第四章 賢者は勇者にお引き取り願いたい④

 勇者はオールラウンダーだ。あらゆるステータスが、常人を遥かに上回っている。

 各ステータスの合計値を強さとするなら、勇者はパーティーの中でも頭一つ高かった。

 とはいえ、身のこなしでは武道家に及ばない。

 魔力では魔法使いである私に及ばない。

 一を極めた方が、結果的には強くなる。


 ゲームのステ振りだったら、そういう見方もあるだろうが、フィアルニアに限って言えば、その理屈は当てはまらない。剣と魔法の両方に精通しているからこその戦い方がある。

 特殊な魔素を武器に、防具に、そして己の肉体に伝達することで、本来持つ機能を飛躍的に高める術を彼女は習得している。象徴的な役柄である勇者より、魔法剣士と呼び表した方が、彼女の戦闘スタイルを幾分イメージしやすいかもしれない。

 彼女の剣に斬れない物は、この世界に一つとして存在しない。想像もつかない。私が全力で展開した魔法障壁ですら、やすやすと斬り裂いてくるだろう。


 そんな相手との決闘……。

 とてもアグリには見せられない。リヴちゃんたちと家の中で、私の勝利を信じて待っていてほしいと告げた。必ず勝って、無事に戻ってくると約束もして。


 アグリからの言葉はなかった。

 ただ、一度だけ、ぎゅーっと私を抱きしめてくれた。

 そこに、全ての想いが込められていた。


 フィアルニアを連れて外に出た私は、魔王討伐に身を投じていた頃の、一人の魔法使いへと気持ちを立ち戻らせた。


「ここから先は、ドロドロの戦いになると思っておいて」

「とことん戦り合おうということか。無理を通しているのはボクの方だ。胸を借りるぞ」


 貸せるほどの胸はありませんけどね。5センチくらいちょうだいよ。


「あそこでやろう」

「あそこって、え? あの中でか?」


 想定していなかったのか。私が指定したリングを前に、フィアルニアがたじろいでいる。

 私は、水を張った田んぼを決闘の土俵に選んだ。


「ここなら硬い地面とは違って、怪我の危険を減らせるでしょう?」


 私はフィアルニアの意見を待たずに長靴を脱ぎ、裸足になって、田んぼの中にじゃぶじゃぶ入っていった。ひんやりとした泥の感触に、足の裏をくすぐられる。


「ドロドロの戦いとは、そういう意味なのか……」

「慣れれば意外と気持ちいいよ」


 血みどろの戦いとか想像してた? そんなの、私が自分から申し出るわけないじゃん。


「靴は脱いだ方がいいのか?」

「別に、土足厳禁ってわけじゃないよ。どのみち田んぼを踏み荒らすことになっちゃうけど、まだ裸足の方がマシかなって思っただけだから。フィアルニアは好きにして」


 しばらく逡巡していたフィアルニアも、私にならって【勇者グリーブ】を脱いだ。

 着用者の脚力を倍加させ、どれだけ歩いても疲れないというチート装備だ。

 あれを履いていたら、田んぼの中でも平地と変わらない機動力を発揮していただろう。


「君との戦いに【勇者シールド】は不要だな。これも外しておこう」


 あらゆる物理攻撃を無効化するオリハルコン製の盾だけど、魔法に対しては、超硬いだけの普通の盾だからね。対魔法使い戦での恩恵は小さい。ちなみに、売れば城が建ちます。

 背中の盾を水場から離れたところに置いたフィアルニアも、一歩目に戸惑いながら田んぼの中に入ってきた。そして、美しい宝石を施した腰の鞘に手をかける。


「可能な限り寸止めをするつもりではいるが、あまり期待はしないでくれ。君の実力の前では一瞬の躊躇いが命取りになりかねないからな。……それに何より、ボクの意思とは無関係に、この【勇者ソード】が強者との死闘に飢えている」


 それ、魔剣か何かだったの?

