第五章 賢者は魔法使いの弟子をとる①

 掃除よし。

 おやつよし。

 スマイルよし。

 お出迎えの準備は万端だ。


「ちょっと緊張してきちゃった。アグリは?」

「えへへ、きんちょうする」


 そう言いつつも、楽しみにしているのが見て取れる。

 楽しみなのは、私も同じだ。心なしか、リヴちゃんとモスくんまでそわそわしている。


 クレタ村に来て、早一ヶ月半が経った。村外れに居を構えているため、交流自体はそこまで多くないけれど、それだけの時間があれば、何人かは懇意にする村人も出てくる。

 村長は言うに及ばず。

 あとは、定期的にモスくんが狩ってくる獲物の解体をお願いしている猟師さんとか。


 今日、我が家にお越しいただくのは、アグリのお客――猟師さんのところの娘さんだ。

 アグリより、2つ年上の10歳。

 私は直接話したことがなく、あの子のことかな? くらいの認識しかない。


 なんでも、村長さんちの養鶏を手伝っている時に知り合い、仲良くなったそうだ。

 つまり、アグリにとって、初めての友達ということになるわけです。

 VIP待遇でのおもてなしをしなければなりますまい。

 特筆することがあるとすれば、賢者である私の大ファンらしく、本人もまた、魔法の素質があるのだという。


 まだ魔法の基礎にも触れていないそうだけど、知ってのとおり、魔法の素質を持った人間は千人に一人の割合でしか生まれない。経済的な理由から、魔法使いの派遣を要請できなかったクレタ村では、少女の肩に重い期待が圧し掛かっていたんじゃないだろうか。

 私がこの村に来て喜ばれたのは、生活水準が向上するというだけでなく、少女が感じているであろう責任を軽くしてあげられるからという理由も大きかったみたいだね。

 村長さんからも、目をかけてあげてほしいと、めちゃくちゃ腰を低くして言われた。

 少しでも、少女の焦りを取り除いてあげたいからという感じで。


「そろそろ来る頃だと思うけど――」


 お。

 時間ぴったり。外から「ごめんください」と女の子の声が。

 お待ちしておりました。

 と、私が扉を開けに行きそうになるが、ここはやっぱりアグリがやらないとね。


「アグリ、お出迎えして」

「ひゃ、ひゃい」


 声が引っくり返っている。アグリにとっては、勇者来訪よりも緊張するイベントなのかもね。

 ててっ、と扉の前まで駆け寄ったアグリが、いそいそと門落としを外した。


 アグリが扉を外側に押し開くと――。

 そこには、童話に出てくる村娘風――というか、まさしく村娘が立っていた。

 吊りがちな目は勝気な性格を思わせる。背はアグリより、頭一つ分高いかな。

 栗色の髪をショートボブにした、愛らしい女の子だ。


「ロレちゃん、いらっしゃい」

「こんにちは、アグリちゃん」


 ぴょんぴょんと体まで飛び跳ねそうなくらい声を弾ませるアグリに対し、少女は年上らしく落ち着いた声音と眼差しで答えた。

 その視線が、家の中にいる私に向けられる。


「賢者様、本日はお招きいただき、ありがとうございます。ロレーヌ・ストラウフと申します。お見知りおきくださいませ」


 ピシッ、と音が聞こえてきそうなくらい姿勢を正し、ロングスカートの裾を摘まんで恭しく一礼される。咄嗟に私も「長田……青葉です」と、どもりながら名乗り返した。

 この子、10歳だよね?

 もっとキャピキャピした遣り取りを思い浮かべていただけに、完全に予想を外された。

 ともあれ、出迎えたアグリの様子から、懐いているのは一目瞭然だ。

 それだけでも、良い子なんだということはわかる。


「さ、入って」

「お邪魔いたします」


 ロレーヌちゃんを家の中に入れ、扉を閉めようとする。

 と、そこで、他にもまだ誰かいることに気がついた。

 アグリやロレーヌちゃんと同じ年頃の男の子だ。


「よお、アンタが賢者か。近くで見ても、あんま強そうには見えねーな。つーか、ただのおばさんじゃん」


 今、なんつった?


