第二章 賢者は娘が可愛くて仕方ない①

 川の水を田んぼに引き入れて三日が経ったので、午前中に代掻きを行った。

 日を置いたのは、土が十分に吸水していないうちにこれをやってしまうと、上手く練れず、柔らかすぎたり、固すぎたりしてまだらな部分ができてしまうからだ。

 一日がかりの大仕事になるかと思いきや、ここでもリヴちゃんの液体操作が活躍し、わずか一時間足らずで作業終了。水が生き物のようにうねり、土を細かく砕き、搔き混ぜ、田んぼの表面を平らにならしていく光景は、ウォーターイリュージョンを観ているようで壮観だった。


「リヴちゃん、マジ優秀」

「リヴ、おつかれさまー」


 興奮冷めやらぬ様子のアグリと一緒に、たぷたぷしたリヴちゃんの横腹を、わしゃわしゃと遠慮なく撫でまくる。そしたら私の手だけ払いのけられた。


「あなただって、これくらいの芸当はできるんじゃないの?」

「どうかなー。私はどっちかというと、精密作業よりも、派手に壊したり、爆発させたりする方が得意だからね。魔法に関しては」


 これは自分でも意外に思っていることだ。異世界に来るまでは、派手な趣味なんて一切ない地味女だったのに。深層心理でのコンプレックスが魔法に表れているんだろうか。


「そういえば、殲滅力という点では、勇者以上に賢者を警戒すべきだと聞かされていたわね」

「ふふふ、山みたいに大きなゴーレムを粉々にしたこともあるよ」


 ふんぞり返り、ささやかな胸を誇らしげに強調する。


「それ多分、オイラの部下だった【タイタンロード】のことッスね」

「ありゃ、モスくんの? ごめんなさい?」

「いえ、上の命令を全く聞かない暴れ者だったんで、逆に助かりました。姐さんたちが倒していなければ、そのうちオイラが直接粛清することになっていたと思うッス」

「ならよかった。あれはさすがにね、私も見過ごすわけにはいかなかったから」


 街も自然も、お構いなしに踏み荒らし、それを悦にするような魔物だった。ああいう凶悪な手合いがいるせいで、魔物全体のイメージが悪くなっちゃうんだよね。ウチの子たちはこんなにも良い子なのに、いい迷惑だ。

 ともあれ、こんなぽかぽか陽気の下で、殺伐とした話をするのはもったいない。予定よりもだいぶ早いけど、このまま外でお昼にしちゃおう。お弁当にサンドイッチを作ってある。


「アオバ、あれなーに?」


 シートを敷く適当な場所を探していると、アグリが何やら離れた所を見つめていた。


「ん、どれ?」

「あそこ。田んぼのすみっこの方」


 アグリが指差している方向に目を凝らしてみると、ちょうど片手で掴めそうなサイズの白い泡の塊が、ぷかぷかと浮いているのを見つけた。


「ああ、こっちにもあるんだ。あれはカエルの卵だよ」

「ゲコゲコ!?」

「そう、ゲコゲコ」


 代掻きすると出てくるんだよね。透明な寒天質の泡が卵を包み、衝撃から守るクッションになっている。あれも春の訪れを感じる風物詩かな。


「たまご、見てきてもいい?」

「行ってらっしゃい。近づきすぎて、田んぼに落ちないようにね」

「うん、気をつける」

「いい返事。モスくん、一応ついていってあげてくれる?」

「了解ッス。お嬢、走ると危ないッスよ」


 小走りで駆けていくアグリを、モスくんが、とっとこ追いかけていった。

 その様子を微笑ましく見送りながら、お弁当の用意を進める。バスケットをおろし、畳んであったシートを広げると、リヴちゃんが端を引っ張って皺を伸ばしてくれた。


「アグリ様、ずいぶんとハシャいでいるわね」

「見るもの全部が新鮮なんだろうね」

「カエルなんて、絵本の中でしか見たことがないんじゃないかしら」

「だろうね。今まで暮らしていた場所が場所だし」

「仕方なかったのよ。いつ人間が攻め入ってくるかもしれない魔王城はもちろんだし、下界のどこであっても絶対に安全だと言える場所なんてない。それなら、誰の手も届かないところに置いておくしかなかった。魔王様も、苦渋の選択をされたのよ」

「……だろうね」


 そこからのっぴきならない事情があって、私のところに落ち着いたんだけど、子供を育てたことなんて一度もない私で本当によかったのかと、今でも自問を続けている。

 しかも、人間が魔王の子供をだよ?