 万物には、大なり小なり魔法に対する抵抗力を備えている。しかし、伝説の金属ミスリルを打って作られたこの剣は、魔法伝導率が、実に300パーセント。抵抗どころか三倍に増幅してしまうという、フィアルニアのために存在しているかのような武器だ。


「まあいいや。それじゃ、やろうか」

「やろうかって、【賢者スタッフ】と【賢者ローブ】はどうしたんだ?」

異空間庫インベントリにしまってあるよ。今回はこのままでいい。私は――…………これで戦うから」


 足を肩幅ほどに開き、両の拳を顎の横まで持ち上げた。

 魔法使いらしからぬファイティングポーズを見せつけられたフィアルニアが唖然とした。

 その直後に、かすかな苛立ちを表情に浮かべた。


「どういうつもりなんだ?」

「私の魔法は、フィアルニアの剣と違って、対象だけを綺麗に仕留めることなんてできない。少なからず、周囲に爪痕を残してしまう。相手があなたみたいな強者なら、なおさら高火力が必要になる。地形を壊してしまうほどのね」

「それは……確かに」

「勇者のあなたと賢者の私がフル装備で戦えば、この村は無事じゃ済まない。苦労して作ったこの田んぼだってダメになる」

「だから拳で挑むと? 魔法が本職である君が?」

「こう見えて、学生時代は運動部だったんだよ」

「だとしても、正気とは思えない。武道家にこそ遅れを取ってしまうが、ボクだって体術にはそれなりに覚えがある。君が肉弾戦で、ボクに勝てるはずがない」

「別に、私に合わせる必要はないよ。フィアルニアは、普通に剣を使えばいい」

「鍛え抜かれた武道家の拳はれっきとした武器だが、君は違う。魔物が相手ならいざ知らず、丸腰を相手に武器を使うなんて、勇者であるボクにできるはずがない」


 そう言って、フィアルニアは剣を鞘ごと腰から外し、グリーブの隣に置いた。


「せめて、ローブくらい着たらどうだ? その恰好では、防御力などないに等しいだろう」

「あれも、フィアルニアの鎧と同じで純白だからね。泥水で染みになっちゃうのは避けたい。仲間との思い出が詰まっている装備を汚したくないんだ」

「……仲間との思い出……か」

「重ねて言うけど、フィアルニアは気にしなくていいからね? 防御力に差は出ちゃうけど、これは私のわがままだから、不公平だとか思わなくていいからね?」

「ふっ、そういうわけにもいかないさ。この勝負は、対等でなければ意味がない」


 仲間というフレーズに気を良くしたのか、どことなく嬉しそうに微笑んだフィアルニアが、【勇者アーマー】までも脱ぎ始めた。

 こちらは、勇者シールドとは真逆。あらゆる魔法攻撃を無効化してしまう、アダマンタイト製の鎧だ。魔法使いの私にとって、最も邪魔な防具だったと言える。

 ともあれ、フィアルニアは最終的に、全ての装備を解除するに至った。


「これで五分と五分だ! どちらかが戦闘不能になるか、降参するまで存分に拳を交えよう!」


 手足を前後に開いた弓を引くような構え。慣れない型だろうに、私と違ってそれなりに様になっている。


「いくぞ、アオバ!! いざ、尋常に勝――」

「《鈍化》《超重》《麻痺》」

「――ぶひゃっ!?」


 開幕、先手必勝で移動阻害の重ねがけ。詠唱は省略し、効果だけを口にする。

 体勢を維持できなくなったフィアルニアが、たまらず四つん這いになった。赤いスカートが泥水に浸かり、茶色を吸ってしまう。


「な、何を……」

「何って、相手が自分より素早いなら、その動きを止めるのは定石でしょ?」

「そう……ではなく、素手の勝負で……どうして魔法を……」

「素手の勝負なんて言った覚えないけど?」

「なっ、え?」

「私が言ったのは、『どんな手を使ってでも勝ちにいく』だよ?」

「……そ、それは……確かに言っていたが、これは……」

「そしたらフィアルニアは『望むところだ』って言ったよね? 望んだよね? 自分で言った台詞には責任を持たないと。勇者なんだから」


 拳で挑むつもりかと問われた時も、私は自分が『運動部だった』としか言っていない。

 加えて私は、剣の使用を認めていた。フィアルニアが、勝手に装備を解除したのだ。