「カール、賢者様への無礼は許さないと言っておいたはずよ」

「な、なんだよ。そんな怖い顔すんなよ。思ったことを正直に言っただけだろ」


 別に私は戦士でも武道家でもないし、強そうに見られたいなんて思っていないから、そこはどうでもいい。そんなことより、この少年は、どうしてここにいるの?

 ツンツンと逆立った髪の毛は、ロレーヌちゃんと同じ色をしている。身内?。


「失礼いたしました。あれはロレの1つ下の弟でございます。賢者様のお目に触れさせるのは気が進まなかったのですが、どうしてもついて来ると言ってきかなかったもので……。不快に思われるようでしたら、今からでも追い返します」


 ロレーヌちゃんの1つ下ってことは、アグリの1つ上。9歳か。


「俺の名前は、カーライト・ストラウフ。十年後の勇者になる男だぜ!」


 少年が、熱く将来の夢を宣言している。

 ごめん。全く興味ないや。


 そんなことよりも、気になることが他にある。

 確認のため、村の中でいつもアグリの傍についてくれているモスくんに念話を飛ばした。


『モスくん、この子って、もしかして例の?』

『あー、そッスね。最初にお嬢に、お嫁さんにしてやるって言ってた子ッス』

『そっかそっか。なるほどね』


 私は少年を外に放置したまま扉を閉めた。


「ちょ、オイ! なんで閉めるんだよ!? フザケんな、開けろよ!」


 ダン、ダン、と外から乱暴に扉を叩く音が耳に痛い。

 私はゲストのロレーヌちゃんを居間のテーブル席に案内しつつ、扉越しに答えてやる。


「ごめんね。今日は女の子だけの集まりなの。男子はお引き取り願える?」

「そんなの聞いてねーぞ! つーか、女の子って歳かよ!」


 やれやれ。

 姉のロレーヌちゃんは、幼いながらも礼儀正しいのに。

 いや、言っていることは正しいよ? 実際、30歳で女の子を自称するのは厳しいと思うし。

 うん。

 絶ッッ対に入れてやらん。


「無視していたら、そのうち諦めるでしょ」

『姐さん、それはちょっと酷いんじゃ……』

『大人気がなさすぎでしょ』


 モスくんとリヴちゃんから、念話で至極真っ当な意見を頂戴した。

 まーね。ほんのちょっとだけ私情が入っているのは認める。

 でも、カーライトくん、だっけ? 9歳かー。

 9歳はなー。よろしくないよねー。

 男女7歳にして席を同じゅうせず。こんなことわざがあるくらいだし。


『男の子に限らないけど、この年頃の子たちは、まだ男女の適切な距離感ってものを知らないくせに、やたらと背伸びをしたがるでしょ? お嫁さんにしてやる、なんて身の程を知らない発言が、まさにその証拠』

『身の程って、相手は子供なんスよ?』

『男女の適切な距離感とか、30歳になるまで独り身の女が言っていい台詞じゃないわね』


 違うもん。結婚できないんじゃなくて、しなかっただけだもん。


『私のことは今どうでもいいの。もしもだよ、外にいるあの子が興味本位で、大人の男女は、こんな風に唇と唇をくっつけたりするんだぜ。とか言って、ウチの子に迫ってきた日には……私は自分を抑えられる自信がないよ』