 ハードモードどころか、クリアさせる気がないルナティックモードに思えてならない。


 それでもだ。

 投げ出すつもりは毛頭ない。育児に完全攻略法なんてないのは当たり前。

 あの子のために、私にできることを全力でやるだけだ。


 さて、お弁当だけど、代掻きが重労働になると予想していたので、精がつくようカツサンドにした。モスくんが狩ってきた【ツインヘッドドラゴン】の肉だ。長期保存がきくよう魔法で氷漬けにしてあるんだけど、なかなか消費しきれない。挨拶回りで村の人たちにかなりの量をおすそ分けしたのに、それでもあと一〇キロくらい残っている。


「このサンドイッチに挟んだ肉一切れで、小金貨一枚はするんだってね」

「さあ。人間が決めた相場には詳しくないわ」


 この世界の貨幣価値を、ざっくり私の主観で日本円に換算すると――。

 大金貨(百万円)、小金貨(十万円)

 大銀貨(一万円)、小銀貨(千円)

 大銅貨(百円)、小銅貨(十円)

 といった感じかな。一般庶民の買い物で金貨が使われることは、まずないね。


 こんな超高級肉をギルドに卸したりしたら、たちまち話題騒然になるのは目に見えている。出所を突きとめ、あわよくば、骨や皮といった素材まで手に入れようと、商人たちが大挙して村に押し寄せてくるに違いない。私がこの村で隠遁していることも知れ渡ってしまう。

 そのため、肉は全部、村の中だけで使い切ってもらえるようにお願いした。その他の素材は捨てるに捨てられず、私の異空間庫インベントリに押し込んである。


「よく引き取る気になったわね」

「下手に売りさばくわけにもいかないし」

「アグリ様のことよ」

「ああ」


 話を戻すのね。

 水際でしゃがみ込み、じーっとカエルの卵を観察しているアグリを遠目に見やる。


「最終的には押し切られたけど、私も最初は断ったよ。安請け合いしていいことじゃないし。何より、魔王の子供を引き取るなんて、人類に対する裏切りになるわけだしね」

「後悔しているの?」

「全然。あの子を一目見て、そのあたりの葛藤は吹き飛んじゃった」

「単純ね」


 もちろんそれだけじゃないけど、アグリの可愛さの前では、種族間の壁や争いなんて些細なしがらみは軽く凌駕しちゃうというか、超越しているというか。


「リヴちゃんは? 魔王の命令だからアグリを守っているの?」

「命令されたわけじゃないわ。見守ってほしいと頼まれただけよ。あなたとアグリ様の生活を引っくるめてね。モスも同じ」

「頼まれたから見守っているの?」

「食い下がるわね。何を言わせたいのかしら?」

「アグリのことをどう思っているのか、リヴちゃんの気持ちが聞きたいかな」

「早くもいっぱしの保護者気取り?」

「そうあろうとしているよ。私は」

「癇に障る言い方ね。言っておくけど、アタシはアグリ様が産まれた頃から知っているのよ」

「年季が違うね」

「そうよ。あの子を想う気持ちは、あなたにも負けては――……」


 ハッ、としたように、リヴちゃんがそこで言葉を中断してしまう。


「続きは?」

「そのニヤつきをやめなさい」


 知っていました。リヴちゃんとモスくんが、命じられたから、義務だからアグリの傍にいるわけじゃないって。彼女たちがアグリに向ける目は、いつだって優しさに満ちている。


「……立場的に褒められたものじゃないけど、歳の離れた妹みたいな感じかしら」

「妹かー。リヴちゃんって、今いくつなの?」

「女に歳を尋ねるなんて、野暮じゃないかしら?」

「まったくもってそのとおりだね」


 私としたことが、自分がされて嫌なことを人にしてしまうなんて。反省反省。

 でも、歯に布着せることなく意見してくれるから、こっちも遠慮なく質問を投げられる。


「リヴちゃんから見て、どうかな? 私、アグリと上手くやれていると思う?」

「特に問題はないように思うけど。図太い性格をしているかと思えば、案外繊細なのね」

「そりゃあ……ね」


 立場的にってリヴちゃんは言ったけど、それを言うなら私の方が歪だもの。

 私は魔王を倒した人間。

 アグリにしてみれば、父親を殺した仇だ。

 保護者を辞退する気はない。できることを全力でやると言ったのも噓じゃない。


 だけど、あの子が私に向けてくれる笑顔の下に、別の表情が隠れているんじゃないか。

 それを考えない日はない。


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