 まあ、そう誘導はしたけれど。


「うぐぐっ……!」


 おお、すごい。並のモンスターなら、地面に這いつくばって、指一本動かせなくなるのに、フィアルニアは立ち上がろうと膝を持ち上げている。

 ……ふむ。


「《石化》《凍結》《束縛》」

「わっひゃ!?」


 移動阻害では足りないみたいなので、完全に拘束しにかかることにした。

 四肢を石化させ、その上から氷漬けにし、魔素で編んだ縄を体中に巻きつける。


「んぎぎぎ、なん……の……おぉ……!!」


 まだ動く。さすがは勇者。生身でも高い魔法抵抗力レジストを備えている。どれも効きが甘い。

 もう少し弱らせる必要がありそうだ。


「《衰弱》《中毒》《熱病》」

「はふぉおぉ~……!?」


 フィアルニアの体から力が抜け、再び四つん這いの姿勢に戻った。


「うぅ……これは……卑怯じゃないか……」

「そうだね。かなり卑怯だと思うよ」

「わかっているなら……何故……!?」

「何故も何も、戦いへの誇りなんて、ハナっから持ち合わせてはいないもの。私にあるのは、あの子たちとの暮らしを守り通す。その確固たる決意だけだよ」

「確固たる決意なら、ボクにだってある! この世界に、真の平和をもたらすことだ!!」

「大いに結構。ただ、私にとって、それは優先順位が一番じゃないってだけ」


 そもそも、私にはフィアルニアが目指している世界が、真の平和だとは思えない。

 魔王と話し、アグリと出会い、それが確信に変わった。

 確信した以上、例外なく魔物は滅すべきだという考えには協力できない。


「んぐぐぐぐ……」


 これだけ状態異常のオンパレードを喰らわせても、フィアルニアの目はまだ生きている。

 そんな彼女に魔素が集まっていく。


「紅焔を纏いし赤き竜よ。この身を創造せし魂を、覚醒の咆哮により解き放――」

「《沈黙》《吸収》《封魔》」

「……ぁ……ッ!? ……ぅ……ッ!!」


 させないから。

 体内に魔素を巡らせ、身体強化しようとしていたところを横から詠唱妨害。フィアルニアが練り上げていた魔素を根こそぎ剥ぎ取り、さらに魔力を封じた。


「大人はね、ズルいし汚いし、平気で噓をつくんだよ。ううん、噓をついていないとしても、本当のことを言わないなら、それはだましているのも同じ」


 フィアルニアから奪った魔素を、私は自分の右拳に集めた。

 身体強化は得意じゃないけど、得意じゃないだけで、私も使えないわけじゃない。


「あなたにそうあれと教えた人たちも、それが正しいことだと信じている。誰が悪いとか言うつもりはないよ。でも、盲信は真実を曇らせる。自分がいったい何と戦っているのか、本当に戦わないといけない相手なのか、一度固定観念を捨てて考えてほしい」


 少しずつでいい。私を通して、教団の在り方を見つめ直すきっかけになれば。

 十年以上も徹底的に刷り込まれてきた常識を、簡単に塗り替えられるとは思わないけれど、いつかフィアルニアにも、魔物の全てが悪なわけじゃないってわかってもらえたら。

 アグリのことも、ちゃんと紹介したいし。


 ま、それはそれとして。


「約束は守ってもらうからね。今のは年長者の言葉だと思って、頭の片隅に置いておいて」


 片隅に置いておいて、というのは遠慮しすぎか。

 魔法で鉄塊のように硬く、そして重くなった、忠告という名の拳骨を、私は海馬に叩き込むつもりでフィアルニアの脳天に振り下ろした。


「くぴっ!!」


 と、可愛らしい悲鳴が上がる。

 いかなる窮地であろうと、パーティーの先頭に立って仲間を鼓舞し、不倒不屈であり続けた勇者が泥水の中に撃沈した。予告どおり、全身ドロドロだ。


「…………ハァ~」


 ひっどい勝ち方。

 とてもじゃないけど、アグリには見せられない。

 いやはや、まさかのまさかだよ。

 まさか、田んぼで初めて刈り取ったのが稲じゃなく、勇者の意識になるなんてね……。

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