第四章 賢者は勇者にお引き取り願いたい⑤

 田植えは午後から行うことになった。

 日が高くなりすぎないうちに始めたかったのに、予定外の訪問者――いや、いっそのこと、襲撃者と呼ぶべきか。勇者の襲撃によって、スケジュールが大きく崩れてしまった。

 なので、フィアルニアにも田植えを手伝わせることにした。当然だ。

 最初こそ、ズブズブと沈む足場の感触に戸惑っていたアグリもすぐに慣れ、私よりも軽快に作業を進めていった。やーもー、長身には腰を折るのがキツくてキツくて。一往復する頃にはバテバテになり、早々に若者たちの応援に回った。


「アグリも、疲れたら休憩しなさいねー」

「あーい」


 泥をはねさせた顔はお日様よりも眩しく、元気いっぱいの返事は、どんな回復魔法より私を癒してくれる。全身バッキバキの筋肉痛コース確定だけど、もうひと頑張りしちゃおうかな。


「アオバ、ボクの分担はどこまでだろうか? 一人で、もうかなり進めているが」

「分担とかないから、もっとペース上げてー」

「無茶を言わないでくれ。今だって精一杯やっている。これ以上は――」

「《倍速》」

「君はそういうところがあるぞ!」


 文句を言いつつも、手はしっかり動かしてくれる。基本、憎めない子だ。





 田植えを開始して、二時間が経った。

 均等に整列した苗が、殺風景だった田んぼに緑を飾った。そよそよと春風に身を委ねる姿は気持ち良さげで、生命の息吹を感じさせると共に、これからの成長を願わずにはいられない。


「いやー、頑張った頑張った。久しぶりにいい汗かいたよ」

「頑張ったのは、主にボクだと思うんだが」


 最終的に、フィアルニアが全体の八割近い範囲を負担してくれた。さすがは勇者。

 正直なとこ、見通しが甘かった。私とアグリだけじゃ、予定どおりに始めていたとしても、今日中には終わらなかっただろう。勇者襲来には肝を冷やしたけど、結果オーライと言える。


「アグリも頑張ったもんねー。偉い偉い」

「ううん。ふにゃふにゃさんがすごかった」


 この歳で、もう謙遜できるなんて。アグリが世界一良い子だっていうのは重々承知していたつもりだったのに、認識を改めなくちゃいけないな。ウチの子は宇宙一でした。


「これで、迷惑をかけた分の謝罪はさせてもらったかと思う」

「うん、助かったよ。気をつけて帰ってね」


 お帰りはあちらです。と村の出口を指し示す。


「そう邪険にしないでくれ。約束どおり、もう君を強引に戦場へ駆り出そうとはしない」

「ならいいけど」

「無理強いはせず、根気よく説得することにした。そのためにも、この村に足しげく通わせてもらうつもりだ。ふふ、君に会いに来る口実ができてしまった」


 可愛いことを言ってくれているんだけど、結局のところ、何も諦めていない。

 長期戦にシフトチェンジした分、ウザさが増しただけな気もするけれど、自分も同じようなことを考えている手前、強く突き放すことができない。


「勝手にすれば」


 ぶっきらぼうに言い、フィアルニアの足下に手をかざした。まだ日中なので目立たないが、光のサークル――転移の陣が現れる。最初から、帰りは送ってあげるつもりでいた。


「王都でいいんだよね?」

「ありがたい。さすが、賢者の名を欲しいがままにし、世界に五人といない特級魔法使いだ。君にかかれば、片道に二日かかる道のりも一瞬だな」


 普通は馬の足で三日かかる。

 徒歩で二日なんて、フィアルニアか、武道家の彼女くらいだ。


「アグアグにも、心ない言葉で嫌な思いをさせてしまった。すまない」

「アグアグ? それって、アグリのこと?」

「いかにも。素敵な愛称を頂戴したお返しに、そう呼ばせてもらおうと思う」

「ん、んんー……。愛称自体には賛成だけど、ちょっと安直すぎじゃないかな」


 安易な愛称は悲しみを呼ぶ。

 否定するべきところは否定しないと、あれよあれよという間に取り返しのつかない不名誉な呼称が定着し、灰色の青春時代を過ごすことにもなりかねない。これ、実体験なので説得力があると思います。


「アグリも、嫌なら嫌って言った方が――」

「あぐあぐ。あぐあぐ、だって。……えへへ」


 ええ、はい。一発です。一発でやられました。

 その時の表情がですね、水晶のように明るい雪解けとでも申しましょうか。

 照れ臭そうに、でも、それ以上に嬉しそうにはにかむ様子が、幸せを呼び込む春風なんかを想起させちゃうわけです。ほんともう、どえらい可愛さです。


「アグリから異議申し立てがないようだから、とりあえず仮採用ということにしておくけど、あくまでも暫定的なものであることを忘れず、発案者だからと調子に乗らないように。今後、こういった重大な案件は、まず私に話を通してからすること。わかった?」

