね」

 ハローワークのカウンターの職員は高坂に死刑を宣告した。求人票をさがし、めぼしいものを選び、呼び出されるのを待った挙句がこれだ。少しでも安定した仕事に就いて平穏な人生を全うしたいというささやかな願いは微塵に打ち砕かれる。


 高坂にも分かっていた。仮にこの先のステップに進んでも採用されることはないのだと。短期間で転職を繰り返す高坂を雇おうなどという酔狂な経営者はいない。それでも一縷の希望を抱いていた。それが叶わなかった今、高坂は自らの人生を閉じることを選ぶ。


 もう生に対する執着は失っていた。むしろ、なぜもっと早くその選択をしなかったのかと思うぐらいだ。カウンターの向こう側の人間に一瞥を投げると高坂はのろのろと立ち上がる。その人間もあと半年で契約が切れることで焦燥に駆られていることを高坂は知らない。ただ、世間の恵まれている人間だと思っていた。


 一旦、思考が暗闇にはまり始めると坂道を転がり落ちるように黒く染まっていく。道行く人が全て高坂のことを馬鹿にし、見下しているように見える。ああ、死んでやるさ。ただ、俺一人で死ぬのは悔しい。誰か俺よりも幸せな人間を道連れに死ねば少しはこのもやもやとした気持ちが晴れるのではないだろうか。


 高坂はハローワークを出た足でホームセンターに向かい、包丁を購入する。合わせてナップザックも買った。そして、また別のショッピングモールに出かけて、もう一本包丁を手に入れる。今日は暑さがぶり返し、モールの中は涼を求めて、子供ずれの主婦が多かった。フードコートで騒々しく食事をしている。


 その姿を見ているうちに空腹を覚えた高坂は、半チャーハンとラーメンのセットに餃子、それにビールを頼む。もう、遠慮することはない。最後にこれぐらいの贅沢はしてもいいだろう。熱い餃子を口に入れ、泡立つビールで流し込む。ビールなんて何年ぶりだろう。美味いな。


 食事をしているうちに決心が鈍くなっていく。お酒も飲んじゃったしな。あそこのおばさんの腕は俺の2倍ぐらいありそうだ。ぶっ飛ばされて終わりかもしれない。まあ、今日じゃなくてもいいか。まだ、少しはお金が残っている。これを使い切ってからでもいいんじゃないか。高坂の想いは千々に乱れる。


「おじさん。どうしたの?」

 不意に声をかけられて高坂は狼狽した。少ない勇気を振り絞って、ナップザックの中の包丁に手を伸ばそうとしていたところだった。顔を向けて見ると恐ろしいほどに顔の整った小学校高学年ぐらいの子供が立っている。


 Tシャツにデニムのハーフパンツを履き、パンツのポケットに両手を突っ込んで高坂のことを面白そうに眺めていた。

「な、なんだ。俺に何の用だ?」

 そう言いながら、高坂は周囲を見回す。昨日の公園のようにうるさい母親が現れて糾弾を始めると面倒だった。


「俺の側に来るな」

 高坂がそう言うのも意にせず、男の子は椅子を引いて向かいの席に座る。子供とは思えない全てを見透かすような目で高坂を見つめる。

「おじさん。最期の食事は美味しかった? ここの餃子は悪くないけど、少し侘しくない?」


 高坂は衝撃を受ける。自分の計画がこの目の前の子供にバレている。慌てて立ち上がろうとしてテーブルに強かに足をぶつけ、ガシャンという音をさせてしまう。周囲の好奇と非難混じりの視線を浴びながら、高坂は急いで立ち去ろうとした。

「ねえ。おじさん。食べ終わった食器は片付けないと」


 少年は両手で頬杖をつきながらのんびりとした声を出す。

「どうせ期は逸しちゃったんだからさ。ちょっとボクと付き合ってよ。おじさんに悪い話じゃないと思うよ」

 少年が高坂の後ろに視線を送る。高坂が振り返ると制服を着た警備員が巡回しているところだった。


「おじさんじゃ、悪いけど勝負にならないと思うよ。あの警備員は元警察官だからね。とりあえず、場所を変えようか」

 少年に促されるままに高坂はトレーを持って立ち上がり返却口に運んでいく。こいつは何者だ? どうして俺の企みを? そしてどうして通報しない? 高坂は混乱する。


「じゃあ、どこか涼しいところに行こうか?」

 ショッピングモールを出ると相変わらずの暑さが押し寄せてくる。その中でも汗一つかかず涼しい顔をしている少年は手をパチンと打ち鳴らした。

「そうだ。あそこがいいよ」


 少し離れている場所にあるハンバーガーショップのある場所を告げた。最大手でもなく、自然志向でもなく、流行りの高級路線でもない中途半端なチェーンの店だ。この間、お互いに無言で5分ほど歩き、自動ドアの前に立つ。ドアが開いて冷気があふれ出してきた。


 中に入ると高坂はアイスコーヒーを注文する。少年はラミネート加工されたメニューを見ていたが、ソフトクリームを指さした。マニュアルに則った応対をする店員だったが、ちらりとどういう関係なのか訝った。親子ってことはないし、一体何だろう。


 注文したものを受け取って2階に上がり、隅の席に腰を落ち着ける。高坂はどうにか自分を取り戻しつつあった。アイスコーヒーを一口すする。ほんのちょっと歩いただけなのに暑さがひどく堪えた。少年は向かいの席で無邪気そうにソフトクリームを口に含み、真っ赤な舌で唇についたクリームを舐めとった。その姿を見て高坂はゾクリとする。


 熱心にソフトクリームを食べる少年の姿をぼんやりと眺めながら、高坂は内心おかしさがこみ上げてきていた。一体俺はここで何をしているんだろう。そんな思いを吹き飛ばすように少年は高坂に行った。

「あのさ。ボクは悪魔なんだよね。契約してくれたらおじさんの願いを叶えてあげる」

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