第四章 賢者は勇者にお引き取り願いたい①
西から昇った太陽が薄雲に隠れた朝の時分。気温は暑くもなく、寒くもなし。
なかなかの田植え日和と言えよう。
粗起こし、
誤解のないように言っておこう。魔法使いの存在は、生活水準を飛躍的に向上させることができるけど、村の人たちは、私が魔法使いだと明かす前に歓迎してくれた。ここ重要。
片や、ひょろりと背が高いだけの地味な三十路女。
片や、百人が百人とも振り返るような超絶美少女。
そんな私とアグリの見た目は、似ても似つかない。一目で親子ではない、訳ありだとわかる組み合わせの二人に、あれこれと詮索することなく優しくしてくれたのだ。旅先で触れる人の温かさほど身に沁みるものはないと、私は一年余りの冒険で学んだ。
「アグリ、そろそろ行くよー」
「あい」
泥水で汚れてもいい半袖のシャツと短パンに着替え、紫外線対策として麦わら帽子を着用。水を張った田んぼに入るための長靴を履いたら準備はOK。ファッション的にはアレだけど、アグリとお揃いというところにテンションが上がる。
「それじゃ、リヴちゃん、モスくん、留守番お願いね。と言っても、すぐそこだけど」
さすがに、二人に田植えはできない。水陸両用なリヴちゃんはともかく、わずかとはいえ、水深もある田んぼだと、モスくんは溺れちゃうからね。今回ばかりは人の手だけで行う。
「アグリ様、くれぐれも無理のないように。水分補給もこまめにすること。いい?」
「うん、わかった」
主従の関係ではあるものの、アグリにとってリヴちゃんは、頼れるお姉さんって感じかな。そのポジションもおいしいけど、私が目指しているのは、もっと別。頑張らないと。
「収穫できるのは、半年くらい先なんスよね。お米、今から楽しみッス」
「モスくん、リヴちゃんと二人きりだからって、変なことしちゃダメだよ?」
「にゃにゃにゃにゃにを言ってるんスか!? 変にゃことってにゃんスか!? そんなことするわけにゃいじゃにゃいですか!」
冗談だったんだけど、そこまでオーバーリアクションをされると、もっといじりたくなる。
「あれれー? ちょっと慌てすぎじゃない? 逆に怪しいなー」
「うにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ!」
後ろ足で立ち上がり、短い前足を上下に振り乱す姿、激カワ。
「リヴちゃん、男はオオカミだから、気をつけてね」
ついでにリヴちゃんの赤面でも拝めたら儲けもの、くらいに思ったけれど、彼女は戯言には付き合っていられないとばかりに「ハァ……」と大息をついた。
「モスに限って、そんな馬鹿なことをするはずがないわ。誠実さという点において、誰よりも信頼できる男なのだから。失礼なことを言わないでちょうだい」
「にゃふうぅ、リヴしゃん……!!」
リヴちゃんは大人だね。
でも、釘を刺しているように思えてならないのは、私の気のせいだろうか。
「姐さん、オイラ、本当に変なことなんて考えてないッスからね……」
「ごめんごめん。からかっただけだよ。私もリヴちゃんと同じ。モスくんくらい誠実な人は、この世にいないって思っているよ」
「それは言いすぎだと思うんスけど……にゃぅ……恐縮ッス」
モスくんのチョロさを再確認していると、アグリが私のシャツの袖をくいっと引いてきた。
「どしたの?」
「へんなことってなに?」
おっと。
「男の人は、オオカミになれるの?」
うおーっと。
子供は、身近な大人の会話を聞いて言葉を覚えていく。親になるのなら、そのことを念頭に置いた発言を心がけないといけないのに、やらかした……。
今後に課題を設け、一般的に、男は女より力が強いから、何をするにもほにゃらら力加減に気をつけてうんたらかんたらでこの場は誤魔化した。いつかちゃんと教えます。
「それじゃ、行ってきます。アグリ、水筒は持った?」
「もったー」
