第一章 賢者は異世界で幸せをつかむ③

「うん、問題なさそう」


 川と貯水槽が繋がり、貯水槽から伸びた水路を伝って田んぼへと水が流れていくのを確認。

 これで後は、土を砕いて掻きならす作業――代掻しろかきをすれば、田植え前の準備は完了だ。


「この田んぼって、大きい方なんスか?」

「大きくはないかな。全部自分たち用で、作ったお米をどこかに卸すつもりはないし」


 私も一から田んぼを作るのは初めてなので、今年は練習の意味も兼ねて一畝いっせにしておいた。

 一畝っていうのは、三〇坪。約一〇〇平方メートルのことだね。一年目で感じを掴んだら、翌年以降、少しずつ拡大していければと思う。


「このサイズの田んぼで、だいたい五〇キロのお米が採れる予定なんだけど、実際のところはどうなるか、やってみないとなんとも言えないね」

「五〇キロッスか。大事に食べないと、すぐになくなるッスね」

「一番の大飯食らいはモスなのだから、あなたが食べなければいい話じゃないかしら」

「にゃっ、それで、少しでもリヴさんのお口に入る分が増えるなら……」


 健気。

 でも、モスくんってば、本当にたくさん食べるからね。このサイズで私より食が太いんだ。


「冗談よ。真面目にとらないでほしいわね。あなた、どれだけ食べても太らないものだから、少しやっかんでみただけよ」


 リヴちゃん、体脂肪率が四〇パーセントオーバーなの気にしているのかな。女の子だね。


「リヴさんは、そのままで充分すぎるほど魅力的ッス! ふくよかな身体つきも女性らしくて素敵だとオイラは思うッス! どうか、そのままのリヴさんでいてください!」

「モスくん、よく言った。激しく同意だよ。リヴちゃんの魅惑のボディーには、女の私ですら興奮しっぱなしだもの。一時間おきくらいで揉みたくなるよね」

「一緒にしないでほしいッス」


 同意得られず。


「非常に偏った意見をどうも。涙が出るほど嬉しいわ」

「どういたしましてだよ」


 私はリヴちゃんに聞こえないよう、モスくんの耳元で声を潜めた。


「モスくん、モスくん、なかなか好感触じゃない? ワンチャンあるかも」

「……姐さんって、あれッスか。恋愛オンチとか、そういうのだったりするんです?」

「誰かとお付き合いした経験はないけど、そんなことはないんじゃない?」


 色恋に無縁だったのは、ただ興味を持てなかったからってだけだし。絶対そうだし。


「自分を客観的に見るのって、難しいッスよね」

「恋は盲目とか、そういう話?」

「もうそれでいいッス……」


 ハァ……と憂いを帯びた溜め息。うんうん、恋しているね。


 田んぼに水が行き渡るまで時間がかかるので、今日のところは作業終了だ。

 すぐそこに、私たちが暮らしている平屋のコテージがある。夕飯にシチューでもコトコトと煮込めば、その香りが風に乗って、ここまで届くことだろう。

 近くに他の民家は無い。

 と言っても、一キロと離れていない場所に、お世話になっている小さな村がある。


 それなのに、どうして孤立した場所に居を構えているのか。

 もちろん理由がある。

 能あるタカは爪を隠すというように、モスくんたちを見て四帝獣だと見抜ける人はいないと思うけど、何がきっかけでバレてしまうかわからない。そんな危険を極力回避するためにも、人付き合いは最小限にしようと考えたからだ。

 それに、私が魔王を倒した賢者だからって、過度な気を使われてしまうんだよね。

 仰々しいのは勘弁。私はのんびり穏やかに暮らしたいのよ。


「主(ぬし)さんが森の幸を分けてくれるみたいだし、モスくんも食費のことは、そんな気にしなくていいからね。旅の途中で、いくらか蓄えもしていたし」

「うッス。また今度、何か狩ってくるッス」

「お願い。でも、前みたいなのは絶対ダメだからね」

「にゃふ……。その節は、ご迷惑を……」


 この村に移った私たちのところに、モスくんが初めて会いに来た時、手土産として持参してきたのが【ツインヘッドドラゴン】丸々一体だった。

 超高級食材であるものの、武装した大都市を、単騎で壊滅に追いやれるほどの強さをもった怪獣だ。肉以外の部位も、薬や装備品の素材になる。

 このラヴリーにゃんこが四帝獣だと疑われることはなかったが、そもそもの話、私は獲物の解体なんてできない。そのため、村の猟師さんのところへ現物のままで持っていき、食肉用に切り分けてもらわなくてはいけなかった。