「面倒臭い保護者だな」


 誰がモンペか。

 肩を竦めていたフィアルニアの態度が、次いで途端におどおどしたものへと変わった。


「……また会いに来てもいいだろうか?」

「歓迎するよ。また来年、この時期に来てほしい」

「田植え要員としてではなく!」

「冗談だって」

「心臓に悪いぞ……」

「普通に、友人としてならいいよ」


 嘆息混じり言ってやると、フィアルニアが安堵したように、表情から緊張を解いた。


「その時は、四帝獣の一匹でも討伐した報告を土産にしたいところだな」

「いらないって。魔王の娘も四帝獣も、教団が考えているような脅威になんてならないから」

「娘? 魔王に子がいるかもしれないという可能性を危惧してはいるが、それが娘だと言った覚えはないぞ? 性別までは判明していないはずだ」

「あ、あれれ? そうだっけ? えーと、うん、私の聞き違いだね。ごめん忘れて」


 あっぶな。迂闊に反論しない方がよさそうだ。


「……待て。おかしいぞ」

「な、何がかな?」

「そのうろたえようだ。何か隠していないか? 四帝獣らが脅威にならないという言葉も気にかかる。君はいつだって思慮深く、楽観的なボクたちを諌める立場だったのに」

「か、隠し事なんてないよ? 超いつもどおりだし。変な勘繰りはやめてほしいな」


 必死に取り繕っても、フィアルニアの怪訝そうな眼差しは消えない。

 バクバクと心臓が早鐘を打ち、心の中を掻きむしられるような激しい焦りで、背筋に冷たい汗が伝い落ちていった。


「………ッ、アオバ、君はもしや!」


 バレた――!?

 私はアグリを後ろに庇い、今度は試合ではない、勇者との生死を懸けた戦いを予感した。


「自分以外の者が傷つかないよう、一人で魔王軍と戦うつもりだな!? なんという正義感! 君という奴は……。だが、水臭いじゃないか! ボクたちは仲間だろう!?」


 アホな子でよかった。


「私、フィアルニアのこと、(アホなところは)結構好きだよ」

「きゅ、急に何を言い出すんだ。そういうことは、二人きりの時にしてくれ」


 顔も赤らめないで。誤解を生んじゃう。


「心配しなくても、無茶をするつもりはないよ」


 いやほんとにね。一切するつもりないから。


「信じるぞ。君の体は、君一人だけのものではないと思っていてくれ」


 言い方。


「それ、私が妊娠しているみたいに聞こえるんだけど」

「あっはっは、まさか」


 その「まさか」って、どういう意味かな? ただの否定かな?

 それとも、私に特定の男性なんてできるわけがないって意味かな?


「賢者である君は人類の宝だ。失うわけにはいかない。それに、君にもしものことがあれば、残されたアグアグとボクはどうなる?」


 アグリを残して逝く気はさらさらないけど、後者は知ったこっちゃないよ。


「では、そろそろ帰るとしよう。アグアグ、またな」


 やっとお開きだ。アグリのことを少しずつ知ってもらいたいと思ってはいたけれど、実際のところ、フィアルニアの近くにアグリを置いておくのは気が気じゃなかった。

 正体がバレる危険があるからじゃない。

 それだって怖いことは怖いけど、そんなことより、アグリの心が心配だった。


 私も仇の一人だ。これを否定するつもりはない。

 だとしても、父親である魔王に決定的な死をもたらしたのが誰かと言えば、それはやっぱり勇者ということになる。そんな勇者を客として迎えていた状況に、幼い心がいったいどれほど擦り減っていたか、想像もつかない。

 それでも、これは避けては通れないことだった。

 勇者を懐柔しない限り、アグリは一生日陰で生きていかなくちゃならないから。


「フィアルニア、アグリはいい子だよ」

「見ればわかるが?」

「……そ。ならいい」


 今回のところは、これで。


「ああ、それと、言うまでもないとは思うけど、私のことは、教団には秘密にしておいてね。あの人たち、勇者や賢者のことを人類の光だとか言って、なんでもかんでも拡散しようとするから。プライバシーも何も、あったものじゃないよ」

「む、君がクレタ村にいるかもしれないと言って出てきてしまったぞ?」

「いませんでした。でいいじゃない」

「しかし、帰還予定は二日、三日先になるはずだった。それを半分の日数で戻ったとなれば、超高位の魔法使いに転移してもらったとしか考えらないぞ?」


 …………言われてみれば。


「と、途中で引き返したってことに」

「ボクは一度決めたことを、途中で投げ出したことはない(ドヤッ)」


 ウッッッザ!


「だったら、早く魔法陣から出て!」

「あー、無理だな。転移が始まってしまった。ほら、足がもう消えている」

「なんとか誤魔化してね! 絶対にバレないようにしてね!」

「善処する!」


「善処」という言葉ほど当てにならないものはない。

 三十年生きて、社会人も経験した私は、そのことをよく知っている。


 力強く親指を立てて消えていったフィアルニアを見送った私は、その場でがくりと、両手を地面について項垂れた。自分の迂闊さを呪う。

 そんな私の頭を、アグリがよしよしと撫でてくれた。

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