第五章 賢者は弟子に魔法を教える④

「それそれそれそれそれそれそれそれそれそれー」

「だばばばばばばばばばばばばばばあばばばば!!」


 もはや避けるどころではなく、カーライトくんは、ひたすら盾を突き出して耐えている。

 やっぱり凄いな。

 カーライトくんじゃなくて、ロレーヌちゃんがね。

 これだけの猛撃を受けても、盾は原型を保っている。こっそり一〇〇キロくらいにスピードアップしているんだけど、耐久性、サイズ、どちらも飛躍的な向上が見られる。


 血と汗と涙にまみれた過酷な修行なんて、私には向いていないと思っていたけど、こうまで顕著なレベルアップが見られるなら、勇者や武道家が推奨してくるハードなトレーニングも、一概には否定できないかもしれない。


 ロレーヌちゃんは気づいているだろうか。

 途中から徐々に、私は貯水槽に通していた魔力を薄めていったことに。

 つまり、今あの盾を形成しているのは、ほとんどロレーヌちゃんの自力なのだ。


「天才魔法少女か」


 憧れる響きだ。

 私の場合、魔法使いになった時点で30歳目前だったからね。

 賢者の称号に手は届いても、魔法少女には逆立ちしたってなれない。


「さ、さすがは、お師匠様です。これだけの物量を、放っておられるのに、ご本人の魔力は、いささかの衰えも、感じられません」

「ロレーヌちゃんこそ大したものだよ。まさか、初回からここまでやれるなんてね」

「お褒めにあずかり、恐悦至極に存じます」


 この硬すぎる態度も時間をかけて―――いや、無理にくだけてもらう必要はないか。

 これはこれで、ロレーヌちゃんのキャラクターだもんね。


「そろそろ終わりにしようか」

「あの、では、最後にお願いが……」

「ん?」

「ここまでしていただいても、未だ、お師匠様の底がまるで見えてきません。お師匠様の力の一端を、この機会に見せていただくことはできないでしょうか」

「悪いけど、それはできない相談だよ。私が少しでもその気になったら、カーライトくんは、この世から跡形も無く消え去ってしまう。そんなことになってもいいの?」

「人は犠牲なしに何かを得ることなどできはしません。それがお師匠様の片鱗を知るためともなれば、その代償は計り知れないでしょう。なので、ロレは一向に構いません!」

「構えよおおおお!!」


 実の弟から渾身のツッコミが入った。そりゃそうだ。


「ロレーヌちゃん、大きすぎる力はね、ほいほい簡単に披露するものじゃないの。どうしてもという時、例えば、大切な人を守る時とか。本当に必要に迫られた時以外、私は極力使わないことにしているよ」

『たかだかホットケーキに時魔法の秘術を使っていたのは、どこの誰だったかしら?』


 今度はリヴちゃんからツッコミが入った。

 でも、どういう意味だろう。あれはどう考えても、必要に迫られた時だったよね?


「申し訳ありません。軽率な発言をお許しください。お師匠様が真の力を解放する時、それは世界に終焉をもたらす時だということを失念しておりました」


 それ、どう考えても賢者じゃないよね。どうして皆、私を魔王にしようとするのか。

 いや、実際の魔王だって、そんなことしないよ。

 宙にストックしていた水弾も、そろそろ尽きる。ここで私は連射を中断した。


「二人とも、次の一発で最後にしよう」


 ズズズ……。

 と、今までソフトボール程度だった水弾が、今日一番の大きさ、バスケットボールくらいのサイズにまで膨らんだ。この大きさなら、ちょっとした大砲くらいの威力があるだろう。

 締めの問答をするための……言葉は悪いけど、脅しの材料だ。


「カーライトくん、今からするのは大事な話だから、聞いてくれるかな」


 厳かに語りかけると、透明な水の盾越しだった少年の顔が、久しぶりに出てきた。


「話?」

「勇者について」


 9歳の子供に言うようなことじゃないかもしれないけど、それも状況次第だ。

 憧れだけで務まるほど甘くはないってことを、彼には教えないと。


「勇者って、君が思っているような、カッコイイだけの存在じゃないよ。偉い人たちの都合でいいように働かされるし、シャレにならない大怪我をするかもしれない。中には、後味の悪くなるような戦いだってある」


 チラ、とアグリを横目に確認する。

 こんもりと盛り上げた砂山から、楽しそうにトンネルを掘り進めている。


「ただ勇者に憧れるだけならいいよ。でも君はこうして私と知り合って、そのつながりから、まだ確定ではないけど、実際に勇者から稽古をつけてもらえるかもしれない状況にきている。だからこそ、生半可な気持ちでいられると、紹介する私も、引き受ける勇者も、君を心配する家族も、皆が困るの」


 カーライトくんのことは、アグリという花に集まるアブラムシくらいに思っているけれど、別に嫌っているわけじゃない。ロレーヌちゃんの弟だし、なんだかんだ言っても、遠慮のない遣り取りを楽しんでいたりする。

 だからこそ、これは他意なく、本気の心配からくる忠告だ。


「勇者になろうなんて夢は、持たない方が幸せになれる。考え直すなら早い方がいい。今ならまだ間に合――」

「撃てよ」

「え?」

「俺を試してるんだろ? 諦めないって言ったら、次はその攻撃を受ける覚悟はあるのかって訊いてくるんだろ? ご託は抜きにしようぜ。いいから撃てよ」


 水弾の大きさが見えていないわけじゃないだろう。

 まともに受ければ、骨くらい折れるかもしれない。

 だというのに、カーライトくんの瞳にも、声にも、一欠けらの迷いも感じられない。


「……本気?」

「魔王はもう倒されたけど、四帝獣ってのが残っているんだろ? そいつらは全員俺が倒す。でっかい功績をあげて、この村に帰ってくるんだ」

「カーライトくん……」


 私が住み着いたことで改善されはしたけど、それまでこのクレタ村は、平均的な生活水準を下回る暮らしを強いられていた。そんな中であっても、子供たちは村人の深い愛情に包まれていたはずだ。でなければ、こんなに真っ直ぐな姉弟は育たない。

 もしかして、君が勇者を目指しているのは、生まれ育った村を豊かにするためだったの?