『抑えられなかったら、どうなるのかしら? どうせまた、クレタ村が地図から――』

『世界が――ううんなんでもない』

『今、世界がって言った?』

『言ってないよ』

『滅ぼすの? 征服するの? その対象が人間なら、願ってもないことだけど』

『シナイヨ。私、平和愛シテル』

『今後が楽しみだわ。さすがは、新しい魔王様ね』


 魔王様って言わないで。継ぐつもりないから。


『せか……せっかちさんは、困っちゃうなーって言おうとしただけだよ』

『苦しすぎるわ』


 リヴちゃんの黒い瞳に、白い目で見られてしまった。


『いや、でもこれってさ、愛する娘を持つ親なら普通のことじゃない?』

『実際に世界をどうこうできてしまえる人間じゃなければの話でしょ』

『つまり、リヴちゃんは、力を持つ者は孤高であるべき、という考えなわけだね?』

『バカなの?』


 意思の疎通って難しいね。

 ううん、これが私とリヴちゃんならではの、気の置けない遣り取りってやつかな。


 念話を続ける間も、間断なく扉を強くノックする音が響いている。

 諦めが悪いね。とりあえず、《防音》の魔法でもかけておこうかな。


『あの……いいッスか?』

『ん? モスくん、どうしたの? あ、女の子だけの集まりって言ったのを気にしちゃった? 大丈夫だよ。モスくんの愛らしさがあれば、性別とかは些細な問題だから』

『いや、全然嬉しくないッス。そうではなくて、外にいるのは、ご友人の弟くんなんスよね? それなのに、こんな扱いをしてしまっていいんスか?』

『え……。あっ、そうか!』


 お姉ちゃんが見ている前で、その弟を外に閉め出すなんて、そんなのよく考えるまでもなく印象最悪じゃない。これでもしアグリとロレーヌちゃんの友情にまでヒビが入ったりしたら。まずいまずいまずい。そんな大罪、親として許されるはずがない。


「ロレーヌちゃん、あのね、これはその、ほんの冗談だから!」

「いえ、迅速な対応に感服いたしました」


 おや?


「賢者様の気分を害す不敬な輩に慈悲など不要です」


 実の弟だよね?


「ですが、騒音を立て続けるのは看過できません」

「そ、そうでしょ。だから、ちゃんと家の中に――」

「このような些事で、賢者様のお手を煩わせるわけにはいきません。ロレにお任せください」

「あ、うん……」


 思わず頷いてしまったけど、なんだろう。何か噛み合っていない気がする。

 違和感の正体を確かめるより先に、ロレーヌちゃんが、玄関の鍵を開けて外に出た。

 そしてどういうわけか、弟を家の中に招くでもなく、後ろ手に扉を閉じてしまう。

 扉を隔てて、カーライトくんの声が聞こえてくる。


「なんで姉ちゃんが出てくるんだよ? さっさと中に入れて――」


 ドゴッ!


 と鈍い音がしたかと思えば、それっきり、カーライトくんの言葉が途絶えてしまった。

 再び玄関の扉が小さく開かれ、ロレーヌちゃんだけが戻ってきた。


「これで静かになりました」


 あどけない笑顔がそこにあった。

 外にいるカーライトくんがどうなっているのかは、怖くて訊けなかった。


「えーと……いいの?」

「いいも何も、これ以上、賢者様に対して無礼を働くような身内を野放しにしてしまっては、ストラウフ家末代までの恥。家名に汚点を残すわけにはまいりませんから」


 おウチ、猟師さんだよね?

 それと、もう一回言うけど、実の弟だよね?


 ともあれ……。

 他ならぬ、ロレーヌちゃんが弟の同席を拒むというのなら、私が口を挟む必要はない。


「さあ、邪魔者は消えました。賢者様、改めて、本日はよろしくお願いいたします」

「こちらこそ。外ではアグリがどんな感じなのかとか、聞かせてほしいな」


 うふふ、うふふ、と早くも打ち解け合った私たちは、カーライト・ストラウフという少年がいたことを頭から消し、女子会へと思いを馳せた。

 しかし、そんな私とロレーヌちゃんの背中が、くいっと何かに引っ張られる。

 振り向くと、アグリが眉をへの字にし、うにゅぅ、と唇を尖らせて悲しそうにしていた。


「みんないっしょに……なかよくがいい」


 天使。

 心が洗われる。……いやもう、私という存在が浄化されていくのをリアルに感じた。

 今なら、なんだって許してしまえる気がする。

 どうやら、ロレちゃんも同じ気持ちらしく、私たちは互いにこくりと頷き合った。


「賢者様、ご迷惑かと思いますが、先の発言を撤回し、寛容なお心に甘えて愚弟を同席させていただいてもよろしいでしょうか?」

「もちろんだよ。美味しいスポンジケーキを焼いてあるから、みんなで食べよう」


 私が間違っていた。

 なんでも疑いから入ってしまうのは、悲しいことだ。

 悪いところにばかり目を向けないで、良いところを探す努力をしよう。


『見事な掌返しッスね』

『調子良すぎじゃないかしら。軽く引いたわ』


 黙って、もふもふたち。



――――――――――――――――――――――――

※これからは、二日に一度の更新で進めさせていただければと思います。

 次回は、7月23日の21時半の予定です。

  改め、7月24日の7時の予定です。申し訳ありません。

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