田植え機を使わない手作業は、私も初めての経験になる。明日以降の筋肉痛が怖い。
まあでも、愛娘との触れ合いイベントだと思うと、張り切らないわけにはいかないでしょ。
さて、楽しむとしましょうか。
これからピクニックにでも出かけようかってくらい、揚々とした気分で玄関の扉を開けた。
「――おお、やっぱりこの村にいたか。捜したぞ」
私は扉を閉めた。
何も見ていない。今まさに、扉をノックしようとしていた女戦士なんていなかった。
外に出ず、扉を閉めたことを、アグリが不思議そうにしている。
「おきゃくさん?」
「え、誰かいた? 気のせいじゃないかな。そんなことより、天気がちょっと崩れてきたかもしれないから、残念だけど、また日を改めて」
「――どうした? ボクだ。フィアルニアだ。今日は良き日だ。世界の歯車が、こうして再びボクたちを巡り合わせてくれた。扉を開けて、早く君の顔を見せてくれ。おーい?」
ああ、間違いない。
この聞き慣れた声、物言い、そして名前が現実逃避を許してくれない。
突然の訪問者の名乗りを聞いたリヴちゃんとモスくんが、私の足下に来て玄関を見つめた。
「フィアルニア。どこかで聞いたことのある名前だわ」
「うーん、オイラもッス。どちら様でしたっけ?」
超のつく有名人だよ。
この国の王様の名前を知らなくても、彼女の名前を知らない者はいない。
多くの吟遊詩人がその名を歌に刻み、感謝と尊敬の念を込めて口ずさむ。
彼女の名前は【フィアルニア・ディスカリカ】
かつての仲間であり、パーティーのリーダーでもあった人物だ。
つまり……。
「勇者だよ」
それを口にした瞬間、二人がまとう空気がざわついた。その胸中は察するに余りあるけど、どうかこらえてほしい。
「――ボクたちは世界の安寧のために、この命を懸けて戦った。そして
おかしいな。誓った覚えがないんですけど。
滑舌が良く、ノイズが少ないせいか、扉を隔てているのに、すぐ耳元で話しかけられているかのように声の通りがいい。これも勇者の資質か。
どうしてこの場所がわかったのかとか、今さらなんの用だとか、いろいろと気になることはあるけれど、何よりも優先しなきゃいけないことがある。
リヴちゃんとモスくんが、魔王軍幹部の四帝獣であること。
そして、倒した魔王には子供がいて、私が匿っていること。
これらは、絶対に、絶ッ対に隠し通さなければいけない。
緊張を露わにし、敵意が漏れ出そうになっているリヴちゃんとモスくんをなだめ、アグリと一緒に奥の部屋で息を潜めていてくれるようお願いした。
「たくもう……」
顔を合わせてしまった以上、居留守を使うわけにもいかない。
私は観念して、フィアルニアを家の中に招き入れた。
「久しぶりだな、アオバ。元気そうで何よりだ」
白を基調とした鎧に、燃えるように鮮やかな赤い髪とスカートがよく映えている。鎧同様、純白の盾と剣を、それぞれ背と腰に装備した姿は似合うを通り越し、神聖さすら感じられる。
どちらも伝説級の武具であり、王都では本人込みで絵画や彫像にまでなっている英姿だが、家の中では物々しいだけなので、外して部屋の隅に立てかけておいてもらう。
「そっちこそ元気そうだね。急にどうしたの?」
「急にじゃない。どれだけ捜したと思っているんだ。連絡先すら残さずに消えてしまうなんて冷たいじゃないか。うっかり屋にも程があるぞ」
いや、うっかりじゃないし。
いざ戦闘となれば、鬼神の如き荒々しさで無双する彼女だけど、ぷりぷりと頬を膨らませる様子は18という年齢よりも幼く見える。実際、私から見たら子供でしかない。
来客用のカップなんて置いていないので、適当に選んで二人分の紅茶を淹れる。
机を挟んで椅子に腰掛け、改めて向かい合った。
「ずいぶんと野暮ったい恰好をしているが、この村では、それが普通なのか?」
「違うよ。これから外に出て農作業をしようと思っていたところなの」
「予定があったのか。それはすまないことをした」
