第1話 クビ

「おい、高坂っ。総務部長がお呼びだぜ。早く行けよ」

 高坂信次は手にしていた高圧洗浄のホースの手元スイッチを操作して水を止め、パッカー車から離れた。車庫から外に出ると同時に大きく息を吸い込んで、別棟の事務所に向かった。


 高坂の足取りは重い。高坂の勤める会社の社長の弟である総務部長のことも思い浮かべると楽しい気持ちにはなれなかった。社長は癖が強いが悪い人ではない。短期間で転職を繰り返してきた高坂を雇ってくれた。まあ、決して人気のある職場ではないとはいえ、履歴書の職歴欄で最長なのが1年で、1枚では足りないほどの職歴がある高坂には贅沢は言えない。


 社長とは違って総務部長は最初から高坂のことをバカにしていた。高校中退のクズを雇うことはないとまで言った。いっそ清々しいまでの悪意を向けられたが、結局は社長の一存で採用が決まった。そのこと自体が気に入らないのか、入社後もきつく当たられることが多かった。


 高坂はゴミ収集車の作業員だ。収集車の後を追いかけ、悪臭を放つポリバケツの中身をパッカーに空け圧縮し、また次の集積所まで向かう。朝早くから作業をして会社に戻ると体に染みついた臭いは車庫に設置されたシャワーを浴びても中々取れなかった。


 事務所の外階段を上り、ドアを開ける。中にいた数人の目線が高坂に刺さった。嫌悪、憐憫、蔑視…‥。中に入ろうとする高坂をガラガラ声が制止する。

「入ってくんじゃねえ。中が臭くなるだろう」

 総務部長の横山誠二郎だった。


 戸口に立ち尽くした高坂はやっとのことで口を開く。

「呼ばれたので来ましたが……」

「ああ。呼んだが、中に入っていいとは言ってねえ。本当にてめーは頭が悪いな。頭が悪いから、あんな騒ぎを起こすんだ」

 誠二郎はまくしたてる。


「そうそう。てめーは首だ。もう来なくていい。さっさと失せろ」

 半ば予想していたことではあったが高坂はその言葉に打ちのめされる。部屋の奥に救いの眼差しを向けた。

「なんだ、その餌をねだるノラ犬のような目は? いくら、そんな顔をしても無駄だ。兄貴……、社長も同意見だ。誰もてめーなんざ助けちゃくれねえよ。じゃあな」


 高坂は打ちひしがれたが、勇気を振り絞って言う。

「こ、今月のお給料は……」

「なんだと? てめー、そんなことを言える立場だと思ってんのか?」

「で、でも。お金が無いと生きていけませ」

「じゃあ、死ね。さっさと死ねばいいじゃないか。その方が世の中の為だぜ。ああ、死ぬなら一人でひっそり死んでくれな」


 戸口のところから動かない高坂を見て、誠二郎はイライラとした声を上げる。

「てめーはもう首になったんだ。さっさと消えろ」

 いつもなら、そそくさと消える高坂も必死だった。

「お、お給料をください」

「てめえ」


 誠二郎は足音を踏み鳴らして近づいて来ると高坂の胸倉を左手でつかんだ。右手で高坂の頬をベシベシと叩く。体格のいい誠二郎にかかると高坂はまるで子供のようだった。

「お前のせいで、どれだけ迷惑がかかったのか分かってんのか。このボンクラ。俺も社長もどれだけ絞られたと思ってんだ、ああん?」


 高坂は呪文のように言葉を繰り返す。

「お、お給料をください」

 カッときた誠二郎は外階段の柱に高坂の頭をゴンゴンとぶつける。何度もぶつけられて高坂はぐったりしていた。誠二郎が手を放すとぐにゃりと床にへたりこむ。


「部長。さすがにまずいですよ」

 声をかけられた誠二郎は、ちっと舌打ちすると内ポケットから財布を取り出して札を数枚抜き出す。クシャクシャに丸めると高坂の目の前にそれを落とし憎々し気に言った。


「本来なら必要ないが手切れ金だ。それを持って消えろ」

 最後のひと睨みをすると荒々しくバタンとドアを閉めた。その風圧で飛びそうになる丸まった札を高坂は慌てて掴む。皺を伸ばすと4万円あった。給料には5万円足りない。しかし、高坂にはもうドアを開けるだけの勇気が残っていなかった。ポケットにしまうと高坂は震える足で階段を下りる。


 車庫に戻ったが、誰も声をかけてこなかった。作業着を脱ぎ、洗いざらしのジーンズとTシャツに着替え、虎の子の4万円をよれよれの財布に入れジーンズのポケットに突っ込む。徒歩5分のところにある借り上げアパートに向かおうとするのを班長の柏木が止めた。


「高坂。部屋の鍵を渡せ」

「で、でも、荷物が」

「お前の荷物はここにある」

 柏木が紙袋を差し出す。覗くと乱雑に荷物が詰め込んであった。元々、多くの私物は無い。高坂はポケットからアパートの鍵を取り出すと柏木に渡し、紙袋を受け取った。


 柏木が道を開けたので、高坂はとぼとぼと歩き出す。会社の敷地の門の所で振り返った。にやにや笑いながら皆が出てきて、冗談だよ、と言うことをほんのちょっとだけ期待したのだ。今までにもそういう悪戯があった。今回もそうあって欲しいという願いは空しく、晴れた夏晴れの空に白い入道雲が浮かんでいた。

 

 


 




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