 それはそれは、大変な騒ぎになった。

 同居することになった四帝獣が狩りました、なんてバカ正直に言えるはずもなく、仕方なく私が仕留めたことにした。そしたら「まさかあなた様は、あの有名な――!?」みたいな流れになって、あれよあれよという間に賢者だとバレた。それも秘密にしておきたかったのに。

 村の人たちに口止めはしたけど、人の口に戸は立てられない。私がここで暮らしていると、王都に知れ渡るのも時間の問題だろう。

 考えると気が重くなる。あーやだやだ、静かに暮らしたーい。


 ……でもまあ。

 そんな陰気も、この扉を開ければ嘘みたいに晴れ渡る。

 私が扉のノブに触れると、パキンッ、と薄いガラスが割れるような音がし、家をすっぽりと覆っていた、外敵不可侵の結界が解除された。

 ちなみにですが、私が張ったこの結界、王宮に張られているものの倍は頑丈だったりする。たとえ、半径一キロメートル内を更地にしてしまうような隕石がここに落ちてきたとしても、この家だけは傷一つつかない。そこまでして守りたいものがあるから。

 遊園地のアトラクションに並んでいる時に似たドキドキを味わいながら、木造りの玄関扉を引き、期待を滲ませながら「ただいま」と言う。すると、


「――アオバ!」


 赤ずきんを被った一人の少女がそれに気づき、風にたなびく麦穂のように金髪を跳ねさせて飛びついてきた。私もそれを、正面からガッチリとキャッチ。


「ただいま」


 腕の中にジャストフィットする子供の体温を抱きしめたまま、踊るようにくるくると回る。

 朝から数時間離れていただけなのに、十年ぶりの再会かってくらい長い抱擁を交わす。

 むにむにと腹に顔を擦りつけた後、紅玉ルビーのように赤く美しい瞳が私を見上げた。

 そこにある笑顔を、どう言い表せばいいだろうか。

 満開の桜。大輪の花火。その程度の比喩では到底表現しきれない。


「おかえりなさい」


 ミルク味のアイスキャンディーのように、甘くて愛らしいフェアリーボイスに耳がとろけてしまいそうになる。


「お留守番、ありがとう。寂しくなかった?」

「……ちょっとだけ」


 少女は恥じらいを隠すようにして、ほにゃっと柔らかく微笑んだ。

 ヤバい、萌え死ぬ。

 形容する言葉が思いつかないほど可愛いエンジェルスマイルに脳が溶けそうだ。


「アグリ様、戻ったわ」

「お嬢、ただいまッス」

「リヴとモスも、おかえりなさい」


 誰かが帰宅を出迎えてくれる。

 それだけで、こんなにも気持ちの在り方が違ってくるものかと、未だに驚きを隠せない。

 いや、この子が「おかえりなさい」と言ってくれるからこそ、そう感じるのかな。

 赤ずきんの上から頭を撫でてあげると、コツ、と硬い物に指に当たった。父親と同じ位置、左右のこめかみに生えている小さなツノだ。普段はこうして被り物で隠している。


 少女の名前はアグリ。

 魔王亡き今、四帝獣が唯一の主人と認める存在。

 魔王の忘れ形見にして、名伏し難いほどに愛らしい、8歳の女の子だ。


「お腹空いたでしょ。お昼は何が食べたい?」

「ちゅるちゅるのおうどん」

「アグリはうどんが好きだね。よーし、手打ちで作っちゃうぞ」

「やったー」


 無邪気に喜ぶ姿がスーパーウルトラメガワンダフル可愛い。

 教団に感謝する気はないけど、この巡り合わせにだけは……。

 もし運命の神様なんてものがいるなら、額を地面にこすりつけてでもお礼が言いたい。


 ついに、私は夢にまで見た暮らしを手に入れた。

 楽園はここ、異世界にあったのだ。

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