まったくだよ。アグリを待たせているんだから、さっさとお帰りいただかないと。
でもまずは、これを訊いておかないと。
「ここに私がいるって、どうしてわかったの?」
「天の光に導かれし
「そういうのいいから。わかる言葉でお願い」
「先日、王都から見てペルシコス海方面――つまり、この村がある方角から、特級魔法使いのものと思われる膨大な魔力を感知した。あれは君だろう?」
「あー……」
「身に覚えがあるようだな。あそこまで巨大な魔力の波動は、かつての冒険ですら数えるほどしかない。よほどの強敵が現れたとみるが?」
ホットケーキです。
身から出た錆というか。自分の軽率すぎる行動に、私は頭を抱えたくなった。
「手を焼いているのなら、助力は惜しまないぞ」
「いや、大丈夫。美味しくいただいたよ」
「既に倒していたか。賢者の異名は伊達じゃないな。余計な心配をした」
本心から他人を褒め千切れる彼女は、いついかなる時でも裏表がない。
それは確かに美徳ではあるんだけど、逆に、道理に合わないことであれば、誰であろうと、それこそ相手が貴族だろうが、王様だろうが、遠慮なく文句を言う。その後のフォローに誰が奔走したのかは、言うまでもないね。
「というか、方角だけで、この村を突きとめたわけ? 王都とペルシコス海の間に、町や村がいくつあると思っているの。あなた、そんなに感知能力高かったっけ?」
「以前、田舎に引っ込むと言っていたのを覚えていたので、大きな町は除外した」
「いや、それでも」
いくら国外に出たわけじゃないとはいえ、クレタ村は相当な辺境なのに。
「捜索を郊外に限定し、中でも君は農業に強い関心を持っていたので、漁業を生業としている海沿いの村も除外した。加えて、アオバが消息を絶ってからの一ヶ月間における王都への生活支援要請の履歴を遡って調べたところ、クレタ村からの魔力提供申請がぱったり途絶えていたことがわかった。ギルド登録されている魔法使いが派遣された記録もなかったため、ここしかないと思って足を運んだ次第だ」
勇者辞めて、探偵にでもなれば?
「何はともあれ、悠久の時の果てに、こうしてまた会えたことを喜ぼうじゃないか」
「ひと月半ぶりだけどね。私はあんまり嬉しくないかも……」
「いつもの照れ隠しか。アオバのは冗談だとわかるからいいが、一瞬ドキッとするぞ」
冗談じゃなくて本気なんですけど。毎度のことながら、嫌みが通じない。
「で、私を捜していた理由は? ただ顔を見たかったからってわけじゃないんでしょ?」
「察しのとおりだ。世界に再び危機が迫っている」
「それは大変だね。頑張って。陰ながら応援しているよ」
「他人事のように言わないでくれ。アオバ、パーティーを再結成したい。一緒に来てくれ」
「無理」
「何故だ? 世界を救うのは、ボクたちの使命じゃないか」
「勇者のあなたはともかく、私はそんな使命を背負った覚えはないよ」
世界平和。私だって望むところだ。
だけど、それ以上に大切なものを手に入れた。どちらを優先するかなんて、そんなのは火を見るよりも明らかだ。選択肢にすらならない。もし、国の存亡がかかった一大事と、アグリの誕生日がブッキングしたなら、私は迷うことなくお誕生日会を開く。
「待て待て、待ってくれ。結論を急がないでほしい。何が起こっているかを聞けば、アオバも重い腰を上げようと思い直すはずだ」
「聞くだけは聞くよ」
何を聞かされても、意見が覆ることはないけどね。
突然の勇者来訪には焦ったが、ここからはもう、私の心の水面が波立つことはないだろう。
年上の余裕を見せつけるつもりで、私は優雅な所作でカップを持ち上げ、口をつけた。
「魔王に、子供がいた可能性がある」
「ぶっほッ!!」
口に含んだ紅茶を盛大に噴き出し、心の水面でビッグウェーブが発生した。
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