#3 彼女の逆鱗

 むかしむかしの、それも人間とは縁もゆかりもない深山幽谷でのこと。ある山の頂上で、鬼族と龍族間の会談の場が設けられていた。

「我々は今まで怪異世界を二つに割る大戦争をしてきたが、そろそろ止めるべきじゃなかろうか」

 龍族の長が言うと、鬼族の長が答えた。

「私もそう思っていたところだ。最近は人間もあまり我々を畏れてはくれんしなあ」

 そんなわけで、長く続いた争いについに終止符が打たれることになった。彼らは前時代的な生き物であるから、和解の印として両者の子供を結婚させることになった。当初は両族の重臣たちも彼らが共に暮らせるかとても心配していたが、

「なーに、お互いに人間の姿に化けて暮らせば良い」

 という大賢人鞍馬天狗の一言により、双方納得して話が付いた。こうして、鬼族の長の男児と、龍族の長の姫が結婚することになった。

 さて、困ったのは鬼族の男児である。彼は跡目を継ぐ覚悟はしていたが、異族と結婚するとなれば話は別だ。何より、もしこの結婚が上手くいかなければ、また怪異たちが戦争をすることになりかねない。

「果たして上手くやれるだろうか」

 しかし、彼の心配は全くの杞憂に終わった。

「不束者ですが、どうかよろしゅう」

 龍の娘は大変な別嬪だったのだ。しかも気が利くし性格はおしとやかだ。彼はすぐに彼女のことが好きになった。

 龍の姫もすぐに相手に惹かれ始めた。鬼の跡取りは熾烈な英才教育を受け、今や立派な紳士であった。しかも、将来を見据えた開明的な視野も備えているから、女性相手にも大変礼儀正しかった。

 そんなわけで、彼らの結婚生活は予想以上に上手く行った。やがて彼らは一般的な夫婦と同様に男女の契りも交わし、円満な生活を送っていた。


 一年が経って、お互いに一時的な里帰りをすることになった。男は仲間の元に変えると大変な質問責めにあったが、みんな彼の話を聞くにつれ、深い安心を覚えた。彼らはすぐに祝福の酒を飲み始めた。

酒が進んできた頃、ある男が跡取りに言った。

「そういえば、龍には逆鱗ってのがあるらしいですぜ」

「ほう、なんだいそりゃあ」

「何でも触られるとどんな龍でも豹変しちまうらしいでさあ。坊っちゃんも気を付けてくだせえ」

 日が明けて、跡取りは家に戻ることになった。道中、どうしてもあの男の言う逆鱗が気になって仕方がない。今は上手く行っているが所詮は異族。まだ知らないことばかりだ。普通は首の下辺りにあるというがあくまで言い伝えだし、今はお互いに人間の姿で暮らしているから、それらしいものは見付けられない。もし不注意でそれに触れてしまったらどうしよう。男は不安になった。

 帰ると、既に姫は帰宅していた。

「ただい―――」

 言いかけて、もしや逆鱗というのは言葉の可能性もあるかもしれぬと男は踏みとどまる。いや、もしかしたら態度かもしれない。あるいは言動かも…。

 考えれば考えるほどわからなくなって、男は今までできていたことすらも不安になってきた。落ち着かない様子で姫から隠れてみたり、突然立ち上がったりしてしまう。

 驚いたのは姫だ。急に夫の様子がおかしくなった。聞いてみても、なにやらおかしな様子で要領を得ない返事しかしてくれない。もしや何か知らぬ間に鬼の掟に触れて、嫌われてしまったかしら。姫は新婚特有の不安に駈られて、ついにはわっと泣き出してしまった。

 今度困ったのは翻って鬼の男である。さすがに愛する妻に泣かれては一も二もない。すぐに宥めて、そして里で聞いたことをおっかなびっくりすべて話してしまった。

 すると、どうやら妻の様子がおかしい。途中にあっと言ったきり顔色を赤くしたり何かを堪えるように震えたりしている。すべて話し終えてから、男は恐る恐る尋ねた。

「なあ、お前さんの逆鱗はどこにあるんだい?」

 妻の顔は今にも火の出そうなくらい真っ赤だった。そして消え入りそうな声で呟く。

「よくお触りになるじゃありませんか」

「えっ、本当かい?」

「そこはダメと言っても、毎晩...」

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