 だとすれば、私には彼の夢を止めることなんてできない。むしろ応援したい。


「カーライトくん、どうやら私は、君のことを誤解――」

「でもって、アグ――可愛いお嫁さんをもらって幸せに暮らす。それが俺の夢だ!」


 その熱い台詞と視線は、せっせと砂山を削って穴を掘り進めている少女に注がれている。

 こちらが片付いたら、モスくんと交代してもらわないと。


「だから無駄だぜ。アンタがそれを撃ったとしても、俺の意志が変わることはねえ」

「……なるほどね。君の熱意と覚悟、確かに受け取ったよ」

「へへ、恥ずいことを言っちまったぜ」

「じゃ、撃つね」

「あれ?」


 何か予想と違うことでもあったのか、カーライトくんが素っ頓狂な声をあげた。


「や、だから、撃っても無駄なん、ですけど」

「無駄かどうかは、撃ってから考ることにするよ」

「て、ちょちょ、ちょっと待て! なんだそれ!? さっきと全然違うじゃねーか!」

「違うって、何が?」

「弾のでかさだよ!」


 バスケットボールサイズだった水弾が、運動会の大玉転がしサイズになっただけじゃない。たかだか百倍だよ。誤差誤差。


「細かいことは気にしないで」

「死ぬだろ!」

「お姉ちゃんの許可はもらっているから」


 ロレーヌちゃんは、早々に私の背後に避難している。勘のいい子だ。

 二人の距離が離れたことで、アクアバックラーも、ただの水に戻っている。


「ロレは誇りに思います。大いなる夢に果敢に立ち向かい、そして儚くも散ってしまった弟がいたことを。目を瞑れば、共に過ごした日々が、昨日のことのように思い出されます」

「まだ生きてるから! 勝手に過去の人にすんな!」

「カーライトくん、今度は女の子に生まれ変われるといいね」

「よくねえええよ!」


 私はフ●ーザが惑星ベ●ータを消滅させた時のように軽い指の動きで巨大水弾を放った。


 ズゴゴゴゴゴ!

 と、唸りを上げ進む水弾が大気を飲み込み、その余波で風が荒れ狂った。


「ぬあああああああぁぁぁぁぁ……!!」


 むむ、標的が軽すぎたか。

 それは命中することなく、未成熟な体を紙屑のように巻き上げてしまった。


「……さすがに、ちょっとやりすぎたかな」

「いえ。お師匠様の魔法を肌で体感できるカールは、自身の幸運に感謝するべきでしょう」

「ならよかった」


 上空から、「何一つよくねえええ!」と懸命なツッコミが降ってくる。

 きりもみしながら落ちてきたカーライトくんが、ぼちゃん、と貯水槽の中にハマった。

 なかなかに悪運が強い。それも立派な勇者の資質と言えるだろう。

 なんにせよ。


「ふう」


 すっきりした。

 私の心象を表すかのように、空中を漂う水滴が、日の光を浴びてキラキラと輝いていた。

 白雲の向こうへと消えていった水弾は、どこか遠い空の彼方で弾け、下界に心地良い狐雨を降らせることだろう。


「さすがです。今の一撃でさえ、お師匠様は、力の十分の一すらお見せになっていない。あらゆる面で、自分など、お師匠様の足下にも及びませんね」

「ロレーヌちゃんは、まだ若いんだから、これからいくらでむほっ!?」

「どうかなさいましたか?」

「……ロレーヌちゃんって……10歳だよね?」

「はい。お師匠様が修練を重ねられた年月の半分も生きていない若輩者です」


 正確には、ちょうど三分の一です。

 そんなことより。

 カーライトくんの傍に立っていたことで、ロレーヌちゃんもまた水に濡れ、着衣がぴっちり肌に貼りついてしまっている。そのため、身体の起伏――そう、10歳にもかかわらず、起伏と表現して差し支えないボディーラインが浮き彫りになっていた。


 ええー。えええー。

 魔法の才能よりも、こっちの方が何倍も驚きなんですけど。ええー。

 無意識に、私は自分の胸部に手を添えていた。

 現時点では五分五分……ではなく、6‐4で既に負けている。

 無情な現実に打ちひしがれた私は、がくりと膝が折れ、その場に両手をついた。

 認めざるを得ない。


「…………完敗です」

「お、お師匠様!? いったい何があったのです!?」

「私には、ロレーヌちゃんがどこまで成長するのか、想像もつかないよ」

「そ、それは過分な評価かと思いますが。でも、そんな風に言っていただけて光栄です」


 アグリが超絶美女に成長するのは確定だけど、まさかロレーヌちゃんまで……。

 今からこれとか、ほんと、ウチの弟子たちは末恐ろしいよ。

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