第2話 世間の冷たい視線
高坂は途方に暮れる。仕事も家もいっぺんに失ってしまった。寮があるという謳い文句に釣られて今の仕事を選んだのが裏目に出る。給料から寮費の名目で月に5万円引かれていたのだから、外に自分で借りても良かったのだが、それを怠ったツケが回った。
高坂はトボトボと歩いて近所のコンビニに入る。喉が渇いて仕方なかった。さっと開く自動ドアを抜け、奥の飲み物が並んだガラスケースに向かう。習慣で缶コーヒーの棚に目を走らせてしまい、その缶コーヒーのパッケージを見たときに心臓をぎゅっと掴まれたような感じがして冷や汗が流れ出した。
すぐに目線をそらして、ペットボトルの水を買い、イートインコーナーに行ってスツールに座った。キャップを開けて喉に流し込む。冷たい奔流が喉を流れ落ちていくのが心地よかった。近くに座ってスマートフォンをいじっていた若い女性が舌打ちをして席を立つ。
すぐに高坂はいたたまれない気持ちで席を立った。よれよれの格好をした自分がどのように見られているか痛いほど分かっていた。明るい店内の照明が辛い。ペットボトルにキャップをして掴み、コンビニを出て近くの公園に向かう。先週までの残暑が嘘のように今日は爽やかな秋の気配を感じた。
公園に着くと高坂は野球場とテニスコートの脇を通り奥へと進む。あまり手入れの行き届いていない池にかかる橋を渡って、一番端にある古びたベンチに腰を落ち着けた。ここは木陰になっており、吹き抜ける風が心地よい。ただ、いつもならささやかな幸せを感じるこの場所もなんだか落ち着かなかった。高坂はペットボトルに口をつけると物思いに沈む。
高坂を不幸が襲ったのは1週間前のことだった。高校を中退して以降、不幸の連続だった高坂にしてみれば、数ある不幸の最新のものに過ぎない。その日は前日から最高気温が35度を超えあまりに暑かった。ぼうっとする眠気を冷まそうと仕事の途中で見つけた自販機で良く冷えた缶コーヒーを買って飲んだ。高坂がしたのはそれだけのことだ。
ただ、それをどこかの誰かがスマホで撮影しネットに投稿した。
『仕事をさぼるゴミ収集のおっさんww』
その投稿が拡散し、市役所に抗議が殺到する。一緒に映り込んだナンバーとパッカー車の社名から高坂が特定されるまでに時間はかからなかった。市から業務を受託していた会社は謝罪に追われる。そして、その結果として今日のクビとなった訳だった。
高坂は罰金として給料が引かれることは覚悟していたがまさか首になるとまでは思っていなかった。普段から総務部長に目の敵にされ、自然と社員のサンドバックの立場になっていた。それほど居心地のいい場所でもなかったが、それでも仕事がなくなることの方が怖かった。40を超えた高坂の働き口が少なくなっているのは痛感していた。
それに、今まで働いてきたどこの職場でも似たような扱いを受けてきたし、高坂はその点は諦めていた。バカにされるのにも鈍感になっている。1か月ほど前に猛暑の中、作業中の高坂の近くを顔をしかめながら若い母親と小学生の男の子が通りかかった。
「ほら。ちゃんと勉強しないとあんな仕事しかできなくなっちゃいますよ」
その日の夜、スーパーでアルコール度数の高い酎ハイと半額シールのついたコロッケを買い、家に帰りながらぼんやりとそのことを思い出しても怒りは湧いてこなかった。仕方ないさ、と思いながら、その日の楽しみの酎ハイを開けてあおる。程よい酸味の口当たりのいい液体が流れ込みどうでも良くなった。
仕事が終わった後に公園のベンチでのらくらし、値引きされた惣菜を肴に酎ハイを飲んで寝る。夢も希望も無かったがとりあえず生きていくことはできた。休みの日はスマホのゲームで時間を潰した。もちろん、金がないので携帯料金は払えない。無料Wi-Fiに接続し、会社の車庫のコンセントでこっそりと充電した。
高坂の夢想を甲高い女の声が破る。
「カイト、そっち行っちゃだめよ」
目を開けると3歳ぐらいのこまっしゃくれたガキとこぎれいな格好をした女性二人が見えた。二人ともベビーカーを押している。
カイトと呼ばれるガキは高坂の紙袋に興味を引かれて寄ってきたらしい。
「いいもんなんて何も入ってねえよ」
高坂がカイトに話しかけると母親だろう若い女が血相を変えて飛んできてカイトを抱き上げて連れの所に戻っていく。そして、スマホを取り出すとどこかへ電話をかけた。
高坂は想像をする。俺も人生がうまくいっていたら、今頃はあれぐらいの子供がいたのだろうか。一緒に散歩をしたり、自転車に乗る練習をしたり、家族と楽しい団らんのひと時をすごしたり。どれも高坂には手に入らなかったものだった。そして、これからも手に入らないものだということも分かっていた。
しばらくすると自転車に乗った警察官が2人やってくる。若い女がキャンキャン喚くとまだ若い警察官が二人近寄って来た。
「ここで何をしているんだね?」
「疲れたので休憩しているだけですが」
「どういうつもりであちらの子供に声をかけた?」
「向こうが勝手に近づいて来たから声をかけただけですよ」
高坂はやっと気づく。自分にあらぬ疑いがかけられていることに。またか。世間はそんなに俺のことが憎いのか?
「身分証明書を見せてもらえるかな?」
いつもだったら素直に従ったはずだ。ただ、高坂は混乱していたし、首になったショックで神経がささくれ立っていた。
「なぜです? 公園のベンチに座っていることが犯罪なんですか?」
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