第3話 嫌な思い出

「いや、我々も仕事なのでね」

「何の仕事です? 公園に座っているのが悪いというなら、あそこにいるサラリーマンにも声をかけたらどうです。それに、あの池は釣りは禁止されているはずなのに、あの爺さんは何をしてます?」


「ただ、我々は……」

「私が何か犯罪を実行していると考えるなら現行犯で逮捕すればいい。そうじゃないならほっといてください」

 高坂は自分でもびっくりする声が出ていた。そして、すぐに自己嫌悪に陥る。いつもこれぐらい毅然としていたなら……。


 それから、だらだらとしたやり取りが続いた。

「名前と住所を」

「高坂信次」

 それから、今まで住んでいた会社の寮の住所を告げた。会社に照会が行けば横山はブチ切れるんだろうな。だが、もう従業員じゃないのだから関係ない。


 もう一度、ここで何をしていたかのやり取りが始まる。

「だから、ここで座ってただけですよ。あの子供が向こうから近づいて来たんだ」

 気づくと高坂のことを通報したであろう若い女性たちは姿を消していた。警官たちもそれに気づき、あまり不審な行動をしないように、とだけ言い残して自転車で去っていった。


 高坂はほっとすると同時になんとも言えないような重いしこりのようなものを感じる。どうして、世間は俺に対して冷たいんだ? 俺は世の中の隅っこで誰にも迷惑をかけないように生きてきた。なのに、俺は缶コーヒーを飲むことも、公園のベンチに座ることも許されないというのか。


 素泊まりで4300円の宿に腰を落ち着けると高坂は夜の町に出かけて行った。閉店間際のスーパーで半額になった弁当と酎ハイを買って宿に戻る。部屋には一応エアコンがついていた。キュルルという異音を発していたが室温よりは多少低い空気を吐き出している。


 噛みしめるように弁当を食べた。こんな生活をしていたら、あっという間に持ち金が底をついてしまうだろう。しかし、40過ぎの何の特技もない男を雇ってくれるところなど無いことを高坂は良く知っていた。今まではなんとか生きてゆこうと思っていた。しかし、この数日の出来事が高坂の生きる気力を奪う。


 酎ハイをあおりながら、高坂はぼんやりと考える。そういや、俺の人生でいいことなんて何もなかったな。ずっと不幸の連続だったような気がする。どこで狂い始めたのだろう。心の奥底に封印していた5人組の顔と名前が浮かび上がってくる。それまでは曲がりなりにも人並みに近い生活を送っていた高坂を狂わせた連中だ。


 高校生時代の高坂は今よりもずっと内向的で目立たない青年だった。そんな高坂に近づいて来た同じクラスの5人組は最初は友人の振りをしていた。成績も良く容姿にも優れた5人と友達付き合いできることが高坂には嬉しかった。彼らに見下されている気がしていたが、そのことには目をつぶって付き合いを続けていた。


 花岡清治、加藤留梨、西田哲平、叶絵理沙、そしてリーダーの本郷桐人。彼らは親も裕福で遊ぶ金には困っていなかったが、高坂は一緒に行動する金を調達するのに苦労していた。それでも禁止されていたアルバイトに精を出し、できる限り一緒に過ごしている時間は高坂にとって大切な時間だった。平凡な自分がキラキラした本郷達に少しでも近づけた気がしていたからだ。


 そんな偽りの日々が破綻したのは、高2の夏のこと。絵理沙となんとなくいい感じになりつつあった高坂に、絵理沙が高価なアクセサリーをねだった。10万円を超える指輪は、高坂にはとても手の出るものではない。天使のような顔をした絵理沙にせがまれて悶々としていた高坂に遊び仲間たちはとんでもないことを言いだした。


「俺達が店員の目を引いておくうちにポケットに入れてでてくればいいじゃねーか」

「そ、それって犯罪じゃ」

「なんだよ。絵理沙のためにだったら何でもするって言ってたのに嘘だったのかよ」

「確かにそうは言ったけど……」


 結局、高坂は断り切れず、ハンドメイドのアクセサリーショップに赴き、そして万引きで捕まった。駆けつけてきた高坂の母親が何度も頭を下げて謝ったが店主は納得せず、学校に通報されて高坂は退学となる。それ自体は高坂の自業自得だった。しかし、高坂を地獄に突き落としたのは、退学後に偶然、本郷達が話しているのを立ち聞きしたことだった。


「しっかし、マジうけるよな。あのバカ、本気で絵理沙が好意を持ってたと思ってたのかねえ」

「キモかったんだから思い出させないでよ」

「ひでーな。あいつ、お前をかばって名前を出さなかったのに」

「出しても俺達が全員で否定するから同じことだったけどな」

「でもさ、これでやっとせいせいしたよね」


 最初から高坂を嵌めるつもりで5人組が近づいてきていたのだった。彼らにしてみればちょっとした日々の憂さを晴らすための遊び。それでクラスの目立たない人間が一人自分たちの前から消えても何の痛痒も感じなかった。


 故郷を飛び出した高坂はそれ以来戻っていない。その後、母親が心労の挙句に亡くなった時も帰れなかった。日々を送るのに精一杯で、休みを取ることなんてできない。恐る恐る、その当時の上司に母親が死んだことを告げたが返って来た一言で何も言えなくなった。

「それで? だから何?」


 高坂はアルコールにまみれた息を吐きだす。久しぶりに思い出したくないことが脳裏に蘇り、深いため息をつく。あいつらと関わらなかったら、もうちょっとマシな人生が送れただろうか? 高校を卒業して、奨学金で大学に通えたかもしれない。そして、就職して、彼女が出来て、結婚して、子供ができて……。


 息抜きに缶コーヒーを買って飲んでも誰からも非難されない職に就けたかもしれない。スーツを着てさえいれば、公園のベンチに座っていても、それだけで不審者扱いされずにすんだだろう。


 だが、俺が何をした? 少し酔いの回った高坂の心にもぞりと不穏な感情が沸き起こる。俺は確かに人生の敗残者だ。しかし、世間に何か迷惑をかけたか? それなのに世間が俺を不要として除け者にしようというのなら、俺だって、ちょっとは反撃したっていいだろう? どうせ、もう長くは生きられないのだから。


 


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